29.ヴァーミリオンの真実①

 ◆◆


 [4月 19日 17時 50分 横浜市 神奈川区 地区センター跡地]

 フジシマを振り切った後、逸樹は急いで市民館の前まで来ていた。場所はあらかじめ前日に調べをつけておいた。万が一にも雪下が独断専行する可能性に備えて、あえてめぼしい場所は教えずに居たが、まさか本当に置いて行かれるとは夢にも思わなかった。

 走りすぎて、死にそうなぐらい苦しい。呼吸するたびに息から変な味がする。走り終えた後に遅れて顔中に汗が出てくる。走っている間は乾いていた服も、走り終わるとびっしょり濡れている。


「はぁー……はー! くっそ……」


 頬を伝って落ちる汗をシャツで拭いながら侵入を図る。一通り入れそうな場所を見て、やはり逸樹も建物の二階から入る方が現実的だという答えに至った。

 『不法侵入』その四文字が逸樹の頭をよぎって一瞬硬直した。ルールに従うことを何より優先する逸樹にとっては、この緊急時に至っても躊躇ってしまう。


「……って今はそんなことを気にしてる場合じゃない! 覚悟! 覚悟!」


 頬をひっぱたいて気を持ち直す。そもそも、雪下やヴァーミリオンの存在。

 それによって起こった事件を誰にも何も相談しなかった時点で、ルールを守るも何もあったものではない。自分も十分すぎる程の悪だと反省した。

 ここ数日間で規範的な精神が失われている。犯した分、善行で取り戻さなければ、などと下らないことを考えながら、壁をよじ登り、二階から館内へ入ろうとする。


「ふー……」


 逸樹のかいている汗は疲労由来だったが、緊張から来る冷や汗に変わる。息を殺し摺り足でなるべく自分の存在を薄めながら、中の様子を確かめる。

 何がこの暗闇の中には恐ろしい殺人鬼が居るかもしれない。そんな不安に侵されているのも束の間だった。


「なんだ? 中が騒がしいな?」


 金属を打つような音と、それと革靴の音が風に交じって聞こえて来ている。心臓が飛び出しそうになるが、必死に息を押し殺し、割れた窓から中を覗く。

 中に人影を見ると、逸樹の予感は全て的中した。雪下雨姫と、その中にもう一人負傷したヴァーミリオン、何故この場で争っているのか手に取るように分かる。


「雪下ぁああああッ!」

「キミは……!」


 雪下は面食らった顔をしていたが、逸樹は怒り心頭だ。些細な状況等頭に入らず、エントランスに飛び込んだ。


「ちょっと……来ないで! 今は危険なんだってば……!」

「黙れッ! 勝手に一人で行きやがって! 殺すなつってんだろッ!」

「ナイフの動きが止まっている……?」

「いいからそこで待ってろ!」


 逸樹は二階からエントランス一階まで階段を駆けて行く。途中で宙にはナイフが大量に浮いていることに気が付く。


「余裕ぶりやがって。この人殺しめ……」


 刃物の先は逸樹と雪下に向いてはいたが、襲ってくるということもなかった。


「お、おい。このガキなんなんだあ⁉」


 腕を負傷している不良風の青年も雪下雨姫も、逸樹という異物が入ってきたことで多少戸惑っている様子。図らずとも雪下と殺人鬼の出鼻を挫くことに成功している。

 なら説得するのには今が好機と、逸樹は動いた。


「雪下、俺は昨日のファミレスで言いそびれたことがある。俺は連続殺人鬼の正体になんとなく目星がついている」

「今更だよ。ここに居るなら殺すだけ」

「お前がそうでも連続殺人鬼はどうだろうな。聞きたいはずだと思うぜ」


 まずはこの一連の犯罪の元凶を燻り出す。雪下も口ではこう言っているが、犯罪者が気になっている。だからこそ、逸樹に注視している。


「俺は探偵じゃないし今から言う推理はただの想像だ」

「なら言ってみて」

「警察よりもヴァーミリオン狩りを意識した隠蔽工作、ヴァーミリオン狩りが短期間で全滅し、直後に起こる連続殺人。これは同じヴァーミリオン狩りによる仕業じゃないのか?」

「それって……!」


 ヴァーミリオン狩りが裏切るとは雪下の常識では考えもつかないだろう。無意識の内にその可能性を除外していた。雪下なりの正義が本物だからこそ、手を拱いていた。


「考えてみれば条件が合い過ぎている。『念動力による投擲』という力を持つなら、工夫によっては激しく損傷した遺体を作れるし、ヴァーミリオン狩りが殺された件も同じ殺し屋なら仲間の情報も手に入れるから容易い。何より身元が所持品からしか分からず、死体では本人の特定が不可能なら、自分の死を偽装し、疑いを逸らすことも可能だよな?」


 昨晩雪下に見せて貰った事件資料、それを読んだときに生じた僅かな違和感。

 そこから導き出される下手人は。


「元横浜担当のヴァーミリオン狩り、クロード・ラロンド」


 逸樹がその名を口にした瞬間、宙に浮いているナイフは全て落下した。


「くくく、ははははははははははッ!」


 直後、館内に下品な笑い声が響き渡る。そして暗闇の通路から笑い声の主が這い出てくる。


「警察かヴァーミリオン狩りが来るとは思っていました。しかし、こんな子供まで来るとは思いませんでした!」


 声の主は若い青年だった。オールバックにカチューシャをしている外国人だ。頭髪は灰と金を混ぜたような色、身長も高く、目じりが下がり鼻が高い顔つき。

 逸樹が捜査資料の顔写真で見た通りだった。

 そして暗がりの中煌々と輝く薄橙色の瞳はヴァーミリオンであることの証。スニーカーを履き、ウインドブレーカーを着込んでいる。現代人らしい格好だが、今まで出会ったヴァーミリオンの中で最も『吸血鬼』らしい雰囲気が出ている。


「おもしろい坊やです! ボクの正体が良く分かりましたね!」

「その『坊や』に見破られる程度なんだよ、この悪党!」


 クロードは日本語が流暢だが、どこか形式張った受け答えをする。


「ク、クロードさんッ! 俺の、俺の腕が切れたんだぁッ!」

「高田、そう焦らないでください。手ぐらいだと一週間あればまた生えてきます」

「ほ、本当スか……?」


 茶金髪の青年は高田という名前らしい。この慕われようからすると、クロードが連続殺人のリーダーかもしれない。


――雪下なら敵を目にした瞬間、胸を貫こうとしてくるはずだが、やけに大人しいな……。ああでも納得した。


 今この場に居るのが六人ということに気が付く。逸樹と雪下。クロードとスカジャンの青年、さらに、その後ろに三十代ぐらいの男二人がいつの間にか湧いて出た。いずれも館内の日陰に入っていて目がうっすら輝いている。逸樹以外もれなくヴァーミリオンというわけか。


「雪下、少なくとも一人以上まだ隠れてるはずだ……!」

「そういえば居ません。ああ、そこの女に殺されたかな?」

「な……!」

「氷使い。噂は聞いています。我々の同胞を殺し回るその腕前は確かですね」


 知らない間に雪下がまた一人殺していた。逸樹が出遅れたせいでみすみす死なせてしまった。だが、そうなるとクロード・ラロンドが連続殺人の主犯格。そして彼らはその共犯者。現在敵は複数犯四人で全員らしい。


「この少女がボクの後任ですか。ですが、まさかこんな子供まで殺しの道具にするとは、同情します」

「何で同族狩りをしていたのに、こんな真似を?」


 雪下が珍しく相手に問いかけている。静かに、しかしその声色は確かな怒りを帯びている。

 クロードはその辺の机の上に腰掛ける。

 雪下を見下すように、クロードは不敵な笑みを浮かべていた。それは優位性から来る余裕なのだろう。薄く開いている目からは嘲笑の意図がはっきりと読み取れる。


「ボク達にも人権があるからです」


 クロードは手を広げ、演説するようにその場のヴァーミリオンに言い聞かせる。


「ボクは同族狩りを沢山しました。ヴァーミリオンを殺して、人間を大勢救いました。しかし人間には我々のことは知らされず、感謝もない。こっちは命を懸け、手を汚しているのに!」


 逸樹が考えている思想を、目の前の殺人鬼も語る。しかし同じ言葉でもこの男からは何の説得力も感じない。


「その過程で気が付きました。自分達は本当に人間に使役されるべき存在か? 自分達も人と同じ知性、同じ姿なのに、自分達だけが化物だからって殺しの対象になって、一方的に人間を守るのはおかしくないですか? だから自由になろうと思ったのです」

「勝手な理屈。人を殺すぐらいなら死んだ方がいいよ」

「随分と舐められたものですね。ボクら徒党を組んだヴァーミリオンは敵無し最強の集団ですが?」


 犯罪グループは身構えて戦闘態勢を取る。しかしクロードだけは余裕綽々といった感じに机の上にふんぞり返ったままだった。


「同族殺しよ。何故ボクらはこんなチャチな殺人事件を演出しているかご存じですか? この事件でこの関東に住まうヴァーミリオンの仲間を集める。そのための活動。今は仲間を集めている段階ですが、いずれこの熱狂的な波を伝播させ、ボク達の手でこの醜い人間本位な社会を変えていく!」


 驕った笑みを浮かべるクロード。連続殺人の動機。それは結局生存と、殺人という手段で自分達の存在を喧伝するという、低俗な目的だった。


「ヴァーミリオンが群れることは滅多にない。血液の分配が揉めるに決まってる」


 人を殺して血液を確保しても取り分は人間分だけ。よほど上手くやらない限り、殺人に頼った血液確保はいずれ破綻する。


「話は終わりだ、クロード・ラロンド! 既に警察に通報してある! お前らの顔も全員覚えた! お前らにこれからなんてないから観念しろッ!」


 逸樹は声を張り上げ、主導権は自分にあると見せつける。同族狩りが自分達のことを嗅ぎつけ、警察の増援まで呼んだのであれば、流石に動揺が広がるはずだ。逸樹はそう思っていた。

 しかしクロード達に自身の言葉があまり届いていないように感じる。会話からも外され、この場において逸樹は軽視されている。 

 リーダー格のクロードは顎に手を当て不思議そうな顔をしていた。


「顔を覚えられて何か問題が?」

「お前ら馬鹿か⁉ お前らの表の顔が社会に晒されるんだぞ! もう、お前らの居場所はどこにもない!」

「ぷ……はっはは」


 クロード達は顔を見合わせると、館内に失笑が漏れる。クロードや高田まで逸樹を嘲笑っていた。対照的に雪下は顔に暗い影を落とし、手に力が入っていた。


「な、何が可笑しいッ!」

「我々には表の顔なんてありません。なにせ化物なのですから。そこの同族殺しから聞いてなかったのですか?」

「また化け物呼ばわり。それに何の話だよ……!」


 逸樹は雪下から距離を取る。殺人鬼の集団に囲まれているにも関わらず、全く関係のないことで言い争うようになる。


「キミは早く逃げて」

「いい加減にしろッ! 体質が単に違うだけで、人間おれヴァーミリオンおまえらも変わらないだろッ! 何でそんな頑なに自分を化け物、化け物って言うんだッ⁉」

「……!」


 雪下は何も語ろうとはせず、クロードは口を開けたまま呆けた顔をしている。しかし事情が分かった瞬間、はまるで珍しい動物を見るような目で逸樹を見下ろしていた。


「嗚呼、ひょっとして坊や! まだヴァーミリオンの正体をご存じない⁉」

「だから正体ってなんだッ⁉」

「は、ははははははッ! 成程これは傑作ッ! この女から何も聞かされてないのですか。ま、使い捨ての血袋にいちいち説明するのも億劫ですからね!」

「……殺してやる」


 雪下はその言葉に殺気立ち、両手に氷の剣を持ち、クロードに襲い掛かる。今までで一番攻撃的な一手、神速の突きを行う。しかし直線的な動きだったのでクロードに見抜かれてしまう。クロードはいきなり宙に飛び上がった。


「どうりで綺麗事を吐くと思いました。ですが、ヴァーミリオンの正体聞いたら考え変わるかも?」


 物知り顔で軽侮するクロードは、本当に何か別の種族なのではないかと錯覚させるような、禍々しい形相になる。だが、この男の唆す言葉は、逸樹を刺激する悪魔の囁きと化している。


――雪下も俺に言ってくれなかったことが分かるのか?

「逸樹、耳を貸さなくていい。今はそんなことはどうでもいいから!」

「言えッ! お前らが罪人だろうが、なんだろうが知ったことじゃない! 俺にこれ以上隠すなヴァーミリオン共ッ!」

「仕方ありませんねぇ、では特別に教えてあげましょう」


 雪下の呼びかけも今の逸樹には全く届かなかった。能力を解き、逸樹の目の前に着地したクロードは悪魔のように歪んだ笑顔を見せる。


「ボク達ヴァーミリオンの正体。それは」


 一瞬、館内の静寂から来る耳鳴り音も、何もかも消えたような気がした。


「一度死んだ人間が生き返り、二度目の生を得て動く死体です」

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