分別のマスカレイド

 キリシタンは愛を説く。神の愛、キリストの愛。苦心のあげくに思った。「汝を愛す」と言う言葉は、俺の中で「汝を大切に思う」だと。

 人間が生れ、育つのだから、バカらしい。

 人間は、決して、親の子ではない。キリストと同じように、みんな牛小屋か便所の中かなんかに生れているのである。

 親がなくとも、子が育つ。嘘。

 親があっても、子が育つんだ。親なんて、バカな奴が、人間づらして、親づらして、腹がふくれて、にわかに慌てて、親らしくなりやがった出来損いが、動物とも人間ともつかない変な憐れみをかけて、陰に籠って子供を育てやがる。親がなきゃ、子供は、もっと立派に育つ。

 だが、世の子供には美徳が存在しない。親が育てようとしても無理がある。

 生まれがどうだ、とつまらんことばかり、言っている。強迫観念である。その挙句、子供は本当に、華族の子供、天皇の子供かなんかであれば良い、と内々思って、そういうくだらない夢想が、子供の内々の人生であった。

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狂乱を経て @yamamoto1

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