第32話 研究所

「何で勝手に、依頼を受けようとするんだ?」


 レインは、快諾の意思を示したシャインに問いかける。


「私とレインさんは、ちょうど良いコンビなんです」


 シャインは、衣折いおりに向かってヘンテコなことを言った。衣折は、その意味がわからず返事に困り、なんとも言えない顔をしている。


「……そこは、最高や最強のバディなんです。だろ?」


 レインは即、訂正した。負けず嫌いの性格。


「そうですよね? そうなんですよ!」


 シャインは即、同意した。そして、衣折に顔を向けて続ける。


「だから、四家のひとつ風社かぜやしろ家が何を考えていようと、依頼内容が困難であろうと、私たちには関係ないんです。『魔女』に会える最短ルートを進むんです。誰にも邪魔なんかさせるもんですか」


 シャインは、すこし息を荒くして説いた。

 レインは、息巻くシャインの横顔を見る。そして、嬉しそうに、静かにうなずいた。


「紙透さん、あらためてご依頼をお受けいたします。より詳しい情報を教えてくれませんか?」


 レインのその言葉を聴き、シャインは満足そうに微笑んだ。


 *


 時は、随分とさかのぼる。

 

 深まった夜。ここは、ユニオンセル生物学研究所のある一室だ。研究室である。


 白衣を着た桐明育久きりあけいくひさは、インスタントコーヒーの粉を入れたマグカップに、電気ポットのお湯を注ぐ。マグカップを口元に近づけ、冷ます様に息を吹くとメガネのレンズが一瞬曇った。一口すする。


 自分のデスクに腰掛けると引き出しから、写真立てを取り出した。研究室には、今一人しかいない。桐明のデスク付近だけ明かりが灯っている。


 その写真には、幼い娘を抱いている妻が写っていた。妻は笑顔で、娘はカメラではなく妻の顔を見つめている。桐明は、夜に独りになるとこの写真を見るのが日課になっていた。写真を見るたびに、胸が張り裂けそうな思いがわいてくる。


 もう五年も前のことだ。


 ある平日、妻が幼い娘を後方座席のチャイルドシートに乗せて、車を運転していた。大きな通りの交差点の最前列で停車していたところに、飲酒居眠り運転のトラックに追突されたのだった。その勢いで、交差点に押し出された妻の車は、右からきた別の車と衝突。


 桐明は、事故の知らせを受け、職場を飛び出して駆けつけた。


 妻も娘も、帰らぬ人となった。


 二人の遺体は、人の形を留めてはいなかった。桐明の人生はたった一日でどん底に落ちたのだった。


 失意の中、悪魔のような誘惑をもって手を差し伸べてくれたのは、ユニオンセル生物学研究所だ。


──ご家族を生き返らせ、取り戻す。私たちの研究を手伝っていただければ、それも可能となるでしょう。お力添えいただけないでしょうか。


 桐明育久は、専門の細胞生物学ではそこその名の知れた実績を上げていた。それで以前、世界的なバイオテクノロジーの外資企業の日本支社に研究者として勤めていたのだった。


 だが、家族を失った彼に、会社は冷たかった。研究成果が出ていないことを理由に、解雇されたのだ。実際は、うだつの上がらない上司に研究成果を横取りされていた。


 家族を失い、仕事も失った。生きている意味がなかった。


 そして、ユニオンセルから妻と娘を生き返らせるなんて言われたが、到底信じてはいなかった。生物学を専門としてきたのだ。それがあり得ないことだと、一般人よりも理解していた。生きていくために仕事が必要だったから、ユニオンセル生物学研究所の研究員になった。


 独りになっても、まだ生きていたいのか? 自問しない日はなかった。


 やがて、その想いはある出会いによって変容していく。


 *


「こちらの銀髪の子が実験体No.11。そして、黒髪の子がNo.12だ。君には研究の傍ら、彼女たちの教育係になってもらいたい。教員免許も持ってるし、学生時代に家庭教師のアルバイトをされていた経験を活かして欲しい」


 ユニオンセル生物学研究所の研究チームのリーダー、つまり上司から桐明は言われた。


 桐明に託されたのは、小学校低学年くらいの少女二人だった。顔もそっくりな双子のような容姿で背の高さも同じ。ただ、明確な違いがあった。白と黒だ。


 銀髪の子は肌も白かった。アルビノ。生まれながらにしてメラニン色素の合成ができない身体だ。故に、銀髪で白い肌なのだ。目の色は澄んだ青。陽の光に長くあたると、軽い火傷をしてしまう。


 それに対して、黒髪の子は、色白だが銀髪の子ほどではなく、吸い込まれるような黒い瞳をしていた。白い子よりも神秘的な何かを纏っているようだった。


「二人の名前を教えてください」


 実験体と言われたが、教育係を任された以上、接する手段として必要だった。上司は、研究データをタブレット端末で見ながら、答えた。


「白いNo.11が手繰令美たぐるれみ。黒いNo.12が手繰栄美たぐるえみと名付けられている。だが、No.で呼ぶ方が楽だろう」


 桐明はNo.で呼びたいとは思わなかった。亡くなった娘が生きていたら、同じくらいの歳だったからだ。


 彼女らは、研究所の外へ出ることを禁止されていた。


 桐明など研究所の職員も研究データの持ち出しを懸念されており、外出は申請制だった。出入りに、IDカード提示、荷物検査、身体検査がされる。だが、死んだように生きている桐明にとっては、問題なかった。


 研究所内という狭い世界で細胞の研究をして、季節を感じない生活が良かったのだ。時が止まっている様で安心だった。季節の移ろいを目にしたら、時の変化を感じ、亡くなった妻と娘から離れていくように感じるからだ。


 双子の白と黒の少女たちは、成長が早かった。半年に一歳くらい年齢を重ねるようだった。意図的に成長を早める仕掛けを、産み出す時に施したとのこと。成長の早い彼女たちに教育を施すのは思った以上に大変だった。


 彼女らの成長の過程は、様々な実験を通して、記録された。


「桐明くん、もし彼女らが『異能』と呼ばれる特殊な能力を発現するようになったら、教えてくれ」


 『異能』とは何かと聞いたら、超能力や魔法のような力だと言われた。


 ユニオンセル生物学研究所は、一体何の研究をしているのか。


 桐明に与えられた研究テーマは、『魔女細胞』と呼ばれる特殊な細胞を扱うものだった。細胞培養の研究だ。どのような刺激を与えれば、細胞は分裂をやめ、大人しくなるのか。細胞が老化するのかというのがテーマだった。


 研究対象の『魔女細胞』は特殊だった。何をしても細胞が老化を示すことはなく、正常に分裂を行う元気な細胞のままだったのだ。通常の細胞であれば、分裂を繰り返していくとハリがなくなり、分裂する間隔も長くなるのにだ。それでいて、ガン細胞のように無制限に増えていくわけでもなかった。


「……先生はいつも研究所の中にいるけど、外に興味はないの?」


 黒髪の手繰栄美たぐるえみが桐明に聞いてきた。


「君たちの教育と自分の研究さえできれば、十分さ」


 桐明は嘘をついた。

 妻と娘がいなくなった世界がどうなっていようと、知ったことではなかった。知りたくもなかったのだ。知ることが恐ろしかった。時が止まっていてほしかった。


 だが、目の前の双子は、どんどん成長している。それは、失った娘を見ているようでもあった。嬉しくもあり、悲しくもあった。



 ある時、白と黒の双子が研究所内で行方不明になった。所内の方々を探したが、見つからず。桐明はとても不安になった。そして、自分が彼女らに抱いている気持ちに気づいた。


 だが、夜には何食わぬ顔で、桐明の前に二人は現れた。


「先生にだけ、教えてあげる」


 すっかり女子高生くらいの容姿になった二人は、ホッとしていた桐明に言った。


「遠くの景色を視ることができるの。そして、そこに行きたいと思うと一瞬でそこに着くの。栄美の手を繋いでいれば、一緒にね」


 銀髪で青い目をした令美は、嬉しそうに言った。


「私も特別なことができるんだよ」


 黒髪で黒目の栄美も言った。


「まさか、研究所にいなかったのは……」


「うん。二人で外に遊びに行ってたんだ。先生、内緒にしておいて」


 そう双子は嬉しそうに言った。その後、二人は外で体験してきたことを桐明に話したのだった。


 『瞬間移動』の異能。桐明は異能に目覚めた令美たちのことを報告できなかった。いつの間にか、彼女たちを自分の娘のように感じていたからだった。


 研究対象とされている白と黒の双子が、自由に研究所の外へと出られる。そんなことが露呈したら、研究所の秘密を外に漏らせる存在として処分される。あくまで実験体として扱われているのをうすうすと感じていた。だから、その可能性が高いと感じたのだ。


 やがて、白と黒の双子は、桐明による半日程度の授業の時に異能を使って研究所の外へ行くようになった。勉強の成果はきちんと残した上でだ。双子は頭が良いことは明白だった。そして、外への好奇心を抑えられなくなっていることも。


「先生。私たちと一緒に外へ行こう。もうここにはいたくないんだ」


 白と黒の双子は、桐明を誘った。

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