忘れていた現実

 18歳になりたての頃、レイアは体作りがまだ完ぺきではなかった。

 スマートな肉体をしており、筋肉の溝があちこちに見える程度だ。

 昔から太りやすい体質のために、胸や臀部はとにかく大きかった。

 あと、お腹も油断すると酷かった。


 かつて、大陸には大小の国々があって、レイアはドムナント大町を領地とする伯爵家の令嬢であった。


 今では、住んでいた館は資料館となり、当時の面影がかろうじて残ってる。


 厳しい訓練が終わると、レイアが必ず向かう場所がある。

 それが公園の片隅だった。

 全身を包み込むタイツは汗でびしょ濡れ。

 張り付いて着ているのも気持ち悪かったが、汗だくのまま、公園の片隅で座り込み、地面に咲いた一輪の花を眺める。


「こぉら。またこんな場所でボーっとしやがって。明日から野営訓練するから、準備しろって言ってたじゃないか」


 隊長プリューデが蹲るレイアに呆れている。

 見た目だけなら、レイアよりずっと貴族らしい見た目だ。

 金色の長い髪は、毛先を遊ばせて、くるっと丸まっている。

 キツい目つきだが、面倒見が良く、愛情が病的なレベルですごい人だった。


「何を見てるんだい?」

「除虫菊ですわ」


 ちなみに、この頃のレイアはまだお嬢様が抜けていなかった。

 髪は後ろで一本に束ねて、顔だけ見れば、虫も殺せないような優しさが面に表れている。


「閣下が虫嫌いとお聞きしまして。除虫菊をプレゼントしようと考えていたのですが」


 黄色い管状花かんじょうかの周りには、白い花びらが付いた花。

 殺虫の効果がある事をレイアは知っていて、重装歩兵をまとめる閣下にあげようと思っていたらしい。


「どうせなら、種子を取って基地内で育てた方がよろしいかと思いまして」

「アンタ、本当に花が好きだねぇ」

「ええ。ええ。お花は癒しですっ」


 未来のレイアが見たら死にたくなるような、キャピキャピとしたお嬢様具合だ。最早、別人である。


「プレゼントなんてしなくていいよ」

「ですが……。就寝に支障をきたしておりますのよ? 夜更かしはお肌の天敵ですっ」

「あのねぇ。ワタシらは、……いつ死んだっておかしくないんだよ」


 隣に座り、プリューデが優しい声色で現実を教えた。


「軍隊なんて、上の連中は現場に行かないだけで死なないと思ってるけど。相手は人智を超えた存在だよ。その気になれば、この町ごと吹っ飛ぶんじゃないかな」

「そんな……」


 落ち込むレイアを見て、何だか笑ってしまった。


「だって、……昨日のがあったことを誰も知らないんだ」

「……」

「シスターには感謝だな。あの人が、単体で押し返したよ」

「敵の数は?」

「暗かったから、正確な数は見えなかったけど。松明の明かりを見ても、千はいってると思う」


 レイアは絶句した。

 千の数を単体で押し返して、何事もなかったかのようにシスターは教会に戻ったのだという。


「周辺は警備固めてるだろう? すぐにでも大砲をぶっ放せるようにしてる。文明の利器を使って、あちこちを索敵してるのに。パッと現れては、霧のように消えるんだ」


 木の上で鳴く小鳥を見上げ、プリューデはポツリという。


「本音を言うなら。どうせ死ぬくらいだったら、ワタシは好きな人の子供を産みたい」


 目だけを隣に向け、


「アンタは何か夢とかあるの?」

「ワタクシは、お花屋さんが良いです。色とりどりの花に囲まれて、生活したい。効能の勉強だってバッチリですわ」


 彼女たちは、負け戦のために訓練を積んでいる。

 誰にだって勝敗は明らかだけど、みんなは見て見ぬふりをしているに過ぎない。一度認めたら、絶望に負けてしまう。


「だったら、お互いにひたすら食って。ひたすら鍛える。前に教えたでしょう。筋肉は全てを解決する」


 力こぶを作って見せると、二の腕が大きく盛り上がった。


「はいっ!」


 同じようにレイアも力こぶを作るが、まだまだ肉の盛り上がりが小さい。

 隊長とのひと時をレイアは忘れていなかった。


 *


 大町に着いて、レイアは斧を落とした。


「なんだ、……こりゃ」


 レイア達を迎えるのは、重厚な金属で作られた重い扉だ。

 現在、レイアの前には真っ黒に染まった大地があるだけで、鉄扉はどこにもない。扉だけではなく、周辺を囲んでいた垣根もなかった。


 扉のあった場所に近づくと、外から町の様子が窺えた。


「町が……、半分無くなってる……」

「襲撃ですかな」


 三人は呆然とした。

 ブナに至っては、目を丸くして何も言えない様子だ。


「ここにあった、公園はどこに行った? 待て。公園の近くに病院があっただろう。どこだ?」

「れ、レイアさん。落ち着いて」

「落ち着けるか! 何でだ。どうして、こんな……」


 地面に目を凝らして観察すると、真っ黒い地面は蛇腹のように線が引かれている。大地を抉った跡だろう。

 その跡はずっと向こうまで続いていて、大町の反対側に伸びているようだ。


 黒い大地の幅は、約500mくらいか。

 横に並んでいた家屋は跡形もなく全て消えている。


「シスターは、だ、大丈夫かな?」


 ブナが不安を漏らし、レイアは僅かに理性が戻った。

 シスターなら何か知っているかもしれない。


「くそっ。……くそっ!」


 町の発展に囲まれていると、つい忘れてしまう。

 使者はいつだって、人間を滅ぼせる。

 垣根なんて意味がない。


 人間達の気休めを目に見える形で破壊してやったのだ。

 こんな芸当、使者にしかできない。

 レイアは斧を拾い、ブナの手首を掴んだ。


「行くぞ」


 思いも寄らぬ惨劇に、三人は言葉を失う。

 ずっと首筋がピリピリとしていて、気が狂いそうだった。

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