一話:救いの手

1-1救いの手

 魔女は残虐。残忍。狡猾。

 それは、五つくらいの子供ですら知っている常識だ。

 魔女の恐怖は、人々の未知を恐れる妄想から生まれたものではなく、実際に人々の生活に多大なる影響を与えている。

 地を軽やかに駆ける四つ足の化け物。

 空を悠々と舞う羽を広げた化け物。

 闇に溶けて潜む二足歩行の化け物。

 それらは、すべて魔女が生み出した。そして──魔女自身も化け物となる。


 人の形をした凶悪で冷血で獰猛な化け物──魔女。

 彼女たちは人の世に紛れ、今日も人を襲い続けている。


 *******************

 星暦七〇一年──イニシウム村。

 魔女の襲撃を受け崩壊。

 死亡者九十七名。

 生存者── 一名。

 本件の魔女は魔女ハンターによって駆除済み。

 レリア・サージュ

 *******************


 太陽は随分と前に西に沈み、今は暗闇が世界を覆っている。

 そんな中、焚き火が灯す明かり頼りに簡潔な報告書を書き上げたレリアは、報告書を足元に置いて口元を抑え、大あくびをした。同時に焚き火に入れた木がパチッと爆ぜ、火花が報告書の方へ飛ぶ。

 慌ててレリアは火花を払って報告書を拾い上げた。

 端から端まで目を通しても乱れた字が書き連ねられているだけで、報告書は燃えていない。

 それを確認したレリアはホッと安堵の息を吐いて、皮で作られたバッグを開き中身も見ずに報告書を詰め込もうとする。

 しかし、報告書が途中で何かに詰まって奥まで入らない。


 よく見てみれば、バッグは畳まれずに詰め込まれた服でパンパンになっていた。それを確認したレリアは小さくため息を吐き出し、報告書をぐしゃぐしゃに丸める。

 報告書を綺麗な球状に丸めたレリアは、そのまま強引にバッグに押し込んだ。

 自分で丸めてしまえばこれ以上ぐちゃぐちゃにならないし、不慮の事故で書類が破ける事もない。

 完璧だ、とレリアは自分の行為に満足して口元を緩める。


 決してバッグの中に入っている服を畳んで書類を収めようとは思わないレリアは、ぎちぎちになったバッグの口を強引に閉じ、そのまま焚き火の上で炙っていた焦げる寸前の干し肉を手に取ろうと手を伸ばす。

 しかし、その手は串を掴む前に静止した。

 自然と視線は干し肉から滑りイニシウム村にて、間一髪の所で魔女の魔の手から救い出した青少年へと向けたれた。


 本来なら生きていようが死んでいようがその場に置き去りにする所だったのだが、あの状況で生きている事に興味を持ったのでそのまま連れてきてしまった。

 既にイニシウム村は崩壊している。

 彼はこれ以上あの村に住むことはできない。生きるには転居するしかない。無理に連れ出したところで怒られるということはないだろう。

 そんな自己正当化をしながら青少年の元まで歩み寄ったレリアは、しゃがみ込んで彼の顔を覗き込む。目に掛かった髪を人差し指で払って、まだ僅かに幼さの残る顔を凝視する。


 まだ意識は取り戻していないようだが、呼吸はしている。

 それだけ確認すると、レリアは立ち上がろうとした。

 その途中、つい一瞬前まで目を閉じていた青少年の瞳が開いている事に気がついた。

「…………おはよう」

 十分な間をとって出たその言葉は、どうやら青少年の耳には入っていなかったようで、彼はぼーっとした様子でレリアの方を見つめている。

 もしかしたら魔女に何らかの攻撃を受けて脳がやられたのかもしれない。

 そんな不安を抱いたレリアが青少年の前で手を振ると、青少年はビクンと全身を震わせて上半身を勢いよく起こした。

「ここは⁉」

「ここは君の住んでいた村から少し離れた森の中だよ」


 混乱させないように柔らかい口調でレリアが言った瞬間、青少年はレリアを初めて認識したようで、瞳を大きくして少し後ろに下がった。

「あ、あんたは?」

「通りすがりの魔女ハンター。少し恩着せがましい言い方をすれば、君の命の恩人だよ。名前をレリア・サージュと言う」

「魔女ハンター……」

 青少年の瞳に僅かに警戒の色が混じった。


 イニシウム村のような田舎の村に住む住人は、魔物を狩る『狩人かりうど』や『魔女ハンター』のような存在を極度に警戒する気質がある。

 人の入れ替わりが少ない田舎の村に、依頼で派遣された気性の荒い狩人が入ってくれば、何かしら問題を引き起こす。彼らが嫌われるのは必然とも言える。

 しかし、魔女ハンターまでそう言った印象を抱かれるのは心外だ。

 レリアはそう考えて、気性の荒い狩人とは真逆とも取れる優しい口調でこう言った。

「君は魔女ハンターが正確に何をしているか知ってる?」

「…………」


 青少年は開きかけた口を何度かパクパクさせる。

 しばらくして、開いた口を諦めたように閉じ、小さく首を横に振った。

「すみません。正確にはあまり……狩人と同じようなものかと思ってます」

「ふむ。じゃあ狩人についてどんな認識を持っているの?」

「魔物と魔女を討伐するための国家から独立した組織、ハンター協会の傭兵達。気性が粗くて喧嘩腰の人が多いイメージです」


 彼の認識は事実からさほど大きく外れていない。狩人の擁護(ようご)をする気がまったくないレリアは、彼の事実とは異なる認識だけを訂正する事にした。

 レリアは先程まで座っていた丸太の前へと移動し、腰を下ろしてから細い右足を上に組む。

 くるぶしまで伸びたロングコートから、スカートとニーソックスに覆われた足が露出し、青少年の視線が僅かに下に向いた。

 レリアはそれに構わず話を続ける。

「君の認識で概ね合っているよ。ただし、一つ間違っている事があるとするなら、狩人には魔女を駆除する権利がないということだ。現法では魔女の駆除ができるのは魔女ハンターだけ。両者ともハンター協会に所属しているのは事実だけどね」

「なんで狩人と魔女ハンターは分かれているんですか?」

「狩人には魔女を殺す力がないからだよ。魔女を見分ける力を持っていて、魔女を殺せる力がないと魔女ハンターにはなれない。ともかく、君を助けたのはそういう者だよ。君に害は加えない事は約束する」


 レリアは話をまとめて、安全をアピールするように両腕を高々と上げる。そのまま流れるように身体を伸ばしながら欠伸をした。

 一方、レリアの立場を理解したらしい青少年は、背筋を正してレリアの顔を真剣に見つめる。

 伸びを終えて両腕を下げたレリアはそれに気がつくと、青少年の瞳を見返す代わりに彼の鼻の方へと視線を向けた。

「どうしたの?」

「あの……」

 と、青少年は迷った素振りを見せ、何度も躊躇するように口をモゴモゴさせる。


 しかし、膨れ上がった疑問は抑えられなかったらしく、彼はすぐに口を開いた。

「俺が住んでいた村はどうなりましたか?」

「私が来た時にはもう手遅れだった。生存者も君だけ」

 感情を込めずに淡々と事実だけを伝えるレリアの言葉に、青少年は頭を垂れ地面を見つめる。

 そして、恐る恐るレリアの表情を伺う。

「魔女はどうなりましたか?」

「駆除済み」


 駆除。レリアの魔女を人として扱っていないような言葉を改めて聞いた青少年は引きつった顔をする。

 おそらく彼は魔女の姿を目にしただろう。どこから見ても人間と区別がつかないその化け物を一度目にすれば、ほとんどの人は、魔女を人間のように扱うようになる。

 扱うべきではないと頭の中では理解していても、実際に目にすると、魔女の容姿が自分たちと大差ないことに気が付いてしまう。


 だが、彼らがそう感じてしまうのは当然だ。魔女は元々が人間なのだ。

 しかし、だからこそ魔女に使う言葉として適切なのは『退治』ではなく『駆除』だとレリアは思っている。

 魔女となった者は見境なく人を殺す。かつての知人や家族、友人であろうと、魔女へと変わり果てた者の前では、すべてが等しく豊潤な魂を持った肉と認識される。

 魔女を放置すれば人が死ぬ。


 だから魔女は消さなければならない。殺さなければならない、一匹も残さすに全て。

 それに、レリアは今までに何度も魔女に同情して死んでいった魔女ハンターを見てきた。

 彼らに実力が無かった訳では無い。彼らの死因は同情だ。魔女を人間として認識した彼らの心が彼らを殺した。

 魔女に同情しないためには、割り切る必要がある。故に魔女には『駆除』が適切なのだ。


 しかし、そういった考えは魔女ハンターとして数多の魔女を狩り、心を摩耗させ続けたレリアの自己防衛に近い理屈であり、事情を知らない普通の村人には理解の苦しいものだろう。

「駆除という言葉に抵抗がある?」

「えぇ……どこから見ても人間みたいな姿でしたし、それに──」

 突然言葉を切った青少年は息を呑んだ。

 そして、勢いよく立ち上がると、周囲を見回して北にあるイニシウム村の方へ顔を向けた。


 自分がどこにいるかもわからない状況で、正確な方向を向くのは野性的というか、直感型という感じがしてレリアは素直に感心する。

 そんな感心を他所にすぐに青少年はレリアの方へ視線を戻す。

 再びレリアに向けられた視線は、先程よりも数段真剣さを帯びていた。

「あの……魔女ってどんな容姿だったか覚えていますか?」

「ごめん。あまり覚えていない。ただ髪は赤かったかな、それが血で染まったのか元々なのかよく分からないけど」


 そこまで言って、青少年の頭髪が赤である事にレリアは引っかかりを覚えた。レリアは青少年が気付かないほど短い間、瞳を閉じて思考する。

 次の瞬間、レリアの思考はパチンと弾けた。同時にレリアは立ち上がって青少年の目の前に移動する。そのまま顔を近づけ彼の眼球を覗き込んだ。

「ちょ、な、なんですか?」

「静かに」


 ピシャリとレリアは言葉を放ち、唇が触れそうな距離まで青少年に顔を寄せる。

 青少年の顔は、レリアとの距離が縮まるにつれて、りんごのように真っ赤に染まっていく。しばらくしてレリアは青少年からぱっと距離を取り、再び丸太に腰掛けた。

 青少年の顔が赤らんでいる事を無視して、レリアは少し興奮した様子で青少年の方を向く。

「君、面白いね」


 と、言って──言った後に不謹慎だと考えを改めたレリアは、静かに首を横に振った。

 しかし、青少年は不満そうに首を傾げる。

「一体何なんですか? 急に顔を近づけてきて……」

「ごめんね。さっき、魔女ハンターは魔女を見抜く力があるって話したでしょ? 私は、それ以外にも、人の才能とか血縁者を見抜く特別な観察眼もあるの。一応縛りとして、その目を直接見ないといけないっていうのがあるんだけど、自動発動だからこの観察眼のせいで知りたくない情報を得たりする。例えば国王のとか……」

 その言葉を聞いて青少年は怪訝そうに眉をひそめた。

 しかし、レリアは彼の視線に構わず、自身の観察眼から導いた結論を口にする。


「私の能力については信じなくてもいいけど、村を襲った魔女の正体は──君の母親だよ」

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