兇行 5
「エドガー、どこに行くつもりだよ」
飛鳥と秀一が魔術師の部屋へ向かった後、翔太はエドガーとともに加奈と飛鳥の荷物を移動させていたのだが、
「自分の部屋です。下山出来るまで籠っていますよ。そのほうが安全でしょうしね」
ズンズンと先を行き、早口の英語で捲し立てる所為で翻訳に苦労しながらも、翔太はエドガーを追いかける。
「あなた方には感謝していますが……こんな地獄が繰り広げられる場所だったなんて気付いていたら……凍死した方がマシだったかもしれません」
翻訳に苦戦している翔太を肩目に、エドガーは足取りを遅くすることなく塔の部屋へ向かい、部屋の手前で立ち止まった。
「部屋の中に立て篭っても……加奈みたいに直接的な襲撃をされる可能性がある。よく考えれば部屋の照明が控えめなのも、殺人鬼を利してるんだぞ?」
「そうかもしれませんが……私は一人になりたい。異国の地で殺人事件に巻き込まれるなんて冗談じゃない……! 坂本さんも部屋に籠っていたほうがいいですよ。……それじゃあ」
エドガーはそう言うと勢いよく扉を閉め、塔の部屋に引き籠ってしまった。けんもほろろのエドガーに肩をすくめる翔太。
「何かあったら叫んでくれ。水音の所為で届くかどうかはわからんがな」
頽れる塔が刻まれた無言の扉を一瞥した翔太は、弱まる気配を見せない窓の外を見て肩を竦めた。客室と客室前廊下とサロンを繋ぐバルコニーには雪が我先にと積もり、暴風は内開きのフランス窓を叩いては悲鳴をあげさせている。
「……寒いな。エドガー、俺は部屋に戻って着替えてくる。西館へ戻る前にもう一度ここに寄るから……気が変わることを待ってるぞ」
「……わかりました」
エドガーの返事を聞き、翔太は早足で自室に引き上げた。
びしょ濡れのズボンを履き替え、パジャマの下にタートルネックを着込んでから戦車の部屋を出た。
宣言した通り、エドガーの許へ立ち寄った翔太は――真横の壁に張り付いた。彼の視線の先、英字の遺体が眠る月の部屋の扉が何故か開いている。先ほどエドガーとともにここへ来た時は開いていなかった。翔太が自室に戻ったのはたかだか数分だ。その間に何者かが月の部屋に入ったのか、出て来たということだ。
翔太は身構えながらの忍び足で部屋に近付き、中を覗き込んだ。その瞬間、冷たい風に頰を撫でられ、思わず声をあげた。
「これは……」
覗き込んだ月の部屋、人の気配は無いが、バルコニーへ通じるフランス窓が揺れ、そこから雪と風が入り込んでいる。一瞥したところ、英字の遺体を覆っている毛布に変化は無く、バタバタと開閉を繰り返すフランス窓からは悲鳴があがり、その先を慎重に覗き込んだ翔太は――。
「エドガー……!!」
バルコニーに積もった雪の中に刻まれた足跡は、塔の部屋へ向かってまっすぐに伸びている。そのことに気付いた翔太はバルコニーへ飛び出し、雪と風が入り込んでいる塔の部屋に向かって走った。
頰に突き刺さる雪など無視し、塔の部屋に飛び込んだ翔太の目が捉えたのは、千切られたカーテンが乗せられたベッド、その狭間から力無く覗く鮮血の左手だ。
「エドガー……そんな……!」
翔太はその左腕の主を確かめようとカーテンを掴み――その刹那、彼の背中を鋭い一撃が襲った。巨大な手に突き飛ばされたような衝撃が背中に集中し、臓器から吐き出された大量の血が喉を襲い、背中からも血が勢いよく吹き出した。
何が起きたのか理解出来ない翔太の背後に立つ人影は、クマのような体躯の彼を軽々と床に叩き付けた。「がぁ……!」と叫んだ翔太は喉奥からゴボゴボと逆流してくる血に苦しみながらも、その襲撃者の腕を掴んだ。
「なにが……望みだ……」
襲撃者の無情な顔に向かって問い質す翔太だが、襲撃者はその問いを無視すると懐から取り出したスティレットを――喉に突き立てた。
刃を引き抜くと、翔太の喉から夥しい量の血が噴き出し、襲撃者の顔を深紅に染め上げた。
翔太はカッと見開いた目で襲撃者を見つめたが、襲撃者は血を啜った悪鬼のような破顔で見つめ返してきた。その笑みを浮かべる口の端は壊れたように引きつっている。
水から捨てられた魚のように動く身体は、押し出される血を押さえようとする手を揺るがせ、声にならない叫びをあげさせた。
「復讐だよ。君に落ち度はないが……すまない」
その言葉を言い終える前に、翔太は喉を掴んだまま気を失い、やがて最後の痙攣を起こしてこの世から消えてしまった。
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