第13話 高貴なる血を残す事こそ最大の仕事

 正直な話、今日ほどネイローザに感謝した事はない。


 あのまま父との会話が続いていれば、親子で殴り合いになっていただろう。


 父親といえども、相手は国王だ。殴りかかるなど、もはやそれは立派な反逆罪でしかない。


 市井の親子喧嘩とはわけが違うのだ。


 厳しい処分か、それとも“しつけ”という名の拷問的教育課程カリキュラムか。


 とにかく、ろくな事にはならないだろう。


 しかし、ネイローザは僕の腕を掴み、引っ張る様に連れ出してくれた。


 もちろん、“ダンスの稽古”などという望まない、バカげた訓練の為ではあるのだが、それでも父の前からさっさと辞去できたのは、本気で助かった。


 怒りで体中の血管が破裂しそうであったし、そうならずに済んだのはネイローザの機転ゆえであろうと、僕は勝手に感じ入る。


 そして、王宮の廊下を進み、人の気配が無くなったのを見計らい、彼女は掴んでいた腕を離した。


 なお、正直なところを言えば、もう少し彼女の手と繋がっていたのだが、そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、君は構わず笑顔を向けてくる。



「殿下も不器用でございますね。今少し言い様はあったでしょうに」



 言い様はあった。それはそうなのだろう。


 全面的に父の話を受け入れていればの事ではあるが。


 国益という観点で見れば、父の発想はどこまでも冷ややかで、感情と言うものを感じさせない。


 反論のしようもない程に正論だ。


 だが、そうした“感情”の部分こそ、僕がそれを拒絶する要因となっている。


 会った事もない異国の姫君、しかも、まだ齢九歳の幼子だ。拒絶するのは、真っ当な感覚であれば当然だろう。


 とは言え、それ以上に国の事を考えると、そのバカバカしい状況を受け入れなくてはならない。



(現に、僕も父の考えが読めてしまった。下衆な発想ではあるけど)



 幼子を娶るなど、どうかしている。


 いや、そもそも娶るというより、人質を取ると言った方が適当なくらいだ。


 この結婚は僕と花嫁を不幸にする事になるだろう。


 そんな結婚相手には同情以外の感情が湧いてこないし、ましてや愛情など湧いてくる事もないだろう。


 僕が愛しているのは、目の前の黒薔薇なのだから。



「ネイローザ、君の意見は正しい。王子として、王族の責務を果たせというのであれば、父上の話を唯々諾々とするのが良いだろう」



「はい。殿下には高貴なる血が流れており、それが続く事が望まれております。御結婚なさり、その血を次の世代へと引き継がせる。婚儀とはそういうものなのです」



「分かっている! 分かっているさ!」



 思わず声を荒げた僕だが、対峙する君の顔はどこか寂しげだ。


 君のそんな顔など見たくもないのに、感情の抑制が利かず、喚き散らす自分が恥ずかしい。


 どこまでも冷静沈着な君に対して、自分の未熟さが曝け出される。


 なんと言う無様な事だろうか。  



「王家の安定は、国の安定に繋がります。国民を正しく導くのが国王としての務めであり、その有様を尊き血や意志と共に次へと引き継ぐのが、最大の仕事とも言えましょう。王族とはそういうものなのであり、殿下にもそのお役目が回って来たと割り切っていただくよりないかと……」



 寂しげな君の口から漏れ出た意見は、どこまでも正論だ。


 王に寿命などがないのであれば、その治世は永遠の繁栄を得る事だろう。


 しかし、人間は定めある命の存在だ。長い短いの差はあれど、人間すべてがそうなのだ。


 永遠に続くものなど、何一つない。


 名君の安定した統治もまた、名君の死と共に損なわれる。


 継嗣がまた名君になるとは限らないのであるし、そうならないためにも相続には細心の注意を払う。


 王家のみならず、貴族であればどこの家でもそうするのは当然だ。



(ああ、本当になんという板挟みだ。目の前に愛する女性がいるというのに、それを抱き締めてはならないのだと言う。黒い薔薇には棘があり、花を掴めば血が滴る。自分一人が傷つくならば我慢もしよう。しかし、その愚行は回り回って、国と、民と、そして、何より君自身を傷つけてしまう)



 この葛藤をぶちまけてしまえるのであれば、どれほど楽な事だろうか。


 君を攫って城を出られたら、どれほど素晴らしい事だろうか。


 しかし、そうなっては国が傾く。次の国王となる継嗣たる王子が勝手気ままに振る舞えば、そうなるのは必定だ。


 その事はよくよく教え込まれた。


 周囲の先生方からも……。そして、君自身からもだ、ネイローザ。


 君は百年を超える月日の中、その長きにわたり、ずっとこの王家を、国を見続けてきた。


 僕がそうであったように、父も指南したのだという。


 爺様や、その爺様もそうなのだろう。


 君は誰よりも献身的にこの国を行く末を案じ、時に剣を振るう事も辞さない覚悟と、それを伴う行動によって示してきた。


 ならば、僕もまた君の願いを、想いを叶えてやりたい。


 君が何よりもこの国を想うのであれば、僕は良き王様になって、この国を引っ張っていけばいいのだ。



(だが、そうなってしまえば、僕は君を抱き締める機会を永遠に失ってしまう……。ああ、何という事だ! 僕の願いは、君の想いに交わる事がない!)



 君を抱き締めれば、国が傾く。


 君の想いを汲んでやれば、僕は君を抱き締めてはならない。


 二律背反とはこういう状態の事を言うのだろうか。


 決して両立しない僕の願いと君の想い。


 ネイローザ、君という存在は、本当に、本当に罪深い!


 君を抱き締める前に、僕の頭はもう棘だらけでズキズキするんだ!


 本当に罪な存在だよ、君は!

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