故郷(ふるさと)



 見渡す景色は東京のような大きなビルや建物もなく、ましてやショッピング

センターみたいなレジャー施設やレストランもなく、山と畑に囲まれた自然豊かな

田舎町だった。唯一、その目に入り込んできたのは小さなスーパーと農作業専門の

資材店くらいだった……。

『ここは……』

まるで、別世界に来た感覚だったーーー。

前におばあちゃんに来た時はまだ私は幼稚園児くらいだった。

だから記憶の所々に途切れている部分があっても仕方がない。

物心ついた時には複雑な家庭環境に蓋をしていた。両親が揃っていない運動会も

参観日も表面だけの友達付き合いも、会話さえもめんどくさい日々にうんざりして、

逃げ場所をいつも探していた。私にとっての【絵】は唯一、無になれる場所であり、自分らしくいられる居場所でもあった。ひたすら絵を描くことで、私は物語の世界に

タイムスリップした気分になっていた。

 この町に来て馴染んでいけるのか、はっきりいって不安だらけだった。

でも、私は繋いだ母の手を離すことはしなかった。もしも、この手を離して

しまったら本当に母とはもう二度と会えない気がしていたからだ。

一度は実家を出た母が再び故郷ふるさとへ出戻って来て、おばあちゃんは

どう思うだろうか……。しかも、母はどうして この町に戻って来たのだろうか…。ふと視線を向けた母の横顔は真っすぐ目の前にある故郷ふるさとを見つめて

いた。

『大丈夫よ、アオちゃん。おばあちゃんもね、アオちゃんが帰って来るのを

待っていたんだよ』

隣から聞こえた母の声はおっとりとした柔らかな声色だった。すーっと、肩の力が

抜けて心が解放されていくみたいだ。その目に映る母の澄んだ瞳は優しい眼差しで

はにかんでいた。それは久しぶりに見た母の笑顔だった。

この自然が流れる綺麗な空気に浄化され母の心もまた解放されていたのだろうか。

思わず私は握った母の手を力強く握り返していた。


 新幹線を下りた駅のホームには芸能人でも見に来ているみたいに人混みができて

いた。しかも人集ひとだかりの大半は女子中高生だった。

よく見えなかったけど、囲まれている男女等もビジュアルが際立って目立つ中高生

くらいの人達だった。一瞬、私の視線の中に黄色く髪を染めた彼のブルーの左目が

飛び込んできた。彼の存在は男女グループの中でも特別オーラがあった。

なんだかブルーの左目に吸い込まれるみたいに私は無意識に彼の澄んだ瞳を

追っていた。

『うわ、、、カッコいい…』

左目だけがブルーって、なんかオシャレな感じがした。

まるで、彼の周りだけ別世界の境界線ができているみたい……。

それは、ほんの一瞬の出来事ことで、私と彼の視線が合ったのも1.2秒の事

だったけど…。多分、5分後にはきっと私は彼の事を忘れているかもしれない。

それに彼だって私のことなど気にも止めていないだろう……。

しかも私だって母とはぐれないように、その手をしっかりと握ることが

精一杯で…。なのに、なぜか視線はずっと彼を追っている。

彼にっとって 小4の私はまだまだ子供で、全然 相手にされないことぐらい

わかっている。わかっているけど…

それでも、視線は無意識に彼を見てしまう。

そして、彼の視線も……『私を見ている?』気のせいだろうか?……と、

錯覚してしまうほどに、彼と目が合うのはなぜ? 頬が赤く火照ってきた。

彼との距離が近づくにつれて、心臓がバクバク高鳴っていた。

恥かしくなるくらい自意識過剰だ。赤面を隠すように顔を伏せていた。

母に手を引かれ、人混みを通り抜けようとした、その時だった。

『あっ』

条件反射って怖い。思わず、彼の声に反応した私はピクッとその足をいつもより

高く上げていた。そして、私の足並みは母に手を引かれ流れるままバス停へと

動いていた。彼との距離はどんどん遠ざかっていくのに心拍数は高鳴って止まら

ない。


今のは何だったのだろう? この高鳴る心拍数は何?


『ん――ーーー?』


気づけば、不意に振り返り、彼の視線の先を辿っていた。そこには地面に砕けた

小さな破片が散らばっていた。だけど、周りにいる女子中高生達は全く気づかず、

推しに夢中みたいだ。結構、観察力と動体視力はいい方だと思う。

彼の表情から推測すると、地面に砕けていた破片は多分、彼の右目に入っていた

ブルーコンタクトだ。

彼は私を見ていたんじゃなくて落としたブルーコンタクトを探していたんだと

ようやく気づいた。

『あっ』という彼の声で幸いにも私は彼のブルーコンタクトを踏まずにすんだけど、

その後で誰かに踏まれて粉々に散らばったんだ……。

ーーーっていうか、中高生のくせにブルーコンタクトってどうよ?

って感じだけど……そう言えば背中に何か背負っていたような気がする。

あのシルエットはギターか何かだろうか…? もしかして彼らはバンドを組んでいる

有名人なんだろうか……。あれだけの人気ならかなりの有名人かも?

メディアに無頓着の私には関係ないことだ。彼と私の接点は何もない。

ただ、駅のホームでたまたま目が合って、すれ違っただけの通行人。

そう、明日になれば忘れるくらい私の印象なんて薄っすらとも残ってないだろう。

私だってきっと彼を思い出すことは二度とない……。


この青空に泳ぐ白雲のようにいつか流されて風化されていく。


決して交わることのない2つの道に接点はない―――ーーー。



駅の改札口を出た私と母がバス停に着くと、ちょうど冨士ノ里行のバスが

到着したとこだった。バスに乗り込んだ私と母は後部座席の空いている席へと

座る。窓際から眺める景色は自然の彩りがゆったりと流れていた。見ているだけで

眠気を誘う景色と更にそこから1時間もかけてバスに揺られりゃ、この長い道のりに

疲れた私は心までもリラックス状態になり、充電が切れたように眠ってしまっていた。

『アオちゃん、次、降りるわよ』

『んー、着いたの?』

母の声が微かに聞こえ、私は瞼をこすりながら目を覚ます。

運転席後部のパネルには『次降ります』の文字がくっきりと表示されていた。

バスが停車すると母は再び私の手を取り、速やかにバスを下りて行く。

見慣れた景色を思い出すように母の足並みは軽やかに進んでいた。

東京のマンションの敷地内を歩くだけでも人混みを気にして、俯いたまま

小さな声で挨拶する母が私の中では印象深く残っていたから目の前にいる

母の行動は意外な光景だった。でも、その手からは母の大きな愛情が伝わって

きていた。

『お母さん?』

今までつぐんでいた唇が無意識に開いていた。

気付くと、自然に言葉を発していた。不意に交わった母の視線は優しい眼差しで

私を見ていた。冷たい言葉も冷たく装った態度も私に対する愛情だった。

どんな時でも母は私の事を一番に考え、守ってくれていたのに私は自ら心に鍵を

かけて閉ざしていた。多分、それは傷つくことを恐れ、楽な方へと逃げていたから

だった。


言葉数は少ない方だと思う。


母と何をしゃべっていいのかわからなかった。


父と話す言葉が見つからなかった。



母に手を引かれ、道なりを10分程歩いた先にある赤い屋根の一軒家の前で

母の足が立ち止まり、私の足も立ち止まる。


『アオちゃん、今日からここがあなたの家よ』


ガラリと玄関が横に開き、中から母によく似た女の人が出て来た。

母よりちょっぴり年を取っていて、母よりちょっぴり背が低い。

母よりちょっぴりぽっちゃりしている。


『お母さん、ただいま。これから宜しくお願いします』


『美和子、よく帰って来たわね。アオちゃんも…(笑)』

美和子というのは母の名前である。旧姓 藤野美和子ふじのみわこ


この人が私のおばあちゃん……。


『おっ…おばあちゃん、これから宜しくおねがいします』


思いっきり頭を下げた。おばあちゃんのスリッパからはみ出している

5本指の靴下の親指の先に大きな穴が開いていて、親指が顔を出していた。

思わず『ぷっ』と吹き出しそうになった。両手で口を塞ぎグッと堪えた。


『はい、はい。宜しくね(笑)。アオちゃん…』


顔を上げると、にっこりと笑ったおばあちゃんの優しい笑みが目に

入り込んできた。


『さあ、中に入って。今日はすきやきだよ』

『すきやき?』

『すきやきはね、好きな人と食べるともっと美味しくなるんだよ(笑)』


こうして、私は母の実家があるおばあちゃん宅へと母子共に出戻って

来たのである。





























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