第17話 逆転の一手

「それでネイローザよ、息子の具合はどうであった?」



 食事を終えてさっさと食堂を引き払おうとした瞬間、父が不意にネイローザに質問をぶつけた。


 彼女は食堂の隅に控え、特に何か言うでもなく、ジッと立って僕や父を見つめていたのだが、その沈黙を破る問いかけだ。


 僕は思わず舌打ちをする。


 真面目な彼女の事だから、ありのままを報告するだろう。


 そうなると、次に飛んで来るのは、父の失望か皮肉のいずれかなのは明白だ。



(まったく……。今日という日は、本当に気が滅入るばかりだ)



 何もかもがままならないが、結婚話を聞いて以降、ケチの付きっぱなし。


 ネイローザと楽しく過ごす事が、こんなにも遠くに感じる事は今までなかった。


 普段なら、剣の稽古の他にも、彼女に手解きをしてもらう事もある。


 歴史や兵学などがそれだ。


 なにしろ、彼女は百年以上も王宮に出仕し、どんな古老よりも昔の事を覚えている。仕えてきた歴代の王、つまり僕から見ればご先祖様に当たるが、それらの事績を教授してくれる。


 また、数多の戦場を駆けてきた彼女は、兵法にも通じている。


 これまた歴代の王の戦いぶりや戦術理論を説く。


 そんな彼女は、実に楽しく、あるいは懐かしそうに見てきた事を教えてくる。


 軽快な語り口調は聞いていてスッと耳に入る。さながら、耳元で囁く小鳥のさえずりのようだ。


 熱を帯びた彼女の言葉は、僕もまた熱心に聞き入るものだ。


 剣の稽古のみならず、そうした彼女との座学もまた、僕にとっては楽しみの一つとなっており、学問に打ち込むのも悪くないと思う。



(そんな貴重な彼女との時間を、ダンスの稽古で潰されているんだぞ! 気が乗らないのは当然だ! せめて、彼女と踊らせろよ!)



 そんな僕の苛立ちを理解しているのだろうが、ネイローザはしぶしぶ前に進み出てきて、露骨すぎるくらいのため息を一つ。


 国王からの御下問である以上、答えないわけにはいかないのだろう。


 結果として、指南役の彼女の顔に泥を塗ったようなものであり、その点では申し訳なく思う。


 少しは真面目にやった方がいいのか、そう思わないでもない。



「有り体に申し上げれば、やる気を一切感じられません。大道芸人の猿回しの方が、まだ見応えがあるかと」



 バッサリ切り捨てられ、本日“九回目”の討死と相成った。


 何もそこまで言わなくてもと思ったが、指南役としては厳しく接するのも当然の仕事なのである。


 実際、異国の姫君との踊りなんぞ、代わってくれるのであれば、猿とでも代わって欲しいくらいだ。


 途端、父の顔がニヤけ面から、険しい表情になった。


 眉を吊り上げ、僕を睨みつけてくる。


 しかも、手を振って人払いまでする始末。


 周囲にいた給仕や近侍も、その意を受けてそそくさと食堂を退避した。


 またろくでもない“お小言”でも繰り出してくるのだろうと、僕も身構える。



「なあ、息子よ、状況は理解しているのか?」



「戦に勝った。戦利品として、姫が送られてくる。その相手をしろ」



 僕はぶっきら棒に答えた。


 望まぬ結婚を強いられ、会った事もない女性……、いや、女性と呼ぶのもはばかられるほどの幼子を妻にしろというのが現状だ。


 ネイローザ以外の女性との婚儀など、苦痛以外の何ものでもない。


 理解したくもない状況だ。



「状況を理解できていても、その“裏”までは考えが及んでいないか。浅い、考えがあまりに浅い」



「裏? 浅い?」



「この状況であっても、相手は“逆転の一手”がある。それに思い至ってないからこそ、“浅い”と言ったのだ、愚か者」



 随分と手厳しい物言いで、不機嫌さを隠そうともしない。


 先程から変わらず僕を睨みつけてくるが、僕はその意味を計りかねた。



旱魃かんばつや水利権の喪失による生産性の低下。指揮官であった将軍が生け捕りにされるほどの、決定的な軍事的敗北。幼い娘を差し出さねばならない程の苦境だ。西の隣国は、徹底的にやられたと言ってもいい。ここから逆転だって!?)



 父の言葉の意味を理解できなかった。


 追い詰められた相手国が、この状況をどうひっくり返すと言うのか。


 僕は必至に考えた。


 そして、一つの結論に達した。



「……他の周辺諸国を焚き付け、我が国への包囲網を築く」



「それがお前の答えか」



「言ってしまえば、此度の戦は勝ち過ぎました。水利権の確保のみならず、多額の賠償金も支払われ、こちらの国威が大きく伸びた格好になります。その“大きくなり過ぎた”という危機感を煽れば、我が国を抑え込みたいと考える諸国もございましょう。包囲網を築く条件として十分かと」



 勝ちすぎると、それを妬む者、警戒する者が出てくるのは必定だ。


 大きく力の均衡を崩してしまうと、それを抑え込もうと徒党を組むなど、十分に有り得る話だ。


 だが、その答えに満足しないのか、父はあからさまにため息を吐き出した。



「その可能性もあるが、もっと単純かつ分かりやすい方法がある。ネイローザよ、説明してやれ」



 人払いをしているので、食堂にいるのは僕と父、それとネイローザの三人だけ。


 その彼女からどんな回答が出てくるのかと、顔をそちらに向けた。


 まさにその一瞬だ。


 僕が瞬きする間に、彼女は帯びていた小ぶりの剣を鞘から抜き放ち、首筋に押し当てた。


 手品か、あるいは時間がズレたかと思うほどの速さだ。


 抜き身の剣、それを当てたと言っても、剣の脇腹であり、刃を当てているわけではないので、切れる事はない。


 だが、冷や汗ものだ。


 稽古で使っていた木剣などではなく、ちゃんとした真剣。その気になれば、人を殺める事が出来る凶器だ。


 ひんやりとした金属の感触が、接触部から全身に広がり、気持ちの悪い汗をかかせてくる。


 単純に命の危機だ。身体が勝手に反応している。



「殿下、これが答えでございます。どうぞ、お気を付けくださいませ」



 そう言って、彼女は何事もなかったかのように剣を鞘に収め、少し申し訳なさそうに頭を下げてきた。


 仮にも王子である僕に剣を向けてきたのだ。


 側に侍る護衛のする態度ではない。


 なお、国王の側にいる者は、基本的に非武装が普通である。


 彼女のように帯剣が許されているのは、ほんのごく少数のみ。


 疑心の塊のような父であるから、本当に信頼できる護衛にしか許可を出していないのだ。


 そんな全幅の信頼のおける彼女の突飛な行動だからこそ、僕の心には深く刻み込まれた。


 こういうやり方もあるのだな、と。



「つまり、これからやって来るであろう姫君が、“刺客”であるという可能性ですか」



「分かりやすかろう? 包囲網だの軍事同盟だのと言うのは、利害調整が面倒でな。実際、頭では考えが及んでも、形になる事は少ない。しかし、“刺客”と“標的”という分かりやすい構図であれば、そう複雑ではあるまい?」



「……仰る通り、次期国王を暗殺できれば、継嗣を誰にするかで国内はもめる事でしょう。その間隙をついて、失地回復を図るというわけですか」



「暗殺という卑劣な行いではあるが、追い詰められたネズミは猫にさえ噛み付くものだ。軽視するべき事ではない」



 きっぱりと断言する父ではあるが、確かにその可能性は十分にある。


 なにしろ、標的である僕の間近に侍る“妻”なのであるから、今ネイローザがそうしたように、刃を突き入れる機会は巡って来るという事だ。


 逆転の一手、確かに存在する。


 でも、その心配は不要だとも考えている。



(なぜなら、僕に剣を突き入れられる女性なんて、ネイローザだけだからね)



 彼女の手ほどきを受けている僕の剣術は、彼女の言をそのまま受ければ、かなりの域に達しているということだ。


 幼子の振るう小さな刃など、届く道理はない。


 隙なく当たればいいだけだ。


 いずれ訪れるであろう”夜伽“の時も、ちゃんと身体検査すればいい話であり、大袈裟に警戒する事でもない。


 そう、僕を殺せる女の子がいるとすれば、それはネイローザ唯一人だ。

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