かすとり

葱と落花生

かすとり

 飲兵衛


 呑兵衛は戯け者である。

 これは、いかように繕っても隠しようが無い事実であろう。

 彼等は如何なる事態に陥ろうとも、酒への情熱を鈍らせない。

 酒は飲んでも飲まれるな、昔から言われ続けてきた言葉である。

 こんな格言が作られたのも、それなり以上に困った悪さをしてきた奴らが招いた結果に他ない。

 デレ助になる為の努力を怠らない生態を、褒め称える者は希少だ。


 行儀良く酔っているのならば、誰からも後ろ指など指さないだろうに、飲んだとたんに人が変わってしまう奴がいる。

 素面と酔っ払い、二つの人格をもってして管撒く輩の存在を見聞きし、酒飲み全てを不埒な連中とする。

 酒飲みを殊更毛嫌いする御仁の、何と多い事か。


 一方、狂気に人心を走らせるばかりが酒の役割でない事を知る人も、世間にはそれなり存在している。

 酒は一番手近な自白剤だと、誰かが言っていた。

 まさにそのとうりで、酔いが回れば普段から溜め込んででいる正直な気持ちを、すんなり吐き出してしまうものだ。

 こんな性質から、互いの信頼感を深める為に、酒が古くから利用されてきたのである。

 酒を飲んで騒ぐだけが酒飲みの仕事でないとわきまえれば、下戸でも飲み会に参加する意義を見いだせよう。


 人類が発生して食物を蓄える事を覚えると、余った穀物から酒造りが盛んに行われるようになった。

 こうなってくると、一部の人間しか得る事の出来なかった酔いの感覚を、誰しもが体験するようになる。

 とはしたものの、貴重な食料を変化させた酒である。

 現代のように晩酌などと言って、毎日酔って寝る事はできなかった。

 したがって、酔いは非日常であり、神秘的な六感を働かせるのに適していた。

 天との繋がりを求める人々が、神への貢物の中でも、酒を特別重要な一品と考えるようになったのは至極当然の結果であろう。


 かの国では、酒は人が生活していく上で邪悪な物と位置づけ、禁酒法なる法を施行した時代があった。

 これは悪漢達に絶好のしのぎを提供したに過ぎない、極めて悪質な法である。 

 法の講釈を垂れ流すまでもなく、当時の新聞に掲載された抗争事件の多い事からして、一目瞭然の悪法と言えよう。


 不幸な歴史はどんな国にもあるもので、日本においても、これに似た悪法が大手を振ってまかり通った時代があった。

 闇米取引の禁止と、それに伴う取り締まりである。

 圧倒的な物不足の中で、食料を配給のみで賄うのは至難の業。

 戦局のいかんに関わらず、配給制度は大失敗した。

 また、これによって発生した闇市は、ヤクザ組織にとって恰好の資金源となった。


 取り締まりは戦後になって特に厳しく行われ、暴動を引き起こしたり、餓死者まで出す始末であった。

 物資が不足なく消費者に行き届いているならばまだしも、生きるにも足りない食料の配給時代、命の綱は非合法の闇市しかなかった。


 現代の市場でも同じような光景を垣間見られるが、闇市では多くの人が行き交い、飲食店が軒を連ねていた。

 今では良質・安価・美味が揃ってこそ市場の飲食店と相場が決まっている。

 しかし、終戦直後の物不足時代は、とにかく食えればいい、不味くても高くても致し方ないとの評価である。


 左肩が霞んで見える程の右肩上がり、凄まじいインフレにより、景気はどん底を突き破っていた。

 闇市では、昨日の今日で物の値段が倍になっている事も珍しくない。

 ところが不思議な事に、今日食う米に困っていた折であったにも関わらず、市場の近くには居酒屋があった。

 いかに酒を振る舞う仕事とはいえ、配給が滞って当たり前だったのだから、居酒屋もそれなりの防衛策を講じていた。


 当時、配給されていた酒は極僅かで、居酒屋などで出される酒と言えば【かすとり】と称されたどぶろく、いわゆる密造酒が主であった。

 後先考えないで酔うだけならば、飲用不適とされているメチルアルコールでもその用は足りる。

 現代でも祭りに使用する為ならば、酒造が許されているものの、出来上がった酒はメチルの混在について検査をするようになっている。

 それが、終戦直後の混乱期に加え、密造酒とあっては当然、検査などしていよう筈がない。

 時折、メチル含有量の多い酒を飲んで失明する者もいた。

 密造酒を飲むには、それなりの覚悟が必要だったのである。

 こんな事態になろうとも飛ぶように売れたかすとりは、終戦直後における数少ない楽しみの一つであったと言えよう。

 


「御恵みをじゃねえよ。殺すぞ! てめえみてえな乞食野郎にくれてやる金はねえんだ、他でやれや」

 かすとり酒場の外に設えられた立ち飲み場。

 酔いに任せた大男が、擦り切れ雑巾の様な衣服を纏う息絶え寸前の浮浪者を、蹴り飛ばして唾を吐きかける。

 男は巨漢であるのに加え、無精髭を蓄えた閻魔の形相である。

 廻りには幾人かの客が居るものの、この立ち姿に怖気づいてしまい、目前の理不尽を止めようとしない。

 既に死人の様だというのに、浮浪者の顔から更に血の気が引いていく。

 それでも地面に這いつくばり、震える手に持った空き缶を頭上に掲げて物乞いを続けている姿は惨めそのものである。


 兎角、酒は去勢をはるばかりの悪質な人間を作り出してしまうものだ。

 男は、これを極端にした酒乱のようである。

 浮浪者の姿に、今の自分が置かれている境遇を重ね見たのか、男は尚更怒ると、近くにあった角材でもって浮浪者を甚振りはじめた。

「やめときなよ。死んじまうよ」

 一緒に飲んでいた仲間が止めに入ろうとすると、今度はその仲間に向かって角材を振り上げる。

「まいったなー」

 仲間が諦めた所に、外の騒ぎを聞いた店主が出てきた。

「御客さん、店の前でそれは止めてくださいよ。商売にならなくなっちまう」

 大きな声ではあるが、怒鳴っているのではない。

 落ち着いた事言いで、男の傍若無人を窘める。


「何をー、気に入らねえからぶっ叩いてやってるんだ、何が悪い」

 無茶苦茶な理屈でも、頭だけ酔いつぶれている今の男にとって、浮浪者を半殺しするには十分な理由である。

「何が悪いって御客さん、人殺しになっちまいますよ」

「こんな乞食野郎を殺したって人殺しになるもんか、人間じゃねえだろ、畜生以下だろう、あー、違うか」

 鬼畜米英と叩き込まれた頭は、気に入らない奴は人にあらずとの潜在意識で埋め尽くされている。

「畜生じゃねえから、人間だから、同じ人間だから」

 店主が男の持った角材を取り上げようとする。

「何すんだ、離せよ、俺に触るんじゃねえ、朝鮮がー」

 男の大声に、店の中にいた連中まで外に出てくる。

「朝鮮?」

 一瞬首をかしげる店主。

 またもや暴れ出しそうな男を取り押さえようと、忙しく手を伸ばす。

「かすとりを、これだけ仕入れられるんだ、御前は朝鮮だろう。仕方なく飲んでやってんだ、四の五の言わねえで大人しく見物してりゃいいんだよ」

 男はこう言い放つと、慢心の力を角材に込め振り下ろした。


「痛ってえなー」

 勢いついた角材から浮浪者をかばう為、覆いかぶさった青年の背中に折れた木っ端が刺さっている。

「やっと戦争が終わったのに、まだ争うか………。オヤジ、抜いてくれよ」

 痛い目を見た青年は、幾分体の柔軟性に欠ける体質らしく、店主にくるりと背を向けた。

 角材を振り下ろした男はもとより、ぐるり取り囲んだ野次馬もあっけにとられている。






 山城健太


 店主が木っ端を勢いつけて抜く。

 深く刺さったものではない。

「つっ!」

 青年が少しばかり痛がると、衣服にはうっすら血が滲んできた。

「どうしてくれんだよ。服が汚れちまったろ。弁償してくれるんだろうな」

 折れた角材を持ったままの男に青年が詰め寄る。

「………勝手に中へ入ってきて怪我したのが、それ言うかな」

 見方によっては身勝手と言える賠償請求に、暴れまわって程過ぎ酔った男が困惑する。

 それでも角材は頭上高く振り上げる。


「ああ言うね。お前さんが甚振ったおっさんだって、好きで乞食になったんじゃねえや。それを、手前が気に入らねえってだけでこんなにしていいもんじゃねえや。話下手なおっさんに代わって、俺が手前と話しつけてやろうってんだ、有り難く思え」

 世間知らずなのか自信過剰なのか、青年は怯むどころか水を得た魚のように目を光らせ、づけづけ物言う。


「おい、あいつ、山城じゃねえか」

 野次馬の一人が、青年を指さして隣に耳打ちする。

「山城って、あの山城か?」

「ああ、山城健太じゃねえのか」

 この名前に聞き覚えが有るのか、角材を振り上げたまま男の手が止まる。

「どうした、やらねえのかよ」

 青年の口元は笑っているが、その目は鋭く男を睨みつける。

「山城さんですか―――」

「ああ、山城だ。ほれ、ほれ、どうするんだよ」

 山城の言葉に男は、それっきり身動きできなくなってしまった。


「おっさん、俺のおごりだ、好きなだけ飲み食いしてくれ。オヤジ、このおっさんに土産も持たしてやってくんなよ」

 そうこう言っている間に、男は角材をそっと店の壁へ立てかけると、一目散で闇中に消えた。

「お代はいらねえよ、二度と来るんじゃねえぞー」

 店主が走り去る男に向かって吠えると、客と一緒になって笑い飛ばす。

 そうしてから、山城を丁重に店内へと招き入れた。


「騒がせちまったなー、折角の酒が不味くなっちまったろう。今日は俺のおごりだ。好きなだけやってくんな」

「おおー、流石! 今売り出し中の山城親分だ。まだ若いのに、たいした器だ」


 山城健太はつい最近、米兵を相手に大立ち回りをやらかして逮捕された帰還兵である。

 これだけならば世間もたいして気にしなかったであろう出来事だったが、その後の裁判で、何を血迷ったか裁判官が無罪判決を出したから、新聞が事件を大きく取り上げていた。

 事件の内容は至極単純なもので、酔って暴れた米兵を、帰還したばかりの山城が止めに入った。

 この時、うっかり米兵に投げ飛ばされた山城の体が、近くで商いをしていた屋台を壊してしまったというものである。


 壊した屋台の修繕費を、どちらかが支払えとの訴えから始まった裁判だが、米兵は既に帰国してしまった事から、米国対帰還兵の裁判となってしまった。

 結果、米国政府に対し、屋台の修繕費を支払えとの判決されたものである。

 この判決は当時、敗戦国の色濃い日本にあって、国民の反骨精神を刺激するのに十分な出来事であった。

 新聞が、この一件を大きく取り上げると、判決を出した阿弥陀裁判官と山城健太は一躍時の人となった。


「ところでオヤジ。あんた朝鮮かい」

 現代でも野蛮な地域に残っている民族差別であるが、当時の朝鮮人に対する偏見は想像を絶するものがあった。

 相手を間違えたら、殺されても不思議でない質問である。

 それを、特に改まるでもなく何気なく聞くのだから、山城の神経は並みの太さではない。

「また、嫌な事を聞くね。親分だから正直に言うけどね、半分半分でさあ。父親が朝鮮でね」

「何を嫌な事なもんかよ。隠す事でもあるめえ」


 千葉は九十九里で網元の子として育った山城は、幼少の頃から他国の人間と接する事が多く、外国人に対しての偏見がまったくなかった。

「親分にはどうでもいい事でしょうがねえ、ここで生きていくには朝鮮てのが随分と重荷になってくるんですよ。もちろん、恥じてはいませんがね」

「ふーん、そんなもんかね。随分と厄介なもんだねー」

「親分みたいに、誰でも同じ、平だって言ってくれる人はそうそう多くありませんよ」


 この二人の会話に横から入ってきたのが、闇屋を生業としている男。

「そうそう、朝鮮てだけで、まともな仕事になんかつけないんですよ。だから、俺みたいに闇屋やってみたり、泥棒の真似事したり、ヤクザになってみたり、生きてくには仕方ねえんですよ」

 ただ酒を飲み過ぎたか、随分と投げやりな言い方をする。

「ほー、そうかい。俺なんざ日本人で特攻崩れでヤクザで闇屋だ。みんな同じだな。はー、はっはっはっはー」

 人の話を聞いているのかいないのか、山城が高笑いをすると、一瞬静まっていた店内の客も同調して大笑いした。



 翌日、二日酔い気味の頭を抱え、山城が何時もの様に闇市へと顔を出す。

 千葉から真夜中にトラックで運び込んだ米や芋・魚等を、荷台に乗せたままで一気に売っては直ぐに引き上げる方式の闇市である。

 事前に開催を誰かに知らせるでもない市とあって、表向きは移動中としているから警察の摘発も何とか免れてきた。

 それが、山城の名をあてにして多くの闇屋が集まるようになってくると、それまで開かれていた常設の闇市の元締め達が黙っていない。

 市場で悪さをする者も少なからず出てくるようになり、組織だって警備する人員が必要となってきた。

 こうして結成されたのが、山城健太率いる山城一家で、トラックでの販売と警備を兼任していた。


 ここへ、昨夜、酒場で一緒になった者達がやってきた。

「親分、俺達もここで商売さしてもらっていいのかな」

 素面に戻ったからか、市場の活気に飲まれたか、昨夜の勢いとは打って変わってしおらしく聞いてくる。

「おお、良いともよ。場所はこっちで決めさせてもらうよ」

「へい、それはもう、商売さえできれば俺達はどこでも」

「まあ、一緒に飲んだ仲じゃねえか、遠慮する事はねえや、どこらあたりが良いか、言ってくれりゃあ、出来るだけ希望にそえるように手配するさ」


「朝鮮でも仲間に入れてくれるんかい」

 昨日は店に居なかったのが心配そうに質問する。

「何つまらねえ事気にしてんだ。同じ闇屋仲間だ。気合い入れて売ってくんな」

 こうして、昨夜一緒に飲んだというだけで、分け隔てなく山城は闇屋を受け入れた。



 山城が自分のトラックで魚を客に勧めているとき、一家の番頭が息を切らせる慌てぶり。

「親分、手入れだ! 警官隊がこっちに向かってます」

 闇市は違法であったが、圧倒的な物不足の折、闇取引が無ければ人が生きていけない状況であった。

 暗黙の了解により、摘発を免れる闇市は多く存在していた。

 ところが、この時期はGHQの闇市全面撤廃との方針を受け、売る側・買う側両者に対する警察力の行使が徹底されるようになってきていた。


「逃がすぞ、俺達が盾になって客も闇屋も逃がせ。一人も逮捕させんじゃねえ」

 こうして山城一家と警官隊との攻防戦が始まった。

「山城さん、俺達だけが逃げるわけにはいかないです」

 今朝がた始めて市の仲間入りをした連中が、山城一家と一緒になって警官隊と争うと言い出した。

「そりゃいけねえ。あんたらは捕まったら、俺達なんかよりずっと痛い目に遭うんだろ。頼むから逃げてくんな。このとうりだ」

 山城がトラックの荷を忙しくまとめる手を止めて、一同に深く頭を下げる。


「親分、そんな事しちゃいけねえ。分かりましたから頭を上げてください」

「そうかい、ありがとうよ。ほら、急いで逃げなさいよ」

 急かす山城のすぐ近くまで、警官隊が迫ってきている。

「ホイホイ、お巡りさん、そんなに慌てんでもいいですよ。ほれ、このとうり、大人しくお縄を頂戴いたしますから、そんなに乱暴にしないでくださいな」

 なかば冷やかしとも聞こえる山城の言葉に、それまで必死に警官隊を抑えていた若い衆が一斉に動きを止める。

 警官隊も逃げる者を追うのを止め、山城達だけを捕らえるとして、捕り物劇は終わった。







 先に逝った友へ


 一家以外の者には逃げられたが、ここで誰一人として捕まえずに済ませたのでは警察の面子が立たない。

 普段から袖の下をばら撒いている他の組と違って、ことさら山城一家への風当たりは強かった。

 客も含めて大人数を挙げたかった警察の目論見は、一家の抵抗にあって叶わなかったものの、頭である山城を逮捕できたのだから良しとしたようである。



 後日、この事件の裁判が東京で開かれた。

 こともあろうか担当判事が、米兵と山城が起こした喧嘩騒ぎで壊された屋台の修繕費を、米国に支払えと判決した阿弥陀判事となったからマスコミが黙っていない。

 当時、この裁判官は粋な判決を出すとして随分と話題となり、山城に負けず劣らず世間の注目を浴びていた。

 ここで世間の噂は、いかに捻くれ者の評価高き裁判官とはいえ、はっきりしっかり闇市の首謀者で御座いますと自白している者を、贔屓して減刑する事などできようがないというものであった。


 出廷した山城に阿弥陀が問いかけた記録が残っている。


判「闇屋は他にもいただろうに、捕まったのは貴方達だけですか」


被「はい、自分達だけで有ります」


判「どうして、貴方達だけ捕まったのですか」


被「自分達が盾になって仲間を逃がしたからであります」


判「自分は捕まってでも逃がしたい仲間なのですか」


被「分かりません。捕まる前の晩に、かすとりを一緒に飲んだだけでありますから。へへっ」


判「今度やる時はもっと上手くやってくださいね、もう捕まらないようにしてくださいよ」


被「へい、すいやせん」


判「検察にうかがいます」


検「なんでしょう」


判「闇屋の証拠として没収した品の一覧に米、芋、魚と有りますが、この中で魚は今何処にありますか」


検「腐敗が酷く廃棄されております」


判「米と芋は何処にありますか」


検「現在は証拠として警察の保管庫にあります」


判「………おい、盗人。いい加減な話する気ならテメエをぶち込むぞ。

 俺はよ、つい今しがた御前さんが言う警察の証拠保管庫とやらに行って来たんだがよ、随分と前に公安とGHQが来て持って行っちまったらしいぜ、米と芋。

 マーカットにでもくれてやったのかい。

 有り余る所から持っていくなら黙っていようと思ったがよ、ヤミ市の米芋まで持ってくような奴は盗人じゃろ。

 なあ、御前さん盗人の一味じゃろ。

 それとも何だ、御前さんだけが知らなかったとでも言う気かい。

 もう一度よーく考えて答えろや。

 被告が闇屋だっちゅう証拠の米に芋と魚は、本当に有ったのかい。

 何かの間違いじゃないのかい」


 世間の予想を思い切り裏切って、証拠不十分として判決は無罪。

 山城は即時放免され、検察は上訴を諦めた。

 誰もが知っていたが追及してはならない法の裏側を、世間様にさらけ出した判決で、またもや阿弥陀と山城は新聞紙面を賑わす結果となった。

 これは後々、二人の生涯にわたる腐れ縁を作った判決で、阿弥陀判事に対する上層部からの不当な扱いであったり、山城一家への警察の姿勢を尚更硬化させる一因ともなった。


 完全に全国区の親分となった山城。

 あちこちの闇屋から招待を受けるようになっていく。

 客人としての扱いではあるものの、実際の所は山城組との兄弟杯を得る為の歓迎である。

 いずれ闇屋は完全に廃止されるのが目に見えている。

 ならば今の内から、先見の明ある山城との付き合いを深め、時代の流れに上手く乗って行こうという算段からであり、誰もが考える事は同じであった。



 そんなこんなの付き合いをしていたある時、大阪へ招かれて闇市を覗いていると、敵対する闇屋との出入りに巻き込まれてしまった。

 客分として滞在している以上、一宿一飯の義理から喧嘩騒ぎの渦中へと飛び込んだ山城一家。

 そこへ一斉摘発で突入してきた警官隊に、暴れた全員が逮捕されてしまった。


 事件そのものは単純な喧嘩であったから、判決は直ぐに出された。

 殆どの者は執行猶予付きであったが、闇市の主催・暴動の先導・傷害事件の主犯と、其の場で起きた罪の総てを一人で被った様な罪状で起訴された山城に対する判決は、誰が聞いても頗る不道理なものであった。

 たまたま客人として闇市を覗いた時、喧嘩騒ぎに巻き込まただけの事。

 被告は正当なる防衛をしたまでだから無罪であるとの弁護側主張は一切認められず、政治犯並に執行猶予無し禁固十年の実刑判決が出された。


 即日上訴した山城へ、弁護士と共に面会する者があった。

 二度にわたり、山城に対して画期的な判決を出した阿弥陀である。

 阿弥陀は退官すると同時にヤメ判弁護士として開業していた。

 ただ、表立って山城の弁護をすると、騒ぎが大きくなるのは眼に見えていた。

 この件に限らず、今後は裏方として、山城一家に協力していきたいと告げに来たのである。

 今まで山城の弁護をしてきた矢羅逗弁護士を主軸とした弁護態勢を維持したまま、これまで各地の地裁で蓄積してきた判事の弱点を徹底的に突いてやると、意地の悪い笑顔を見せている。



 関東関西と在所は離れても、阿弥陀と山代の腐れ縁は切れないままであった。

 時代は昭和から平成へと流たものの、阿弥陀は山城を法務で後押しし続けた。


 闇米をヤミ米と書くようになっても、新米ができると山城は阿弥陀に【闇米】と表記した荷を贈った。

 これが届けられると【ヤミ米有難う】と、阿弥陀が山城に礼状を出す。

 毎年米が送られてくると、必ず『それは闇米かい。茶漬けにしてくんなよ』と言い、暫くして出される茶漬けを美味そうに食う。

 これが、阿弥陀家の年中行事のようになっていた。


 阿弥陀が弁護士を引退し、子や孫に看取られた翌年、山城が組の若い衆を連れ阿弥陀の菩提寺に参じた。

「約束のピンドン、持って来たぜ」

 栓を抜くと、勢いよく泡が吹き出す。

 そのまま傾け墓石へ、半分ばかり掛け流し、残ったのを若い衆に渡した。

 若い衆は一口飲んだが、不味いといった表情で舌を出す。


 山城は秋晴れの墓前、日向ぼっこをしながら握り飯をほおばっている。

 ニコニコと眺めては一口、また眺めては一口。


 ゆっくり。


 ゆっくり。

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かすとり 葱と落花生 @azenokouji-dengaku

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