魑ヶ峰男爵と化猫櫻
武江成緒
第1話
春の彼岸も十日ほど過ぎ、空気もすっかり和らいで。
毎年、
徳川時代は先祖代々の所領の一部であったという華瓶山。
県庁のあるU市からは歩いて五時間ほどの場所にうずくまる山の周囲はいまだに
大きな
あたり一帯、閑散として、その姿に目を向ける人はおらず。
わずかな通りがかりの者も、男爵を見かけるや、忌まわしいものを避けるかのように目をそらしました。
―――
とおおきく書かれた立て札を、昨年とおなじように邪魔とばかりに蹴とばして。
暗い山道を、えっちら、おっちら、一時間かけてのぼった先に、ぱぁっと開けた空き地のさなか、色もあざやかに
見上げんばかりにそびえたち、頭上一面を
櫻というより、数百年の歳をへた
大地のすべてを踏みつぶさんと身がまえる黒い魔神の姿をすら、彷彿とさせるものでした。
美しくも恐ろしい、そんな巨体の前にたち、魑ヶ峰男爵は汗をぬぐい。
――― おうおう。今年もまた見事に、
すえて膨れた
まるで秘蔵の盆栽でも
――― これだけ見事に咲いておれば、さぞかしようく
――― 枝にはなやぐ
その言葉に、巨木の足元からはびこった根へと目を転じてみるなら。
やはり黒く節くれだった、太い、細い、数えきれぬ根っこたちは。
枝からこぼれた花びらたちで紅くうずまった地面のなかを、長蟲のごとく這いずりまわり、蚯蚓のように土にもぐり。
その姿は、少し離れてながめやれば、紅の雲のなかから生えた、巨大な黒い異形の腕が、無数の指で大地をつかみ、鮮血をしぼり流しているようでした。
その惨劇を現実へ呼びさまそうとするかのように。
雑嚢を、よいこらしょっと、背から紅い地面に投げ下ろすと。魑ヶ峰男爵、その中身をあけ、
上着をばさりと脱ぎ捨てて、ワイシャツの袖をうんしょとまくり、鍬をふりあげ、無遠慮に地面をざくりと切り裂きました。
ざくり、ざくり、ざっくり、ざくり。
切り刻まれた地面から黒い肉がむき出しになると、こんどは
しばらくそれを続けたあげく。
魑ヶ峰男爵の髭にまみれてふくれた頬が、汗ばみ、真っ赤に熟れあがり。
手も足も、黒い大地の返り血でうす汚れてきたころに。
――― ふぁぁぁぉ。ふぁぁぁぉ。
こじ開けられた土の中からひり出されてきたかのように、場違いな産声が、山のなかにひびきわたり始めました。
――― おうおう。産まれた、産まれたわ。
――― よう産まれ変わってきたわ。
――― ちぃっとばかし待ちおれや。
――― いま取り上げてやろうほどに。
牙をむく豹にも似た笑顔をにんまり浮かべると。
魑ヶ峰男爵、
――― ふぁぁぁぉ。ふぁぁぁぉ。
泥土まみれの手のなかへひきずり出されてきたものは、
もがきながら鳴き叫ぶ、白黒ぶちの小さな
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