人間の価値

 ザランガム塔が何のためにあるのか。

 大昔には、時計塔としての役割があった。

 高さは、3階建てくらいの細長い塔。

 とはいっても、横幅は結構ある。


 外壁には、黄金の円盤がハメ殺しにされており、黒い数字と針が付いていた。


 時刻は長針と短針が、どれも3を指している。

 土色をした塔の周りは、たくさんの瓦礫が落ちていた。

 一つや二つじゃない。

 倒壊したのか、と疑うほどに、塔の外壁と同じ破片が山盛りになっている。


「……磁石って言ってたな」


 想像がつかない。

 石と石がくっ付く現象は見たことがある。

 当たり前になり過ぎて、よく考えれば不思議な現象のはずなのに、何とも思わなくなっていた。


 この磁石で起きる引き寄せの力が、どう攻撃に転じるのか。

 レイアは斧を担ぎ直し、塔に向かって歩き出す。

 入口となる一階は、四角い形の回廊のように、いくつもの支柱が見えた。が、目を凝らすと、上へ繋がる階段がどこにも見当たらない。


「ん?」


 パキっ。

 妙な音が背後から鳴り、咄嗟に斧を振りかざした。

 振り向いたレイアは、「はぁ?」と間の抜けた声を漏らしてしまった。


 レイアの後ろには――来た道は、

 塔の外壁と同じ色で、同じ石目がある。

 壁を見上げていくと、いつの間にかレイアの頭上には天井がある。


「何だ。一体、……何が……」


 下を見れば、踏みしめてきたが生えている。

 例えるなら、家屋の土間みたいな感じだ。

 地面がむき出しで、周囲だけを木や石など、家の壁で囲まれているような空間。


 ぐるりと周りを見ていくと、レイアの目は広い空間の中央で留まった。

 そこには、いつの間にか一人の女が座っていた。


「やあ」


 今まで、一番人間の女に近い。

 橙色の髪は、セミショートくらいの長さ。

 髪の毛の先は外側に跳ね、何となく明かるい印象を受けてしまった。

 全身は黒いタイツ生地で覆われ、中でも注目すべきは、下半身だ。


 腰と両足に、レイアの甲冑がガッチリとはめられていた。

 切り株のように、平らな石の上に座り、女がニコニコと笑う。


「フェリア……だな」

「マリアから聞いたの?」

「……ああ」


 レイアは斧の柄を握り、目つきが変わった。


(…………聞いてないぞ……。こいつ、……誰よりも人間らしいのに)


 ――存在が――異次元だ。


 空間は、大きな劇場くらいの広さ。

 100人は余裕で入れるだろう。

 窓や出口はなく、周囲はやはり外壁に囲まれている。


 頭の整理がついてきたレイアは、確信する。


(アタシは、……一歩も動いてない)


 動かずして、別の場所にいた。

 そう錯覚してしまうほどに、全ての景色が一瞬で変わった。


 こいつの磁石とされる超常的な力は、物体を引き寄せるという。

 だが、本当に引き寄せるだけか。

 磁石とは、同じ極が合わさった時には離れてしまう。


 束の間であったが、レイアは考えた。

 思考をフル回転させ、自分の先入観を消す。


(あいつの皮肉に、……教えられた気分だ)


 マリアは呆れた様子で言っていた。


『人間は人間にとって都合の良いように概念を用いる』


 一旦、、マリアがなぜ磁石と言ったのか考える。

 その答えは――。


「ッ⁉」


 前方から飛んできた物体を斧の平で振り払う。

 粉々になったのは――土色の破片。いや、


「ありゃ。外しちゃった」


 サラサラと分解した砂が宙に浮いて、天井の石目に吸い込まれていく。

 天井の一部となる瞬間を目撃して、レイアは確信した。


「ここには、……のか?」

「正解。にひっ。よく分かったね」


 磁石の性能としては、引き寄せてくっ付く。

 このイメージを具体的に広げるなら、例え砂粒ほど小さな物体でも、一か所にくっ付いて、別の物を作り出すことができる。


「他の二人を殺しちゃって。……私、ちょ~っと、イラついてるんだよね」

「お前らが人間を殺しまくったからだろう」

「分かってないなぁ」


 フェリアは肩を竦めた。


「人間は、死なないといけないの」

「あぁ? ふざけてんじゃねえぞ、テメェ!」

「人間だけじゃない。動物だってそう。アンタさぁ。どうして、自分に寿命があると思うの?」

「チッ……」

「不老不死なんて真似されたら、バランスが崩れるんだって。分かる?」


 前に屈み、にっと笑うフェリア。

 その姿が、レイアには昔の本で見た悪魔を想わせる。


「マリアが狂っちゃったからさ。私たちが、しっかりしないとじゃん?」

「狂ったって……」

「私は元々働くのは性に合ってないんだよね。ここでずーっと一人でいてさ。んだよねぇ」


 こいつもまた、自我が芽生えている。

 個の人格が、自我。

 ならば、マリアは元々狂っていた事になるが、それでもレイアは一つだけ彼女を信じている所がある。


 ブナという少年に対する愛情は、本物だ。

 赤の他人からすれば、無駄と思えることも、マリアは手間暇を掛けてやってしまう。

 相手のために、何かをしてあげたい。

 その気持ちが行動から痛いほど伝わってくるのだ。


「まあ、でも、……マリアは死ぬよ」

「どういう事だ?」

「ドルトリンはマリアを殺せる。でも、今までは無理だった。ドルトリンはマリアが大好きなんだ。ずっとベッタリだったから。どこ行くのにも、ずっとついて回ったのは、あの子だけだからね」


 レイアは奥歯を噛んで、生唾を呑んだ。


 ミカエルとルシファー。

 神話では、天界で神に背いたルシファーをミカエルが打ちのめし、敗北したルシファーは堕天するという話。


 ミカエルはルシファーの弟であったという話。

 マリアの話では、自分をミカエルと言った。

 でも、フェリアから話を聞いたレイアには、真逆に思えた。


 もしも、マリアが己の自我から発した言葉であるなら、自分をよく見せようとした感情があるのかもしれない。あるいは、人間で言うところの姉という立場だけで、そう答えたのかもしれなかった。


 元の話とは、多々違う点があるのに。

 どこか漠然と類似する部分があって、今の彼女の行く末を表している気がしてならなかった。


 どのみち、もうマリアは冷静ではない。

 元の彼女は、どこにもいない。


「人間なんて、一匹残らず死んだっていい。くすっ。……人間さん。自分の存在価値を示してみなよ。そうしたら、生かしてあげる」


 じろっとした目つきで、口元には笑みが浮かぶ。

 フェリアは試すような口ぶりで語り掛け、レイアは額に青筋が浮かんだ。


「アタシはね。難しい事は分からないんだよ」

「……ふぅん」

「でもね。アンタらにとって、醜い生き物でも、今この瞬間に誰かの事を助けようと必死になってる奴がいる。放っておけば良い動植物の事を気に掛ける物好きだっている。アタシらは、……生きる事に必死なんだ。生きて、周りも生かして、必死に歩いてんだ。性根の腐った奴ばかりじゃない」


 人間も使族も。

 種族が違うだけで、レイアの言葉に該当するのが、少なくとも二人いる。


「無価値だねぇ」


 レイアの周囲には、無数の棘が付いた壁が現れた。

 上。後ろ。左右。

 潰れる所を見たいのか、前だけは何もなかった。


「……さようなら」


 無情な一言と共に、壁が一斉に押し寄せた。

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