魔女と嘘の百年間

碧葉ゆう

プロローグ

プロローグ


 豪華で荘厳そうごんな雰囲気に満ちた空間。

 高くそびえる天井からは、繊細に細工されたシャンデリアが柔らかな光を放ち、その輝きが室内を優雅に照らしている。

 その部屋の奥には、室内にも関わらず、数段の段差がある。段差の上に置かれている細かな装飾の施された王座の上には、荘厳な雰囲気を出す二〇~三〇代の男性が座っていた。


 彼の頭の上には、権威を示すような王冠が乗っている──国王だ。

 そして、その国王の眼の前には──つまり段差の上に置かれた王座の眼の前には、一〇代後半と見られる少女が面倒くさそうに長い髪を弄りながら立っていた。

 段差の下では、小太りの男性が国王に向けて片膝をついているので、少女の行動は明らかに異質に映って見える。


「レリア・サージュ。ここから南に七日間進んだところにあるサンティマン・ヴォレという街へ向かって欲しい」

 国王は真剣な面持ちを少女に向けてそう言った。

 少女は髪弄りを止め、国王の方を見る。


「はぁ」

 少女は国王の眼前で、通常では考えられない態度をとりながら顔を顰(しか)めた。

 しかし、国王はそのことに言及すること無く、近くにいた執事から地図を受け取り、少女へと直接手渡しをする。

 地図には王都と周辺の地形が詳細に描かれている。そして、地図の端の方にはサンティマン・ヴォレと赤い印で書かれていた。


「そこに推定四千人の命を奪った『魔女』がいる。一体の魔女にここまでの被害が出た前例は存在しない。通常では起き得ない特殊な状況が発生している可能性がある。故に、我が国最高の魔法師であり、魔女ハンターであるお前に『悪魔』が受肉する前に魔女を殺して欲しい」


「四千⁉ どれだけ放置したらそうなるの? 受肉直前じゃない。……すぐに駆除しないと」

「あぁ、残り千人ほどの魂を魔女に回収されれば、我々は終わりだ。悪魔は受肉し、一三七年前の大災害が再来してしまう」


 国王は、自分の代でそんな事態が発生するかもしれない、ということに恐怖を覚えたのかブルリと体を震わせる。

 しかし、責任感の強さ故か、震えが収まるや否や少女の瞳をしっかりとのぞき込んだ。

 少女は不快そうに目逸らすが、国王は真面目な口調で言葉を発する。

「ハンター協会の本部長もここの場にいる。故にハンター協会には通達済みと見なしてお前にはすぐに出てもらう。良いな?」

 少女は不快そうにため息を吐く。

「私に命令しないで。王家が私に命令できない立場のことを忘れてる? 私達は対等。それとも……契約を反故にするつもり?」


 少女がそう言うと、国王は恐怖で先ほどよりも強くブルリと身体を震わせた。

「……分かっている。だからこれは依頼だ。命令ではないから断っても良い」

 ふん、と少女は不機嫌そうに鼻を鳴らし、国王に背を向ける。

「情報を集める。王宮書庫、借りるから。確か、民間伝承とか見聞も集めてたよね?」

「あぁ。置いてあるから好きに使ってくれ」

 国王に許可を得てから少女は段差を降りて、段差下にいる小太りの男性をちらりと一瞥する。


「本部長。数日分の食料を用意しておいて。お金はそっち持ちで、一日分は豪華なお肉がいい。あとはお任せ。保存が効くおいしいものでよろしく」

「あ、あぁ。分かった」

 本部長と呼ばれた小太りの男性が頷くのを見て、少女はニッコリと作った笑顔を向けると、そのまま赤いカーペットのど真ん中を真っ直ぐに進み部屋から出た。


 数日後──イニシウム村


 普段なら夜の帳が降りると、光一つ無い静寂に包まれるこの村は今宵、異様な光景に包まれていた。星空が広がっているはずの空は、地上から上がる黒煙に覆われている。

 そして、赤々と燃え盛る炎が大地を照らし、周囲の空を普段の数倍にも明るくしていた。 

 炎は轟々と音を立てながら家々を舐めるように燃え広がり、その輝きは暗闇を突き破り、周辺の森にまで及ぶ。

 揺らめく炎を明かりにして大地を見れば、踏みつけられて固くなった大地には、いくつもの赤い斑点が散らばっていて、よく見ればそれは人の血痕だと分かる。

 それぞれの赤い斑点の上には絞りカスのような肉塊が転がっていて、そこから漏れた赤い液体は大地を染めようとジワジワ範囲を拡大させていた。

 視界に映る全てが赤い。

 火の赤、血の赤、空の赤。

 耳に入る悲鳴は徐々に断末魔へと変わっていく。

 思わず耳を塞ぎたくなる惨事。

 それはいくつも重なり地獄のハーモニーを奏でる。

 そして──悲鳴は止んだ。

 静寂。

 うめき声も虫のさえずりも建物の倒壊の音すら止んだ完全な静寂。

 それを破って足音がこちらへ近づいてくる。


「だ、誰だ!」

 この村における最後の生き残りと思われる青少年の口から震えた声が響いた。

 青少年は足を一歩後ろに引く。同時に何かが足に引っかかりそのまま青少年はバランスを崩し地面に腰を打ち付けた。

「痛っ! くそっ」

 青少年が躓いた場所を睨むように見ると、そこには村の中心部に作られたレンガ造りの花壇の段差があった。

「なんでこんなところに!」

 転んでしまった時に足を捻ったようで足に痛みが走る。青少年は顔を歪めながら足を取られた花壇を恨めしそうに睨みつける。


 ジャリッ──

 地面に足が擦れる音が耳に入り込んできた。

 足音は右から、足が悪いのか何度も擦りながらこちらに近づいている。

 そう思った瞬間、右の足音が消え、左から足音が聞こえてくる──再び足音が消え、今度は背後から聞こえてくる。

 そして正面から──姿はない。

 見えない。何処にもいない。それなのに存在を知らしめるように足音だけが近づいてくる。

 カツンという音と共に、二メートル前方に転がっていた小石だけが突然こちらへと勢いよく転がってくる。


 青少年は数時間前までなんの不満もなく平穏に過ごしていた姉や父親、そして村人の最後の姿を思い出し、足がガタガタと震わせた。

 やがて迫りくる足音は青少年の前で止まり、そこで彼は静かに諦念の息を吐いた。

 刻一刻と迫る終わりの時間を前に思うのは、この惨事の最中姿を見なかった母のことだ。


「逃げられたのかな……母さん──」

 ポツリと声を漏らす。

 次の瞬間、背後から何か耳元に顔を近づけてくる気配を察知した。

 身体は動かない。

 全身にぞわりと鳥肌が立つ。

 そして──誰かが不気味な声で何かをささやいた。

 ドクンと鼓動が跳ね、全身から異常なほどにダラダラと汗が垂れ手足が冷えていく。


 数秒の間。

 背後から困惑したような気配がした。

 その直後──ガツンという音が頭から響いた。すぐに、青少年は頭部に強い衝撃を受けたのだと気がつく。同時に意識が深い海の底へ引き込まれるように闇へと落ちていく。

「あぐっ……」

 拳を握り込み、爪の食い込んだ掌の痛みで意識を手放さないように必死に足掻く。

 しかし、呼吸は空を掠め、急速に意識は遠のいていく。

 もう自分が息をしているのか、息をしていないのかも分からない。水底に引きずられるように音が、視界が、感覚が歪んでいく。

 遠くからこちらに近づく足音が妙に反響して聞こえた。

 青少年は虚ろに開いた瞳に人影を見た。まだ燃焼していない建物の影に女性のようなシルエットが映った。女性は夜の闇から溶け出るように音も立てず姿を現し、こちらへと歩いてくる。


 彼女はフロントが短く、バックが流れるように長い黒く高そうなロングコートに身を包んでおり、スリットからは黒いミニスカートが見える。

 火事の明かりで辛うじて見えるその姿は細身でスタイルが良いように見えた。

 先程からそこに立っていたのだろうが、黒い服のせいで姿を捕らえられなかったらしい。


 逃げろと声を出したいが、もう声は出ない。

 なんとか視線でこちらへと歩いてくる女性へ危機を知らせる。同時にバンッと空気を割るような乾いた音が青少年の眼の前で発生した。

 音の方に視線を向けると、青少年の眼の前に先程まではいなかった別の女性が立っていた。新たに現れた女性は、こちらへ歩いてくる女性を前傾姿勢で睨みつけている。


 その女性の肌は血が通っていないように白い。ボリュームのある袖とオフショルダーのブラウスを着用した、前面に編み込みのコルセットスタイルのボディスが特徴的なボロボロの服を着用していた。

 そして──その女性は、人を襲った後のように全身に血を滴らせた姿だった。

「ギヤアアアアアアアアアアアアアッッ!」


 突如、青少年の眼の前にいた女性は叫ぶ。血を滴らせたその女性の正体はボヤケた思考でも分かる。

 彼女がこの村を滅ぼした張本人──『魔女』だ。

 どこからどう見ても人間にしか見えないボロボロの服を着た魔女は、こちらに近づいてくる黒服の女性を睨み、両手を大きく広げる。

 そして何かを言おうと魔女が口を広げた瞬間──爆散した。


 残った黒い衣装に身を包んだ女性は、眼の前で人が爆発した事に驚きもせず、青少年の方へ近づいてくる。

 彼女は青少年の近くへと歩み寄ると、静かにしゃがみ込み青少年の顔を覗き込んだ。


 青少年の瞳に金髪碧眼のまだ幼さの残った、人形のように整った少女の顔が映り込む。

 少女は幻想的にキラキラと輝いているように見え、青少年はぽつりと言葉を漏らす。

「天使……様」

 そのまま青少年は意識を手放した。

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