小椋②

 別の日曜の昼、この日も史明はみやけ食堂でご飯を食べていた。

 その最中、彼より先に来店して食事をしていた四十歳くらいの女性が、佳枝に声をかけた。会計を求めたのだけれども、それだけではなかった。

「すみません。ぜひ聞いていただきたい話があるのですが、よろしいでしょうか?」

 女性は日曜日なのに仕事着の装いだし、食べている間に店のあちこちをチェックしているという様子で、正面が彼女の席でずっと視界にあった史明は気になっていて、耳に入ってきたその声で一層注目した。

「私、こういった会社を経営しております、小椋と申します」

 名刺を出して、佳枝に渡した。

「ビジネスをサポートする会社でして。手短に説明させていただきますと、過去に『このお店、こうすればもっとお客さんが来そうなのに』であるとか、感じた経験はございませんでしょうか? ところが売る側になると、なかなかそういった点に気づけなくなってしまいがちだと思うのです。弊社のサポートは、そのジレンマのようなところを上手に活かせないかというものでして、具体的に申しますと、例えばこちらで食事をした際にこういうメニューやサービスがあればお客さんが増えるのではないかと思いついた方に、弊社にアイデアを提示していただき、私がこちらに持ってまいります。それをご覧いただきまして、良いと思われ、採用されて、売上や利益が上昇した場合、上昇したぶんから一定の割合の金額を一定の期間、アイデアをくださった方にお支払いいただくというシステムなんです。売上が変わらなかったり、反対に落ちてしまったときは、お金をいただくことはございません。そのアイデアを実行するのに相当な手間や経費がかかるなどいろいろなケースがございますから、アイデアを出していただいた方へ支払う割合や期間は異なります。アイデアを見たうえで断ってくださって構いませんが、そうしておきながら隠れて取り入れてしまうなどのことがないように、定期的にチェックにうかがわらせていただくことになります。そういったトラブルを極力少なくするために弊社が間に入るわけですけれども、弊社へのお支払いに関しましても、売上や利益が増えた場合に限り頂戴するかたちとなっておりますので、このサポートをお受けになることにデメリットはほとんどないのではと考えております。いかがでございましょうか?」

 小椋はハキハキしていて誠実そうな人柄だが、佳枝は警戒心がありありといった様子だ。

「現在、オープンイノベーションと申しまして、製品開発などで大企業が外部のアイデアを取り入れる傾向が強くなっているのですが、小さい会社やお店のほうが伸びしろは大きいですし、採用してもらえる可能性が高そうだという考えもあり、そちらに重点を置いている弊社にアイデアを持ってこられる方は多いので、うまくいっております。アイデアは見るぶんにはどれだけでも無料で、わかりにくさや曖昧さはないよう努めました契約書を持参しておりますので、ぜひご覧いただければと思いますけれども」

「結構です。たとえそちらがちゃんとした会社でも、うちは今の状態で十分満足していますから」

「……そうですか。今すぐにご返答くださらなくても、もちろん問題はございませんが」

「大丈夫です。いくら時間をもらっても考えは変わらな……」

「ちょっと待ってください!」

 史明が大きな声を出して、二人の会話に割って入った。

「佳枝さん、いいじゃないですか。気に入ったアイデアがなければやらなければいいんですから、なんで断るんですか?」

「何さ。いいんだよ、うちにはそんなの」

「そんなことはないでしょう。少しでも繁盛したほうがいいに決まってるし、佳枝さんの料理をもっとたくさんの人に食べてもらいたいじゃないですか。小椋さんていいましたよね? しつこいようですが、アイデアを聞くだけならお金はかからないんですよね?」

「はい。それについて一筆書けとおっしゃるのであれば、すぐにでも応じます」

「じゃあ、お願いします」

「ちょっと。あんた、いいよ、話を進めないで。そんなことをしたところで、いかがわしい会社かもしれないだろ?」

「だったら、ネットで調べたりしますよ。それで大丈夫だと判断したら、小椋さん、サポートを受けますので、よろしくお願いします」

「コラ、なに勝手なことを」

「何か問題が起きたら、俺が責任を取りますから。佳枝さんは来たアイデアを見て、良かったら採用すればいい。それだけのことじゃないですか」

「あの、ご本人さまの承諾が得られないと、こちらも困るのですが……」

「そうおっしゃるなんて、やっぱり任せてよさそうです。ねえ? 佳枝さん」

「ハー。史明はおとなしそうな顔してけっこう頑固だからね。私の気持ちはこの先も絶対に変わらないけど、言い争いをするのは疲れて嫌だから、もう好きにすればいいよ」

「つまりはOKってことですね。小椋さん、そういうわけで、悪い会社ではないと確認でき次第、連絡させていただきますので、改めてお願いします」

 史明は真剣な表情で小椋に頼んだ。

「……はい、わかりました」

 佳枝は本当に現状で満足そうだったが、以前から史明はそう遠くはない彼女の老後は大丈夫なのか気にかかっていた。大きなお世話だろうと思うし、もしかしたらそれなりの貯えがあるかもしれないけれども、だったら少しは店を綺麗に改修してよさそうなものだ。いつも史明のような常連くらいで、お世辞にも多いとは言えない客が一人でも増えないかと願っていたゆえに、先日のあの見知らぬカップルに声をかけることも、ついしてしまったのだった。

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