第10話

 コインロッカーの鍵と聞いて湖南が最初に思い付いたのは、ロッカーの中に金を入れろという指示ではないかということだった。


 だが、二秒後には湖南は自分のその考えを改める。犯人は事件に警察が関与することを認めているのだ。裏を返せばそれだけ自分の頭脳に自信があるということだ。


 そんな犯人が杜撰ずさんな犯罪計画を立てる筈がない。

 警官たちから鍵を受け取ると、湖南は改札の外にあるコインロッカーへと向かう。真理雄もスーツケースを引きながら黙ってそれについて行く。

 予想通り、鍵はぴったりと一致した。


 コインロッカーの中から出てきたのは、一枚のコピー用紙と黒いスーツケースだった。コピー用紙にはこう記されている。


『17時47分の電車に乗って東京駅へ行け。東京駅改札外の丸の内側にある多機能トイレに入り、用意したスーツケースに五千万円を移し替えろ。ただし、金を移し替える作業は天童真理雄一人で行うこと』


「……随分と用心深いな」

 湖南がポツリと呟いた。


「どういう意味です?」

 真理雄は小首を傾げて言う。


「犯人はこちらが用意したスーツケースに発信機を取り付けていることを警戒しているのでしょう。それでわざわざ自分でスーツケースを用意して、金を移し替えるよう指示を出した。用意周到な奴ですよ」


「……平気なんでしょうか?」

 真理雄が尋ねる。今にも泣き出しそうな顔だ。


「…………」


 本来なら真理雄としては、何を置いても娘の花を無事に取り戻すことが第一の筈だ。五千万円は確かに大金ではあるが、娘の命には代えられない。

 それなのに、どうして真理雄がそこまで金が犯人に渡ることを心配するのか、湖南は少々訝しむ。


「……問題ありません。万が一犯人に金を取られても、用意した紙幣のナンバーは全て控えられています。犯人が金を使ったら、すぐにどこで使われたか追うことができます。つまり、最初から我々の勝ちは決まっているも同然なんですよ」


 誘拐犯が神経をすり減らすのは、何も金の受け渡し方法だけでない。如何にして奪った金を使えるようにするかという問題もある。捜査網を掻い潜ぐり、苦労して大金を手に入れたとしても、使えなければ絵に描いた餅と変わらない。


 湖南がこれまでに相手にしてきた誘拐犯たちは、身代金を古い紙幣でバラバラの番号になるように指定したり、高価な宝石に変えるよう指示してきた者もいた。最近の誘拐事件では現金そのものではなく、株価の情報の操作を要求するような知能犯も少なくない。

 何れにしても、手に入れた金を使っても足が付かない対策をしている。


 だが、今回の犯人はそのまま現金を要求してきている。何の捻りもなく、何の工夫もなく。

 果たしてそんなことがあり得るだろうか?

 湖南はその可能性について考えてみる。


 ――あり得ない。


 ここまで周到に準備してきている犯人が、警察が紙幣のナンバーを控えていることを考えない筈がない。

 だとすると、何かこれまでの事件とは別の対策をしているのか?


 何か見落としはなかったか?

 何か。何かある筈だ。


「湖南さん」

 真理雄に名前を呼ばれて、湖南は我に返る。


「どうしました?」


「いえ、私も素人なりに考えてみたんです。もし湖南さんの言う通り、犯人がマジシャンだとすると、その動機は何か? とね。勿論五千万という身代金も欲しいでしょうが、それ以上にこの誘拐事件そのものが目的なのではないかと考えたのです」


「……と言うと?」


「この事件は犯人にとって、一種のショーのようなものだとは考えられませんか? 観客は私や湖南さん、警察関係者たち。そして事件が終わればマスコミが一斉に報道することで、観客は全世界にまで膨れ上がる」


「……それが動機になるんですか?」

 湖南は首を捻る。犯罪を犯して悪目立ちがしたいだけなら、手間のかかる誘拐事件など起こさなくてもいい。


「なるでしょう。マジシャンというのは元々人を驚かせることが好きな人種なんですから。かく言う私もそれでマジシャンを志したのです。ステージの上でショーを演じる快感は、一度味わえば病みつきになりますよ」


「…………」


 湖南は自分がステージに上がる場面を少し想像してみる。

 探偵で言えば、関係者を集めて推理を語るときのあの高揚感に似ているかもしれない。


「警察を出し抜いて、不可能な状況の中で見事に身代金を手に入れれば、人々は犯人に喝采を叫ぶのではありませんか?」


「まさか」

 湖南は鼻で笑う。

 世論が犯罪者の味方をすることなどあり得ない。


「無論、誘拐は犯罪です。ですから表立って犯人に賞賛の言葉を贈るような人はいないでしょう。しかし、中には犯人に憧れのような感情を抱く者が現れないとも言い切れないでしょう? そうなれば、模倣犯のような犯罪が増えることは想像に難くありません」


「…………」


 湖南には真理雄の言わんとしていることがわからない。


「……天童さん、あなたは一体?」


「私は犯人の思い通りにことを運ばせたくないだけです。当然、娘を助けることが第一優先であることに変わりはありませんが、私は犯人にみすみす利用されてやるつもりもない。必ず尻尾を掴んでやりますよ」


「…………」


 湖南は天童真理雄という人物に、少なからず興味を持った。

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