かくれんぼ
物部
短編読み切り
あの日、夕陽の顔を見て思い出したんだ。
僕じゃない、誰かの記憶を。
家に帰って古ぼけた絵本を取り出す。
そこに書かれた落書きの中に辿りついてはいけない答えを見つけてしまう。
自身を疑い、その価値に意味はなく――
どこまでも堕ちていく。どこか遠くに消えてしまいたいと思えるほどに。
こんな世界、僕はいらない。
僕らのカウントダウンは始まってしまった。
◇◇◇
『いっせーの、で!』
掛け声を合わせて走り始める。
……ああ、これは夢だ。懐かしい友の、瑠璃の夢だ。
あの頃は常に一緒だった。いや、俺はいつも彼女の少し後ろにいた。
必死になってその背中を追いかけたかけっこ。
手を伸ばせば届きそうで届かなかったその背中を、俺は必死になって追い続ける。
彼女がどこかに行ってしまいそうな予感があった。
どこにも行かないようにと、そばに居てほしいと願うように追いかけた。
あの日、夕暮れどきの時間。
親がなぞった線で結んだ俺たちの世界は変わってしまった。
「どうしてだ、瑠璃……」
「……」
「どうしてこんなことを……答えろよ、瑠璃!」
「……なら、夕陽。一緒に来ないかい?」
◇◇◇
俺と瑠璃の八歳の誕生日パーティ。
それなりに大きかったお互いの家による合同で行う誕生日パーティだった。
そろそろメインのケーキの時間となり、会場の真ん中にワゴンが運ばれる。
ワゴンが中央に到着したと同時に、ワゴンの下から瑠璃が出てきた。
どこに行っていたのかと思えばそんなところにいたのかと笑う瑠璃の両親。
ケーキに釣られて戻ってくると思ったと話す俺の両親。
そんな和やかだった空気を瑠璃は――
二振りの短刀で、文字通り断ち切った。
俺は何が起きているのか全く分からなかった。
ただ、使用人たちが叫ぶ声が聞こえる。
血のりを払うように短刀を振る瑠璃。
血だまりの上に立つ瑠璃。
死んだ親たちを無表情のまま見る瑠璃。
すでにピクリとも動かない瑠璃の両親。
信じられないといった顔で倒れ伏す俺の両親。
ようやく振り絞った声で瑠璃に質問した俺に、一緒に来ないかと返す瑠璃。
怒りで混乱した俺に、その声は届かなかった。
俺はただ涙を流し、拳を握るだけだ。
屋敷の中が騒がしくなる。憲兵が来たのだろう。
瑠璃は一度寂しそうな顔を見せ、俺に向かって別れの言葉を告げる。
「次は、僕についてきなよ?」
瑠璃はそう言い残して、俺の前から消えていった。
顔を上げたときには、自分の影だけが映っていた。
両親たちの死体が跡形もなく消えていた。血だまりすら……
長く、長く伸びた影だけが俺に現実をつきつけていた。
屋敷が暗闇に包まれていく。憲兵たちの声を遠くに、瑠璃との思い出に浸る。
「もういいかい?」
「まーだだよ」
「もういいかい?」
「まーだだよ」
あの頃にはもう戻れない。
色あせてしまった思い出に蓋をする。
そして、十年の時が過ぎた。
◇◇◇
あの事件のあと、俺と瑠璃の家は没落となった。
俺は屋敷に座ってふさぎ込んでいたところを、憲兵に拾われて育てられる。
訓練は厳しかった。けれど、俺には才能があったらしい。
誰よりも力を発揮し、いつの間にか特殊部隊に入るほどの優秀な兵になっていた。
瑠璃に描いていた幻想に思いを馳せたが、すれ違いばかりの十年を振り返る。
大きな怪事件のたびに現れる瑠璃。
そのときに見る瑠璃の顔に追い打ちをかけられてしまう俺の心。
「あの頃と変わらないね、夕陽」と声をかけられても、俺はなんとも思わない。
だけど、何かを見落としている気分になる。
何か、大切な、何かを……
泣いていたのは俺なのか。
本当に泣いていたのは、泣きわめいていたのは……
◇◇◇
深夜に目を覚ました俺は、何かに導かれるようにして引き出しを開く。
五歳の誕生日パーティのときに交わした瑠璃と互いを結んだ指輪。
今は紐に通すだけの指輪を手に取り、窓から夜空を見上げる。
この十年で調べたあの事件。
瑠璃がいた事件、そのすべて。散らばっていたピースが重なる。
埃かぶった手の中の指輪をポケットにしまいこんで、部屋を飛び出す。
一度はいらないと捨てようとした指輪。
だが、あの日誓った約束を思い出した。
「ねえ、夕陽……」
「もし、僕が一人になったらさ」
「迎えに来てくれるかな?」
「僕はここで待っているから」
「今日、この日。この木の下で」
俺はあの屋敷があった場所の、今は切り倒されてしまった桜の木に向かった。
◇◇◇
屋敷のあった広場についた。
そこで見たのは、暗い穴から這い出る異形を短刀で斬る瑠璃だった。
すでに身体に無数の傷を負った瑠璃。
瑠璃を挟み、異形の化け物が襲い掛かるの見て、俺は声の限り叫んだ。
「いっせーの!」
俺の声に迷いを見せず、俺を振り返るように背後にいた化け物を斬り倒す瑠璃。
そして、すれ違うようにして俺は瑠璃の前方にいた化け物を刀で貫いた。
暗い穴からはまだ異形が現れ続ける。
どうしてという疑問などは置いて、俺は瑠璃と共に化け物どもを斬り続けた。
途中途中で互いに声をかけ、互いの背を守りカバーしあう。
「いっせーの!」
聞こえてくる声を頼りに振り返って、刀を振るう。
いつしか暗い穴は消え、化け物も消えていた。
自分の影の長さに気づく。もうこんな時間か。
明星を見上げ、今なら届きそうだと手を伸ばした。
「次は着いていくよ」
俺の言葉に瑠璃の頬に流れる涙。胸元に見えるあの日の指輪。
まだ薄暗いけど、暗闇の中でも笑う君が見えた。
「もういいかい?」
「まーだだよ」
ここからもう一度、愛おしい君と一緒に。
「もういいかい?」
「まーだだよ」
かけっこで一等賞で駆け抜ける君の後ろにいた俺。
「もういいかい?」
「まーだだよ」
くっついていただけの俺でも。
「もういいかい?」
「もういいよ」
君の前を歩けるかな?
こんな頼りない俺でも、君は……
かくれんぼ 物部 @mononobe2648
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