Day.3-10 ラストスパートへ

 評論家が終わって他のアシスタント達が帰ると、夢叶ゆめかは貰ったアドバイスや意見をもとにネームを描き直していた。


「ところで、アシスタント杯って新人賞と違って〆切が昼までなのは珍しいですよね。普通なら日付が変わるギリギリまでなのに。何か理由があるんですか?」

「中には一般開催の新人賞に応募するアシスタントの子もいて、〆切時間を同じにしちゃうと完成原稿をアシスタント杯に出したりする間違いがあるかもしれないかららしいよ。アシスタント杯用のネームを新人賞に出しちゃったならまだ救いようがあるんだけど、完成原稿をアシスタント杯に出しちゃった時にはもうどうにもならないの」


 明日アシスタント達に振る原稿の作業と、今日の原稿のミスを確認しているノノカ先生はそれから目を離さずに答える。


「どうしてです?」

「賞を超えて同じ作品を出す事が出来ないからだよ。新人賞は複数応募が出来るんだけど、完成原稿じゃないと審査対象に入らないのよ。賞自体が違うとなるとどうしても駄目なの」


 たとえネームを新人賞に出した場合、アシスタント杯は諦める事になるが、その後期限内に完成原稿を応募しなおせばいいため新人賞には問題無い。


 しかしアシスタント杯のネーム部門に新人賞用の完成原稿を出してしまった場合、一本限定応募の賞で訂正不可なのにも関わらず審査対象外の作品を出したということになる。また、その完成原稿を新人賞の方にも応募した場合は応募規約に違反するため、必然的に応募出来なくなるということになってしまうのだ。


「原稿後はみんな疲れてるし、〆切時間が同じだとたまに応募のミスがあるみたいよ」

「一つのミスで今までの時間と努力が水の泡ですか。恐ろしいですね」

「でしょ? それに、アシスタント杯は応募したら受賞者の作品をその年の暮れに発売される各雑誌に掲載するから、迅速な評価と発表をしなければならないの。そんなタイトなスケジュールの中でネーム賞の受賞者は原稿の完成を目指して、その間に編集者は掲載出来そうな雑誌を探す。イラストや脚本の人はペアを充てられ、二人三脚で作品を完成させていくの。だから都合的に昼に〆切にしてその日の内に結果を伝えた方が編集者のその後の仕事に余裕が出来るのよ」


 ノノカ先生はさり気なく夢叶が初耳の情報を言った。


「その日の内に結果が出るんですか?」

「あれ? 言ってなかったっけ。ごめんごめん」


 新人賞なら一次選考だけでも最低三ヶ月はかかるのに、当日中に結果が出るなんてそれこそ夢叶にとっては前代未聞だった。

 もちろん驚きはあったものの、役目の期日的にこの日程は有難いものなので胸を撫で下ろした。同時に、もし落ちたら役目不達成で地獄行きが確定してしまうことも悟った。


「それじゃ、泣いても笑っても明日全ての結果が出るんですね」

「そうよぉ。夢叶ちゃんの将来、漫画家への道、これからの人生。その全てが決まるかもしれないわねぇ」

「人生なんて大袈裟……でもないですね」


 目の前にいるノノカ先生は役目の存在なんて知らない。それでも、これからの人生と言われると夢叶はプレッシャーを感じざるをえなかった。


「でも夢叶ちゃんならきっと大丈夫よ。今までこんなに頑張ってきたんだし、今日だってみんなからたくさんの意見を貰ったでしょ? 坂田君のは少し厳しかったかもしれないけど。それに、夢叶ちゃんは自分の欠点が何なのか分かってる。だからきっと大丈夫だよ」

「ありがとうございます」


 結果は確かに怖い。もしかしたらこれで終わりになるかもしれない。でも、ここで怯えて全力を出さなかったら必ず落ちる。

 全てが終わってしまうのだ。


「夢を諦めたくない」

「その意気だよ。頑張れ」


 心に思っていた事が自然と口から漏れてしまった。

 夢叶は少し恥ずかしくなり、顔を隠すように作業に戻った。


**


 それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。外は薄く明るくなり始め、デスクの端には簡単に食べられるものが置いてあった。


「ノノカ先生」

「……だっ、大丈夫。大丈夫よ。ちゃんと起きてるわよ……」


 明らかに寝落ちていた様子のノノカ先生。


「私に付き合ってくださっているところ言いにくいんですけど、おやすみになられては?」

「なに言ってんの。私の可愛いアシスタントが〆切に向けて必死に頑張っている時に、アドバイスをあげられず、話相手にもなってあげなければ、チェックもしてあげないそんな意地悪先生がどこにいるのよ……」


 と言うノノカ先生の目は既に座っていて、今まさに必死に眠気と戦っているようだ。


「……ちょっとシャワー浴びてくるね。それで目覚ましよぉ」


 ノノカ先生はおぼつかない足取りで部屋を出た。

 まもなくしてシャワーの音が鳴った。


「こんな感じかな……」


 その後ももう何度目か分からない修正と描き直しをする夢叶は、出来たネームを見てもはやこれでいいのかどうなのか自分でも分からなくなっていた。

 没ネームだけで紙山が出来てしまうくらいに改良に改良を重ねた結果ゆえである。

 

 後でノノカ先生に見てもらおう。

 夢叶はそう思いふと体を起こすと例のように音が鳴った。目の疲れを緩和するため一時目を閉じると急に襲い掛かってくる猛烈な睡魔に恐怖を感じてすぐに目を開けた。


「まずいまずい。目を閉じちゃ駄目だ。一回ネームじゃなくてイラストと脚本の見直しをしよう」


 そっちはある程度完成していた。あとは見直しのみ。


「イラストは大丈夫。脚本は……」


 文章に目を落とすと、抗いようのない瞼の重さにより次第に狭くなっていく視界。


「まずいまずい。非常にまずい。他の事をしよう。そうだ、食べ物を噛んでたら目が覚めるかも」


 そう自分に言い聞かせると、置いてあったパンに手を伸ばして頬張った。

 

***


「夢叶ちゃん。大丈夫?」

「えっ……あっ。寝てないですよ。私にはまだやる事が……」


 夢叶は食べながら知らないうちに眠りに落ちてしまっていた。その証拠に手には食べかけのパンが握られていた。


「シャワー出たけど、目覚ましがてら夢叶ちゃんも浴びてくる? さっぱりするよ?」

「そうします」


 このままではまた寝てしまうかもしれない。

 それだけは絶対に避けなければならないので一旦シャワーですっきりすることにした。

 夢叶が部屋を出ると、ノノカ先生はネームとイラスト、脚本に目を通した。


「これは……」


****

 

「戻りました。では続きを―…あれ? ネームはどこに?」

「ここよ」


 それはノノカ先生の手の中にあった。


「読ませてもらったわ。それで、率直な感想なんだけど……」


 ノノカ先生の真剣な眼差しは、すっきりとした夢叶の頭に緊張を走らせた。


「見事よ。結局少女漫画にしたのね。狙う層も夢を追う中高生。分かりやすく整った構成で暗い過去も暗くなりすぎず、それでも大変なことや辛い事を上手く表現出来ているわね。緩急の付け方も絶妙でいいわ。もちろんネームからは夢叶ちゃんの顔がしっかりと見えるよ」


 夢叶は嬉しそうにほぐれたノノカ先生の顔を見ると、自然と涙が溢れてきた。


「私……」

「まだ泣くのは早いでしょ? 残りの時間で最終調整よ。多分もう少しブラッシュアップすればもっと輝くと思うよ。この分だと細かいところをさらに詰めていけば、あれ……?」

「どうしたんですか?」


 急にノノカ先生の顔が青ざめた。


「一ページオーバーしてる……?」

「えっ」


 夢叶とノノカ先生は焦ってページ数を確認すると、確かに一ページオーバーしていた。


「そんな……」


 夢叶の頭の中は真っ白になった。


「大丈夫よ。夢叶ちゃん。ここまできたんだから最後まで諦めちゃ駄目。まだ時間はあるんだから調整するわよ」

「でも今日のノノカ先生の原稿もあるのに……」

「そんな事よりもこっちが優先。これは先生命令よ。今日は応募するまでアシスタントのお仕事をしちゃ駄目。賞に専念しなさい。それで落ち着いて取り組むこと。いいわね?」

「ノノカ先生……ありがとうございます」


 そして夢叶はすぐさま作業に戻り、焦らずにそれでいて急いでネームの調整を始めた。


「おはようございます」


 少しすると、他のアシスタント達が続々と出勤してきた。


「みんな、今日は夢叶ちゃんの大事な日よぉ。だから夢叶ちゃんには賞の方に専念してもらうことにしたから、絶対に邪魔しちゃ駄目よぉ。ノノカ先生とのお約束だゾ?」

「ノノカ先生。なんかテンションおかしいですね」

「ほとんど寝てないのよ。それにね、夢叶ちゃんのネームがかなり仕上がってきてるから嬉しくてつい。これが親心ってやつなのかしらねぇ。まぁ、私は結婚してないんだけどね。あれ? 結婚ってなんだっけ?」


 みんなはそんな冗談を上手く流して、各々の作業に取り掛かった。

 〆切まで残り二時間。まさにラストスパートである。

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