第22話 王族の伝統芸
「殿下、やはりやる気が起きませぬか?」
不意に年配の女官から投げかけられた言葉に、僕はギクリとした。
実際、その通りだからだ。
ダンスの練習なんてつまらないし、そういう意味ではやる気なしだ。
動きは覚えたし、流れる音楽の調子にも体を馴染ませた。
踊るだけなら簡単だが、気が乗らない以上、動きが雑になるのだろう。
年配の女官は宮仕えの中では、一番ダンスが上手い。
寄る年波には勝てないが、それで長年培ってきた経験がある。
ダンスの指南役に抜擢されるだけあって、助言は的確だった。
(そういえば、目の前のばあ様、ネイローザを除けば、王宮内で一番年季が入っているんだっけか)
僕の記憶が正しければ、初出仕からすでに五十年は経過しているのだとか。
しかし、年を感じさせない若々しさを感じる。
髪は流石に真っ白だが、背筋はピンとしており、動きもきびきびしている。
とても七十手前だとは思えないほどに、闊達なばあ様だ。
「まあ、その辺りは心得ておりますとも。何しろ、国王陛下も同じように、ダンスがつまらんとか言って、ごねておりましたからね」
「え? そうなの?」
何の事もない。父もまた、ダンスが嫌だったのだ。
散々踊れるようになっておけだのと宣っていたのに、自分も若い頃はさっぱりだったということだ。
しかも、原因が同じ“やる気なし”と来た。
どうにも嫌な事に、僕と父は血が繋がってしまっているようだ。
あんな冷酷な男と同じ道を歩むなど、余計に嫌気がさしてきた。
「なんだよ、まったく。人に散々、踊れるようになっておけだの言っておきながら、自分が出来てなかったからじゃないか!」
「まあ、御自身の失敗談があるからこその苦言でございますよ。殿下に同じ轍を踏ませないようにするための」
「余計にやる気なくすな~」
「そんな事を言っていますと、ネイローザ殿に頭をかち割られますよ」
「ん? 彼女が父に何かしたのかい?」
まあ、父も若い頃はネイローザに指南をされていたようだし、何かあっても不思議ではない。
しかし、気になる。
父をおちょくる話のネタでも提供されないかと、僕は女官の言葉に耳を傾けた。
「まあ、何と申しましょうか、陛下はそもそも学問で身を立てたいとお考えで、暇さえあれば書庫に籠っていたのでございますよ」
「へぇ~、そうなんだ。ネイローザの話だと、武芸も結構な腕前だって聞いてたから、意外な一面だな」
「文字通りの意味で、ネイローザ殿に叩き直されましたからね」
「どんなふうに?」
「ダンスなんてやりたくないとごねていた若き日の御父君に向かって、読んでいた分厚い史書を取り上げ、そのまま脳天に一撃です」
「うわぁ……」
ネイローザ、君は本当に容赦がないな。
書庫には史書の類が色々とあるが、どれも重厚な顔触ればかりだ。
どれであっても“鈍器”と呼ぶに相応しい。
それを脳天目がけて振り下ろすとか、流石と言わざるを得ない。
王族相手にそんな真似ができるのも、そして、なんやかんやで許されるのも君だからこそだね。
「そこでネイローザ殿が大いに叱責したのです。『学問に打ち込まれるのは結構ですが、殿下はあまりに引き籠り過ぎます! その史書に書かれている昔の暴君、暗君のようになりたいのですか!?』と言う具合に」
「うん、さすがネイローザだ。行動も苛烈で、苦言も真っ直ぐだ」
何年たっても変わらない姿勢に、ある意味で僕は安堵を覚えた。
変わらず咲き続ける黒い薔薇は、やはり昔から気高く美しかったのだな、と。
というか、叩き直すのに、本で殴り倒すとは本当に怖いな。
(まあ、父の現状を見るに、その叩き直しは成功したんだろうけど、どうにもやり過ぎたんじゃないかな)
そんな引きこもりの根暗少年が、今や冷酷無比な国王になったのだ。
鍛え直し過ぎて、逆に鋭さが極まってしまったのかもしれない。
成功であり、ある意味で失敗でもある。
強くなれと鍛え上げたら、強くなりすぎたというわけだ。
武芸の方がではなく、心の強度が、だ。
「そうそう。実は先代様も同じような事があったんですよ」
「え? お爺様も?」
「はい。あれも先代様が結婚なさる少し前でしたか、ダンスが嫌だとか言って、ごねていたのですよ」
「なんか、代々の伝統芸になってないか?」
「私も出仕し始めた頃だったのですが、その際はネイローザ殿と大喧嘩でしたわね」
「えぇ……」
お爺様、よりにもよって、ネイローザと喧嘩ですか。
どんだけダンスが嫌だったんですか。
「それで決闘で決着をつける事になったのですよ。先代様が『勝ったら自分と添い遂げてもらう』と宣い、ネイローザ殿も『ではこちらが勝てば、ちゃんと稽古に気を入れてください』と返して激しい一騎打ちが」
「結果は……、聞くまでもないか。お爺様はお婆様と結婚しているんだし」
「はい。ボコボコにされました」
と言うか、お爺様、僕と同じ事を考えておられたんですか。
僕もネイローザを力でねじ伏せ、そのまま駆け落ちしようなどと考えていたのだが、まさか先例があったとは。
それも“失敗例”という情けない結末が。
やはりネイローザは強い上に容赦がない。
王族をボコボコにしても許されるのは、やはり歴代の理解があればこそではないだろうかと、今更にして思った。
(お爺様がボコボコにされたからこそ、自分の息子にもそれをやる事を黙認した。そして、父もまたネイローザに“本”で頭を殴られたからこそ、僕が毎日、彼女に“殺されている事”をも認めている。……なんだ、やっぱり伝統芸じゃないか)
どうやら、僕ら王族は似たような理由で毎回ごねて、それからネイローザに叩き直されるのが伝統らしい。
そうだというなら、僕で“七回目”と言う事になる。
なにしろ、彼女が王宮で仕え始めたのは、爺様の爺様のそのまた爺様の代からだ。
もしかすると、お爺様の前の代もまた、ネイローザに叩き直されていたのかもしれない。
何の事はない。ネイローザにしても、僕の我がまますら“見慣れたもの”であり、それを修正するのも“手慣れたもの”のようだ。
そう考えると、自然と笑いが込み上げてくる。
進歩ないな、
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