逃げない

 時間の流れとしては、が来たのは彼女が本来の姿に戻り、レイア達の前に戻った頃だった。


 パキパキと、虹色の水晶が目の前で花開き、一瞬だけブナと一緒にレイアは見惚れてしまった。


 日光が当たる角度によって色を変える、虹色の水晶花。

 表面には、油のような光沢があり、花びらが9枚。

 レイアはジッと水晶を見つめると、すぐに違和感がある事に気づく。


「伏せ――、っと、うおお⁉」


 突如、突風が起こり、ブナの体が地面から離れた。

 慌ててレイアが脇に抱えた事で、ブナが吹っ飛ばされることはなかったが、目を開けていられない。


 風が止んだ後、ようやく目を開くと、今度は水晶に異変があった。

 バラバラに砕け散り、空でくるくると回っていた。


「わあ。キレイ~……」

「いや、あれは……」


 レイアが斧を握りしめ、落ちてくる前に軽く頭上で振り回した。

 勢いをつけて、斧を回転する水晶の破片に当てると、案の定だった。


 カァン、と強烈な痺れが手首に伝わってくる。


 振り払われた破片は、またくるくると回り、離れた場所にある木の幹にぶつかった。その際、ブナは言葉を失ってしまう。


 水晶の破片は、サックリと木の幹に刺さっていたのだ。

 まるで、果物にナイフを突き立てたかのような切れ味。

 他の破片は地面に刺さったり、茂みの奥に散ったりと、至る所に水晶がばら撒かれている。


「ありゃ、だ」


 突風と共に運ばれてきた第二の矢は、水晶をいとも容易く砕いて、奥にある触手まみれの軟体を貫いた。


 体の半分が弾け飛んだことで、プリメラの動きが一瞬だけ遅れる。

 残った触手で無くなった手足を触ると、壊れた人形のようにカクリと首を傾げた。


(私たち、……仲間だよ? マリア。相手。間違えてるよ)


 透明な目玉がギョロギョロと動き、目の前にいるレイアへ殺意が注がれる。


「……ッ……ッ!」

「何言ってるか、聞こえないよ!」


 プリメラが何かが叫んだ直後、周辺の景色が一変した。

 森林地帯にいたはずのレイア達だが、周囲に立ち並ぶ木々は全てが虹色の光沢を帯びる水晶に変わり果て、足の裏まで土が見えなくなっていく。


「姉ちゃん!」

「姿勢を低くしていろ」


 例えるのなら、氷柱の世界だった。

 水晶化された世界は、あちこちに細かい亀裂が入っており、見るからに不安定。おまけに足場が悪すぎる。


 レイアにとって、非常に不利な環境になった所へプリメラは追い討ちを駆けてきた。

 宙に浮かぶ首が真横を向くと、キィ―ッ、と何かを引っ掻くような音が前方から聞こえてくる。


(……ちょっと、ちょっと! こいつを守りながら、こんな奴とやり合えって!? 冗談じゃないよ!)


 塗料で濡れた顔がグルグルと回転を始める。

 同時に、下半身の触手は瞬く間に結晶化し、車輪のように高速回転を始めた。高さは5、6mほどか。これが真横に向けられたらと思うと、ゾッとした。


 水晶化した分、10本以上はある触手が可視化されている。

 回転が速すぎて、触手の残像しか見えないが、ここまで来たら覚悟を決めるしかない。


「ブナ」

「……な、なに?」

「あたしと一緒に死ねるか?」


 少年にとって、死とは何かなんて、まだ分からない。

 痛いことか。

 苦しいのか。

 どっちも嫌に決まっているし、死にたくて死ぬ奴なんかいない。


 親の死に様を思い返せば、それくらいは分かる。

 だけど――。


「お、オイラ……。もう、逃げたくない……」


 レイアのふくらはぎにしがみつき、ジッと固まった。


「んじゃぁ――」


 恐ろしい速さで大車輪が接近してくる。

 レイアは柄をきつく握りしめ、脇を締めた。

 斧の平面を大地につくスレスレで浮かせ、タイミングを見計らう。


 水晶を斧でち割るなんて芸当、普通は無理だ。

 だけど、さっき斧を振った時に砕けたのは、威力で粉々になったというよりは、斧の持つ使者を避ける性能が働いたと言っていい。


 なら、プリメラの触手だって砕けるはずだ。


 レイアが目を見開き、ジッと構えていると、前方からはフワリとそよ風が吹いた。

 破片の粒がコツコツと端正な顔立ちを傷つけていき、額にできた傷からは、赤い血が滴り、瞼の上を滑り落ちていく。


 視界の下端では、斧の間合いまで地面が削れていた。

 


「死ぬか――ッ!」


 真っ向から斧を振り回すと、直後には耳を劈く破壊音が響き渡った。


「お、わああああっ!」

「――ッ――ッ!」


 動物の泣き声と掠れ声を混ぜた、奇怪な悲鳴だった。

 斧は下から上へと切り上げるように振るわれた。

 途中で水晶化した触手とかち合い、斧の片側はメリメリと深く食い込んでいく。


 タイミングよく捉える事ができたのはいいが、やはり硬い。

 レイアの腕が大きく笑っている。

 広背筋は深い溝ができるほどに力み、体長が5mもある巨大な使者を斧一本で支えているのだから、両足などは限界まで膨らんでいた。


「く、のおおおおお!」

「頑張れ姉ちゃん!」

「おおお、――ッッらああああああ!」


 レイアは体を力任せに捻じり、全力で斧を振り切る。

 広背筋のみならず、肩の僧帽筋そうぼうきんまでコブが膨らんだ。

 勢いと腕力に負けたプリメラは、バタバタと触手を暴れさせ、逆方向に転がった。


(なん、なのよぉっ!)


 人間に腕力で負けるとは思っていなかった。

 水晶化した大地で仰向けになり、プリメラは首を捻じって、激痛に耐える。


「ッッッッ! (殺して……やるッ!)」


 うつ伏せになって、レイアを睨む。

 真っ向から殺意を向けられたレイアは、鼻で笑った。


「おかわりが欲しいのかい? いいよ。来な!」


 芋虫の動きで、何とか立ち上がろうと試みる。

 だが、おかしなことに、触手は再生してくれなかった。


「っ?」


 プリメラの触手は千切れた所で問題ない。

 タコと同じで、何度だって生えてくる。

 今までだって、そうだった。


 だけど、斧で砕かれた足は止め処なく青色の体液が溢れ、痙攣を起こしている。


(やっぱり、そうだ。シスターの言ってた通りか)


 使者を遠ざける性能を持つという事は、反作用の力がある。

 例えば、マリアの蘇生を受け付けないという事は、があるということ。


 相手が身動きできないと分かると、レイアはブナの頭を乱暴に撫でた。


「目を瞑ってな」

「う、うん」


 斧を担いで、足元に気を付けつつ、レイアはプリメラに近づいた。


(うそ……。何で……)


 触手は一気に3、4本が持っていかれた。

 残りの触手で立とうにも、力が入らない。


「悪いけどね。こちとら、早く終わらせたいんだ」


 半身の傍に立ち、レイアは斧を振りかぶる。

 斧の平に付いた自身の血液がぽたぽたと落ちてきて、透明な首を濡らしていく。


 プリメラは目の前の敵に憎しみを覚えるのではなく、最後にマリアの姿を思い浮かべた。


(マリアの――……ばかぁ……っ!)


 一切の加減がなく、斧は振り下ろされた。

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