第四幕『鬼一口-speak of the devil-』

 皆さんは『鬼一口おにひとくち』と言う怪談をご存知だろうか?

 身分違いの恋から駆け落ちにまで発展した男女の話だ。

 二人は逃避行の最中に雷雨に見舞われ、通りがかりの蔵で雨宿りをする事とし、追手が来ないかと男の方が蔵の前で寝ずの番をしていた。

 暁と言った時刻、雷雲は遠ざかり天候はさながらなぎごとくなった。

 しかし男は何やら胸騒ぎを覚え、蔵の中の女の様子を見る事にした。

 戸を開けてみると、そこには女の姿は無く、衣服だけが残されていた。

 つまりは鬼一口とは、神隠しの一種。

 鬼が来て、ヒョイパクと人を喰って行くから鬼一口、人が鬼に食われて消えてしまうから神隠しなのだ。

 これから話すのは鬼一口に関する話、鬼一口に関する話なのだが、正直言って聞き手側の要望に沿えるかは分からない。

 酒の席でする様なバカ話だと思って聞いてくれるとありがたいです。


 * * * 


 人気ひとけの少ない夕方の公園を歩いていると、前方から日本刀を背負って自転車に乗ったミイラ男がやって来た。

 自転車ミイラ男は俺と目が合うと、刀に手をかけながらこう言った。

「トンカラトンと言え」

 俺は自転車ミイラ男に飛び蹴りを食らわせ、自転車ごと倒れたミイラ男にマウントポジションを取り、右手首をさかしまに折ってやった。

 ミイラ男はもだえ苦しんだが、まだ抵抗の色がある様に見えたので左手首と踵も踏み砕いて折ってやった。

 ミイラ男と言うと怪我人かも知れないが、街中で刀剣類を抜こうとしたのだから十零じゅうゼロであちらに非が有るのは火を見るより明らかだろう。

 ミイラ男が交番や裁判所に駆け込むかは、とんと分からないが。

 両手足を怪我したらしいミイラ男は動かなくなると、するすると風に吹かれた回転草の様に自然に包帯がほどけて飛んで行った。

 包帯の解けたミイラ男の中身は空洞くうどうだった。

「全く……どうして俺ばっかり訳の分からない事態に遭遇そうぐうするのかね? それともこんな物は氷山の一角で、俺はむしろ恵まれている方だと言う積もりか?」

 すると、途端に周囲が暗くなった。

 何事か思うより先に、鼻に沼の様な不思議な異臭を覚え、周囲には白い列石があり、足元にはこけむした地面が蠕動ぜんどう? だか脈動みゃくどう? しているのが分かった。

 すると突然、周囲の様子を観察している最中に地面が動き出した。

 俺は苔むした地面が何か生物だと仮定し、安全靴で思いっきりスタンピングをした。

 すると、後方から何やら小規模な鉄砲水と強風が飛んで来た。うわ、臭っ。

 滅茶苦茶に暴れる苔むした地面と、周囲一面の異臭やら何やらで分かった、ここは鬼の口の中だ。

 ならばもっとやってやろうと、俺は鬼の口腔こうくうの敏感そうな場所を安全靴でスタンピングする。

 舌や歯間に魚の小骨が刺さっただけで人間は苦しむのだ、明確な害意を持って弱い箇所を突かれたならば、針の刀でなくとも吐き出したくもなるだろう。

 俺がそう考え、この異様な場所で暴れたところ、再び小規模な鉄砲水と突風が起こって、俺は気が付くと元の街に戻っていた。

「全く、これが話に聞く鬼一口って奴か、ぞっとしない体験だ」


 俺は妙な体験と格闘をしたせいか、酷く疲れていた。こういう時は熱いシャワーを浴びるに限る。

 自宅に戻り、服を脱ぎ、浴室に入り、シャワーハンドルに手をかける。そうした瞬間、周囲が一変した。

「またかよ! 全く、いい加減にしろ!」

 俺は手に持っていたカミソリで、そこら中をで斬りにした。鬼はこれは敵わんと傷口から血を吐き、再び鬼の口から俺は解放された。

 靴を履いていなかったら食い物に出来ると思ったか? 一昨日来やがれと言う物だ。


 熱いシャワーを浴びたが、逆に疲れてしまった。

 俺が遭遇したのが同じ個体かどうかは知らないが、俺が鬼の立場だったら尻尾を巻いて逃げるか、或いは引っ込みがつかなくなって何度でもおそい掛かるかだろう。

 しかし、俺は金曜の夜は予定が無い場合は映画を観ると決めている。

 俺は家のソファーでコーラの大瓶を抱えながら映画を観る事にした。

 すると三度周囲の様子が一変した。

 いや、何かおかしい。視界に列石の様な鬼の歯が見えず、苔むした地面の様な舌も無い。

 周囲の異臭と脈動する壁と床はそうだが、明らかに別の場所へ飛ばされていた。

「ついに噛む事を諦めて、丸のみにしやがったか……」

 鬼一口がどういう理屈かは知らない。知らないが、鬼が相当頭に来るか、焦るかし、俺を絶対に食ってやろうと決め込んでいるのは明らかだった。

 今、俺は鬼の胃袋の中に居る。

「次はそう来るだろうなと、そう思っていた」

 俺は針の刀を……即ち忍び持っていたキャンディをバラき、抱えていたコーラの大瓶を逆さまにブチ撒けた。瞬間、周囲の胃壁が引き締まり、コーラとキャンディが溶け、爆発した。


 俺は目を開けると、全身コーラまみれの状態で部屋のソファーに座っていた。

 部屋がコーラ塗れでなかったのは不幸中の幸いか。

 とにもかくにも、鬼の胃袋に入って生還した人間なんて、一寸法師を除けば俺だけだろう。

 だからと言って、こんな事態は絶対に歓迎しないが。

「そう言えば鬼一口は神隠しの一種らしいが、それならば、キャンディとコーラで生還した俺は、桃やビスケットで亡者の気を引いた伊弉諾イザナギやヘラクレスに等しいのかね?」


 * * * 


 近い未来、暴れる鬼にコーラを散々かけて撃退した僧侶の話がこの地に根付いた。

 なんでコーラで鬼を退治した話が存在するのかと訝しむ人も居たが、多くの人は伝説なんて物は歪曲されて事実とは異なる物だと決めつけ、納得した。

 真相を知る人は今となっては誰も居ないが、伝説なんて物は得てしてその様な物と決まっている。

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