第4話   序章 『禁断の森』 その4

 

 その時、シュラの目の先に突然、幾つもの篝火で昼間のように明るい光景が広がった。

 大きな砂岩に囲まれた祠のある場所・・。燃える炎で辺りの様子が浮かび上がっている。

 そこには体中に赤い泥を塗り、腰布を身に着けているだけの男達の姿があった。その裸身が篝火に照り映え、辺りの色合いと同化している。


 マイヤと連れの男は共に祠の陰に消えた。

 

 が、暫くして再び現れた妻の姿にシュラは思わず息を呑んだ。

 美しい胸を露わにし、腰の辺りに捲いた薄物からはその下の肌が透けている。

 そのまま・・円座を組んで座る男達の中央に進むと、その唱和の声に合わせてゆっくりと腰をくねらせて踊り始めた。

 篝火に照らされたその姿は異様に妖しく、見慣れたはずの妻の身体がドキドキするほど艶めかしい・・。



 翌朝、目覚めたシュラは、いつものように自室で寝ている事に驚いた。

 隣を見ると、安らかな寝息を立てて眠る妻の姿があった。


(・・夢をみていたのか・・?・・いや、確かに・・でも、どうやって戻って来たんだ・・)



「陛下・・陛下、今の報告をお聞きで・・」

「え・・ああ、すまん・・。少し休む、邪魔しないでくれ・・」


 その日一日中、ボンヤリとしていたシュラは、そう言うと執務室の奥の部屋に下がった。


「お呼びで・・」

 

 部屋の隅の陰が次第に濃くなり・・男の姿に変わった。


「森の様子を・・見て来てくれ・・」


 ・・陰が次第に消え、男の姿も消えた。



 「今宵もまた、早々に酩酊気味のごようす・・」


 満月が巡ったその夜、欠伸を始めたシュラに、マイヤがそう言いながら杯に満たしたいつもの酒を勧めた。


「あっ・・!」


「ま、また、おまえなの・・」

 酒瓶を取り落とした粗忽な女官に、皆、呆れて言った。

「も、申しわけございません、陛下。もうこの者を侍らすのはお止めになられましょうか・・」

 女官長が恐縮して言った。

「かまわぬ・・面白い座興だ」

 吹き出したいのを堪えてシュラが言った。



 その夜半近く、シュラは再びマイヤを追って森へと踏み込んだ。

 時折、月に吠える獣の遠吠えが聞こえる。

 ・・陰の男の報告では、日中、森には人影もなく、儀式の痕跡も残されてはいなかったという。

 しかし燃える篝火に映し出された砂岩の岩場では、頭上からの月光を浴びて、その夜も薄物を腰に巻いただけの妃が半裸の男達に囲まれて舞っていた。

 中央には水を張った大きな平壺が置かれ、マイヤは踊りながら艶めかしい所作でその平壺の上を何度も跨いでいる。


 その様子を気づかれぬように近くの岩場の上から眺めていたシュラは、ふと怪訝に思い、平壺の水を注視した。

 その水面に頭上の月、シュメリアの主神がその姿を映している・・。


 突然、儀式の意味が明らかになった・・!


 我らが守護なる神の姿を、誰あろうシュメリアの王妃である我が妻が・・冒涜しているのだ!


 衝撃で震えさえ覚えたシュラが、思わず飛び出そうとしたその時、首の辺りに何かを感じたかと思うと・・気を失っていた・・。



 翌日、シュラは執務を中断して、奥の部屋で寝転んでいた。


「お呼びで・・」

 部屋の隅の暗がりに男の姿が現れた。日中だと云うのに、まるで気配を消している。

「あれは、おまえか・・」

 男はそれには答えず、まず両手で両目を覆い、次に両耳を塞ぎ、そして両手を重ねて口を覆った。

「そうか。しかし、おまえにしては出過ぎたマネともいえるな。これまでそんな事はなかったろう」

「・・・」

「いや、私が気づかなかっただけなのか・・」


 王宮では代々、継承者の男児が無事に育つため、その誕生の時から〝子守〟と呼ばれる者が片時も離れることなく見守っていた。

 しかし子守は、王子が即位するまでその身分を晒すことは決してない。


 影の男もまたシュラが即位した晩に、その御前に密かに姿を現した。

 その時、シュラは男に、どこかで会った事はないかと尋ねた。

 ・・宮殿内で見掛けた記憶はないが、全く初めてとも思えない。


 それに対して男は無言のまま、両手で見る事も、聞く事も、話す事もないと云った仕草をするだけだった。

 が、勿論、男はシュラの幼い頃から見守り、全てを見、聞いてきた。だがそれを口外することは決してない。

 そして以後、シュラの命を受けて動く立場となった男の自由意志は最小限に限られている。

 

 その男が、昨夜、思わず飛び出そうとしたシュラを気絶させ連れ帰っていた。

 そんな男への指令に長い説明はいらない。男はシュラの命を受けると、直ぐに姿を消した。



「陛下・・なかなか新しいネタが思いつきません」

「よい・・」

 そう言ってシュラは笑った。

 執務を抜け出して、ノマを奥の小部屋に連れ込んでいた。

「毎回、おまえの粗忽ぶりが楽しみだ」

「へ、陛下のおためなら・・」


 ノマは王にメロメロだった。

 宮廷に仕える女達は皆、若くて魅力的な王から、もしお声が掛かったらと密かに願っていた。

 しかしいまだに奥方にぞっこんらしい一途な王が、これまた何とまだ下働きにも近い女官の自分を・・と、ノマは何やら興奮が止まらない。


 ノマは元々、まだ産着のまま裕福な家の前に置き去りにされていた捨て子だった。その包んでいる珍しい粗布から、都にやって来た異国の者が置いて行ったのではないかと思われた。

 そして流産したばかりの屋敷の奥方が引き取って、慈しみ育てた。

 実際ノマは、その心優しい奥方の心の慰めになった。しかしその奥方もノマが十二才の時に身罷り、元々何の身寄りもないノマは宮廷に女官見習いに出された。

 以来、女官として勤めているが、いまいちその適正はどうなのかと云った感は否めない。

 そのわりに、王の目に留まったりと・・美女ぞろいの女官達の中では決して美人とは言えないが、妙な魅力はある少女だった。


 そんなノマをシュラは愛玩動物のように傍らに置いては、物思わしげな空っぽの眼差しで高い天井の空間を見詰めていた。



 衝撃的な満月の夜から更に二度ほど月が満ちた頃、男が再び部屋の隅にその影のような姿を現した。


「・・どうだったのだ・・」

「カダルの一族は、マイヤ様のご親族に間違いはありませんでした・・しかし・・」

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