闇米

葱と落花生

闇米

「塵中格外おほく様子を帯せりといへども、参学眼力のをよぶばかりを見取会取するなり。

 検事の中に一人でも、闇米を食わん奴がおったら此処に連れてきいや。

 したら全員の勾留を認めてやるわ。

 おったとしても、どうせ栄養失調じゃ。

 棺桶に片足突っ込んどったら、這っても来られんわな。

 食い物は命じゃ。

 生きる為の糧を、闇で売り買いの何処が悪い。

 どうせ弱いもんから米巻き上げて、飯屋にでも売り払う算段じゃろ。

 昨日今日に始まった闇市じゃねえんだ。

 検察なら、そんな事は百も承知しとろう。

 小遣い欲しさの公安に、無理矢理押し付けられた取り締まりと違うんかい。

 昨日まで大日本帝国万歳言うとった特高がじゃ、今日にはアメリカの後押しもろて返り咲いたかと思たら、今度は赤狩りじゃ言うて、見境なく気に入らんかった者を殴る蹴る。

 彼奴等のやっとる事は、戦の最中と全く同じじゃ。

 なーんも変わっとらん。

 やつらに捕まって、無傷でここに連れて来られた者がおったか?

 臭い物に蓋するしかでけへん特高くずれに乗っ取られてからに、御前等見とるとな、負け犬がマッカーサーに尻尾振っとるようで無性に腹が立ってくるんじゃい。

 最も、そのマッカーサーの御蔭で、わしも偉い口きけるようになったんやけどな。

 話戻そか。

 御前、特高がそんなに怖いんか? 

 ションベンちびる程怖いんかい。

 何年検察やっとるんじゃ。

 配給しか食わんでいて、どれだけの者が死んで行った。

 闇米が有るんで、わしら生きていけるんじゃろ。

 二十人のおばちゃんから米取り上げてしもたら、何人が腹すかせたまま一晩過ごさなならん。

 どれだけの子供が食えんまま、飢え死にせなならんか考えてみいや。

 ひもじいんが涙も出ん程辛いのは、御前さんならよう知っとろう。

 戦地に米送らにゃならんちゅうて、折角作った米を一粒残らず供出させられたなあ。

 あの時食った芋の味忘れたんかい。

 あん時の、とうちゃんかあちゃんの顔忘れたんかい。

 忘れたちゅうならしゃあないけどなー。

 おばちゃんの大事な命の米取り上げても、まあだ弱い者虐めが足りん言うのか。

 小言を言うてんのと違うで、見逃してやってくださいと頼んどるんじゃ。

 ほれ、このとおり頭も下げたるわ。

 これだけ言うても人の頼みよう聞かんで、おばちゃんら捕まえる騒ぐんなら、御前は鬼じゃ。

 地獄で人の肉食ろてる鬼と同じやぞ。

 闇米に生かしてもろときながら、同じに闇米食って生き延びようとしてるもんを、逮捕せにゃならん理屈が御前には分かる言うんかい。

 令状当番のわしに、判事のわしに人殺しの手伝いせえっちゅうんかい。

 他の事なら少しーいは融通効かせてやってもいいがのう。

 いくら御前が高校ん時の後輩でも、こればっかりは一歩も譲れんわ。

 なんぼ法律がそう成っとる言うても、わしがいかん言うたらいかんのじゃ。

 ボゲ!

 たとえこの場で判事の任降ろされてもな、わしは命張っておばちゃん逃がすけ、覚悟しときや。

 終いにゃマイトほん投げて、検察吹き飛ばしたるぞ。

 検察なら生きるにイッパイゝのおばちゃん捕まえる前に、やらにゃならん事が山ほどあるじゃろ。

 本当にとっ捕まえにゃならん奴等がぎょうさんおるやろ。

 違うか?

 ここでこんな暇潰ししとらんと、あいつら捕まえて来いや。

 わしがしっかり御仕置したるから。

 今度つまらん事でわしん所に来たら、容赦無しに御前の死刑判決出したるからな。

 よう覚えとけや」


 昭和二十六年。

 大阪地検では、この様にわめき散らす声が日常茶飯事に響き渡っていた。

 大阪地検の総てがこういった状態では無い。

 ただ一人の裁判官周辺に限った現象である。


 戦後の動乱期、大阪地検には、逮捕拘留されている者達の間で評判になった、我がまま放題の名物判事がいた。 

 困った時の神頼みは当てに成らないが、この人に当たれば何とかしてもらえると、弁護士以上に頼りにされていた判事。

「神さん弁護士さんは要らんけど、どうか助けてください弁天様」と唱えられた、弁財天嘉久一である。


 高知の旧制高校から司法の道に進んだこの男、日本全国の地裁を転々とする転勤族で、その地に馴染もうと方言で話すのを心がけているうち、あちこちの訛りが入り混じった独特の口調になっている。


 今は傍若無人に形振りかまわぬ生態だが、生れついてのヤンチャ坊主では無い。

 現代の大都会に少数確認されている、亡霊の如き子供ではないにしろ、どんよりと薄暗く起きているのかいないのか、存在感が極めて希薄な少年であった。

 土佐の高知という土地柄、周りが異様に陽気過ぎる子供達であったから、尚更其の場に居ても行方不明の子で、学校ではよく出欠を取り忘れられる始末。


 弁財天の生家は代々役所勤めを生業として来た武士の家で、厳格な祖父や父親の影響も有り、成績は何時でも群を抜くものだった。

 しかし、その事に気付くのは担任になった教師と母親だけであった。

 弁財天家にあって成績が良いのは当然の事。

 政府が幕府であった頃から、子供達はどれだけ他者より抜きん出て登り詰められるかを見られながら育って来た。


 現代は職業選択の自由が当然の如き権利とされているが、当時は親が子の仕事を決めるのが一般的考え方でった。

 嘉久一もその例外では無く、常にどの様な職業につくのが宜しいかと議論されていた。

 成績はずば抜けて良いが、人見知りな上に話下手。

 融通も利かなければ、友達付き合いも頗る悪い。

 マイペース以上にスピードを出せないから、周りの空気が読めないマッタリ人間に見られてしまう。

 逆の見方をすれば、周囲がどんなに慌てふためいていようとも一向に動じない。

 鉄の心臓を持った男と言えなくも無い。

 こんな性格に適した仕事は無いだろうかと探した時、第一候補に挙がったのが裁判官である。


 親の言うがままに地方判事となり、根っからの大人しい性格を生かして業務をつつがなく熟して行く。

 特に波風立てるでも無い昼行燈のまま、教科書通りの判決を連発していったから、結果は家柄に申し分なく右肩上がり。  

 暫く地方を回っていたものの、本人も気付かぬうち中央に、私は人畜無害のイエスマンだと強くアピールしていた成果として、異例の速さで最高裁判所の椅子に最も近い東京高等裁判所へと配属された。

 しかしながら、幽霊や陽炎と同じで不確かな存在ゆえ、嘉久一の配属を記事にする記者は一人もいなかった。

 これは、俗界の悪影響を受けてはいけないと、総ての外界情報を遮断して来た嘉久一には、かえって都合が良かった。


 裁判所と官舎の往復だけを繰り返す毎日で、読む本は法律書だけ。

 ラジオも聞かなければ新聞も読まないといった生活なのだから、自分の動向が新聞ネタに成る成らない等どうでも良い事である。


 東京住まいになって間もなく、仕事を終えて帰りの電車を待っていると、女性に全く免疫の無い者には飛切りの美女に見える婦女子が電車から降りて来た。

 多少なりとも世間を見てきた者ならば、その婦女子が闇米を買う金稼ぎにカフェーで女給をしている者だと分かったが、嘉久一にはその立ち振る舞いが天上界の女神に見えるばかりであった。

 これからというもの仕事が有っても無くても、駅に用事が有っても無くても、婦女子を一目見ようと待ち伏せするのが習慣になってしまう。

 今ならば、完全に危ないストーカーである。


 そうこうしていると、裁判所の同僚に遭遇するのもしばしばで、婦女子の顔姿を一目見れば用の無い駅でも、何度か飲みに誘われると断れない。

 同僚と夜の街で飲み歩き、世間話をするうち世俗の事情も少なからず知るようになってきた。


 今で言うところの、メイド喫茶の御姉様と同じ立ち位置で自立している女性が、堅っ苦しい判事なんぞ相手にしてくれる筈が無いと諦めかけていた頃。

 飲んだ帰りに歩く先の路地が、随分と騒がしい。


 酔った勢いで同僚と二人、集まり出した野次馬に混じって見ると、例の婦女子が進駐軍の兵士にからかわれている。

 如何にも困り果てた様子で気の毒にはなったが、酔っていても判事の立場は心得ている。

 無暗に止めに入って話を拗らせては後先困った事になるからと、二人申し合わせMPが来るのを暫し待つ事にした。


 その内に兵士が怒り出し、嫌がる婦女子を殴り乱暴に投げ飛ばした。

 とっくに諦めていた筈なのに、倒れ込む姿を見てしまっては怒り沸騰抑えが効かない弁財天。

 感情に任せ嘉久一が飛び出そうとするのを、同僚が必至で抑えたその時、一人の男が兵士の前に立ちはだかった。


 見ればボロボロのみすぼらしい身成で、終戦から足掛け三年、何処ぞで捕虜として生きていたのか、陸兵の軍服を着ている。


 日米二人の兵士が睨み合い、帰還兵が第一声を発する。

「go back to the home かあちゃんからおっぱいでも貰ってな」

 敵国語として発する事も禁じられていた言語が、帰還兵の口から出て来たから、野次馬が驚き意味も分からずざわつく。

 途端に酔って見境の無い米兵が殴りかかると、素面の帰還兵が避ける。

 米兵が勢い余って倒れ込む。

 何度か繰り返していると、米兵が疲れ果て肩で息をする。


 こうなった所で、帰還兵は米兵を蹴り飛ばそうとするが、ろくに飯を食っていないから簡単に足を掴まれ軽々担ぎ上げられてしまった。

 運悪く、喧嘩騒ぎの渦中で商いをしていた屋台に勢いよく投げ飛ばされる。

 それでも起き上がる帰還兵に呆れたのか疲れたのか、米兵が其の場にへたり込む。


 酔っ払いと腹減らしの喧嘩である。

 ヨタヨタ情けないばかりなのを笑っていると、ニヤリとした米兵が、懐から拳銃を取り出した。

 途端、野次馬が蜘蛛の子を散らす様に其の場から逃げ出す。


 嘉久一も逃げたかったが、修羅場になった喧嘩の顛末が気になって動けない。

 同僚に袖を引っ張られ我に返ると、婦女子が避難している壊れた屋台の陰に陣取った。


 恐るゝ二人の兵士を監察していると、帰還兵が米兵に向かって唾を吐きかけ「Is there that killed peopleヘタレ野郎、俺を殺れるのかよ」と怒鳴る。

 この言葉に米兵が一瞬たじろいだ所へ、ようやくMPがやってきて一件落着の御粗末。


 少々血が流れ屋台はバラバラになったが、婦女子に怪我は無く、帰還兵も上手い事逃げたから安心して嘉久一は帰った。


 翌日、昼過ぎになって令状当番をしていた所に逮捕令状の申請が有った。

 昨夜、米兵と喧嘩をした帰還兵が屋台を壊しておきながら、弁償もしないで逃げ去ったという事件である。

 いかなる事情による喧嘩か、どの様にして屋台が壊されたかは知っていたが、判事からこういう訳だからとも言えない。

 帰還したばかりで何処へ行くかも分からん奴が、そう簡単に捕まるものではない。

 しっかり逃げてくれよと思いながら、令状に判を押した。


 喧嘩の事をすっかり忘れていた頃、屋台の損害賠償請求事件が上げられてきた。

 本来なら簡易裁判で事足りる事件だが、発端となった喧嘩相手が既に帰国している所へもってきて、逮捕された帰還兵が、アメリカに弁償させろと騒ぎ出している。 

 その上、進駐軍の弁護士まで出張って来ての厄介な裁判になってしまうからと、飛び級して高裁へ回されて来たのである。


 人に話せる事ではないが、事件に少しばかり関わっていた嘉久一は、帰還兵に若干の好意と興味を持っていた。

 事件が自分の担当となった時は、真っ新な気持ちで法廷に臨めないとして断ろうとも思ったが、何時もの事件と違って気分転換になるだろうと、スケベ心がチラリと顔を出す。


 後に公開された記録に、次の記載が残っている。

判「特攻から捕虜になりとありますが、事件当夜は陸兵の軍服だったのは、どういった訳ですか」                  被「撃ち落とされて漂着した時に、特攻服では其の場で殺されると思い、近くにいた陸兵の服を、いただいたからであります」

判「いただかれた陸兵は怒らなかったのですか」                 

被「既にくたばっておりましたから、怒られませんでした」

判「志願して特攻になったとありますが、死体から服を剥ぎ取ってまで生き延びようとしたのは、志に反するとは思いませんか」

被「死ぬのは怖くありませんが、つまらん事で死にたくなかっただけであります。今でも御国の為ならば、喜んで死ぬ覚悟であります」

 事件に直接関わりの無い問答が延々と続き、本質には殆ど触れず判決が出された。


 損害賠償の責務はアメリカ政府に有るとしたもので、事件の一部始終を目撃していた嘉久一にとっては至極当然だったが、詳細を知らずに傍聴していた記者には驚愕の判決であった。

 壊された屋台の修繕費を、アメリカ政府に支払えと命じる判決を出した弁財天裁判官の話は、敗戦国の色彩が強い時代にあって、新聞記事の恰好ネタとなって広まった。


 アメリカに強い劣等感を抱いていた日本国民にとって、少しばかりの反抗心を満足させてくれるものとなったこの話。

 派手な尾ヒレ背ビレ括れを付け、ヒメカサゴのように膨らんで瞬く間に評判となっていく事となった。

 配属された事さえ気付かれなかった嘉久一であったが、この一件で一躍時の人となり、どんな事件でも新聞記者が傍聴するようになると、事件の内容はそっちのけ、面白可笑しく法廷の弁天様として記事にされるようになっていった。


 あまりにも過剰な取材合戦に、高裁は直接判事に取材する事を禁じた。

 応答は総て広報が行うとして、事実上、新聞記者を裁判所から締め出したのである。


 とんでもない判決を出したばかりにと、事件の内容がどうであれ、判決の是非に関係なく、弁財天は所内で敬遠される存在になって行った。

 この判決までは同僚との付き合いもそこそこ有ったが、すぐに以前のとっつきにくい引籠り嘉久一に逆戻りしてしまったのは言うまでもない。


 裁判所と官舎を往復し、読書だけの生活に戻ったまではよくある環境の変化で解決できる。

 が、以前は法律書しか読まなかったの嘉久一が、ここに来てありとあらゆる本を読みあさり始めた。

 読むとしたが、実際に読んでいるとは言い難い。

 規格外なのである。 


 チョイと街に出ては本屋を覘き、気になるのは迷わず買い求める。

 裁判所の帰りには古本屋へ行き、面白そうなのはないかと店主に聞いて回る。

 休日ともなると何件もの本屋を周り、重くて運ぶのに一苦労するほど買い求めて来る。   


 まったく読む気配が無いのを不思議に思った官舎の管理人が聞いた。           

「書生でも学者でもねえのに、何でそんなに本が欲しいかねー。第一にだ、あんたが買って来た本を読んでいるのを一度も見た事がねえ。どういった了見だい」

「面白そうなのが有ったら買っておくんですよ、読む暇が出来ても、本が無かったら読めないじゃないですか。それに、読書なら毎晩やってますよ。私の読書法ってのは、積ん読ってやつでしてね」

 一見昔に戻った様であったが、この時期辺りからプチ崩壊期に入っている嘉久一。


 世間に気付かれない程度の微妙さで壊れ始め、半年ばかり過ぎた頃、積ん読々書の引き金を引いた張本人がまたもや高裁に現れた。

 帰還したばかりからは見違える変わり様で、検察官や弁護士よりもずっと高価なスーツを着込んでいる。

 溢れ出るオーラからして堅気でないのは明白、どんな角度から見ても、私はヤクザですと主張しているのだから始末に悪い。


 帰還後間もなく、千葉は九十九里に一人きり始めたヤクザ家業。

 思い切りの良さと人情の厚さで多くのブレーンに恵まれ、着実に子分衆を増やして成長した山城組の初代、山城健太の若かりし頃がこの帰還兵である。

 闇市の一斉摘発に引っ掛かり逮捕された後、地裁で有罪判決を受けたものの、戦前からの強い後ろ盾と弁護団からの援護を満遍無く受けて上訴していた。



 一般的な闇屋なら、これまで闇市を黙認して来た警察からの内通が有るから逃げ切れたが、山城が率いる一団は、焼野原となった東京の空き地に予告も無くトラックで乗り付け、勢いに任せて売り切っては立ち去る急襲型の闇屋であった。


 山城の実家は代々網元と言う事もあって、九十九里一帯を根城にする玄武一家と昔からの付き合いが有った。

 この伝手で玄武組の闇屋と一緒に、漁の魚と米やら芋等を積んで、九十九里から東京までトラックを走らせ荒稼ぎを続けていたのである。


 地元では筋が通っていたが、東京まで出てしまうと後ろ盾が無いのと同じ。

 それなりに話は通していたものの、闇屋の勢力図が猫の目の様に変わってしまう時代で、総ての組織に裏話が通っていたのでは無い。

 山城の動きに嫌悪感を抱いていた者は少なくなかった。


 足を引っ張り陥れようとする同業が多い中、用心に用心を重ねて闇屋に励んでいたのである。

 橋での検問を逃れる為、松戸岸から金町岸まで渡したロープに物資を縛り付け、川面を這うように引き寄せた荷をトラックに積み込む時が最も無防備である。

 ロープを張った川岸から離れた場所に放火したり、空荷のトラックに検問を突破させたり、野垂れ死にした死体を河に流してみたりと、その都度揺動に悪知恵を駆使していた。


 おりしも、GHQが正式に闇市の撤廃を表明した時期と重なり、闇屋にとって厳しいばかりの判決が出さている中、問題判決から僅か半年。

 同じ男が闇屋で捕まり、東京高裁での裁判が決まった途端、記者達が一斉に広報へと押し掛けてきた。

 記者も山城も高裁からすれば実に厄介な者である。


 山城に対して興味の尽きない嘉久一を除いて、この事件に関わろうなどと思う者はただの一人もいない。

 火種を撒き散らしたのだからとばかり、当然の如く山城の事件担当判事は嘉久一となった。


 この時、人並み尋常な判断力が残っていたのなら、即座に担当判事は辞退すべきと気付いた筈である。

 いかんせん嘉久一は今、法律書以外の本と見聞きする噂話や新聞等から、庶民が知る所の生きる為の知識を吸収して脱皮変身した未知の生物になっている。

 これまで気にしていなかった、法が指し示す理不尽に気付いた上に、激しい思い込みに支配されているから進行方向が危なっかしい。


 広く天下国家に法の矛盾を知らしめる為、この裁判は大変に良い機会だと有頂天。

 うかつにも軽率且つ喜んで、引き受けた裁判の記録がこれである。      


判「闇屋は他にも大勢いたのに、捕まったのは貴方だけですか」

被「はい、自分だけであります」

判「どうして貴方だけ捕まったのですか」

被「自分が盾になって、他の闇屋を逃がしたからであります」               

判「自分は捕まってでも逃がしたい仲間なのですか」                被「分かりません。前の晩に、一緒に粕取りを飲んだだけですから」

判「今度やる時はもっと上手くやって下さいね。もう捕まらないように」

被「へい、すいやせん」

判「検察に伺います」

検「何でしょう」                  判「闇屋の証拠として没収した品物の一覧に、米・芋・魚とありますが、この中で魚は何処にありますか」              検「腐敗が酷く、廃棄されております」

判「米と芋は何処にありますか」

検「現在は証拠として、警察の保管庫にあります」                  判「おい、盗人。いい加減な話をする気ならテメエをぶち込むぞ。 

 俺はよ、つい今しがた、御前さんが言う警察の証拠保管庫とやらに行って来たがな、随分と前に公安とGHQが持って行っちまったってよ。

 証拠品をマーカットにでもくれてやったかい。

 有る所から持って行くなら黙っていようと思ったがよ、証拠の米を持出しすのは盗人だろ。

 御前さんは、盗人の一味かい。

 それとも何だ、御前さんだけが知らなかったとでも言う気かい。

 もう一度、よーく考えて答えてみろや。

 被告が闇屋だって証拠の米に芋と魚、本当に有ったのかい。

 何か間違っちゃいないかい」


 証拠不十分として判決は無罪である。

 山城は放免され、検察は上訴を諦めた。

 誰もが知っていたが、追及してはならない法の裏側をさらけ出した判決で、またもや新聞紙面を賑わす結果となった。


 常軌を逸した判決で、最高裁への道を完全に断ち切られたものの、それは自分がこの事件で担当判事になった時から覚悟していた。

 自身には大問題でなかった事だが、実家の者はやいのゝと責め立る。

 これに辟易した嘉久一は、一週間の休暇を申し出ている。


 レッドパージが盛んな折、公安から監視対象にされるような判事に居てもらっては困るのが裁判所の本音である。

 消えてもらいたい本人から、一週間の休暇願いが出された途端、渡りに船と最高裁は形振り構わず嘉久一を遠方の裁判所に放り出した。


 飛ばされるのは想定範囲内の出来事で、辺ぴな地域に回されれば読みたい本もなかなか手に入らない。

 東京で給料の大半を注ぎ込み、大量の本を買いあさっていたので、引っ越し荷物の殆どが本である。


 移動させられたからと反省するでもなく、当時は異常と騒がれた基本姿勢は全く変わらぬまま、判決はどれも一環して法の矛盾を糾弾するものであった。

 赴任して判決を出す度に転任を命じられる。

 その先で判決を出して又々移動。

 忙しなく転居を繰り返した。


 引っ越しの度に読み終わった本を売る。

 残る本が幾らも無くなった頃になって、大阪地裁に辿り付いた。



 深刻な物不足であった戦後間もない時期、日本全国何処へ行っても闇市を仕切るのは裏社会の者。

 組織によっては、利益の殆どが闇市からのあがりであった。

 大阪も闇市事情の例外では無い。

 新参者が闇市を開こうものなら、縄張り荒しとみなされる。

 即座に市場潰しの手が回されるのが常であった。


 それは主催者への直接攻撃であったり、出入する者への嫌がらせだったり。

 考え得る限りの方法を駆使して、えげつなく妨害するのである。

 市場の主催は同時に、対立する組織との潰し合いでもあった。


 物資は有るが売り場を持たない者達が、何かを人様に売となると、現代風のガレージセールやフリーマーケットといった気軽な行事の様にはいかない。

 力に自信のある者を表に立て、東京で山城が行った急襲型闇市の開催に頼る事となる。


 当然の成行で、警察との癒着甚だしい戦中戦後の常設闇市を主催している組織が攻撃を仕掛けてくる。

 力と力の攻防が、容赦なく繰り返えされ、闇市に関わる者達の衝突は日常茶飯事となっていた。


 冒頭、嘉久一が拘留を認めなかった闇市一斉摘発の時、おばちゃん達を捕えた警官に急襲型闇市の開催を密告したのは、常設闇市を取り仕切っている一派であった。

 この時ばかりでは無く、一斉摘発は常設闇屋と急襲型闇屋が衝突する集団暴力事件にまで発展し、何時も何人かは病院送りにされていた。


 喧嘩両成敗はどの時代と言わず大方裁く者裁かれる者両者が納得する所で、表向き其の場の全員が警官隊によって拘束された。

 しかしながら、何時も変わらぬ世情の通り、常設闇市側の関係者は、取り調べもそこそこに即日釈放されている。

 一方、急襲型闇市側の関係者は、拷問に近い取り調べの後に逮捕拘留され、全員が検察によって起訴されていた。


 普段から裏金をばら撒いて、汚職警官や検察、政府関係者を飼い慣らしている組織と、利益の殆どを困窮する者の救済にまわす組織に対して、当局が行う当然の対応と言えよう。


 自分一人、生きて行くのさえ精一杯だった。

 当時はどう考えても納得できない仕打ちが、避けては通れない社会。

 たとえ国家が身分を保証した警察・検察であっても、弱者を犠牲にしなければ生きて行けない時代だったのである。


 各地に点在する闇市での暴動は、新聞で連日の様に報道されているものの、裏側に潜んでいる腐敗体制を追求した記事は殆ど見当たらない。


 運悪く、東京から客人として大阪に招かれていた山城が、この事件にしっかり巻き込まれ逮捕されていた。

 奇遇にも、大阪に配属されていた嘉久一と、たまたま逮捕された山城。

 因縁の弁財天・山城判決が、またもや出されるかと記者の間で興味本位の噂が飛び交う。


 しかし、大方の予想に反し嘉久一は、事件を知った時点で担当判事にしないでくれと申し出ている。

 事件そのものは単純な喧嘩であったから、判決は直ぐに出された。

 殆どの者は執行猶予付きである。 

 ところが、山城だけは闇市の主催に暴動の先導、加えて傷害事件の主犯として、其の場で起きた罪の総てを被せられていたから、判決は頗る厳しいものであった。

 客として闇市を覗いていた時、喧嘩騒ぎに巻き込まれただけで正当なる防衛をしたまでの事。

 被告は無罪であるとの弁護側主張は一切認められず、求刑以上の執行猶予無し禁固十年と、政治犯並の実刑判決が出された。


 判決が言い渡された日、嘉久一は自主退官し大阪地方裁判所を去っている。


 即日上訴した山城の元へ、弁護士と共に面会する者があった。

 退官したばかりの弁財天嘉久一である。

 退官すると同時に、ヤメ判弁護士として開業したものの、表立って山城の弁護士として活動するとマスコミの騒ぎが鬱陶しくなるのは目に見えていた。

 この件に限らず、今後は裏方として協力して行きたいと告げに来たのである。


 今までの山城弁護団体制を維持したまま、自分はこれまで各地の裁判所で蓄積して来た判事の弱点を徹底的に突いてやると、意地の悪い笑顔を見せている。



 時代は昭和から平成に変わり、関東関西と在所は離れても二人の腐れ縁は続いた。

 闇米をヤミ米と書く時代になり、新米が出来れば山城が闇米と表記した荷を贈る。

 それが届けられると、ヤミ米有難うと嘉久一が礼状を出す。


 毎年米が送られて来ると、必ず行われる弁財天家の行事がある。

「それは闇米かい。茶漬けにしてくんな」

 嘉久一が言い、暫くして出される茶漬けを美味そうに食うのである。 


 嘉久一が子や孫に看取られ他界する二ヶ月前、弁財天家に新米が送られて来ている。

「それは山城ん所のヤミ米かい。握り飯にしてくんなよ」 


 嘉久一が健在であった日、最後の写真。

 秋晴れの縁側で日向ぼっこをしながら、握り飯をほおばっている。

 ニコニコと眺めては一口、また眺めては一口。


 ゆっくり。


 ゆっくり。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

闇米 葱と落花生 @azenokouji-dengaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ