第三章 3日目

第伍幕 告発

 中途半端な目覚め。

 理由もなしに覚醒した己の双眸が捉えたのは、ランタンによって浮かび上がるもの言わぬ白い天井だ。そのまま視線をずらし、掛け時計を確認する。

 三日目の朝。時刻は六時二十五分。

 もう屋敷の管理のことなど頭になく、見回りや装飾品の清掃などもどうでもよくなった。湖を挟んだ向かいにいるはずの龍一との接触は出来ず、外部との連絡もとれない状況で管理も何もないだろう。

 ベッドからそろりと出た秀一は、徐々に活動を始めた脳がちらつかせる夕子の死に様を頭から振り払った。その死に様に続いて姿を見せるのは自らの醜態だ。取り乱したうえに遼太郎を殴ってしまった。彼が起きていたら、きちんと謝ろう。

 物音を拒む廊下に顔を覗かせ、そっと耳をすませてみたが、隣の部屋にいるはずの英字の生活音は聞こえない。水音の方も廊下の扉を閉めてしまえば聞こえてこないため、その状態なら多少の生活音は聞こえるはずだ。

「英字、部屋にいないのかい?」

 昨日の今日ということもあり、不安から秀一は部屋をノックしてみたが、当然のように返事はない。扉に触れてみたが、開いてはいない。寝ているのか、もう部屋にいないのか。

 客室前廊下を後にし、サロンを覗いてみた。

「よう、ずいぶんと早いな」

 部屋を覗き込んだ秀一の顔を見、朝食の缶詰を食べていた翔太は片手をあげた。サロンには彼の姿しかなく、バーの窓が開けられている所為でエントランスの水音が入り込んで来ている。

「俺を殺しに来たわけじゃないんだろ?」

「はは……そのつもりならもう少し考えて動くよ」

 そう言いつつ、秀一はテーブルには着かずにカウンターへ腰を下ろした。朝の支度中には我慢していた煙草を取り出し、朝の一本を楽しむ。ヘビースモーカー殿下の手前の灰皿には残骸の山がある。

「窓を開けておくと寒いよ。閉めていいかい?」

「換気してたんだがな……」

 言われてみると、確かにサロン内は臭い。解放されたままの酒瓶から出たアルコール臭に加え、殿下と秀一の煙草が臭いを助長している有様だ。

「そうだねぇ……飛鳥ちゃんたちに嫌われそうだ」

 閉めかけた窓を開け放し、秀一はエントランスを見下ろした。

「ドクターはきちんと眠れたかい?」

「お前はどうなんだ?」

「眠れたよ。……少し早起きだけどね」

 そう言うが、目を閉じれば嫌でも夕子を思い出すため、満足になんて寝ていない。それに加えて秀一の部屋はバルコニーで繋がる無防備な二階だ。殺人鬼が窓から飛び込んで来てもおかしくないのだ。

「この時間ならまだ誰も来ないだろう。どうだ、起きた出来事を振り返ってみないか? 誰に犯行が可能なのかってさ」

「……そうだね。どうせやることもないし」

 二本目を取り出し、秀一は軽く目を閉じた。

「始まりは……飛鳥ちゃんかな? 彼女曰く、遭難したのは僕らが宵霧山に入る前日だ。それにしてはずいぶんと軽傷だったね。ドクターから見ても少々奇妙だったんだろう?」

「外の吹雪を見ればわかると思うが、凍傷もなしに見つかるなんて誰が見ても奇妙だ。俺たちが来るのを……待っていたのなら話は別だけどな」

「待っていた……か。まぁ飛鳥ちゃんに何かしらの秘密があるのは確かだろうね。山登りも友達も作り話という可能性はある。最初から僕らを狙っていて、一芝居で屋敷に入り込んだ……なんてね」

「その可能性もありそうだが……あの気を失っていた状態は演技じゃ無理だ。加奈のいたずらもあったしな」

 ふむ、と秀一は手を顎に当てた。探偵のような仕草だが、如何せん秀一では探偵よりも道化に見えてしまう。

「それに続いて異変は殺人予告か……。タロットもスティレットとやらも全部屋敷のものだから……全員が容疑者だね。アリバイなんて調べたって……どれも証明する手段がないから意味もないか。ドクター、この殺害予告について感想はあるかい?」

「……そうだな。榊原さんに海堂さん、件の外人さんを除いた全員に予告されたことを受け止めるに……犯人は自らも含めて死ぬつもり。或は……全員を殺すと見せかけて自分は助かるパターンだな。個人的には後者だと思ってる」

「僕も同じだ。六人いた容疑者の内……夕子の死は確実だ。あんな死に様をトリックで演じることは出来ないからね。次は……榊原龍一氏との連絡がとれなくなった件だね。榊原龍一氏が小屋に帰ったのが一日目の夕方だ。これに関してはもう推測の域を出ないからどうしようもないね。だけど、予告の件を彼の仕業だとするなら推測出来ることがある」

「ほう? どんな推測だ?」

「初日の天候なら、辛うじて外を動けるってことさ。夜には酷い有様だったけど、エントランスで彼を見送った時なら……」

「そうだな……とはいえ、その時でも結構な天候だったぞ?」

「推測だし、辛うじてだよ。地の利があるなら動けるだろうし、吹雪の所為で僕たちが小屋に行けないこともわかってるんだし、帰ったと見せかけて屋敷に侵入し、僕らに見つからないよう立ち回っている、とも考えられる」

 屋敷内を見回ってみるべきかな、と秀一は提案する。屋敷内の案内はされたが、中を確認していない場所もある。屋敷に戻って来た龍一は、そこに隠れているというわけだ。

「動機は何だ? アメリカのスプラッター映画でもあるまいし……」

「動機ね……それは本人に訊いてみようよ。とにかく、榊原氏が戻って来たと想定すれば……僕らの目を盗んで予告も出来るし、マスターキーを使えば遼太郎が飲んでいるスピリタスを盗むことも出来る。そうしてまんまと夕子の殺害に成功したというわけだ」

 思い返せば、遼太郎は龍一の側でもスピリタスを飲んでいた。そのどこかで中身を確認したのかもしれない。

「でもな……電話の件がある。遼太郎は確かに榊原さんだと言ってたんだぞ? あいつが小屋に電話したのが二日目の朝だ。お前が言うように外で動けないなら、榊原さんにアリバイありだ」

「そうなんだよねぇ……その件がなければなぁ」

「屋敷と小屋の行き来が出来ないのなら、お前の推測も砂上の楼閣だ」

「じゃあ……次だね。天音夕子殺害の件だ。犯行の手口はすぐにわかった。おそらく、急な工作だったんだろう。スピリタスがなければ紐を燃やすことは出来なかっただろうし、誰が座るかなんてわからないうえに、誰かが座るとも限らない。すなわち、犯人の狙いは誰でも良かったというわけだ」

「……テロみたいな手口だな。次はどんなことをしてくるのか」

「とりあえず、お昼頃にでも屋敷内を調べてみるよ。ドクターもどうだい?」

 犯人捜し、という意味も含めての提案だったのだが、翔太は首を縦に振らず、

「遼太郎の言じゃないが……お前が犯人だった場合、屋敷内をうろつかせたら工作される可能性があるよな」

「……おいおい、本気かい? こうして二人で話している間に、飛鳥ちゃんや遼太郎たちが工作しているかもしれないんだよ? グループ内なら誰が動こうが何をしようが対策は無理だよ。とにかく、僕は榊原氏を疑っている。電話の件も番号を細工して屋敷内のどこかで応対していたのならアリバイも確保出来るし、僕らを殺す工作も出来るからね」

「ああ……そうか。小屋の電話番号じゃなくても、俺たちにはわからないからな」

「そういうこと。朝食を楽しんだら、僕は榊原氏の部屋を調べてみるよ」

 二本目の煙草を潰した秀一は夕子の敵討ちを胸に誓い、空腹を告げる腹を満たすための食料を求めてサロンを出――。

「それともドクターは……僕らの中に殺人鬼がいると思いたいのかい?」

 背中を向けたままそれだけを告げた秀一は、首を捻っている翔太を肩越しに一瞥するとサロンを後にした。

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