第三幕 淘汰(2)

「で、でも、VRゴーグルなしで参加できるメタバースだってあるし……これは必須じゃない仮想空間の可能性も高いよね! 事前連絡もなかったし! ……パソコンのスペックが心配だけど……どうにかなれ!」


 当たって砕けろ。虎穴に入らずんば虎子を得ず。

 そう思いきって、七音はURLをクリックした。新たなページが立ちあがり、読みこみ中の白画面が続く。やはり、無理か。思わず、七音が唇を噛み締めた時だった。

 目の前の画面が砕けた。


「…………………はい?」


 過剰な負荷によって爆散したのか。一瞬、七音はそう疑った。だが、そんな漫画のようなことが起きるわけがない。そのはずだ。しかし、彼女の常識と世界の法則を裏切るかのように、砕けた画面は空中で静止を続けている。一つ一つの欠片たちはガラスのような鋭さと分厚さ、透明度を兼ね備えていた。明らかに、元の液晶とは素材が異なる。


「どういう、こと、なんだろう?」


 そっと、七音は手を伸ばした。近くを浮遊する、大きめのモノをつつく。だが、触れられなかった。指は硬そうな表面を突き抜ける。瞬間、七音は理解した。欠片たちは幻覚だ。

 仮想の空間。

 虚構の現実。


「……で、でも、私、VRゴーグルつけてない! それに」


 現代の技術では、相手の部屋の光景に干渉してみせるなど不可能ではないのか。これでは、脳に直接情報を入力され、物理現実にフィルターをかけられたかのようだ。そう、七音が困惑している間にも、ありえないはずの変化は続いた。

 天井近くまで、欠片たちは浮上していく。照明を反射して、その表面はキラキラと輝いた。だが、次の瞬間、一気に崩壊した。鋭利な輪郭は柔らかく崩れ、蕩けて、垂れ落ちる。

 雨が降った。大粒の雫はペンキのように濁り、辺り一面を染めていく。

すべてが塗り潰されていく様子を前に、七音は思った。

 読みこみ中の、白いページだ。

 画面が、切り替えられていく。

 端から、視界は色づきはじめた。徐々に、目の前の光景の『データが読みこまれていく』――不意に、その全貌は露わにされた。

 正面に、円形の舞台が広がっている。

 だが、スポットライトに照らされているのは、中央部分のみだ。端は闇へと溶け消えている。頭上を見れば、何枚もの緋色の布が波型に留められていた。その間に電飾が通され、無数の星型の灯りが輝いている。戯画的な、泣いている月と、嗤っている太陽も吊り下げられていた。重厚でクラシカルでメルヘンな空間を前に、七音はメールの文面を反芻した。


 ――――可憐なる皆様に、ふさわしい舞台をご用意しました。

 ――――華やかなりし、絢爛の仮想空間へ共に参りましょう。


 そこで、七音は気がついた。

『共に』とある。つまり、ここには運営側の人間もいるはずだ。

 慌てて、彼女は空っぽの舞台の周りを確かめた。あまりにも暗闇が濃すぎて、正確な広さすら定かではない。だが、恐らく観客席に相当する場所には、誰かがいるように思えた。

 見えない、多くの、ナニカが。


(………………………ナニカ?)


 自身の無意識的に選んだ言葉の異様さに、七音は愕然とした。ナニカとはなんだ。人間以外の存在が舞台を鑑賞するなどあってはならないことのはずだ。だが、笑い、さざめき、ざわめく者たちは明確な実体を持つようには何故か思えなかった。彼らには肉も骨もない。

 だが、『そこにいる』『無数の視線として』『開幕を待っている』

 ソレと似たモノを、七音は知っていた。


(――――――――――同接者?)


「ようこそ、いらっしゃいました」


 神託のごとく、七音の脳内に単語が浮かんだときだ。しわがれた声が聞こえた。

 その口調は、滑らかで奇妙な品も内包している。まるで、老齢の執事が喋ったかのようだ。そのとおりの姿を思い浮かべながら、七音は視線を動かす。いつの間にか、先ほどまで無人だった舞台中央には小柄な影が立っていた。『彼』の全身を目にした瞬間、七音はひゅっと短く、息を飲んだ。

 

 白い兎がいた。


『彼』は片眼鏡を嵌め、燕尾服を纏い、胸ポケットから太い金の鎖と懐中時計を覗かせている。ややゴシックすぎるが、『不思議の国のアリス』にでも紛れこめそうな姿だ。

 それを見た途端、七音は記憶の底から、ゆっくりと不吉な影が浮上してくるのを覚えた。SNSの片隅に刻まれた怪文書が、濁った泡のごとく表層に顔を覗かせ、弾ける。


 ―――――【時計兎】がカチコチ、カチコチ。


「あなた様こそ、十人目の新しい歌姫候補です」

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