人の顔つきは顔立ちに勝る

すどう零

第1話 ひょろひょろ体形の明里は元過食症だった 

「わーい、がいこつ女がやってきた。スカルの真似をしてるんじゃないか。

 まあ、アクセサリーのなかで、スカルは十字架と並ぶ人気だものな」 

 被害妄想による幻聴だろうか?

 明里には、そんな声が耳もとで聞こえてくるのだった。


 二十五歳の明里(あかり)は栄養失調気味でひょろひょろ体形。

 スリムといった次元ではなく、骸骨の上にかろうじて皮膚が貼りついているといった状態である。

 拒食症だった時期もあったが、野菜だけは食べるように心がけていた。

 しかし、ガマンしていた食欲が爆発したように、今度は過食症になってしまった。

 さすがお菓子こそは食べなかったが、ご飯を三杯お替りするようになるほどだった。

 すると今度は、吐き気が襲ってきて、喉に指を突っ込んで吐き出すという無理な行為を繰り返すうちに、食欲に対して罪責感を抱き、低カロリーの野菜以外、口にすることを控えていた。


 この不況で明里は、アルバイトも解雇され、貧困状態になってしまった。

 面接に行っても、このひょろひょろ体形で雇ってくれるところはない。

 ふと、死が頭をよぎった。

 実は、明里は過食症のとき、腹いっぱい食べても、まだ食欲がわき続け、思わずスーパーで値引き品のパンを万引きをしそうになったことがある。

 そのとき、運よく知り合いにあったので、万引きをせずに済んだということが、唯一の救いだったのであるが。

 そのときは、過食症が原因で自殺を考えたのであったが、今度は逆に拒食症と、無職状態から自殺を考えるようになってしまった。


「私の人生、これきりにしたい。

 しかしその前に、好きなものを腹いっぱい食べよう」

 ひょろひょろ体形の明里は、今までガマンしていたカロリーの権化であるクッキーやシュークリームを腹いっぱい食べようと、夜のコンビニに出かけていった。

 そこでいかにも半グレ風の、目つきの鋭い青年と出会った。

 

 明里は、クッキー一箱とシュークリームを買い、レジで精算を済ませたあと、自ら持参のマイバックに、商品を入れようとしたときだった。

 つかつかと私服店員らしき男性が近づいてきて、にらみつけるように明里に

「レジを通してからにして下さいね」

と見当違いのことを言い出したのである。

 どうやら、万引きと間違われたらしい。

 明里は、レシートを見せようとポケットを探ったが、どうしたわけか見当たらない。一瞬のあせりと恐怖感を感じた。


 まあ、疑われるのは無理はないか。

 私は、今まで万引きを実行したことはなかったが、あと一歩手元が狂えば万引きという犯罪に至っていただろうと思うことが、何回かあった。


 実は私は、二年前まで過食症だったのだった。

 食べるのは好きで、気が付くと人の倍は食べ、肥満体型になっていた。

 特に、油ものと甘いものが大好きで、口に入れるだけで満足感を感じていた。

 気がつくと、一人前では物足らなくなってしまっていた。


 友人とファミレスに行ったときは、友人がトイレに行った間に、気がつけば友人の皿から、お箸で筑前だきを一口だけ取って、これ幸いとばかり味見をした。

 盛り付けをうまく戻したおいたつもりであるが、やはり大きく切ったれんこんが足りないのですぐ判明した。

「あのねえ、筑前だきが欲しかったら、一言言ってよ。

 一口くらいなら、あげるから。

 人のものをこっそりとるとは、泥棒の始まりだよ」

 そんなことは、言われなくてもとうにわかっている。

 でも人におごってもらうということは、相手に借りができるということである。

 借りた方はどこまでも負債者に成り下がり、反対に貸した方は債権者となり、負債者を見下ろすようになる。

 負けず嫌いの私は、そんな図式はまっぴらごめんだった。

 幸い、友人とは疎遠になった。

 ただこの事実を、口外されなかったことは、友情の証しであろう。


 こんなこともあった。

 地元でときおり行くレトロ喫茶で食べたカレーがあまりにもおいしくて、お替りしてしまった。

 スパイスが利いているわけでもなく、人参と玉ねぎとセロリの入った野菜たっぷりの素朴な味の甘口カレーであった。

 しかし、お替りするだけの代金を持ち合わせていないことは最初からわかっていた。

 担保として、時計を置いていこうとすると、マスターは

「うちは担保など取らない主義なの。

 もし傷がついたとか、汚れたなんて言われれば困るからね。

 お金がないなら、最初から言ってくれればよかったのに」

と逆にたしなめられ、思わず頭を掻いてしまった。


 思い起こせば、こんなこともあった。

 このことは、半分は私が被害者なのであるが。

 

 飲食店でバイトしていたとき、妙に馴れ馴れしい女性-さと子が入店してきた。

 本人曰く、元地下アイドルだったという。

 入店直後から、なんと店長に

「店長、このビールケース運んで」と他のバイトのいる前で言ったのだ。

「店長を使うなんて」

 呆れ顔の女性バイトは、思わずそう言った。

 するとさと子は、妙な笑顔をつくり「いいのよ。店長は私のダーリンなんだから」

 これには、みな呆れかえって開いた口がふさがらない様子だった。

 さと子は、別格ではなかろうか?という雰囲気が広がっていった。


 さと子は、店長に馴れ馴れしい態度をとることに味を占めたのだろうか?

 入店して一か月後、独身チーフに色目を使い出した。

 迷惑がる独身チーフにまとわりつき、つまらない雑談をしかけてくる。

 チーフが「しゃべりかけるな」と制しても、お構いなしである。

 なんと、チーフが更衣室で着替えをしていると、入って来て

「いいじゃん。チーフのパンツ姿なんて見慣れてるわ」

 この調子である。

 もしかして、チーフを味方につけようという算段でもあるのだろうか?


 私は二階のホール廻りをさと子と二人ですることになった。

 一階からリフトで運ばれてきた料理を、二階のホールの客に運ぶのである。

 ある日、一階の調理場からサラダが余分に運ばれてきた。

 通常、こういう場合は一階に返却するのが常識である。

 すると、信じられないことが起った。

 さと子は、そのサラダを手づかみでムシャムシャと食べ始めたのである。

 私は「やめた方がいいですよ。一階の調理場に返した方がいいですよ」

 そう言っても、さと子は何食わぬ顔で

「いいじゃん。ねえ、半分食べる?」

 もしかして、私の肥満体型から判断して、断る筈がないと思っているのだろうか?

 もちろん、私は

「結構です」とピシャリと断った。

 なんとさと子は、サラダを一人前たいらげていた。 

 開いた口が塞がらないとはこのことである。


 さと子は、味を占めたのだろうか?

 今度は、餃子が運ばれてきたとき、一皿余ってしまった。

 さと子は、手づかみでムシャムシャと餃子を食べ始めたのだ。

 もちろん私は「やめた方がいいですよ。一階に返してあげた方がいいですよ」と言うと、ニタニタと笑いながら「いいじゃん。一個食べる?」と私の目の前に、ニンニク臭のするぎょうざの皿を差し出したのである。

「結構です。もう一階も皿の数を数えてるのよ」

 そう制しても、相変わらずさと子は、無言で油のついたぎょうざを手づかみでむしゃむしゃと食べている。

 私は呆れるのを通り越して、さと子に軽い恐怖を感じた。

 さと子は、なにかとんでもないことをやらかすのではないかという良からぬ予感さえあった。


 案の定、私の予感が当たるときが訪れた。

 リフト前に運ばれてきた料理を両手で取ろうとすると、右足のつま先が急につるっとし、私はかかとごと、両足を滑らせてしまったのである。

 ぱっとうつむくと、なんと私が掃除のとき、リフト前に敷いたマットがホールに移動されていたのだった。

 料理は床に餃子とサラダを二皿、落としそうになったが、床に汁がこばれただけで、客には一滴もかかることはなかった。

 しかし、それを見ていた客からこっぴどく叱られ、頭を下げた。

 そして、今度はコックであるチーフにまで頭を下げ、料理を作り直してもらった。

 これで私は、違った立場の二人の人に頭を下げるはめになってしまったのだった。 


 しかし、誰がマットを移動させたのだろうか?

 もしかして、さと子の仕業ではなかろうか。

 予感は的中した。

 翌日、私が掃除のとき、リフト前に敷いたマットをさと子はわざわざずらし始めたのだった。

「なにか意味あること?」私は思わずさと子に尋ねると、さと子はキョトンとしたような顔つきで

「すべる?」

 床すべりするからマットを置いてあるんじゃないか。

 すべることがわかっているなら、なぜマットをずらしたりするんだ?!

 

 さと子は、相変わらず迷惑がる独身チーフに、上目遣いで話しかけている。

 まったく何を考えてるんだ?

 私はさと子に対して、怒りの表情をあらわすと、さと子は

「そんなに怒ったような言い方をしなくても。

 私のことが嫌いですか?」

 さと子は、自分のやったことをわかっているのだろうか?

 まったく、世の中は油断もスキもない。

 いくらこちらが真面目にしていても、足を引っ張った挙句、そのことにすら気づかず、ケロリとした顔をしている人がいる。

 しかし、私はこのショッキングな出来事から、過食症を制限することができた。

 以前のように、油ものを口にいれて美味しいといった感覚は消え、かえって口中がベタベタするようになっていった。

 すると、胃が小さくなっていったせいだろうか。

 徐々に、食べ物を口にいれることすらためらわれるようになっていき、それが拒食症へと走らせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


 

 

 

 

 

 


 

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