第35話 監査面談

 桐明は、昼夜を問わず研究に没頭した。


 ユニオンセル生物学研究所に勤め始めた頃は、妻と娘を亡くした衝撃で心が動かず、死んだ様に研究をしていた。時の流れなど気にせず、淡々とやっている感じだった。


 だが、今は一分一秒でも惜しく、寝る間も惜しんで研究をしていた。細胞の研究は、不規則な生活になりがちだ。細胞の分裂周期に合わせて、顕微鏡観察やサンプル採取をする必要があるためだ。夜中に起きないといけないこともよくある。


 令美と栄美の細胞は、『魔女細胞』と同じ。そう仮説を立てた。


 だが、遺伝子が同じで細胞も同じでも、令美と栄美は外見の印象がずいぶんと違っていた。発現する遺伝子が違うのは明白だった。おそらく歳を取るスピードが早いのも何かの遺伝子の発現によるところだろう。それを抑制できれば……。


 『魔女』がどんなものがわからない。だが、研究所内で見聞きしたことを統合すると、不老不死であり、おそらく女性であるだろう想像する。そして、特別な異能も持っていると思われる。



「今回のロットは、No.13のみが残ったか」

「前回は全滅だったのですから、大きな前進でしょう」

複製体クローンでも、遺伝子の発現がこうも安定しないのは何故だ。今回のロットもバラバラだった」

「No.13は不死性が一応認められたとはいえ、老化は進行中。異能は強力です。万が一、暴れ出したら大変なことになる」


 桐明は、研究所内の情報も聞き耳を立てて収集した。重要そうな会議の末席にも座るようになった。会議の前後の雑談には、桐明の知らないことが溢れていた。令美と栄美を救うヒントを求めていた。



 スタッフの紙束栞は、日々手伝いを的確にしてくれている。桐明は、彼女に助けられていた。研究の速度は独りで取り組むよりも速くなった。


 ただ、変なクセがあった。彼女はよくメモを取るのだが、書き終わると丸めてゴミ箱へ捨ててしまうのだ。桐明はその点を疑問に思い、聞いてみたことがあった。


「あははっ……ちょっと変かもしれないですよね。私、頭の中にあることを、メモに書き出して整理して覚えるので」


 頭をかきながら照れたように言っていた。


 紙束栞について、しっかりと仕草は思い出せるのに顔はなかなか思い出せないのは、相変わらず不思議だった。



 時は無常にも過ぎていく。満月の真夜中に行われる双子との秘密の逢瀬は六回を数えた。


 *


「この研究チームを対象に、監査が行われることになった」


 研究チームリーダーが会議の中で唐突に告げた。


「監査とは?」メンバーの誰かが声をあげた。


「研究所が定めた品質ルールにしたがって、研究の実験や記録が行われているか。データの改ざんや虚偽の報告などの不正がないか。それを調べられる。だが、普段から真摯に研究に取り組んでいる君たちなら、問題はないはずだ」


 チームリーダーは、自信に満ちた顔で言った。


 それを聞いた桐明は平静を装うのに必死だった。クリスタルと一緒に行なった双子の偽装はもう半年以上も前だ。バレるはずがないと信じていた。


 チームリーダーは、監査人から面談を要求されたら、素直に応じるようにと付け加えた。抜き打ちで、現場ヒアリングをし、問題点がないかを確認するためだという。



「桐明さん、ちょっと良いでしょうか? 今お時間を取っていただくことは可能ですか?」


 研究室のデスクに戻ってきたタイミングで、見ず知らずの男に声をかけられた。髪を七三に綺麗に分けている三十代後半くらいだった。スーツもシャツも綺麗で、ネクタイをつけている。実直な印象だった。 


「すこしだけ待っていただけますか? 実験結果を、軽くまとめておきたいのです」


 桐明の言葉を、その男は受け入れて少し離れたところで待っていた。


「監査の件は、ご存知かと思います。お忙しいところ大変恐縮ですが、いくつかお尋ねしたいことがございます。他の方にもお伺いしていることですので、気楽にお答えいただければと思います」


 そう言って、男は会議室へと案内していく。桐明はついていった。


 監査の面談を断れば、研究所内の心証が悪くなるのは必至だ。あいつは不正をしているのではと思われては、居場所がなくなる。選択肢は、ここでもなかった。



「お時間を取っていただき、ありがとうございます。私は監査法人『螺旋らせんの囚人』の、検見崎士郎けんみさきしろうと申します」


 会議室で向かい合って座っている男は、名刺をテーブルに置きながら言った。桐明は、その名刺を受け取る。


「『螺旋の囚人』なんて変な法人名ですよね。生物研究の分野での監査法人ということで、創業者がDNAの二重螺旋構造にじゅうらせんこうぞうからつけたそうなのです」


 検見崎は、弁解するように語った。


「なるほど。なんだか、利己的遺伝子りこてきいでんしの概念を想起させますね」


「おお、さすが桐明さん。鋭い」


 そう言って、検見崎は明るい顔になった。


 利己的遺伝子というのは、生物の個体を車に、遺伝子を運転手と考えるようなものだ。遺伝子は、生殖などを経て親から子へと、車を乗り換えるように保存され進んでいく。遺伝子という運転手を乗せる生物の個体は、さながら奴隷や囚人のように自由がないように行動を制御されるという概念だ。遺伝子を残すための生物的な行動を取らされるのだ。


 どんなに崇高な科学者でも、魅力的な異性を前にしたら目を奪われる。飢えていたら、生存のために理性をなくして食べ物を奪い合う。桐明は、そんな風に利己的遺伝子の影響を理解していた。遺伝子を遺すため、本能によって行動させられるということだ。


「では、さっそく面談をさせていただいても、よろしいでしょうか?」


「ええ、どうぞ」


 そう柔らかく応えた桐明だったが、検見崎の鋭い視線を感じ、身体がこわばったのを自覚する。


「実験体No.11、No.12。……ふむ」


 検見崎は、独り言のように言った。桐明はドキッとする。


手繰令美たぐるれみ


 少し時間をおいて発した言葉にも、桐明は緊張する。何だ? なぜ、その名前が今出てくる?


手繰栄美たぐるえみ


 もう一人の双子の名前を告げられた。桐明の額には、じんわりと汗が滲む。


「ノーブル・ギャンブル」


 さらに研究所では聞くことがない、あり得ない単語が検見崎の口から飛び出した。桐明の脈が激しくなる。


 その後、検見崎は黙っていた。沈黙した時間が流れる。検見崎は、二人の間のテーブルを凝視している。


「検見崎さん、どうしたのですか? 私はてっきりいろいろと質問されると思っていたのですが……」


 桐明は感じる。クリスタルと会った時と同じ感覚だ。直感のサイレンが頭の中で大音量で鳴っている。呼吸が浅く感じ、手も額にも汗が滲んでいる。


「ああ、これは失礼しました。少々不思議に思われるかもしれませんが、これが私のやり方でして……」


 桐明は、検見崎の冷たい視線を受け取り、思わず目を逸らした。


 再び沈黙が流れた。監査人から質問されない以上、桐明も言葉が出しづらい。


「……大丈夫です。やはり面談はやめておきましょう。他の方にお尋ねしたいと思います」


 そう言って、検見崎は会議室のドアを開けて、退室を促した。桐明は一刻も早く、検見崎から離れたい衝動に駆られていた。


 得体の知れない検見崎から離れると、桐明は冷静になっていく。


 …………異能者。


 解放されて、そんな単語が浮かび上がった。何かの異能だったのでは? 否定できない感触があった。

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