チーズバーガーにはなれず爪を噛むことに決めた。

悪本不真面目(アクモトフマジメ)

第1話

「このチーズバーガーおいしい、好きだなぁ。」

「お前いつもそれだな?」

「うん。大好きだから。」

一人で冷めた、砂糖やミルクも入ってない黒いコーヒーをカウンターで飲んでいる私はあのチーズバーガーを羨ましいと思った。私はカップル(憶測だが)の姿は背中越しなので分からない、だから容姿などはどうでもよい。ただ、あのチーズバーガーは何度も何度も、女性から好きと言われていた。これが私には羨ましかった。優しいとか、意図せずに面白いとかは言われたことはあった。それも随分と五年以上前のこと。好きなどとは言われた記憶がない。だから私はあのチーズバーガーになりたい。どんな気持ちなのだろうか。あれだけ異性の女性に好かれる感覚というのは、私もあのチーズバーガーみたいにジューシーでフレッシュでとろーりしていたら好きと言ってもらえるのだろうか。


 私は幼いころ爪を噛む癖があった。今考えても自分自身でも嫌悪感を抱くのだが、足の爪も噛んでいた。そのせいか、顎がズレ歪んでしまう顎変形症になってしまった。それ以外も原因はあるだろうが———何故爪を噛んでたのかというと、私は小さい頃、ビーグル犬のキャラクターのカーディガンが好きだった。それは三歳くらいに着ていたもので私は小学三年までそれが好きだった。カーディガンが好きというより、ビーグル犬が貼られている部分のツルツルしたところに唇を当てるのが好きだった。だから爪を噛むときに私が求めていたのは薄皮のつるっとしたところに唇を当てることだった。どうも私は唇が恋しいようだった。それは何かの不足を補おうとしていたのではないかと今は思う。そんな爪を噛む癖を見た母は嫌悪感たっぷりな顔をして私を見下しこう吐き捨てた。

「やめてよね。子供が爪を噛むと親の私があなたに愛情を注いでないように見られるから本当にやめてよね。私のイメージが悪くみられるでしょ。」

これを聞いた時、ああそうなんだと普通に受け入れた。しかし、だからといってやめる気にはなれなかった。私の唇が恋しいからだ。それにどこか冷たさを感じたのも、私がやめる気になれなかった理由かもしれない。だから、だよ、と言いたかったのかもしれない。実際、中学生の頃か、私はその時公園のベンチに座っていた。小学低学年くらいの男の子が手の親指の爪を噛んでいた。するとその子の母親がやって来て爪を噛むのを止めさせこう言った。

「爪を噛むのはやめなさい。たーくんの爪が深爪になってたーくんが困ることになっちゃうのよ。」

たーくんが、か。僕はそう思った。温かい理由だなと思った。


 家へ帰り私はスーパーで買ってきたものを並べ、調理することにした。ハンバーグを湯煎したことはあるが、一から手でこねるのは初めてだ。私はビニール手袋をはめ手で肉をこねる。生卵を入れてからこねてる時のぬちゃあぬちゃあという音は今の私の中身のどこか近しいねっとりさを感じた。

「ぬちゃあぬちゃあぬちゃあぬちゃあ」

私はどこか親近感を覚えたその音に同調して声に出しながら混ぜていた。何か念でもこめようとしているのか、ただ楽しくて童心の頃に戻り遊んでいるだけかもしれない。そしてこね遊び終えると、肉を丸く整形する。足で何度も踏んだかのように平たく大きく伸びた肉を私はフライパンで焼く。どうしてもジューとおいしそうな音を立てなく不安が募る。私はジューと鳴れと願い祈りジーと肉が焼かれていくのを見ていた。見続けると、耳鳴のような微かにジューという音が聞こえたような気がした。これは不安による幻聴なのかもしれないが私はその音にすがった。その音が聞こえ、少し安心をし、スライスチーズを肉の上に乗せた。そしてチーズがとろーり溶けるのを見ていた。しかし、これも良い感じにとろーりと溶けない。理想が高いだけかもしれないが、私にはとろーりとしてもらわないと困るんだ。気づいたら、いや元々そうだっただけかもしれないが、ジューという音もしない。不安が募る。募る。私は右手と左手をぎゅっとして祈りをその肉とチーズに送った。一向に届かない、電波が悪い。圏外なのか、論外なのか。ただ私は祈りじーっと見続けた。おそらく瞬きを放棄していたんだろう、私の目が疲れてきた。目が乾く。それと同時に頭も痛くなり気持ちが悪くなってきた。私は全ての元凶と言わんばかりに封印のようにフライパンにフタをして放置した。そして私はよくないが、布団に寝転がり、気が付いたら案の定眠ってしまった。


「ピーピーピーピー」

私はこの火災報知器の音で目が覚めた。すぐさま状況が分かり、封印を解きにフライパンのフタを開けた。煙が煙がすごかった。そういえば点けてなかった換気扇を点け、火を止めた。フライパンの中を覗くとものすごい嫌悪感がした。これでは好かれない。女性から好きと言ってはもらえない。私はその肉の塊ごとフライパンを流しに入れ水を入れた。いつもケチっているが少しでも少しでもという思いがあってか私はいつもより強く多めに水を出す。水の勢いが行動を促せる。時計を見た。これが何時だったかは分からなかったが、まだあの店は開いている時間なのは確信ができた。それでも急いでいかないといけなかった。私は慌てて、床に無防備に置いてあった今日一度も使っていない油を倒してしまった。さすがに、水で濡れる程度ならかまわず行ってしまう無神経な私も、油で濡れた靴下のまま外に出る程には神経はあるようだ。私は靴下を脱ぎ、出来れば靴下を履きたかったが、パッとは見つからなかった。私は仕方なしに裸足のまま靴を履くことにした。私は靴を履く時に足の親指と目があった。そろそろ爪を切る頃だなと思った。


 今まで生きて来てこれ程までに自分の為に走ったことはあったろうか。店に入り息を切らしながら私は他にお客が並んでいたかの確認もせずすぐさま店員に注文をした。どうやら他にお客はいなかったうようだ。私はポッケにジャラジャラ入った小銭を一枚一枚自他ともに鬱陶しく支払った。他にも喉がカラカラだったし、久しぶりにナゲットを食べたかったが、その意思よりも優先すべきことが私にはあるんだ。チーズバーガーはあっという間に私の手元へと渡った。なにか無駄なものが排除されカットされたかのようにあっという間だった。テイクアウトしたチーズバーガーを床が油まみれで、あの肉の塊がある部屋で食べたくはなかった。そういえば水を止めた記憶がなく、まっとうな人間なら今すぐにでも家に戻りたくなるだろうが、私には身に覚えがなかった。家へ帰る道を一切通らず、適当にチーズバーガーを持ちながら辺りを歩いていると、公園を見つけた。その公園は例のたーくんとたーくんのお母さんがいた公園にどこか似ているように思えた。


 私は公園のベンチに座りチーズバーガーを開ける。これが好かれるものの姿かと私はまじまじと何かを盗むように見た。私は最初食べるつもりで買ったが、よくよく考えると食べたからといってチーズバーガーになれる訳はなかった。牛肉や牛乳を食べて飲んだってモウモウ牛になる訳がない。私はなんだかこの羨ましいチーズバーガーが邪魔になってきた。そうすると今すぐ家に帰って水を止めて油を拭いてというまっとうな選択をしてしまおうかとも思った。ただそれをしたところで誰が「好き」と言ってくれるのだろうか。ふと、顔を上げてみると私はチーズバーガーしか見えてなかったのだろう、目の前には桜があり、その美しい夜桜を見る美しい女性がいた。あの女性だ。本当は違う。声の感じだともう少し若く、こんな大人っぽくはない。まるっきりイメージと違うが、私は彼女をあの女性と思うことにした。私はチーズバーガーをギュウと握りしめ彼女に近づく。彼女夜桜に見とれていてこっちに気づいていない。私は彼女に急に声をかけた。私の望みを叶えてもらうべく。

「あ、あの、僕のことを好きと言ってもらえませんか?」

私はぎゅうと握っていたチーズバーガーを顔面にぶつけた。しかし、私の思惑通りにチーズバーガーはぐちゃあとならなかった。チーズバーガーが私の皮膚に浸透し、毛穴のあらゆるところに侵入してくれるはずだった。ところがチーズバーガーは未だに好かれるままの状態だった。

「な、なんですか!?」

私はあきらめず何度もチーズバーガーを顔面にぶつけた、何度も、その度に

「好きって言ってください」

と言い続けた。彼女はお腹を押さえていた、口も押えていた、美しい彼女の姿には似つかわしくない程に歪んだ表情をしていた。その表情になっても、私は「好き」と言われてみたかった。彼女は更に似つかわしくない声で私を拒否する。

「やめろよ、気持ち悪いんだよ!なんなんだよ、あっち行けよ!何が好きだよ、嫌いだよ、大嫌いだよ!」

私は泣いていたような気がする。チーズバーガーのパンが少しふやけていたような感じがしたからだ。私は無言のままチーズバーガーを顔面に、靴を脱いで足の裏にもぶつけた。———風が吹いた。桜が散り花びらが私の頬に触れた、私の涙をぬぐうかのように、そして気が付いたら女性はいなかった。私は足の親指とまた目があった。私はベンチに座り、足の親指の爪を何年間ぶりに噛んだ。爪が噛み千切られ、少し表面がペロっとめくれそうなのを発見しお目当ての薄皮を剥くことが出来た。そして表面の薄皮に唇をあてた。足がつりそうになっても足を顔に近づけ、他の指も嚙み始める。母がたーくんの母が私を止めにくるまで。それまでは私は爪を噛むことをやり続けようと決めた。

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チーズバーガーにはなれず爪を噛むことに決めた。 悪本不真面目(アクモトフマジメ) @saikindou0615

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