第一幕 悲報(3)
『ここまでお付きあいくださった皆さん、ありがとうございました。最後に、新曲です。【答えなどない】』
ななねこ〈このために生きてきましたー!
コメントを打ちこみつつも、七音はすぐさま歌に集中する。
はじまりから低く、陰鬱な音が流れだした。そこに悲鳴じみた、押し殺した声が重ねられていく。バラード調の一曲には切なくも虚無的な舌触りがあった。
いつもどおりに、七音は好きだ。だが、どうしても考えてしまう。
客観的に言えば、コレは重すぎた。特にネット上で人気を誇る、『中毒性』とはかけ離れている。主流と真逆の路線だ。だが、独自の曲を定期的にだせることが、神薙の強みでもあった。確か、以前に曲の作成自体はバンドマンの兄を頼っていると語っていた。だが、歌詞を書き、まずは神薙によるアカペラでの提案を経たあと、共に形にしているらしい。
その才能と世界観にも、七音は畏敬の念を抱いていた。同時に、心配もしている。
神薙が歌姫として大成するには、まず『見つけられること』が必須だ。七音が彼女に巡りあえたのは、ピンッとくる歌い手がAriel以外にいない現状に飽き、片っ端から動画を漁ったせいだった。一方で、普通のリスナーはそんな努力などしない。誰にも知られなければ、海色の宝石も路傍の小石にすぎなかった。だが、今の路線のままでは難しいだろう。
一度だけでもいい。Arielがバズった時のように、有名な作曲家とのコラボを組めれば。
「でも、そんなの神薙のスタイルの否定になるし、独自色を塗り潰しかねないし、それに」
なにより、恐らくだが、神薙の財力にそれほどの余裕はなかった。
依頼曲やMVを身内に頼ることなく、作成できないほどまでに困窮してはいないだろう。しかし、名前だけで多くが飛びつくような相手との大型コラボなど、夢物語に思われた。
ぐっと、七音は唇を噛む。ささやかにでも、自分が支えられればと考えてしまった。『推し』の物理的な力になれない。それは悲しいことだ。だが、その考え自体が傲慢で、神薙の意に沿わない期待の押しつけかもしれないとわかってもいた。曲の歌い終わりに、せめてもと七音は三千円を添えてメッセージを投げた。明るくも純粋な感想だけを伝える。
ななねこ〈おつかんなぎー! 新曲は【そうして穴を掘っている】の伸びが最高! 神薙の歌大好き!
『【ななねこ】さん、【lulu】さん、【イガグリ45】さん、ありがとうございます。特に、【ななねこ】さんは、毎回ありがとう。無理は、しないでね。みんなに聞いてもらえるだけで、本当に嬉しいです……それじゃあ、新曲お披露目配信終了、です。チャンネル登録と……この後に投げるMVの再生も、よろしくお願いします。お疲れ様でした』
バイバイと、神薙は小さく手を振った。簡潔に、彼女は配信を切る。視聴者による拍手のコメントが、流れては消えた。配信終了の画面が表示される。だが、『ななねこ』こと七音はウィンドウを閉じることができなかった。感激に、彼女は打ち震えていた。
「う、嬉しいいい。嬉しいよぉ。こんなことあって、いいのかなぁ」
久しぶりの配信だというのに、神薙は覚えてくれていた。最早、『推し』に認知されている事実は確定と言えるだろう。しかも、こちらの心配までしてくれた。恐らく、毎回少額なことからも、七音の年齢や懐具合を察して案じてくれているのかもしれない。神薙の淡々とした冷静さの中に滲む、その優しがただ嬉しかった。
七音は、大した支援もできていないというのに。
「臓器、売ろうかなぁ………」
思わず、限界オタクがでた。
流石に、ソレはまずい。自分のためにファンが腎臓を片方手放せば、神薙が悲しむ。
それに、七音は適切な販売ルートをもっていなかった。もっていたのならやるのかと問われれば、可能性は微妙に存在する。しばし悩んだ後、七音はハッとした。
ブンブンと、首を横に振る。そうして、彼女はようやく配信画面を閉じた。
「いけない、いけない、危険思想だ。厄介信者はNG。うん、今夜の配信も最高だった! はぁっ、いつか、ライブで観れないかなぁ。できれば……本当にできればだけど、私も歌い手になって、神薙と繋がれたりとか……せめて、もっと直接感想をたくさん……うん?」
友人用とは別の、各種歌好きな人々と繋がっているSNSに飛ぶ。本日の神薙も最高だったと叫ぶつもりでいた。感想投稿という名の地道な布教活動だ。だが、そこで七音は異変に気がついた。時間順の各々の書きこみが、おかしなモノと化している。
そこには混乱の叫びが、生々しく連なっていた。
『嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ』
『なにがあったの? えっ誤報じゃないの?』
『ごめん、ほんと、涙止まんない。信じられない』
『えっ、えっ、そんなことってある? 待ってどうして?』
数秒間、七音は固まった。否応なく、彼女はなにかが起きていることを悟る。七音の同類たる、歌を愛する面々。彼、彼女達にとって悪夢じみた出来事が生じたのだ。 目を背けたいと、七音は強く思った。このまま神薙の歌声だけを胸に眠りにつきたい。だが、知らないままでいることも怖かった。震える指を動かして、七音は画面をスクロールしていく。
そうして、その衝撃的な事実を知らされた。
「Arielが………死んだ?」
唯一にして絶対の歌姫が。
虚像の女王が消えたのだ。
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