53.半ヴァーミリオン

 逸樹が倒れた後の顛末を話し終えると、フジシマは赤毛の子を指さして言った。


「そして、逸樹君と赤毛の彼は病院に。抵抗の意思がないと見て御見舞いに来させたのだ」

「拘束もなしに危険すぎる!」

「だが、事実として暴風事故の死者数はゼロ。危険ではなかろうに」


 フジシマのいい加減さもここまで来れば上等。


「フジシマ、たかが一人相手に他の地区の狩人も引っ張り出す必要あったのかな」

赤毛かれは稀少だ。今回捕獲する価値があった」

「元凶の排除でしょ。私は捕縛なんて聞いてない」

「殺すとも言っていないがね? 間一髪、戦闘を止めることができたのは僥倖だ」

「肝心なのはこの子がヴァーミリオンか、それとも人間かだろ?」


 逸樹はだいぶ楽になり、上体を起こす。先程から委縮して何も喋らなくなった赤毛の子を安心させようとする、口元を綻ばせる。


「その問いへの答えだが、どちらもというのが正解だ」


 フジシマは赤毛の子に湿ったような視線を送る。


「軽く検査しただけだが、結果は『今の赤毛かれ』は正真正銘人間なのだよ」

「でも私達は風を操る能力と、目が赤く輝いてるのを見た」

「そう、ヴァーミリオンであることも嘘ではない。彼は一時的に人間からヴァーミリオンへと転化する性質を持つ」


 雨姫も逸樹も首を傾げた。赤毛の子もヴァーミリオンに対しての知識が何もないはずなので、言葉を聞き取るのに精一杯な様子。


「つまり人にもヴァーミリオンにも変化する所謂『半ヴァーミリオン』だ」

「聞いたことがないけど」

「ヴァーミリオンは人間が一度死んでなる人達なんだろ? 基になるのが人間ならおかしい話じゃない」

「我々にとっても初めて遭遇した希少な存在だ。ヴァーミリオンの存在は公にならない以上、その研究も中々進まないのだからね」


 赤毛の子がどういう存在なのかは、まだ調べがついていないらしい。


「って、さっきから『彼』って。フジシマさん性別間違えていませんか?」

「いいや合っている。女の子のような見た目だが、れっきとした男の子だ」

「……え?」


 目の前の赤毛の子は男だった。少女のような中性的な顔立ちで、出会った時は女物の衣服だったもので、すっかり勘違いしていた。

 そして、そのことに逸樹も雨姫も驚きを隠せなかった。


「「ええええええ⁉」」

「二人共いい反応だ」

「ほ、ホントに男なのか⁉ 俺てっきり女の子だと……」

「し、失礼な! 僕は男です!」


 赤毛本人もどうやらそう指摘されるのが悔しいようで、顔を紅潮させる。

 気まずそうに逸樹はわずかにごめんと小声で呟いた。


「しかし何故女の子みたいな恰好を⁉」

「……分からない。記憶がないんです」

「ここ数日の記憶ってことか?」

「いえ、今までの記憶が全部……」

「記憶喪失という奴だね」

「そうは見えないけどな」

「読み書きや基本的な知識は備わっているが、しかし自身が誰なのか、これまで何をしてきたかという記憶が欠落しているのだよ」


 記憶喪失も簡単に一括りにできない。記憶には長期的な記憶か、短期的な記憶かで分けられ、例えば長期記憶だけでも、知識に関する意味記憶や、出来事に関するエピソード記憶がある。

 赤毛の彼の場合は後者に問題があるようだ。


「でも、一つだけ覚えていることがあります。自分の名前なんですが」

「ほう?」

「僕の名前は『沙薙さな』って言います」


 奇妙なことに、彼は自分の名前だけは憶えていた。

 ただ沙薙という名前も若干ながら女の子のような響きがする。


「それ以外には何も覚えていないのか?」

「目が覚めたら、夜中で、小さな建物の中で、その時から僕は全然覚えてなくて……外へ出歩いたらそこで変質者に襲われそうになって……」


 暴風事故発生時、一件目はたしか男性一人が手足の骨を折る大怪我だったと聞く。断片的なニュースだけではどうしても細部の事情まで見えてこなかった。


「それで、取り返しがつかないことをしました……」


 沙薙は拳に力を入れて手を震わせていた。好んで人を襲うような性根ではなく、きっと自身の力の制御ができずに近寄る物全てを拒絶していただけだ。


「沙薙はずっと自分の本能と戦っていたんだな」

「ぼ、僕はそんなんじゃ……ッ!」

「俺は偉いと思う」


 沙薙は涙を溜めて、どうにか零さないように上を仰いでいた。


「でも僕は色んな人を傷付けました……僕は化け物なんです……」


 彼は小声になっていく。故意ではないにしろ、人や物を傷つけたのだ。


「……一生外に出ちゃいけない」

「そうする前に聞きたいことがあるんだけど」


 雨姫は病室にある丸椅子を傾けながら聞き入っていたが、不意に雨姫は椅子から立ち上がった。表情は曇らせたままで、どこか危うい恐怖を感じさせる。


「本当に人を殺したことも、血を吸ったこともないの?」

「お、おい雨姫」

「ねえ」


 沙薙が嘘をついていると疑り深く、雨姫は顔の影を濃くして凄んでいた。


「答えてよ」


 恐喝にも似た尋問は、沙薙を縮み上がらせるには最も効果的な手法だった。


「僕は人殺しなんてした覚えねえから!」


 沙薙は雨姫への反抗心なのか、逸樹のように敬語は全く使わず雑な口調で答えた。

 それもそうだ。一日前に殺し合った相手と、どう友好的な関係が結べるというのか。

 むしろ会話が成立するだけでも相当、屈強タフな精神力だ。


「嘘はついてないみたい」


 雨姫は不機嫌過ぎる様子で沙薙を見つめる。


「まあ、血液の必要性についてもまだ検査しないと分からん部分も多い」


 フジシマは顔を近づけて値踏みするように顔や瞳、髪の毛の毛先を隅々まで見始めていた。なんとも気持ちの悪い目線で、沙薙も引き気味で仰け反る。


「吸血の有無は?」

「人間時は吸う必要がない。それが暫定的な見解だ。ただしヴァーミリオン化した際にはどんな不調が起こるかは想像もつかない」

「成程、ヴァーミリオンには血がない。言い換えれば造血機能が働かない。そしてヴァーミリオン化すると自分の血が適応しなくなる特徴も合わさり、ヴァーミリオンに近づく程、体が拒絶反応を起こす。ですか?」

「まあ、半分正解なのだが……」

「フジシマ、その話はもういいでしょ」


 唐突に雨姫が話を遮ってきた。

 まるで聞きたくないといった態度で苛ついた声色だった。


「この子はこれからどうするの?」

「まずは検査だ。処遇についてはそれからだねぇ」

「……はい」


 沙薙は腹を括っているようだ。自分の罪を償うつもりでいるらしい。


「でも、今は人間でも完全にヴァーミリオンになる可能性もあるんでしょ」


 雨姫は白い息を吐き出す。逸樹も肌寒いと感じると、周囲に冷気が立ち込めていることに気が付く。


「その時は殺すから」

「――――ッ」


 雨姫の殺意に戦慄しながらも、沙薙は雨姫にあえて目を合わせ、正面から敵意を剥き出しにした。


「では今後の手続きがあるので私はこれにて。逸樹君、お大事に」

「どうも」


 フジシマはそそくさと病室から抜け出した。

 この面倒な事態の収拾を逸樹に放り投げたのだ。

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