『月の迷宮』(第1巻)「禁断の塔の戦いへの叙事詩」より

nico

第1話   序章 『禁断の森』 その1

 

 古のシュメリア・・『月の王朝』には、何代にも渡って世継ぎの男児の誕生は極めて少なく、そのため王妃や側室の懐妊の報が聞かれるたびに、それを巡っての様々な声が喧しかった。

  

 そんな中、待望の御子として生まれたシュラは、その誕生の瞬間から王位継承者として特別に養育され、普段は王女達との交流も殆どなかった。

 しかし年に数回、王室主催の遠出や園遊会が開かれていた。



 その日、九才になったばかりのシュラは、大勢の姉妹や従姉妹達と共に、王都メリスの西に広がる御用地の森の広場にやって来ていた。

 ・・そのうち、彼を鬼にしてかくれんぼを始めた王女達は、散りじりになると、辺りの木々や切り株の陰に隠れた。


「姫さま方ァ・・絶対、森の奥に行ってはなりませんよ・・!」

 従者達の声が響いた。

 

 御用地の奥は『禁断の森』と呼ばれる領域で、決して足を踏み入れてはいけない場所として皆、幼い頃からきつく言われていた。


「姉上、みつけたよ・・!」

 年長の王女達は大抵すぐ見つかる場所にいる。


 「みつけ・・!」

 年下の王女達は本気で隠れはしたものの、なかなか見つけてもらえないとやや心細くなってしまうのか、自分から姿を現す。


「あとは、ほかに・・」

 指折り数える。

 ところが一人、木々の間を衣の端をチラつかせて森の奥へ奥へと移動して行く姿がある。


「ふふ・・こっちよ」

 

 このかくれんぼは半分鬼ごっこで、ちゃんと相手を捕まえなくてはいけない。

 しかし、従者達の警告も意に介すことなく、姿を隠したり現したりしながら楽しそうに奥へと踏み込んで行く相手に、シュラもそんな事など忘れて追って行った。


(よ~し・・つかまえてやるぞ・・!)


 女ばっかりの中に、そんな豪胆なヤツがいるとは思ってもいなかった。

 頭からヴェールを被っているため、誰かまだ分からない。

 そうこうしている内に、いつの間にか、かなり森の奥へと分け入っていた。


「ふふ・・」

 

 その時近くで笑い声が聞こえた。

 赤みの掛かった色合いのヴェールが見え、サッと手を伸ばしたシュラは・・。


「つかまえた!」


 そう言って、一歩踏み出した途端、そのまま草むらで判らなかった沢からその下の深い谷に転げ落ちていた。


 まだ子供で身軽だったことが幸いしてか、大した怪我もせず擦り傷だけで助かった。

 しかし元の小道に戻ろうとして、何度沢を上っても、積る葉で擦り落ちてしまう。

 仕方なく登り道を捜して、渓谷の岩場に沿って歩き出したその足が止まった。

 その先で、大きな犬が水を飲んで・・いや、犬じゃない。

 その見事な銀色の獣の口から鋭い牙が覗いた。


 振り向いた獣は、シュラをジッと見た。

 それからゆったりと歩いて・・近づいて来ると思いきや、近くの沢をゆっくりと上り始めた。

 草むらに隠れて獣道があるのか、まるでついて来いというようなその様子に、シュラは跡を追って上った。


 やがて・・上の道に戻ると、獣の姿はどこかに消え、そこに銀色の獣の毛皮を羽織った猟師の男が立っていた。

 シュラは一瞬、獣が姿を変えたのかと思ったくらいだ。


「皆のところに戻ろう」


 男のその言葉にシュラはさほど驚いた様子も見せず、その後に着いて歩き出した。


(あの狼は・・どこに行ったのかな・・)

 そう思ったが尋ねることはしなかった。


 男は途中でシュラを先に立たせ、道順を教えながら導いた。



「シュラさまア・・!」

「殿下ァ・・どこにおられますかァ・・!」


 必死に叫ぶ供の者達の声が辺りに聞こえて来た。

 礼を言うつもりで振り返ると、そこには既に男の姿はなかった。


「あ・・シュラさま・・!」

「殿下・・!」


 広場では大騒ぎになっていた。王位継承者が行方不明になってしまったのだ。

 監督不行き届きで打ち首覚悟の者達が、皆、やっきになっていた。


「女子がいくらおってもどうしようもないのだ・・!まったく役立たずが!!」

 

 王女達も皆、父王の怒りにしょげ返っていた。

 そこに無事、シュラが姿を現したのだ。一同、喜びと共にホッとして胸を撫で下ろした。


 シュラは、赤いヴェールが一体どの王女だったのか尋ねた。

 が、皆、困惑の様子を見せるだけで、あの豪胆さを感じさせる相手も見いだせない。

 まだ手に持っていたヴェールを見せたが、良く見るとそれは長い間野外に晒されていたものらしく、王女達が被るようなものでもなかった。


 

 それ以後、御用地の森での園遊会は二度と行われなくなり、更には森に近づく事すら禁じられてしまった。

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