かっこ悪い男
@shu012296
第一章
ラーメン、牛丼、ハンバーガ、定食、そば。
飯行こうぜと言われて、五秒間で頭に浮かんだのはこれくらいだった。
「うーん、どうしようかな」
男三人以外に影のない教室にそんな空虚な言葉が響く。いつもなら校庭から聞こえる野球部の野太い声も、中間テスト期間中の今は聞こえない。
声を発した牛島次郎は、自分がご飯に行くことを発案したのに、体をくねくねと動かしながらまるでこの決断が今後の人生を左右するのではないかと思うほどに悩んでいる。
そんな牛島のだらしない腹部の揺れを見ると、最近行って美味しかったラーメン屋の店主が同じようなふくよかな体型であることを思い出してラーメンを食べたくなってきた。
確かあのラーメンは魚介豚骨のがっつりした味わいで、個人的にかなり好みの味だった。
が、あいにくそのラーメン屋は隣町にあり移動だけでここから三十分以上もかかる。さらにそこは人気店で夕方のこの時間であれば少なくとも二十分以上待つことになるため、明日のテストに向けて四時間以上も勉強した後に今すぐにでも何かを腹に入れたい男子高校生の需要に添えそうにない。
「立山はなんか食べたいのある?」
隣の席に腰を下ろしている佐々木遼太は、スマホを触りながら興味なさそうな様子で俺、立山信二の顔を見て、すぐに視線をスマホに戻す。
牛島とは対照的に細長い体型の佐々木は、顔の綺麗さもあってスタイリッシュな見た目だ。当然女子からの人気も高く、うちのクラスの中では最もモテていると言ってもいいだろう。
「あーそうだなー」
しかし、困った。
これから食べにいくご飯について、佐々木から意見を求められてしまっている。
なんとか二人が食べたいと思うご飯を考える必要があるが、良いアイデアが全く思いついていない。とりあえず先ほど思いついていた五つの案を検討してみよう。
一つ目はラーメン。今から行くなら、最寄りの駅前にある味噌ラーメンか、駅から逆方向にある豚骨ラーメンのどちらかになる。味噌ラーメンの店は以前三人で言った時に佐々木があまり好きではないと言っていたので却下。豚骨ラーメンの方も、歩くのが好きではない二人がわざわざ駅から遠くなる場所に行きたがらないと思われるため難しい。
二つ目の牛丼は駅前のチェーン店しかないが、昨日佐々木が一人で食べたと言っていたし難しいだろう。
三つ目のハンバーガー屋も、駅前にチェーン店があるがあそこはうちの生徒がよく利用しており、特に今みたいな試験期間になると店の中の五割がうちの学校の生徒で埋め尽くされると聞く。知り合いに会うことも考えられため、これも最適解ではないだろう。
四つ目の定食だが、これは金銭面で難しいかもしれない。学校の近くに古民家的な定食屋があるが千円以上の出費を覚悟する必要がある。特に牛島は最近お金がないと言っていたし、そこまで値の張らないものの方がいいだろう。
となると五つ目のそばも難しくなる。というか、そもそもそばなんて俺が好きで食べたいなと思っただけで、二人は食べたくないだろからもともと論外だ。
「……」
うん、どうするか。色々考えていたが、結局二人を満足させる提案が思いつかない。他にはファミレスやうどん屋などが周りにあるが、どれがよいか……。
「相変わらず優柔不断だな。普通に牛丼とかでいいんじゃね?」
すると、しびれを切らしたかのように佐々木がそう言った。
「え、でも佐々木は昨日も牛丼食べたって」
「別に連続でもいいよ。あそこのチーズ牛丼好きだし」
あ、そうなのか。
「牛丼いいね! よし、そうと決まれば早く行こう!」
さっきまで深く考え込んでいたはずの牛島は、牛丼と決まった途端に何かから解放されたような笑顔で声をあげ教室を出る準備を始めた。
それに続いて佐々木も机の上に散らばっているプリントやノート類をスクールバックに詰めこむ。
俺だけまだ準備を進めることができていない。自分で分かっている。胸に引っかかるものがあるのだ。
「立山どうした? 行かねーの?」
気づけば二人は準備を終え、教室から出ようとしていた。
「あー」
上手く言葉が出てこない。
実は、俺も佐々木と同様に昨日の夜ご飯で牛丼を食べたのだ。正直今日も牛丼を食べるのは気が乗らない。
普通に言えよと思われるかもしれないが、言葉が出てこない。喉奥で引っかかっているかのように、すっと言葉が出てこないのだ。いつもそうだ。俺は他人からどう思われるのか分からないことを素直に言えない。
「いやなんもない。さ、牛丼いこうぜー」
結局そう答えてしまった。
まぁ今時の牛丼屋は牛丼以外も色々あるし、久しぶりにチーズ牛丼も食べてみたかったし。二人が食べたいならそれでいい、俺の意見なんてどうでもいいんだ。
そんな風に自分への正当化を心の中で済ませながら、急いで机の上のテキスト類をまとめていると、ふとあるノートの切れ端にあるメモが目に入る。
『超人気インフルエンサーになる!』
身に覚えしかない。
昨日の深夜に勉強していた時にふと勉強以外のことを考えてしまい、それが膨らみに膨らんだ結果、こんなことを書いてしまったのだ。
羞恥心からか、そのノートを少し乱暴にスクールバックに詰めた。
「……」
最近の俺は、少し調子が悪い。そうだ、この不調が始まったのは、きっと一週間前のあの日からだ。
十六年間生きてきて初めてできた彼女に振られたあの日。
彼女の名は、水瀬雫。高校一年生の時に同じクラスで一緒に文化委員をしたことで親睦を深め、二年生になった今年の春に俺から告白して付き合うことになった。
水瀬さんはそこまで目立つタイプの女子ではなかったが、その綺麗な瞳とおしとやかな雰囲気で男子からは密かに人気で、そんな彼女と付き合えたことはとても嬉しかった。
しかし、付き合い始めてからはお互いにすれ違うことが多くなった。二年生に進級して同じクラスではなくなり、委員会の仕事もなくなったため、一緒に話す機会がめっきりと減ってしまったことが原因だ。
彼女彼氏なのだから、土日や放課後で話せばいいと思われるかもしれないが、彼女は吹奏楽部に所属しており、基本的に放課後や土日は一緒にいることができないのだ。
……いや、これは俺に都合のいい言い訳かもしれない。
『信二くんって、本当に私のこと好きなの?』
水瀬さんに言われた言葉をふと思い出す。
彼女にそう思われても仕方ない。だって俺は付き合ってから、一度も彼女に自分から話しかけなかった。教室が遠いから、委員会が違うから、放課後や土日は会えないからと自分が動かない理由を並べて行動しなかった。
俺は、本当に彼女のことが好きなのだったのだろうか。
彼女の言葉を聞いてよく考える。その度にちゃんと好きだったと自分に言い聞かせる。
なぜなら、別れてから今までずっと、何か満たされないぽっかりとした胸の空虚さ感じている。これは彼女のことが好きで、彼女と別れてしまったことを悲しんでいる証明だと思っている。こうして友人である牛島、佐々木と帰っていてもこの空虚な気持ちは埋まらないのだから。
ちなみにこの二人も一年生の頃から一緒で学校では基本一緒にいる。
はたから見ると統一感のない変な三人組だと思われているようだが、ただ、入学して最初の班が一緒だったというだけで、仲良くなるために何か特別なイベントがあったわけでも昔からの知り合いというわけでもない。
しかし、この空虚感は一週間経っても慣れない。なんとか空虚さを埋めるために、いろんなことに挑戦してみてもやはり何も変わらない。
「はぁ」
意図せず口から空気が漏れた。
「おいおい。なに溜息なんかついてんだよ。今からジョーカーサイズの牛丼食べるってのに!」
溜息をついた俺をそう牛島が咎める。
なにやら聞きなじみのない言葉が聞こえた。
「あぁ、ごめん。って、ジョーカーサイズ? キングサイズじゃなく?」
「立山知らないのか? 最近できた新しいサイズを」
俺の質問に佐々木が反応してきた。隣の牛島はなぜかクイズ番組で早押しに負けた人かのように悔しがっている。そんなに言いたかったのかよ。
「キングの上ってこと?」
「あぁ、キングの二倍だ」
「うぇ」
想像しただけでも吐きそうだ。
前にこの三人で、じゃんけんに負けた一人がキング牛丼を食べるという悪ノリをした時にキング牛丼を見たことがあるが、人の顔以上の大きさに大量の牛肉と詰まりに詰まったご飯が入っていた。絶対に食べることができないと思ったことを覚えている。
その時はこの三人で一番の大食いである牛島がなんとか食べきったが、その後十五分くらいは本当に牛かと思うくらい臭かった。さすがに本人には言えなかったが。
その二倍となるともう牛二頭分どころか、四頭分くらいになるのではないだろうか。いや自分でも何言っているのかよく分からないんだけど。
「何をそんな弱気になっているんだよ信二。俺たちならいけるって」
「いや牛島、俺たち、じゃないだろ?」
「あぁそうだった」
顔をニヤつかせながら目を合わせあう二人。
これは、嫌な予感だ。
「おい君ら、それはさすがに考え直した方が」
「そんなことするわけないだろ! このジョーカーサイズ牛丼を食べるのは、負けた男ただ一人だ!」
「じゃんけんでな!」
また始まったよこの流れ。
確かに俺もこういうじゃんけん好きだけど、流石にジョーカーサイズはやばい。普通にジュースおごるとかライトなやつがいい。
だって今回の場合はもしかした人として死ぬかもしれないんだよ? 牛になるかもしれないんだよ?
しかし、この流れになった二人を止めることはできないし、ここでやめようとは言えない。二人は俺も含めた三人でじゃんけんをするというスリルを味わいたいのだから。
「……分かったよ」
まぁ前回もこんな全く乗り気じゃない中で結局牛島が食べることになったし今回も大丈夫だろう。
そんな楽観的な俺の希望はその十分後に見事に叩き潰されてしまう。
「はい、こちらジョーカーサイズのつゆだく牛丼です」
「おいおいおいおいおいおい、冗談だと言ってくれ」
しっかりとじゃんけんで負けた俺の前には、およそ正常な人間が食べるものとは思えないほど山盛りに盛られた牛丼が置かれている。おそらくワンホールケーキよりも大きい。
いやこれ本当に馬と牛とかが食べるレベルだって。人間食べられないでしょこんなの。
「くっくっくっ」
「でかー!」
他人事の牛島と佐々木は通常サイズの牛丼を頬張りながら俺のジョーカーサイズ牛丼を見て目を見開いている。
というか周りのお客さんもその大きさに驚いた様子で俺たちに視線を向けていた。
ちなみに先ほど店員さんに聞いたら、この店舗では初めてジョーカーサイズが頼まれたという。何事も初めては少し嬉しくなるものだが、この大きさの牛丼を見るとそんな気持ちもなくなってしまって絶望を感じてしまう。
でも、なんかすごそうだなという周りの視線や店員さんの期待のこもった「がんばってください」という言葉を聞くと、頑張れる気がするし何かが満たされている気がした。
「よし、とりあえず頑張ってみるか」
「お、やる気満々じゃん信二」
「がんばれよー」
絶対に食べられると思っていない二人は面白がるような声音でそう俺に言う。
見ておけよ。実は俺に大食いの才能があって、ここでジョーカーサイズ牛丼を食べたことで学校でも話題になって、テレビとかSNSでバズったりとかして。そうなったときに驚くのはお前らだぞ。
席にまとめられている割りばしを手に取り、二つに割る。全く均等に割れずいつもだったら不安になるところだが、今の俺は何かわからない力に満ちていてさほど気にならなかった。
目の前にそびえたつ牛丼の山の山頂部分を箸で取り口に入れる。
一口目は美味しかった。ただご飯は下に埋まっていて、それを見つけるまでたいぶ時間がかかりそうだ。
その作業は掘削をしているような感覚になって少し楽しかった。思いのほかいけちゃうかもしれないな、そんなポジティブな感情が俺の心を満たしていた。
そして二十分後、俺の目の前にはまるで開発のために木が伐採された山のように一部が白くなっている牛丼の姿があった。自分に甘い見立てだと、全体の三割くらいは食べられただろうか。まぁ、つまりジョーカーサイズの半分であるキングサイズ一個分すらも食べることができていないということだ。
今にも張り裂けてしまいそうな重たいお腹を両手で揺すりながら、俺はぼーっと宙を見ることしかできない。
結局あのなんでもできそうなモチベーションは五分も続かなかった。
最初こそ、興味深そうに俺のジョーカーサイズ牛丼を食べる様子を見ていた周りのお客さんや店員さんも、じきに俺が絶対に食べ終わることができないことを悟ると興味を無くしたように俺から目を離した。
そこからは、誰にも興味を持たれず苦行のように牛丼を頬張り続け、結果このようなかっこの悪い牛丼の姿だけが出来上がってしまったのだ。
「おいおい、もうギブアップか信二」
「まだ全然あるぞ」
すでに自分の牛丼を食べた二人は、適度な満腹感に満たされた顔でサッカーの対戦ゲームをしていた。
「いや無理だってこれ。普通の人間が食べられるもんじゃねーよ」
俺がそう白旗を上げると、佐々木が横目を向けた。そこには刺すような鋭さがあった。かっこいい佐々木だからこそ、胸がキュッと締め付けられるような感覚がある。
「また、諦めるの?」
その『また』に棘を感じた。
確かに俺は何事も諦めがちだ。小学校の時にやっていたサッカーも、高校受験でも、高校に入って挑戦した漫画も小説も、全て諦めてきた。
「い、いや、別に今回は」
そう、今回の牛丼に関してはもともと白旗上げてたし、戦う前から勝てないと思っていたし。自分のことは自分が一番分かってる。もともと無理だったんだ。
そもそもこんなもの食べられるのなんて才能がないと無理だし、俺みたいな平々凡々な男が食べられるわけない。
「……ふーん、そ」
佐々木はたまにこんな風に俺を見る。
すべてを見透かしているような瞳で、面白くない人間と言っているような、そんな顔。
きっと佐々木にはそんな意図はなくてただ落胆しているだけなのだろうが、俺はその顔を見る度に自分が自分で情けなくなる。
「牛島、立山のやつもう食べられないってよ」
「おい信二、まだ四分の一程度しか食べられてないじゃないか。これどうする?」
「……一緒に食べてもらってもいいですか?」
とりあえず、無理なもんは無理だ。かといって、このまま残すのは良くないため二人で一緒に食べてもらうしかない。
「まぁそうするしかないだろうな。だが、ただで食べてあげねーよ。なぁ、牛島」
「もちろん。なにかしら罰ゲームがないとな」
「えっ?」
いやそもそもこれじゃんけんで負けたやつがこれ食べて、その時点で罰ゲームだろ。これにさらに罰ゲームが来るのか?
「いやいや流石にそれは……」
「大丈夫大丈夫。そんな変な罰ゲームにしないから。普通にちょっと嫌だなってやつにするから」
「ほんとかよ……」
全く信用できない。この二人はどこか頭のネジが外れているから、この二人にとって変な罰ゲームじゃなくても俺にとっては変な罰ゲームになる恐れが十分にある。
俺にとっての普通の罰ゲームは、一日だけSNSのアイコンを恥ずかしい画像に変えるとか、スマホのホーム画面の画像を変えるとか、そういうものだ。
「あ! じゃあ、二海千夏に告白するって罰ゲームにしようぜ!」
「お、それいいじゃん」
ほら、全然普通じゃない。
告白罰ゲームをこんなライトに言えるかね普通。
「いやいや、さすがに重くない? 告白って結構緊張するし、ほら、二海さんにも迷惑かかるからさ」
「大丈夫だろ。二海は告白なんかそんな気にならねーし、二海相手だったら無理すぎて緊張もしないだろ」
二海千夏。俺たちと同じ学年で同じクラスの女子生徒。その麗しい外見で学校でも最も人気のある女子と言っていいだろう。
佐々木の言うとおり週に一度以上のペースで告白されていて、それをばっさりと断ることで有名だ。
そういった歯に着せぬ言動のせいか、同性からはあまり好かれておらず学校では一人で過ごしていることが多い。本人はそんなことを気にも留めていなさそうだが。
「そうそう! 俺も一年の時に二海に告白してみたけど、ごみを見るような目で断られたし」
「それ言われて、じゃあやろうかとはならねーよ」
なんでそんな意味のない追加情報を入れてくるんだよ。ごみを見るような目で見られるとか普通の生活で起きないし絶対いやだよ。
「大丈夫。立山、お前ならいけるって。あの氷のような二海の心をお前の情熱で解かしてやれよ」
「心にもなさすぎる気障なセリフを言うな。さっきは無理すぎてとか言ってただろ」
「まぁ大丈夫だって。とりあえずやってみたら? お前とりあえずやるの得意じゃん」
「……そうだけどさ」
佐々木の言葉で、少し考えてみる。
俺はこれまで二海さんと話したこともない。同じ教室にいるが席は近くないし、日直や委員会の仕事で一緒になったこともない。まぁそもそも俺だけでなくほとんどのクラスメイトが二海さんと話したことがないんだけど。
それほど孤立している一匹狼の彼女に告白して、うまくいくイメージが全く沸かない。
だけど、仮に、億分の一の確率でもその告白が成功したら……。
そんな無意味な想像をしてみる。
きっと佐々木や牛島をはじめとするクラスメイトは俺を羨望の眼差しでみるだろう。いや、うちのクラスメイトだけじゃない。学校中の男子から注目されるだろう。
そして、仮にあの二海さんと横に並んで学校を歩いてしまったりしたらもう、注目どころではなくほとんどの男から痛気持ちいい怨念を送られることになるだろう。
それに女子からもあの二海さんと付き合った男ということで一目置かれるはずで、実は立山君ってかっこいいんじゃ……なんて言われてしまって。
少し、いいんじゃないかと思った。
そんなことを考えている間に、二人は俺の前のジョーカーサイズ牛丼を奪い、自分の器に盛り始めた。
「とりあえず二海に告白することは確定だな。なんか立山も楽しそうだし」
「よしよし、楽しみにしてるぜー信二」
なぜか告白することが確定していた。
まぁ、こうなった二人を止めることができないし別にいいんだけどさ。
「で、いつ告白するの? 明日? てかこれ多いなマジで」
牛丼を盛り終えた佐々木が、牛丼対する小言を言いながらそう尋ねてくる。
「いやいや、さすがに無理だろ」
「こういうのは早くやっておいた方がいいぞ! 時間が経てば経つ程やりにくくなる」
「いや、ちゃんと二海さんのこと知らないといけないし。二海さんにも俺のこと知ってもらわないと」
そう、俺は二海さんのことを知らない。それに二海さんも俺のことを知らない。こんな状況で告白しても成功する確率は低いに決まっている。
「……あぁそんな感じ」
「さすがは立山だな」
すると、二人は牛丼を食べる手を止めて俺を見た後、微笑を浮かべて再び牛丼を食べ始めた。
「あれ、なんか俺変なこと言った?」
なぜこんな変な雰囲気になっているのだろうか。告白を成功させるためには、お互いを知ることが大事であることはこの二人もよく知っているはずなのに。というか俺が水瀬さんに告白した時もこの二人からそんなアドバイスを受けたから成功できたと思っているのだが。
「いややっぱお前すごいなと思って。とりあえず頑張れよ」
「応援してるぜ! 信二!」
二人は相変わらず微笑を浮かべたまま牛丼を食べている。
そこまで気にしていないのであればそれでいいか。
「というか、お前も牛丼食べろよ。俺たちだけに食べさせるんじゃなくて」
「あぁ、ごめんごめん」
再度箸を手に取り、牛丼を見てみる。相変わらず山がそびえ立っているが、なんだろう。
気のせいかもしれないが、さっきよりも満腹感が減ってその山が小さく見えた。
結局、牛丼を食べ終わったのはそれから三十分後だった。
牛臭くて今にも吐きそうな高校生三人組が駅構内で奇異の視線にさらされてしまったのはまた別の話。
〇
翌日の正午。中間テストが終わった教室は、開放感と安堵感で包まれていた。ちなみに俺の体から昨日の牛丼の匂いがほのかに湧き出ている。
「テストお疲れ様。これで二学期の中間テストは終わりだな。次は十二月の期末だから引く続き勉強に励むように」
うちのクラスの担当教員である椎葉先生は、いつも通り皺一つないスーツを身の纏い、トレードマークの縁の太い黒眼鏡をくいっとあげながらそう言った。
七三分けで髪をセットして、肌が綺麗で、清潔感もある。見た目に関して全男子が目指すべき最終形態のような身なりだ。とても今年でアラフォーに入る人だとは思えない。普通に二十代と言われも納得できる。
これで性格もよくて頭もいいんだから人は不平等だと思ってしまう。
「いやいや先生、期末の前に文化祭があるでしょ」
「そうだそうだー」
すると、クラスで目立つグループに所属している男子達がそんな野次を飛ばす。
「確かに来月にはもう文化祭だな。クラスで出店もできるから来週から準備をしようか」
「はい! 俺たこ焼きやりたい!」
「いや焼きそばだろ」
「お化け屋敷」
「メイドカフェ」
「殴られ屋」
文化祭の出店の話になってそれぞれが口々に自分のやりたいことを言い出して、クラスがザワザワと騒がしくなってきた。
てか、一人文化祭でやるとは思えない提案してるやついるな。殴られ屋ってどういう商売なの?
「……演劇っ」
ふと、俺にしか聞こえていないような小さな声が聞こえた。それは後ろの席からだ。
ちらっと横目だけで後ろを覗く。すると、その声の主と目が合ってしまった。
彼女は目が隠れるほど長く伸びた前髪を揺らしながら、分かりやすく顔を紅潮させ「あ、いやなんでもないです!」と言いうつむいてしまった。
いや別に咎めようと思ったわけではないんだけど。こうなるだろうからゆっくりと後ろ向いたんだけど失敗してしまったな。
俺の後ろの席は小鳥さん。下の名前は申し訳ないがわからない。二年生になってから同じクラスになり、席が近いため挨拶は行うが、正直パーソナルな部分はよく知らない。
たまに聞こえてくる独り言や友達と話している内容からおそらくコアなアニメファンであることは推測できるが、どの系統が好きなのかまではよく分からない。
俺自身もアニメをよく見るため同じアニメが好きであれば話したいと思うが、そこを掴めていない以上簡単に話しかけることができない状況だ。
それにアニメファンはあまり話したがらない人も多い。一年生の時に同じクラスだったアニメ好きの人に勇気を出して話しかけてみたのだが、彼はそこまで話したくなかったようで、きまずい時間を過ごしたこともある。
というわけで正直よく分からない小鳥さんだが、演劇をやりたいと言っていた。意外にもそういうことが好きなんだな。俺にしか聞こえない声でしか主張できないのであれば絶対叶わない気がするけど。
と、主張も何もない俺が言ってみる。笑えるな。
「あの先生、もうホームルームの時間が過ぎています」
すると、文化祭の話題で騒がしくなった教室に風穴をあけるような、澄んでいて聞き取りやすい声が響いた。
クラスの全員が窓側の席にいるその女子生徒へ視線を向ける。
ついでに、その女子生徒の隣の席で寝ていた牛島がちょうどで目を覚まして、自分に視線が集中していると勘違いして照れているがここでは気にしないでおく。
その女子生徒の名は、昨日も話題に出た二海千夏。
黒髪ロングのセンター分けで、白いきめ細やかな肌と切れ長の目元できりっとした強さを感じるソフトマニッシュな顔つきだ。制服である紺のブレザーは全く着崩していないが、逆にそれが170弱の身長と足が長いスラっとした体つきによく似合っている。
いつ見ても、どこから見ても、誰が同じ視線の中にいようと、彼女は常に同じ美しさで常に視界の中で最も目立つ存在だ。もうすでに俺の視界には牛島なんか入っていなかった。
それは他の男子も同じようで、見惚れているように二海さんを見ていた。
が、女子だけはどこか棘のある視線を彼女に向けている。
一瞬、ピンと張りつめたような雰囲気が漂う。
「あぁすまん二海。確かに時間だな。よしっ、みんな文化祭のことはまた来週話すとして、一旦ホームルーム終わるから」
そんな雰囲気を和らげるように椎葉先生は言うと少しだけ雰囲気が軽くなった。
二海さんはホームルームが終わるや否やすぐに席を立ち、いそいそと教室を出ていった。
その後教室は再び喧騒に包まれる。
「やっぱ二海さんは強いなー」
「まぁそれがいいんだけど。目の保養だし」
そんな男たちの会話と反対に。
「マジであいつ調子乗りすぎでしょ。何様?」
「ねぇ? 別に文化祭の出し物の話してもいいでしょ。少しくらい時間がオーバーしたって」
女子たち、特にクラスの中心的な女子が口々にそんな言葉を吐いた。
正直俺は完全男子側の意見で、目の保養になるので特に二海さんに愚痴を吐くことはないが女子の中では認めたくない何かがあるのだろう。
そんなことを考えながら帰宅の準備を始める。今日は午前中にテストがあって、午後からは休みとなっている。
クラスメイトも部活に行く組とどこか遊びに行く組で分かれているようだが、どちらの組もテストが終わった達成感を表情に浮かべている。俺も昨日遅くまで勉強していたため羽を伸ばしたいところだが、今日からやりたいことがある。
賑わっている教室を背に廊下へ出ようとすると。
「おーい、信二。今日二海に告白すんの?」
そんな、教室中に響く牛島の声が届いた。
途端にクラスメイトの視線が俺に集まる。驚いているというより、次はこいつかという視線だ。
いやなんでクラス中に響く声で言うんだよ。恥ずかしいだろ。
「まだしねーよ! まだ準備できてないし。てかそんなでかい声で言うな!」
そう答えると、クラスメイト一人、確か近藤くんという名前だった、中肉中背の生徒が俺に対してまるで勇者を見るような羨望の眼差しを向けてきた。
「え、なんですか?」
「いや立山君やるね! あの二海さんに告白するなんて。頑張って!」
「……あ、はい」
近藤くんってこんなキャラなんだと思いつつ、彼のその言葉が嬉しかった。
やっぱり二海さんに告白することはすごいことなんだ。
俺は少し上機嫌になりながら廊下を出て、急ぎ足でとある場所に向かった。
そこには、三分ほどでついた。
張りつめたような静けさで覆われたその場所は、自分の身長よりも高い棚が幾重にも整列され、その棚すべてに隙間一つなく書籍が並べられていた。
「こんにちは」
入口付近の受付にいた図書委員と思われる男子生徒は落ち着いた様子で俺に笑みを見せる。
「……こんちは」
こんな場所に来ることが少ない俺にとって、アウェー感を感じてしまい声が小さくなってしまった。
やはり、うちの図書館は何度来ても感嘆とさせられる。これだけ大きくて雰囲気のいい図書館は公共の図書館にもあまりないのではないだろうか。公共の図書館にほぼ行ったことがないが、そんなことを思う。
こんなにこの図書館の雰囲気がいいのは、良くも悪くもアクセスしずらい場所に位置していることが要因だと言われている。
この図書館は、運動場や体育館から離れた学校の一番端に位置しており通常の教室がある棟から行くのにも少し時間がかかる。そのアクセスのしにくさから人が集まることも少なく、雑音の少ない雰囲気が作り出されているというわけだ。
図書館の中に進み、じっくりと辺りを見回す。
テストが終わった直後だからか、今日は特別人が少ないようだった、そのためすぐに目的の人物を見つけることができた。
その人は、入口からだと見えない目立たない場所にある二、三人用の丸テーブルの椅子に座っていた。
いつ見ても、教室で見ても図書館で見ても、やはり二海さんは常に同じ美しさで常に視界の中で最も目立つ存在だった。
特に図書館でみるとその聡明さとがくっきりと表れているように見える。女子に向ける言葉ではないかもしれないが、すごくかっこいいと思う。
前にも一度、彼女が放課後に図書館へ行っているという噂を聞きつけてこの光景を見たが色合わせないとはこのことかもしれない。
俺は、二海さんの横顔が視界に入るテーブルへ移動し、その近くの本棚から適当な本を手に取った。全く自分には似合わない『人はなぜ生きるのか』という題名の哲学書だった。
別に何の本でもいい。今日俺がここに来たのは二海さんを知るためだから。
そう、俺は今日から二海さんを観察することに決めた。彼女に告白して付き合うために。
佐々木と牛島とのふざけた罰ゲームで告白することになったが、昨日の夜に試験勉強そっちのけで考え、本気で彼女と付き合うことを目指すことを決めた。だって、あの二海さんだよ? 付き合えたらすごいでしょ。今日同じクラスの近藤くんも言っていたけど。あんな誰もが一目置く人と付き合えたら俺もすごいってみんなに思われるでしょ。
とまぁ、そんな感じで二海さんと付き合うという目標を掲げ、とりあえず彼女のことを知ることから始めようと思い、こうして彼女を観察しているわけだ。
「で、何読んでんだろ……」
彼女の読んでいる本に目を凝らしてみる。文庫本より大きいA5サイズの本を見ている。本の表紙は見えないが時折彼女がメモを取っていることから何か勉強するための本なのかもしれない。
うーん、もどかしいな。
今の長机を四つ挟んだ距離感、これ以上彼女に近づくと、俺が怪しまれてしまうため身動きがとれない。さてどうしたものか。
思い切って二海さんの方まで本を探すふりして歩いてみるか、いや彼女は図書館の端の席に座っていて、その周りも歴史系の書籍しかないため、俺みたいな人間がいくと違和感を持たれてしまうだろう。自分が見られていると思われて絶対に警戒されてしまう。
そんなことを俺が考えていると、幸いにも彼女の方から動きがあった。
読んでいた本が読み終わったのか、その本を持って立ち上がったのだ。その時ふと周りを見渡した時に俺を視界に捉えたが特段気にする様子もなく二海さんは本棚へ歩いて行った。
怪しまれなくてよかったと思うべきか、全く意識されていないと思うべきか。
絶妙な心持のまま彼女の歩く姿に見ていると彼女は『自己啓発系』と書かれた本棚付近で足を止め、持っている本を戻しまた新しい本を取り出した。大きさはさっきと同じくらいの本だ。
少し意外だった。
自己啓発系の本と言えば意識の高くて影響されやすい人が読む内容の薄い本だと思っていたが、彼女のような理知的な女性もそういうものを読むらしい。
ちなみに俺は自己啓発系の本なんて一ページも読んだことがないため、さっきのイメージはネットで見た誰かの押し売りである。
二海さんは新しく手に取った本の表紙を見ながら自分の席に戻った。
そして、俺はすぐに彼女がいた本棚に移動する。
そこには『最高の人生を生きるために』や『習慣の力』などといったザ・自己啓発と言える題名たちが思いのほか沢山並んでいた。
こういうのもうちの図書館に結構あるんだな。絶対二海さん以外の生徒読んでないだろ。あ、いや生徒会の人とかだったら読んだりするのかな。でも生徒会の人もそんなに意識高くないだろうからな。やっぱりこの辺りの本って二海さんしか読んでなさそうだな。
しかし、当然のことなのだが、驚くほどの本の量だ。この一つの本棚だけでも何冊本があるのかと思う。一冊一冊数えてみようかな。
一、二、三、四、五、六、な……あれどこまで数えたっけ?
左上から本を一冊一冊数えてみようとしたが、十に届く前にどれを数えてどれを数えていないのかわからなくなった。どんだけ数えるの向いてないんだ俺。
とまぁそんな暇なことをしてみたが、なぜこんなことをしているかというと彼女が持っていた本がどれなのか分からないからだ。
ざっくりと二海さんが本を出し入れしていたエリアはわかるがそのエリアだけでも三十冊以上の本があるし、そのエリアの本はみんな綺麗に整頓されており、さっきまで読まれていた形跡はない。これだけでも二海さんの生真面目さがわかる。普通棚に本を戻すときは雑になりそうなものだが。
あ、なんか温もりとか本に残ってたりするのかな。パン屋みたいな方式で、戻したての本がちょっと温かいみたいな。そんなありえない一縷の望みにかけて、人差し指で本の背表紙をなぞってみたがそんな温もりを感じることはできなかった。当然のことだけど。
このままだと埒が明かないので適当に一冊手に取ってみる。『できる人の思考術』という本だった。
できる人になりたいとも全く思わないし、自分の思考術を変えたいとも思っていないが、せっかくだからこの本を読んでみることに決めた。
自分の席に戻り、二海さんのように机にノートとペンを広げ本を開く。なんだかこれだけで自分がこれから何かすごいことをしようとしているんじゃないかと思ってしまう。
ふと、図書館の受付にいた男子生徒が目に入る。彼が関心しているように俺を見ているような気がした。
それに対して少しの高揚感と満足感を感じながら俺は本を読み始めた。
自分の中の何かが変わるようなそんな気がした。
〇
あれから三日が経った。この三日間、二海さんを観察し続けた分かった事は、彼女がとてもしっかりとしているということだ。
朝一や昼過ぎの眠たい授業でも常に真面目に受け、休み時間でも予習復習を欠かさない。お昼ご飯は教室とは別の場所で食べているようだが、いつも手作りの弁当を持ってきている。お昼を食べて教室に戻ってきた後は、文庫本を読むか次の授業の準備をする。
基本みんなが誰かがやるだろうと思ってサボっている日直の仕事、例えば黒板消しやチョークの入れ替え、教室の掃除などのどんな些細な仕事でもしっかりと行っている。
それだけでなく教室に飾られている花瓶の水の入れ替えも彼女が毎日行っていた。多分クラスメイトの中でもこの事実を知らない人は結構多いはずだ。
そして放課後は、例外なく図書館に行って自己啓発の本やサイエンス系の本、歴史・地理系の本など多様なジャンルの本を十八時過ぎまで読んでいる。
帰る道中でも、彼女が信号無視をすることは絶対にないし、コンビニなどに立ち寄った際の店員さんへの挨拶やお礼の対応も完璧だ。
総じて、高校二年生とは思えないほど、そして俺が元々持っていたイメージ以上にしっかりした人物であったことが分かった。
逆に言えばすべてをしっかりキチキチとこなしているため、隙が全くなく人間らしさはあまり感じない。
それでも、一クラスメイトである俺が見える範囲でこんなにしっかりしている彼女が、家でも自分を律して過ごしていることは想像に容易く、純粋にそんな彼女にリスペクトの感情を抱いた。あまり同年代に対して抱かないような感情かもしれないが、それが彼女に対する感情をもっともわかりやすく表していると思う。
だからこそ、そんな尊敬できる彼女と付き合うということは、元々俺が考えていた時よりもすごいことで、周りの人間もきっと俺のことをすごいと思うはずだ。より一層彼女と付き合いたいという気持ちが強くなっていた。
「またこいつ二海のこと見てるよ。信二、いい加減告白したらどうだ?」
今日も今日とて昼休みに読書をしている二海さんを見ていたら、そんな声が聞こえた。
二海さんとは対照的に、全くしっかりしていない代表である牛島だ。相変わらずその腹部はだらしなく垂れ下がっている。
「そうだぞ。こういうのは早くしないと」
すると長身の佐々木もそう言う。
「いやだからまだ成功する確率が低いから」
「そんな確率が低いとか高いとか話してたらいつまで経ってもできないぞ」
「そうだそうだ!」
ごもっともなことだ。
でも、やっぱり俺はこの二海さんへの思いをもっと丁寧に扱いたいと思っている。
「いやもう少し待って。だからまだ準備がさ。ほら今この本読んでるからさ」
適当な言い訳であの日図書館で手に取った自己啓発系の本を鞄から取り出す。
「これめっちゃ勉強になってさ。とりあえず最低限これを読んで自分を高めてから告白したいんだよ」
突発的に思い出したにしては、いい言い訳だったと思う。
「おーなんかすげーじゃん。こんな本読んでるのか、大人じゃん」
牛島はまじまじと本の表紙を見ながらそう言う。少し得意げな気持ちになる。
その時だった。ふと、視線を感じて二海さんに目を向けると、なんと目が合ってしまったのだ。
この三日間、図書館にいるときも教室にいるときも、一度も目が合わなかったというのに。
そんな彼女の美しい瞳に吸い込まれそうな時間はきっと一秒もなかったと思うけれど、俺にとっては一分に感じてしまうほど密度の濃い時間だった。心にじんわりと温かい何かが流れ込むようなそんな感覚があった。
「おいおい、目が合ってんじゃん」
俺と二海さんが目を合わせた瞬間を見ていた佐々木が感嘆するようにそう漏らす。
「激熱だな! これいけるな!」
そして牛島ハイテンションでそう言った。
「……いや、たまたまじゃ……」
口ではそう言うが、俺の心は浮かれていた。
だって周りに興味を示さないあの二海さんが男を、それも俺を見ていたのだ。
どうしても期待してしまうし、その浮かれた気持ちはすでに俺の制御できる範囲を超えていた。こんなに膨れ上がってしまった気持ちの止め方を俺はいまだに分からないし。これからも理解する必要がないと思っている。
「よしっ、この流れで今日告白だな」
「いけいけ!」
俺が口に出そうとしていた言葉を、佐々木から言われてしまった。
俺はぐっと二人に対して頷く。そして二人も同じように力強く頷いてくれた。
「いくよ」
今日、人生で二度目の告白をすることを決めた。
そうと決まれば後は早い。
午後の授業は全く手につかなかったが、その分完璧な告白プランを考えることができた。
プランはこうだ。
まず、放課後いつも通り図書館に行く。きっと二海さんはいつも通り勉強しているだろうから、ここで告白するわけにはいかない。迷惑にもなるだろうし。
告白するのは、彼女が帰宅するタイミング、つまり十八時過ぎごろだ。ちょうどその時間帯は、まだ部活動が終わっていない時間帯で学校内の人通りは少ない。このタイミングであれば、俺も自然に告白することができるはずだ。
「よし、じゃあ今日の授業も終わり。ちゃんと復習しておけよー」
今日最後の授業だった現代文の授業が終わった後すぐに教室を出る準備を始める。すでに二海さんの姿は教室になかったため彼女はもう図書館に向かっている。相変わらず動きが速いな。
さて俺も行かないとな。
俺は席を立ち教室を出る。少し、指が震えているのが分かった。告白すると決めてからずっと緊張している。そしてその度に二海さんと付き合えた時のことを想像することにしている。
学校で受ける周りから受ける羨望と憎悪のこもった心地よい眼差しを、想像する。きっとそれはとても気持ちがいいものなのだろうと思う。
そんな想像をするとなんだか頑張れる気がする。自分を奮い立たせて頑張ろうと思える。
するとブルっと携帯が震えた。
『教室で待ってるから告白終わったら来いよー』
それは佐々木と牛島と俺のチャットグループでのコメントだった。
まるで俺が振られる前提の言葉に聞こえるが、今の俺には鼓舞してくれているようにも感じた。
『了解』
それだけ返して俺は図書館に向かった。
いつも通り図書館は静かな雰囲気だったが、四日連続で通うと慣れてくる。
「こんにちは」
「こんにちはー」
最初はうまくできなかった挨拶も今や自分からできるようになった。
いつも通り図書館を見渡す。
俺がいつも座る、長机が並んでいる自習ゾーンにはポツポツと人がいるがみんな見覚えのある常連の人たちで各々自分の好きな本を読んでいる。このみんな自分の世界に没頭しているような、そんな雰囲気がたまらなく好きだ。
そしてその雰囲気に俺は入って、いつもの席に腰を下ろす。ちょうど、端の丸テーブルに座っている二海さんが見える席だ。今日も二海さんはかじりつくように本を読んではメモをしている。
俺もそれを真似るように机の上にいつものノートと筆入れ、そして最初に手を取ってあの日から借りている自己啓発本を置く。
さて今日は何をするか。ペラっとノートを見てみる。そこにはこの三日間で書いてきた落書きがあった。メモはほとんどない。
いや今日は、そんな余裕はないな。なんてったって今日は一世一代の告白の日。他のことなんか手につくわけがない。
そうやって、今日何度目か分からない告白のシミュレーションを始めた。
そしてそのシミュレーションが五十回を超えた時、時間が十八時を過ぎたことに気づいた。
二海さんの方を見ると、腰を上げて帰宅の準備を進めていた。
いよいよだ。ドクドクと今にも血液が漏れだしそうなほどにすごい速さで脈打っているのがわかる。この静かな図書館だったらばれてしまうんじゃないかと不安になるほど胸の音がうるさい。
「ふー」
ゆっくりと深呼吸をしてみるが、やはりこの胸の鼓動と体の震えを止めることはできなかった。
怖くて緊張していることは俺が一番分かっている。でもその分、二海さんと付き合った未来への希望にワクワクしている自分がいることも分かっている。
二海さんが席を離れたのを見て、俺も一緒に席を立つ。ふと、あの自己啓発本を鞄に入れ忘れていたことに気づく。
どこまで視野が狭くなっているんだと自分に呆れてしまうが、逆にそれは肩の力を抜かせてくれた。
「よし」
小さく決意を固めて、自己啓発本を手に持ったまま席を離れる。
ちょうど、二海さんは図書館を出ようとしているところだった。俺も足早に図書館の出口へ向かう。
図書館を出ると、いつも歩いている廊下に彼女の後姿だけがあった。
後ろから見ても、美しい黒髪は俺の目を引き付けるほどに十分魅力的だ。
「ぁっ」
二海さんの名前を呼ぼうとしたが、口が回らなかった。
手も震えている。体は熱くなっている。きっと顔も真っ赤になっている。自分が情けない外見になっていることは分かっていたが、今自分のこの気持ちを抑えることができなかった。
「二海さん!」
今度はちゃんと言えた。廊下に響く俺の声に、十メートルほど先を歩いていた彼女がゆっくりと振り返った。
その仕草すらも絵になる。ゆっくりと流れる黒髪も、透き通るような白い肌も、吸い込まれそうなその瞳もすべてが魅力的だと思った。
今日、彼女と目が合ったのは二度目。ただ今回はすぐに目をそらされることはない。彼女はじっと俺のことを見据えていた。
彼女と目が合っているというこの事実だけでも少し胸が高揚する。
俺は彼女との距離を埋めるために急ぎ足で歩を進める。
ドクドクと胸の音が大きくなる。いつもこの廊下は静かな場所なのだが、今に限っては胸の鼓動がうるさすぎて全く静かに感じない。いつも廊下から見て癒されている校庭の花壇も、青々とした木々も今は全く見る余裕がなかった。
ちょうど彼女と二メートル程度の距離になったところで足を止めた。
初めてこの距離で彼女を見たがやはり普通の女性よりもかなり身長が大きく、足も長いことがよく分かる。
この間、二海さんは表情を全く変えず、ただ黙って俺を見ているだけだ。
今、彼女は何を考えているのだろう。少しでも俺にとってポジティブなことを考えていてくれていたら嬉しい。
「あの、急に呼んでごめんなさい」
「……」
「ちょっと言いたいことがあって」
「……」
全てを見透かしているようなそんな瞳。この後どんな言葉を言われるのか、きっと彼女は分かっているのだろう。
ふーっと長く息を吐く。全然緊張は取れない。
「あの、お俺、二海さんのことが、す、好きです。付き合ってくれませんか?」
情けなく声が震えていた。それでも口に出したことは間違いない。
俺は彼女の顔を見ることができず、足元に目を落としてしまっている。
どう思っただろうか、少しは喜んでくれただろうか。付き合ってもいいと思ってくれただろうか。
彼女の無言を耐えるようにそんなことを自問してみる。
そして、一時間以上にも感じられた数刻の静寂が彼女の言葉によって破られた。
「ごめんなさい。あなたとは付き合えません」
「っ……」
心の何かが壊れたような気がした。
そして途端に最近埋まっていたはずの心の空虚さが顔を出す。より大きな穴になって。
やっぱり、そうだよな……。俺なんかじゃやっぱりダメだよな。分かってたよ、最初から。だって俺かっこよくないし、勉強ができるわけでも、何か才能があるわけでもないし。分かってたんだ、最初から。
「あ、そう。ごめんなさい、時間取って」
二海さんの顔を見ることができず、そう言って立ち去ろうとすると。
「私、あなたみたいな人嫌い」
鋭利な言葉がグサリと胸に突き刺さる。また心の穴が大きくなった。
「なんで、そんなこと言うんですか?」
思わずそう聞く。
「あ、ごめんなさい。こう言った方がもう二度と私のことストーキングしたりしないかと思って。あなた、最近私のことストーキングしていたでしょう?」
その言葉には確かに怒気が含まれていた。
「いやストーキングじゃない。ただ見てたってだけで」
「それ立派なストーキング。私が学校に報告したらあなたどうなるか分からないわよ」
「……」
この三日間の自分の行動を改めて思い返してみる。
確かに、客観的にはそう見えても仕方ないかもしれない。
「それはごめんなさい。嫌な気持ちにさせてしまったことは謝ります。あと金輪際こんなことをしないことを誓います」
「まぁいいわ。別に慣れてるし。あなたの視線は今までのストーカーに比べたらそれほど気持ち悪いものでもなかったし」
「あ、ありがとうございます」
別に褒められているわけではないが感謝の言葉を発してしまった。ちゃんと気持ち悪いと思われていたことは確かなんだけど。
「別に褒めてないわよ」
「あ、すみません」
「……で、私あなたの嫌いな所もう一つあるの」
これ以上俺をえぐらないでくれと思うが、ここから逃げ出すわけにもいかない。きっと彼女はストーキングをした俺に対してフラストレーションを貯めているのだから。俺は黙ってサンドバックになるしかない。
「あなた、別に私のこと、好きじゃないでしょう?」
水瀬さんに言われた言葉がフラッシュバックする。
『信二くんって、本当に私のこと好きなの?』
同じような言葉をまた言われてしまった。
でも、今回については明確に違うと言い切れる。
「いや本当に好きだったよ。こんなに緊張してたんだし」
「じゃあ、付き合って私と何をしたかったの?」
「……」
二海さんとやりたいこと。すぐには出てこなかった。あれ、なんで出てこないんだ?
「ほら、そんなもんなのよ、あなたの気持ちなんて」
「いや、でもこんなに二海さんのことを考えていたのに」
そうだ、この数日間ずっと二海さんのことを考えていたし、彼女と付き合った時のことまで考えていたはずだ。
「違うわよ。あなたはずっと自分のことしか考えていない。正確には、私と付き合った時に自分が周りからどう思われるか、しか考えていない。違う?」
「……」
確かに俺はずっと彼女と付き合って、周りから羨望の眼差しで見られることを想像していた。彼女と何かするのではなく。
「実は最初にあなたを図書館で見たとき、確か中間テストが終わった日だったと思うのだけど、私感心したのよ。テストが終わった直後に、私以外であの図書館に来る人がいるんだって。それも同じクラスの人が」
すで俺の胸の鼓動は収まっていた。その分、彼女の声はくっきりと聞こえる。こんなことだったらまだ鼓動が鳴ったままでよかったのに。
「でも違った。あなたはただ私に興味があるだけで、自分を高めようとかそういうモチベーションがある人じゃなかった。ほら今その手に持ってるその本、結局どれくらい読んだの? 本なんて読まず、ずっと落書きばっかりしていなかった?」
俺はずっと左手に持っていた自己啓発本に目を向ける。俺の手汗のせいで少し滲んでいた。そしてこの時に、この本の題名が『できる人の思考術』であったことを思い出した。
結局、この本は一割も読めていない。というか五ページも読んでいないと思う。やろうと思ったときはテンションが高くなって自分を変えられるようなそんな気がしていたが、すぐに飽きて結局ノートに落書きし始めてしまっていた。
「そのくせ、教室の中では本読んでますなんて言って。正直気持ち悪いと思ったわね」
確かにちょうど今日の昼に佐々木たちとそんな会話をした。あ、だからあの時目が合ったのか。そんなマイナスな感情だったのならこっちを見ないで欲しかった。あのせいで舞い上がってしまったのだから。
「その時にあなたは周りからどう思われるかばかりを気にしている人だと思ったわ。私に告白したことだって、自己啓発の本を読んでいる事だって、周りからすごいって思われたいからでしょ?」
「……」
「あなたの人生、面白くなさそうね。あなた、自分のこと好き?」
二海さんは黒い目のまま俺を見下ろす。
彼女の言っていることは至極全うなことで。完全に俺の全てを見透かしていた。情けなくて、恥ずかくして、自分でも否定したい俺の本性を。
俺は、自分のことが好きではない。だから周りのことばかり気にしてしまう。そんなこと知っている。でも、どうしても自分を好きになれないんだ。
自分の体の中から沸々と何かこみ上げてくるのを感じた。
俺はその何かを堪えるために、情けなくい言葉を口に出す。
「何が、何が悪いんだよ。周りの人からすごいと思われたくて何が悪いんだよ。自分のことが好きじゃなくて何が悪いんだよ」
結局、ポロリと涙がこぼれてしまった。ほんとに俺は弱い。男が泣くなんて本当に情けない。やっぱりこんな自分を好きになれない。
言い返してきて、泣いている俺に驚いたように眉を上げた二海さん。急に男が泣きだしたらそうなるよな。
「別に悪いとは言ってないわよ。面白くなさそうだと思っただけで」
「それは悪いってことだろ」
「だから違うわよ。面白くないと思っているのは私の個人的な意見で、別に良いも悪いもないのよ。ただ、ストーキングされてムカついてたからちょっと言い過ぎたとのは間違いないわね。それはごめんなさい」
「……」
二海さんは申し訳なさそうに頭を下げた。
そんな風に謝られると言葉に詰まる。俺はこのどこに向けていいか分からないモヤモヤとした気持ちの矛先がなくなったことで、また胸の中が、まるで虫が動いているような、そんなざわつきを感じる。
「と、とりあえず、この話はもう終わりね。じゃあ私帰るから」
彼女は珍しく戸惑った様子で口早にそう言って歩いていってしまった。
ぼーっとその後ろ姿を見る。
こんなにボコボコなことを言われても、彼女の後姿は先ほどと同じく綺麗で、やっぱりかっこいいと思った。だから彼女のことを心の底から憎めないのだろう。
「あー」
心の空虚な穴がまたできた。それも前よりも大きな穴。これを埋めるためにはどうしたらいいのだろうか。
俺は、自分で自分が好きじゃない。でもそれは仕方ないと思う。俺は、人より優れた何かを持っていない。勉強も運動も交友関係もすべて普通で、他人と比べて何も秀でたものがない。そんな状態でどうやって自分を好きになればいいんだ。
そんなことを考えながらふと思い出す。
そういえば、佐々木と牛島が教室で待っているんだった。なんだか気分があがらないが、あいつらにいじられればこの心の穴も少しは埋まるかもしれない。
俺は手に持った自己啓発本を鞄に入れてゆっくりと歩きだした。
夕焼けに赤く染まっている校庭では男子二人組がなにかダンスの練習をしている。どこからかピアノの音が聞こえる。焼きたてのパンの甘くてなめらかな、腹の虫をくすぐるような匂いがする。
放課後の学校は、五感で感じるすべてがなんだか輝いているような気がして何もない自分が空っぽに感じる。きっと彼ら各々がすごい何かを持っていてそれを楽しんで生きているのだろう。
まともな思考ができないまま、歩いていると気づけば教室の近くまで来ていた。
どのくらい時間が経ったか分からないが、間違いなくいつもよりも時間がかかった気がする。
「遼太はどう思う? 成功すると思うか? 信二の告白」
教室の目の前で扉に手をかけようとした瞬間に、そんな言葉が聞こえた。
別に盗み聞きをするつもりはなかったが、このまま入ると彼らの話の腰を折ってしまうような気がして手が止まった。
「何言ってんだよ。成功するわけないだろ」
半笑い気味の声で佐々木はそう言った。
……まぁ確かにそう思われても仕方ないよな。いや俺だって成功するなんて思ってなかったし。俺と二海さんなんてつり合いが取れてないし。そもそもあっちは元々のステータスが化け物で、勉強もできるし、顔もいいしで才能が違うんだ。それに今回はタイミングもよくなくて、まだまだ二海さんのことも知らなかったし。もっと準備とかすればまた違った結果があったと思うし。
「でも流石に、立山がお互いを知らないと、みたいなことを言った時は笑ったな」
「確かに」
「……」
「いやお前じゃ無理だろって思ったわ。なに本気になってんだよって」
「それな。信二って良くも悪くも夢見がちだよな。そのくせなんでも全然続かないんだけど」
「始めるのは得意だけど、諦めるのはもっと得意なんだよあいつ。ほら、一年の時も小説家になるとか、漫画家になるとか言ってたろ」
「あー、どっちも続けられなくてすぐに諦めたやつな」
「そうそう。で、諦めるのは仕方ないとしても、あいつ才能とか、タイミングとか色々理由付けて、俺は悪くない感じだしてくるじゃん。なんかそれ鼻につくんだよなー」
「分かるー。普通にいやお前全然やってないのに何言ってんのって思うわ」
「っっ……」
「そう考えたら、夢も向上心もなくてデブだけど素直で可愛げのある牛島はいいよな」
「それを言うんだったら、夢も向上心もなくて性格も悪いけど、最低限自分を律してる佐々木もいいだろ」
「確かに。まぁでも立山も」
それから二人の声は聞こえなくなった。
俺が教室から離れて歩き出したからだ。これ以上は聞くことができなかった。
とにかく早く逃げたかった。誰もいないところに行きたかった。
気づけば俺の歩幅は大きくなり、校舎内とは思えないスピードで駆けていた。鼓動が早くなる。息が切れる。
「こら! 廊下を走るな!」
後ろからそんな声が聞こえるが足は止まらない。
気づけば外に出ていて、学校から近い公園のベンチに腰を下ろしていた。
「はぁ、はぁ」
まだ息が上がっている。走ったのもあるけど、きっとそれだけじゃない。
「あぁ、死にたい……」
より一層自分のことが、嫌いになった。
〇
次の日は土曜日だった。
結局あの後、母さんから電話がきた二十一時まで公園でぼーっとしてしまっていた。
そして今日も、家から一歩も出ずぼーっととした時間を過ごし太陽が沈もうとしている。
少しも胸の穴は埋まっていない。時間が経てば何か変わると思ったけど、何も変わらない。なんなら徐々にその空虚な穴が広がっている感覚すらある。
『おーい、昨日はずっと待ってたぞーなんで帰っちゃったんだよ』
ちょうど佐々木からメッセージ届く。すぐに非表示にした。今はまだ、何も考えることができない。
「あー学校いきたくない。というかもう生きるのがきつい」
そう口に出してみるが、現状は何も変わらない。
この状態で月曜日を迎えたら最悪だなと思ったが、その予想は見事に的中する。
日曜日も土曜日と同じようにダラダラとすごして心の穴は埋まらず、月曜日になった。
「熱? 嘘つくんじゃないわよ。どうせちょっと調子悪いだけでしょ。学校行きなさい」
学校を休むために仮病を使ってみたが、看護師の母親に完全に見透かされていた。
やっぱ無理か。行くしかないか。
鉛のように重たく感じる足をなんとか動かして学校に向かった。
俺はいつも三十分ほど電車に揺られて学校に行っているのだが、その通学時間はいつもSNSか動画を見て過ごし周りを見ることはなかった。
ただ今日はなんとなくスマホを見るのが嫌になって電車の中をぼんやりと眺めていると、俺と同じように死にそうな顔でスーツを身にまとった大人がほとんどだった。
つらいのは俺だけじゃないのかと少し安心するが、結局自分の問題は何も解決していないため心が和らぐことも足の鉛が軽くなることはない。
一生学校の最寄り駅につかないでくれと思うが、時は無常でちゃんと時間通りに到着した。
同じ制服を着た生徒たちが一斉に電車から降り、みんな同じ道を歩いて学校に向かう。
その流れに乗って俺も同じように足を動かす。
いつもは生徒がごみごみしていて好きではないこの通学路だが、今に限っては俺の意志に関係なく、まるで波に乗っているかのように進めるためありがたい。きっと一人だったら途中で逃げ出してしまっていただろうから。
「おい立山、なんで返信しないんだよ」
「俺たち待ってたのに」
教室につくや否や佐々木と牛島に囲まれた。
「あーちょっと振られたショックで寝込んでてね。ちょっとしばらくの間、そっとしといてもらっていい?」
努めて冷静にそう言った。二人の目を見ることはできなかったけど。
「あ……そうか。悪いな」
「ぱーと飯行きたいときはおごるぜ!」
二人はそうやって俺から離れていく。その表情にはどこか申し訳なさがあった。俺が二人の会話を聞いていたことは気づいていないはずなので、きっと自分たちの適当な罰ゲームでこんなにショックを受けてしまっていることを憂いているのだろう。
別に二人ことを嫌いになったわけではない。だってあの時二人が話したことは間違いない事実で、これまでずっと俺が目を背けていて、いつかどこかで向き合わなければいけないことだったから。
まぁこんなタイミングで向き合うことになるとは思っていなかったけど。もっと準備してからが良かったけど。
だから、二人とはこれからも友人関係を続けたいが、まだそんな余裕がない。このどうすればいいか分からない空虚感を感じなくなる時が来たら、また二人と普通に話したい。
とは言っても、この感情をどうすればいいのか全く分からない。
「あー」
ゆっくりと伸びをしながら、教室を見渡してみた。
友達と談笑している人、日直の仕事をこなしている人、読書をしている人、SNS用なのかスマホに向かってダンスをしている人、各々がなんだかとても充実そうに見える。
それに比べたら俺は……。一人だけ何もいない空っぽな人間だ。他人に認められるようなものを持っていない空っぽな人間。
みんなが、うらやましい。
そんな羨望の眼差しのまま視線を動かしていると、ふとある人物と目が合う。
二海さんは今日も綺麗で、かっこよかった。黒髪ロングはいつものように艶やかで、肌もいつも通り透き通っている。
俺と目が合うと彼女は一瞬目を見開いた後に、伏し目がちに目をそらした。いつもの彼女のような凛とした表情ではなくどこかきまずそうな、そんな表情だった。
もしかして自分が振ったことを気にしているのか? 告白なんてこれまでいくらでもされているだろうに、なんでそんなことを気にしているんだ。
いやまぁ普通に俺の勘違いだろうか。そもそもそんな気にするタイプじゃなそうだし。たまたま目があっただけで、彼女が俺のことを見ていたなんてことはないはずだ。
そう結論づけ俺は再び教室内に目を移した。
そしてその結論が間違っていたことは、昼休みに判明する。
「立山くん、少しいいかしら」
母が作って切れた弁当の蓋を開けようとしていた手が止まった。教室中の視線が俺の席に集まっていた。
全員が驚きと奇異の感情をもって、その光景を見ている。
かくいう俺もその感情を抱いている。というか多分この中で一番俺がこの状況に驚いていて戸惑っている。
あの二海さんが休み時間に、俺に話しかけてきたのだから。これまで彼女がこんな風にクラスメイトへ話しかけていることはなかった。
「え、あ、はい」
「じゃあ、ちょっと」
やはり様子がおかしい。
申し訳なさそうに顔を伏しめながら彼女は教室から出た。俺はそれについていく。
廊下で歩いていても視線を感じる。それは教室の時と同様、驚きと含んだものが大半だった。
二海さんはそんな視線を全く気にしないようでツカツカと歩いて行く。俺も追いつくのがギリギリの早さだが、時折俺がついてきているかは確認しており、少し俺が遅れていたらそのペースを遅くしてくれていた。
やっぱり様子がおかしい。昨日あんなにボコボコにした相手に対してやけに優しい気がする。
いつも自信に満ちているその後ろ姿も今日はどこか迷いがあるように見える。
いや本当になんなんだ……? 俺、二海さんに呼び出されるようなことしたっけ? あれか、ストーキングのことで話が? もしくは昨日言い足りなかった罵詈雑言の数々を追加で言っておきたかったとか?
いろんな推理をしてみるが結局どれもピンとこない。
ドクドクと鳴る鼓動を抑えることができないまま歩いていると、程なくして二海さんの目的地に到着した。そこは図書館の隣にある小教室だった。大きさは通常の教室の半分ほどで多くても十人程度しか入らなさそうな広さだ。
その教室の中心には長机とパイプ椅子が三個置かれており机の上には古い本の山が四個あった。壁一面の本棚にも埃被った古書ばかりが並んでいる。
「ここ、図書館で置けなかった本を置いているところなの」
俺がジロジロ教室を物色していたからか、そんな説明をしてくれた。この教室の内容もそうだけど、なぜ二海さんがこの教室を使えているのかも気になる。
「あ、私、一応図書委員だから、この教室の出入りができるのよ。たまに昼休みに使ってるの」
まるで俺の心を読んでいるかのようにそう話す二海さん。どうやら二海さんはテレパシーが使えるらしい。
二海さんは慣れた様子でパイプ椅子を動かし、俺に座るように促してくる。されるがまま俺はゆっくりとパイプ椅子に腰を下ろした。
「突然こんなところに呼び出してしまってごめんなさい」
俺の真正面に座った二海さんはそう言って頭を下げる。
「いやそんな頭下げないでくださいよ」
俺なんか二海さんに頭下げられるような身分じゃないんだから。むしろ俺が常に頭を下げたいくらいだよ。
「金曜日のことで話があって」
やっぱりストーキングか。あ、いや罵詈雑言の続きの可能性もあるな。
「あの後色々考えて、私、あなたに言いすぎてしまったと反省しています。本当にごめんなさい」
「……え?」
「いやあの、私男の人をあんな風に泣かせてしまったの初めてで……。ストーキングされたからってムキになって、ちゃんと悪意を持ってあなたを傷つけて泣かせてしまって。あなたはきっと悪意を持ってストーキングをしていなかったのに」
「……」
「今日もあなたずっと元気なかったでしょ? もし私のせいだったら申し訳ないと思って。だから、その、謝りたくて。本当にごめんなさい」
なるほど。これはすごく恥ずかしい。俺は今すごく情けない気持ちになっている。
自分の言葉で泣かせてしまって謝るって、これ小学生の時によくみるやつじゃん。
しかも普通こういうのは男子が女子を泣かせた時だけど今回は女子が男子を泣かせたケースだからね。
それに別に二海さんは悪くないし、俺の生き方が全然ダメでメンタルも弱いのが原因だったわけで。
まぁとにかく、こんな風に二海さんから謝罪されてしまっている時点ですごく自分が情けない。俺は本当に何をやっているのだろうか。
「そんな、謝らないでください。全部俺が悪いだけですから」
「いえこの謝罪の言葉だけは受けってほしいの。私のためにも」
二階さんは、頭を下げたまま確固たる意志を持ってそう言う。
「……わかりました。受け取るだけ受け取ります」
そう言うとすぐに彼女は頭をあげ、晴れやかな顔で伸びをした。
「あーよかったぁ。この土日ずっと気になってたのよ。あースッキリした」
「え」
その変わりように一瞬頭が追いつかなかったが、すぐに状況を理解した。
あ、二海さんは自分のために謝ったんだな。自分の心のひっかりを取るために。なんか逆に恥ずかしい。なんで本気で自分に謝られているなんて勘違いしたんだろう。
それでも二海さんはすごいと思った。普通ストーキングしてきた人間に対して申し訳ないという気持ちになることはないだろうし、ましてやこんな風に謝ることなんてできない。
まぁ、俺が情けなく泣いて二海さんの良心の呵責に触れてしまったせいなのだろうけど。きっとこれまで告白してきて泣いた人なんていなかっただろうから。
「じゃあ話はこれで終わりだから。お昼中ごめんなさい」
二海さんはそう言って、胸ポケットから文庫サイズの本を取り出した。
「私はここで本読んで戻るから。先に戻っておいて」
すぐに視線を文庫本に目をむけて、数刻で集中した瞳に変わる。
「わ、わかりました」
そんな二海さんを見ながら、俺はゆっくり立ち上がって教室の入り口に足を向ける。
情けなさが俺の背中を押し付けているように体が重かった。空っぽでなにもない人間のくせになぜか体は重くなる。
空虚な気持ちが俺の心に横たわったままで、朝から、というか先週の金曜日から俺はなに一つ変わっていない。結局この気持ちをどう処理していいのか分からない。この気持ちを埋めることのできるなにかを見つければよいのだろうか。
いや、佐々木と牛島が言う通り、結局俺はいつも通り何を始めても続かない。続かないからまた空虚な気持ちが大きくなる。その度に自分の空っぽさに反比例して、死にたくなるほど心が重くなっていく。
どうしたら、俺はこの現状を変えられるんだろう。
『あなた、自分のこと好き?』
ふと、あの時の二海さんの言葉が頭をよぎった。
やっぱり自分を好きになることなんてイメージできない。こんなに情けなくて、他人と比べて秀でた何かを持っていない空っぽな自分を好きになることは今後一生できない気がする。
でももし、自分を好きになれたら、こんな気持ちになることはないんだろうか。
気づけば、入口に向かう俺の足は止まっていた。
「あの、一個だけ聞いてもいいですか?」
「……どうぞ」
二海さんの顔は見えないが、その声音から怪訝な様子であることは分かった。
「どうやったら、自分を好きになれますか?」
二海の方を向いて絞り出すように言葉を吐く。
きっと高校生の同級生に聞くようなことじゃない。というかこんなこと大人でも答えられる人は少ないと思う。でも二海さんなら何か、今の自分を変えてくれるような言葉くれるような気がした。
「……そうね……」
悩まし気な声でうなる二海さん。
「まず、あなたの好きな自分ってどんな自分なの?」
パッと出てこない。自分が好きな自分ってなんなんだろう。
「よく分からないです」
「じゃあ質問を変えるわ。あなたの尊敬する人は誰?」
自分の尊敬する人……。すぐに一人だけ思いついた。
「兄ですかね」
「お兄さんのどういうところが尊敬できるの?」
兄は俺と三つ離れている十九歳。今年で二十歳になる年だ。この辺りで一番頭の良い国立大学に在学中で、今はオーストラリアに留学している。小さい時から優秀で、勉強もスポーツもなんでもできたし友達も多かった。
俺も小学生の時に兄と同じサッカークラブに入っていていたが、優秀な兄に比べられ、それが嫌になり兄が中学生になったタイミングでサッカーをやめた。
でも兄のことを憎むことはなくてずっと憧れだった。だから尊敬するところなんて沢山ある。
「勉強できて頭のいい大学に行っているところとか、高校時代にサッカーで全国大会に行っているところとか、英語ペラペラでしゃべれるところとか、特に尊敬しているのはこの辺ですかね。細かいところだったら他にもたくさんありますけど」
「なるほどね」
二海さんは、ふーっと息を吐きながら本を閉じる。
「自分を好きになるなら、極論自分が尊敬できる人の尊敬できることをやればいいわ。あなたの場合、国立大学に行くとか、全国大会に出るとか、英語を話せるようになるとか、そういうことをすれば自分を好きになるんじゃない?」
「……」
少し落胆した。
二海さんなら何か俺を変えてくれる言葉をくれると期待していたがそんなことはなかった。
「いや無理ですよ。俺の高校偏差値五十くらいで、国立に行ける人なんて一握りで俺は小さい時から頭の出来が良くないし。スポーツでも全国大会に行けるほどで秀でた才能ないし。英語だって、そもそもバイリンガルは脳の作りが違うっていうじゃないですか? だから俺には無理だし。とにかく、兄さんみたいになるのは無理なんですよ」
思わず熱が出てしまった。そんな俺の言葉を聞いた彼女は、光のない眼で俺を見る。
「そうね。あなた、何もないものね」
そうだ、俺は何もない。
「そうです。俺には才能も運も」
「違うわよ。あなたには、自分の軸がないのよ。才能とか運とか以前に」
その声音には少しの怒気が含まれていた。
自分の軸。そんなもの考えたこともなかった。
「まぁ今これを言っても仕方ないのだけどね。とりあえず、あなたは今お兄さんみたいな結果を出すことをできないことは分かったわね?」
切り替えるように頭を振った後に二海さんはそう俺に尋ねる。
「はい、俺は兄さんみたいにはなれません」
「そう。だから、お兄さんがやった具体的な結果はあなたには今すぐに残せない。じゃあ、お兄さんの尊敬できる、もしくは好きな所を抽象的でもいいから一言で言ってみて」
兄の尊敬できる、好きなところ。
幼少期から今までの兄の背中を思い出してみる。
ずっと俺のことを気にかけてくれていた優しさも、凛として人前で喋られる度胸も、大怪我をして高校最後の大会に出られなかったのに元気で居続けた強さもどれも俺の好きな兄で尊敬できる。
でも、それらの一言で表現するなら。
「かっこいい、ところですかね」
俺の言葉を聞いた二海さんはそういう言葉を聞きたかったと言わんばかりに頷く。
「じゃああなたも、かっこよくなればいいのよ。そうすればきっと自分を好きになれるわ」
かっこよくなる、か……。国立大学に行くとか、全国大会にでるとか、英語を話せるようになるとかの具体的なことではないから、なんだかできそうな気がするが、逆に抽象的すぎて何をすればいいかよく分からない。
「ただ、かっこいいと言っても難しいわよ。見た目なのか、考え方なのか、生き方なのか、かっこいいにも種類があって人それぞれどんな自分がかっこいいかは違うから。あなたはこれから、どんなことをしている自分がかっこいいのかを見つける必要があるわ。それを見つけてその行動を起こして、自分をかっこいいと思えたら、今よりちょっとは自分のこと好きになっているんじゃない?」
二海さんはそこまで話してくれて再び本を読み始めた。ひと仕事終えたということだろう。
自分がかっこいいと思うこと、か。うん、全く分からないな。
もっと何か具体的にこれをすれば自分を好きになれるっていうアドバイスがもらえてると期待していたが、結局また自分で考えなければならない。でもきっとこれが普通で、自分でちゃんと考えないとダメなんだ。
むしろここまで話してくれたことは本当にありがたい。具体的に何をすればいいか分からないけれど、自分の指針を見つけることができた気がするから。
「二海さん、ありがとうございました。こんな雑な相談に答えてくれて」
「本当よ。あなたへの申し訳なさが少しあったからこうして答えたけれど、もう次はこんなことしないから」
彼女は小説から目を外さない。これからは少しも話を聞く気がなさそうだ。でも、最後に……。
「あの、あと一個だけ、聞いてもいいですか」
「……ここまできたらいいわよ。なに?」
「二海さんが思う、かっこいい男子ってどんな人ですか?」
「また難しい質問を……」
小声で愚痴をこぼしながらも宙を見て思案してくれている。
「顔がかっこいいとか自信があるとか、そういうの挙げればきりがないけどきっとそういう回答が欲しいというわけではないでしょ? きっと、これから自分がどうしていいか分からないから聞いていると思うから」
その通りだ。やはり彼女にはすべてお見通しだ。
とりあえず自分の考えるかっこいいが全く思いつかないから、二海さんの考えるかっこいいを実践しようと思ったのだ。
「そうね。私がかっこいいと思う人は、早起きの人ね」
「早起き?」
「そう、朝早く起きて自分のやるべきこと、例えば勉強とかってる人を見るとかっこいいなと思うわね。これで満足?」
俺が思い描いていた完璧な回答だった。
「うん。ありがとうございました」
深く頭を下げて、俺は教室から出た。
明日から、早起きをしてみようと思う。早起きした後に何をすればいいかは決めていないけど。とりあえず起きてみる。
朝早く起きた将来の自分を想像してみる。少しだけ心の穴が、小さくなった気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます