ヤモメオバケ

幽宮影人

ヤモメオバケ

「じいちゃん、向こうでばあちゃんと仲良くな」


 仏壇の前で手を合わせる青年は、遺影の中で満面の笑みを浮かべる初老の男に告げた。

 写真の中にいる男は青年とそっくりの目元をしており、誰がどう見ても血族と分かるような見た目をしている。違う所と言えば、青年の方はふさふさな頭髪で洋服に身を包んでいるが、祖父の方は寂しい髪の毛で着物を着こんでいることだろう。顔かたちは驚くほどに似ていた。


「た~だし~。ウチとお母さんはもううちに帰るけど、アンタはもう一泊していくんやっけ?」

「あ~、まぁ」

「なによその煮え切らない返事は」

「いや。いざってなるとここド田舎やし、ちょっと怖いかなぁて」

「何言ってんのさ。二十もとうに過ぎたおっさんのくせに」

「まだ二十五やけど?」

「はいはい。そのうち雅也まさやも来るし、そんなビビらんで」

「姉貴も昔は暗いとこいやだ~って泣いてたくせに」

「おん? いらんこと言うのはこの口ですか~?」

「いててててて! やぁめろって!」

 

 青年もとい稲津忠司いねづただしは姉であろう人物となにやら話を進める。    

 姉である稲津涼香きょうかは弟である忠司とは異なり、ずいぶんと派手な髪色をしていた。彼女の仕事は少々変わったところである為、まぁつまりそういうことだ。

 ちなみに、二人の話の中に出て来た雅也は稲津家の末っ子である不思議くん。なにもないところを凝視していたかと思えば、ふらりと姿を消し、いつの間にか隣に戻ってきている。まるで猫のような末っ子だが、長男長女よりも圧倒的に頭がよく、今は某有名大学の大学院に在籍しているそうだ。

 むにむにと忠司の頬で遊んでいた姉だったが、ふと自身を呼ぶ声にどこかへと走り去っていった。木製の廊下のしなる音が完全に聞こえなくなってから、誰にも聞かれないように忠司はポツリと呟く。


「くそ、あの馬鹿力め……」


 一人残された忠司は、若干赤くなった頬をさすりながら涙目になっていた。


「にしても……この家で一人になると、やっぱちょっと怖いな」


 昼間は葬儀やらなんやらで賑わいでいた祖父の家は、夜になると忠司一人だけになっていた。地方の山の奥に祖父母の家は建っているため、明日の仕事のためにそれぞれ自宅への帰路に就いたのだ。忠司は祖父の家の片付けと、思い出に浸りたいからということで職場にしばらく休むことを伝えている。

 のどかな田舎でのんびり休むんだ、激務続きで凝り固まった羽を伸ばすんだ。じいちゃんやばあちゃんのことを、今日だけはずっと。

 そう思いながら一人で夕飯をかき込んでいた。今日の夕飯は、彼の母が作ってくれた祖母の味弁当。懐かしい祖母の煮物、小さいころに良くせがんでいたさつまいもの混ぜ込みごはん、祖母の家で栽培していた柿。甘い卵焼きに、ここらへんでしか取れない山菜の揚げ物。懐かしさのあまりちょっぴり涙ぐみながら彼は晩餐を楽しんだ。


「てか雅也もまだ来ぉへんし、先に風呂入っとくか」


 夕飯の詰まっていた使い捨てパックを処理して、お風呂に入る準備をする忠司。弟からは日付が変わるまでにはそっちにつくようにする、という連絡はあったものの、研究で忙しい中無理やり時間を取ってくれた手前さっさと来いともいえない。仕方がないことだと受け入れつつも、しかし築何十年の古民家は雰囲気というものがある。

 トランクから荷物を取り出して、早いところ寝てしまおうと忠司は風呂場へと向かった。


「いつになったら来るねんアイツは……」


 時は進みもう深夜。日付が変わろうとしていたころ、忠司は一人で居間に寝ころんでいた。

 予定であればもう雅也は到着していても可笑しくない時間だというのに、末っ子はまだ来ない。弟が来るまでの暇つぶしとしてテレビを見ようにも、田舎過ぎて電波も届かないし、ガラケーでできるのはメールのやり取りぐらい。夏も終わり秋に入りかけの季節であるため、彼は虫の声をラジオ代わりにしながら布団に寝転がっていた。




 コンッ コンッ


「なんだ、窓に虫でもあたってんのか?」


 雨戸を閉めてのんびりと過ごしていると、突然虫の鳴き声以外の音が彼の耳に飛び込んで来た。

 固いものがぶつかって戸を叩いているような、そんな音。


「田舎だなぁ~なんか」


 忠司は気にも留めていないようで、なんとなく煩わしそうにしながらも目を閉じて寝入る体制に戻った。



 コンッ コンッ



 コンッ コンッ



 コンッ コンッ



「いや、うるさ!」


 ガバリと飛び起きて叫ぶ。

 虫がぶつかるにしては数が多い。何度も何度も、こんな風に追突するものか。

 忠司はあまりにもうるさく眠ることが出来そうにないので、祖父母宅に常備されている蚊取り線香を焚き始めた。


「これでマシになると良いんやけど」


 そうして再度布団の上に寝ころぶ。


「てか、もうそろそろ日付変わるけどほんまにいつ来るんや、雅也は……」


 ガラケーを確認してみるも、「日付変わるころには着くようにする」という連絡以降何も送られてきていない。こちらがいくら「いつ来るんや」と送っても、結構な頻度で電話をかけてみても、雅也からなんのリアクションもない。

 ガラケーをパカパカしてみたところで雅也からの連絡が入るはずもなく、もういいやと忠司は携帯を枕もとに置いて目を閉じた。





「いいかい忠司」


 亡くなったはずの祖父が小さい子供に向けて何事かを説く。齢一桁、まだ就学前であろうその子供は縁側に腰かけて外を眺めていたが、名を呼ばれてお爺さんの方を向いた。


「夜中に『コンッコンッ』て音がしても絶対に返事をしてはいけない。戸を開けて外の様子を見てもいけない。おっかやおっとの声がしたとしても、友達の声がしたとしても、絶対に」

「どうして?」


 幼い忠司は首を傾げて尋ねる。


「どうしてかって? あぁ、お前さんはまだちんまいから聞いた事が無いのかもしれんが、この村には『ヤモメオバケ』ってのがいてな。夜な夜な人様の戸やガラスを叩いては、誰かのことを探しているってオバケさ。まったく、こっちからすれば夜中にそんな音がずぅっと聞えるもんだから、寝ようにも寝れなくて本当に迷惑さね」

「もし、もしこたえたらどうなっちゃうの?」


 小さな忠司は、お爺さんの話に興味津々で。なになぜ期などもう過ぎたはずなのに、好奇心ばかりはいつまでたっても収まらない。小さな彼は祖父に聞いてみた。


「ん、どうなるんかって? そりゃあもちろん――……」




 コンッ コンッ コンッ



 コンッ コンッ コンッ



「ん~……なんや……」

「あけて、兄さん」


 あれからどれくらい時間が経っただろうか。先ほどまで豪快ないびきを立てて眠っていた忠司は、雨戸を叩く音でぼんやりと意識を取り戻した。懐かしい夢を見ていた気がする。しかし、夢から覚めたと同時に彼はその夢のことを忘れてしまって。ただただ、懐かしい夢だったなという感覚だけが残り、寝起きに聞こえた弟の声に返事をした。



「雅也ぁ? 玄関から入りぃや……」

「かぎ閉まってる」

「あぁ~そういや閉めたかも」

「あけて?」

「ん~……」

「兄さん?」

「ちょお待って」


 不満げに開けてと繰り返される声に、忠司も起き上がり雨戸の方に近寄る。


「玄関まで行くの面倒やから、とりあえずここ開けるわ」

「うん、ありがとう」


 雨戸の取っ手に手をかけて、それから腰に力を入れて戸を開けようとした。しかし、ふと忠司は違和感を覚えた。



 弟は、雅也は俺のことを普段何と呼んでいる?

 『兄さん』なんて呼んだことはこれまで一度もない。俺のことは決まって『お兄』と呼ぶ。ならば、雨戸の向こうから聞こえてくるこの声は、誰の声だ?



「ねぇはやく」


 知っているはずの声は、戸を開けることを急かす。


「はやくはやくはやく」

「ひっ」


 徐々に凄みを増しながら雅也の声でナニカは続けた。

 はやくはやくと急かす声は次第に輪郭を失っていき、ついに雅也の柔らかな声ではなくなった。


「な、なんなんだコレ」


 聞こえてくるのは声だけではない。

 いつの間にか戸を叩く音の代わりに、戸をこじ開けようとするようにガシャガシャと戸を揺らす音がする。寝ぼけ眼を無理やりこじ開けていた忠司は、目の前で起きている理解できない出来事に完全に目を覚ました。


「ちょお待ってやぁ……!」


 深夜時刻は丑三つ時、時刻を確認して忠司は涙目になる。

 こんな時間に誰に助けを求めればいいのだ。可憐な見た目とは裏腹にゴリラのような力を持った姉か? 夫を早くに失っても女手一つで子供三人を育て上げた剛腕母か? いまだにこの家に現れない一族きっての秀才弟か? 携帯の電話帳をスクロールしながら忠司は焦る。



 ガシャガシャ ガシャンガシャン!



「あけて、ねぇあけて!」

「なんなんや、これ!」

「あけてあけてあけて!」


 何がどうなっているんだ、そう思いながら戸をしっかりと抑えていると、ふいに音が止んだ。

 あぁ良かったと忠司が胸をなでおろす。安心した拍子に戸を抑えていた腕の力も抜いてしまった。



 それがいけなかったのだろう。



 瞬間、ガラガラッと戸が開け放たれた。

 目の前に広がるのは暗いくらい夜の闇。真っ暗な先の景色に忠司は一歩後ずさる。


「な、なんや。なんもおらんやんけ……」


 真っ暗な戸の向こうを忠司は凝視した。狐か狸にでも化かされたのだろう、そう思って戸に背を向けた時、彼の目の前にはナニカがいた。



「……う、ちがうちがうちがう!」



 ざんばらな長い黒髪を振り乱し、頭を抱えながらうわ言を呟く女。薄汚れた着物は元の色が分からなくなるほどすり切れて、裾もほつれて散々な有様だった。おどろおどろしい様子の女は、怒りに身を任せて忠司の方に突進してくる。


「うわぁぁ!」


 くわりと開いた女の口に身体ごと飲み込まれるように、忠司の意識は吸い込まれて行った。





「うわぁぁ⁉」


 ばがりと忠司は跳ね起きる。なにか良くない目に遭ったような気がするが、体に異常はない。腕を持ち上げたり、背中まで確認したが何事もなく。悪夢から覚めたように心臓を忙しなくさせながら、忠司は寝床から飛び出した。



「朝から大きな声出して、どうしたのお兄」

「うおわぁぁ⁉」


 飛び出していった先、昨日夕飯を食べていたリビングにいたのは、いくら待ってもなかなか姿を現さなかった雅也。

 忠司はいなかったはずの人がいることに驚き、またしても悲鳴を上げた。


「うわうるさ」

「おま、お前なんでおるんや!」

「なんでって……僕もこっち来るって言ってたでしょ」

「いや言ってたけど」

「朝ごはんできてるから食べようよ。あ、食べ終わったら家の片付けするから、ちゃんと働いてね」

「お、おん……」


 煮え切らない気持ちのままの忠司だが、これ以上何かを言ったところでどうしようもなく。彼はぱくぱくと朝ご飯を食べ始めた。


「そういえば、僕がこっちに着いた時お兄玄関で大の字になってたけど、あんなところで何してたの?」

「え、俺ちゃんと布団で寝てたやろ?」

「僕が運んだんだよ」

「え」

「それくらいできるよ。それよりも、どうしてあんなところにいたの? 玄関の扉の外なんかに」

「はぁ?」


 聞くところによると、雅也が着いたのは明け方五時。その時にはすでに兄である忠司は戸の目の前でいびきをかいていたらしく。自身よりもガタイのいい兄を引きずりながら、雅也が寝どこまで運んでくれたそうだ。

 玄関のカギはしっかりと掛かっており、しかしながら忠司の寝ていた部屋の雨戸だけは不用心にも開け放たれていたそう。


「雨戸……そうや雨戸!」

「うわ今度は何?」


 もっしゃもっしゃとサンドイッチを頬張りながら雅也が顔を顰める。


「昨日の夜寝ようとしてたら窓になんか当たる音がして。虫かと思って蚊取り線香焚いたけどそれでも音するからおっかしいな思うてたら、今度は雅也の声がしてん。ほんで『開けて』言うから開けよう思うてんけど、なんかおかしくてな。怖なって窓抑えててん」


 コツリとコーヒーの入ったカップを机に置く忠司。


「アレ、なんやったんやろうなぁ」


 頬杖をついて欠伸する忠司は、身に覚えのない騒動のせいで寝不足なのだろう。大きな大きな欠伸を零すと「ごちそうさま」と言い、すくっと立ち上がるとそのまま身支度を整えに行った。


「そっか、お兄はもう忘れちゃったのか」


 一人になってしまった机で雅也はポツリと呟く。


「ヤモメオバケは寂しいオバケ。寂しいから音を立てる、探し人と再会したいから声をかける。最愛の人と無理やり引き離されてしまった哀しい人。生きている間もずぅッと最愛を探し求め、死んでしまった後も永遠に探し続け。何も悪いこともしていないのに、悪霊のように忌避されて」


 雅也は手元のコップに視線を落とす。

 澄んだ美しい赤茶色の紅茶に映った彼の顔は、ひどく悲しそうに眉根を寄せていた。


「ここに探し人はいませんよ」


 誰に言うでもなく彼は呟いた。


「そう、そうなのね。ありがとう」


 風に乗って女性の声が聞こえたような気がする。

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