第16話 父との食事は味気ない

 やる気のない稽古は一旦お開きとなった。


 何の事はない。気が付いたら昼食の時間になっていたのだ。



(今日はホント、色々とあったからな~)



 朝起きたら、そこにネイローザが僕を起こしに来る。


 これはいつもの通りで、そこから朝の調練が始まった。


 あれこれ雑談を挟みつつ、今朝だけで“八回”も彼女に殺されるという情けない結果となった。


 百年の研鑽の先にある彼女の力は、万里ほどに遠いと言わざるを得ない。


 まだまだ僕の叶う相手ではないが、それでもいつかは彼女に剣の腕前を認めてもらう事も、今の目標の一つだ。



(だというのに、今日という日は本当に厄日だ!)



 剣の稽古が終わって一区切りと言う段で、父に呼び出された。


 どうせろくなもんじゃないと思っていたら、案の定だった。


 結婚話、しかもまだ九歳の幼子と結婚しろというのだ。


 もちろん僕は断ったが、父は頑として聞かなかった。



「王族としての義務を、務めを果たせ」



 これが全てだ。


 今日ほど、王子と言う立場を呪った事はない。


 王族の務めなんて、僕にとってはもはや“呪い”にしか思えなくなっていた。


 僕が好きなのは、この世でただ一人、すぐ近くにいる『黒薔薇の剣姫』だけだ。


 身分も立場も全部投げ捨てて、彼女だけを見て暮らしていけたら、どれほど幸せなのだろうか。


 しかし、現実は非情だ。


 彼女と腕を組み、バージンロードを皆から祝福されながら歩く。


 そんな夢は今朝の一件で、木っ端微塵となった。


 結婚した未来の僕の横にいるのは、会った事もない異国の姫君。


 その考えたくもない未来に祝福を述べたのは、ネイローザと言うやるせなさ。


 君と一緒に祝辞を浴びたいのであって、君から祝辞を述べられたいわけじゃない。


 何もかもがままならず、流されるままにやったダンスの稽古なんて、気持ちも乗らないし、上達のしようもない。


 その件で君には無言の圧を加えられたりもしたが、本当にやる気が起きないんだ。



(ままならない。何もかもがままならない。王子なんて言う御大層な身分にありながら、自分は何一つできやしない。こうして君を連れ添って歩く幸せな時間も、いずれ他の誰かに奪われる)



 僕が望む花嫁の姿は、君だ、ネイローザ。


 どこぞの国のお姫様なんかじゃない。


 君だ、黒薔薇の剣姫なんだよ。


 でも、それは許されない。


 本当に嫌な気分にさせられる一日だけど、まだ半分残っているのは億劫だ。


 そして、億劫の原因と再び顔合わせの時間がやって来た。


 そう、この国の国王である僕の父だ。


 基本的に、僕と父の生活のリズムはズレている。


 僕の日課は、朝の調練から始まり、学問に打ち込んだりする。


 一方、父はずっと机に齧り付いて、日々の雑務に追われる。


 互いに顔を合わせる事もなく過ごす事すら可能だ。


 ただ、それでは良くないということで、“昼食”だけはできる限り同席するというのがいつもの流れだ。


 はっきり言って、母が亡くなられてからというもの、こういう日常の繰り返しとなっている。


 顔を合わせるのは、昼食時だけ。


 あとは互いに会わないようにしている。


 今朝の事は本当に例外中の例外だ。



(まあ、それだけ重要な案件だったというのは間違いない。なにしろ、その後の人生に大きく関わることだしな。と言うか、国家の行く末と言ってもいい程の最重要案件だ。いい迷惑だけど)



 食堂に顔を出すと、すでに父は来ていて、席に着いていた。


 僕はそんな父に、無礼な態度を向けた。


 相手は父であり、国王だ。ちゃんと挨拶をするべきなのだろうが、そんな最低限の礼儀すら向けたくないという、ひねた感情が僕の中に渦巻いている。


 今朝の一件が、どうにも感情的にしてしまっているようで、不機嫌さを顔いっぱいで表現しつつ、机を挟む格好で腰かけた。


 それと同時に給仕が食事を運んできて、僕の前に幾皿も置いていく。


 パン、鳥肉のロースト、野菜のスープ、幾種類かの果実、どれも美味しそうだ。


 実際、空腹を覚えており、漂う料理の香りがそれに拍車をかけていた。


 父との激論に加え、なんやかんやでダンスをやる気がないとは言え、それなりの時間踊っていたのだ。


 自分が思っている以上に腹が空いていたのだろう。


 ぐぅ~っと腹の虫がいきなり悲鳴を上げた。



「たっぷり腹が空くほど、ダンスの稽古は“順調”だったようだな。クククッ、順風満帆で結構な事だ」



 妙にニヤついて話しかけてきた父に、僕はイラっと来た。


 微塵もそう思ってもないであろう事は、顔を見れば一目瞭然だ。



(何が順風満帆だ! 大時化おおしけで、船が転覆しそうですよ!)



 やりたくもない稽古があれほど退屈とは、自分でも思ってもいなかった。


 つまらない習い事と言うものはあるが、それでもいずれ何かの役に立てばと、様々な稽古やら授業やらをこなしてきたが、今日のダンスの稽古が一番最悪だった。


 つまらない上に、ネイローザとの距離がどんどん空いて行ってしまうような、そんな感覚に襲われたからだ。


 ダンスの稽古はこれから娶る姫君を、ちゃんと先導リードしてあげるために他ならない。


 それは分かる。


 でも、僕が欲するのはネイローザとのひとときであって、幼子の相手ではない。


 九歳? 十歳? そんな子供の相手なんて、真っ平御免だ。


 まあ、見た目で言えば、ネイローザもそう変わらないだろうが、百年、二百年生きてきたであろう貫禄や雰囲気がある。


 欲して届かず、届いたところで薔薇の棘で痛い目を見る。


 ああ、本当にどうしようもないのかと、なかば諦めの気すら起こってしまう。


 手に掴んだ鳥肉に齧り付くも、全然味がしない。


 舌の上に転がされる鳥肉は、舌や頭の中を横滑りし、なんの記憶も残さぬままに胃袋に仕舞われていく。


 こんな味気ない食事は初めてだと悪態付きたくもなるが、そこは我慢だ。


 騒いだところで、また父からの皮肉が飛んで来るだけであるし、あるいはネイローザからお小言がぶっ刺さって来るかもしれない。


 後者であれば歓迎するが、前者の事を考えると、わざと叫ぶというのも気が引ける。


 体作りの為に食事は不可欠。不貞腐れて食べないという選択肢はないので、無理やりにでも腹の中に収めなくてはならない。


 今は顔も見たくない父に皮肉られながらも、無言の食事を僕は続けた。

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