刄
丘行灯
見極め
試斬用に立てられた巻藁の前、粗末な茣蓙の上に私は正座していた。
四半刻ほど前だろうか。師であり実の祖父より突然
「腕前を見せろ」
と言われ庭に連れて来られ、用意された場に座ったまでは良かった。
「刀を抜かずに二度斬れ」
それだけを告げるとさっさと何処かに行ってしまった。
腕前を見せろ、と言っていたのに近くで見ていなくてよいのだろうか、とか孫娘を寒空の下にほっぽってどこ行きやがったクソジジイとか色々と雑念が浮かんでくる。
大体何なんだ刀を抜かずに斬れとか滅茶苦茶もいいところだ。先に鞘から抜いておいて斬るとか鞘ごと叩きつけて鞘を壊せとかそう云う話ではないのだろう。多分。
ブルリと身体が震える。僅かに視線を上げるといつの間にか雪が降り始めていた。茣蓙を敷いただけの地面にも熱は奪われるし何より痛い。普段から板間で正座をしているので痺れは無いが、石が袴越に所々当たっている。短いスカートは暫らく履けないかな、とつらつら益体も無いことを考えていると少し楽しくなってきた。随分と余裕があるな、と。
一度深く息を吸い、深く吐き切る。
丹田を意識し、天より地に向って下ろした糸を身体に通し、巻藁を視界の中に据える。
もう一度祖父の言葉を振り返ろう。
刀を抜かずに二度斬れ。
巻藁を二度斬ることは然程難しくは無い。
物心がついた時には既に木剣を手にして祖父の真似をしていた。
試斬も数え切れない程行って来たし、失敗することは無いだろう。
では刀を抜かずにとは何を求めているのか。
……分からない。
『二度斬れ』だけなら立ち方、重心、刀の降り方など見る所、は……。
いや、そんなものを見てどうする。
稽古であらゆる想定で剣を振るって来た。足を挫いた時ですら嬉々として片足が使えない時の想定を語っていた祖父である。今更なんの変哲もない試斬の何を見るのだ。ましてや儀礼染みた所作など求める段階ではあるまい。
ふ、とそこまで考えて疑問が浮かぶ。
私はそんなことを考えて剣を振って居たか?
歩く時に歩き方を考えるものは居ない。それは歩くという行為が身体に染み着いているからだ。
だが、貴方はどうやって歩いていますか?と尋ねられて言語化できるだろうか?下手をすると考え始めた瞬間、歩く行為に違和感を覚える。
私にとって剣を振るう事は日常だ。
その日常に意識を向けさせる刀を抜かずにという言葉はただの嫌がらせではないのか。
つまり今求められているのは――
――納刀をした感覚で刀から身体に思考が戻って来る。
左に半歩踏み出し巻藁に正対した姿勢でゆっくりと柄から手を離す。
眼の前には三つに別れた巻藁が転がっていた。
「何を考えて剣を振るった」
「何も」
投げかけられた言葉に短く返す。
いつの間に戻ってきていたのだろうか視界の端に祖父が立っていた。
いや、存在自体には気付いていた気もするが、ついさっき迄はどうでもいいことだと切り捨てて居た気がする。
不思議な気分だ。
世界に刀と私と斬られるモノしか存在していなかったかの様な感覚。
あの時、私の魂は多分刀と繋がっていた。
むしろ今現在でさえ、
「風呂が沸いている。いっておいで」
続いて掛けられた祖父の言葉にふと自分の身体が冷え切っていることを思い出した。
一度自覚してしまうと熱い風呂の誘惑には抗い難い。
「失礼します」
祖父と孫ではなく師と弟子としての挨拶をして私はそそくさと家の中へと入っていった。
師である老人は孫娘の気配が家の中に入った事を確認してゆっくりと息を吐いた。
(成人すらしていないのにこの腕前か)
握りしめていた手を開くと親指の爪程度の
本来であれば抜刀の瞬間礫を撃ちそれに対する動きをはかるのが目的であった。
妨害と問答に対する答えで皆伝とするに相応しいかを確かめるのだ。
歴代の当主の記録を見ると、礫を躱した者、礫を受けてもそれを介さず刃を振るった者等が居たが、当主を脅して何もさせなかった者は居ない。
本人にその意識は無かったのだろうが、明らかに老人を意識した位置に動き、牽制をしていた。
時代が違えば別式女、或いは静御前の様にその名を残したかもしれない。
だがこの平和な国、平和な時代で人殺しの業などなんの役に立つのだろうか。
細々と繋いでいた技術を途絶えさせるを惜しみ、望外に才能のあった孫に自分の全てを伝えたことで己の望みは果たせたが、それは孫の人生に余計な荷を背負わせただけではないのか。
そもそも若い娘の数年を無為に奪ったことは許されない事ではなかろうか。
心残りを清算した筈の老人の心は、冬の空の鉛色を映したかのように重く沈んでいた。
尚、散々悩んだ末孫に打ち明け「じゃ小遣い稼ぎ手伝って」と言われ年の差半世紀武術系配信者師弟としてそこそこの人気を得るのはこの僅か一月後であった。
刄 丘行灯 @okagyoutou
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