●屋敷の夢:第一夜

『いぬーーー!!』

『わんちゃんかわいそう』

『犬が死ぬ話って先に言わないの、条約違反じゃない!?』


 コメント欄のタイムラインが一気に加速する。経験上、人間が死ぬより動物が死ぬ話のほうがフォロワーのリアクションがいい。

「神仏の祟りは、苛烈かれつというか、理不尽りふじんというか……人間のものさしでは量れないことが多い気がしますね。山梨県のとあるご神木などは、ほんのわずかな接触でも強烈に祟られると有名です。隣の敷地にはみだしてきた枝を伐ったら死んだとか、落ちた葉っぱを拾ったら死んだとか」

 話しながら、ちらっと横をうかがう。

 いつもなら怪談後の感想戦に乗ってくるはずのひかりが、今日はまったく発言しない。心ここにあらずといった感じで、ぼうっと手元を見つめているだけだ。

「……コウくんがやったのは、自分の作ったもので別の神を上書きする……いってみれば、信仰の力を横取りするに等しい行為でした。それだけに祟りも激しかったのかもしれませんね。さて、このお話についてはこのあたりで終わりにして……次は、ひかりに何か話してもらおうかしら」

「えっ?」

 まるで今目覚めたばかりのように、ひかりがのろのろと顔を上げた。

「あー……ごめん。何も思いつかんけんつかないから、ぼくはいいよ」

「いいよって」


 ちっともよくないが?


「何の話でもいいのよ。前にも、いろいろ話してくれたじゃない。逆再生みたいに坂を登っていくボールの話とか、小学生のランドセルにぶらさがってた小さいナースの話とか……今日見た、改札のおばけや海岸の子供のことでもいいし」

「うーん……」

 ひかりは、億劫おっくうそうな動きで首を横に振る。

「今日はなんか……怖い話したくない……」


 おいおいおい。


「な、なんだかひかり、調子が悪いみたいねッ。霊障れいしょうかしら? ごめんなさい、はじめたばかりだけど、いったん休憩にします。ええと、そう、除霊タイムということでっ!」

 わたしは早口で言いながらカメラとマイクを止め、ひかりの腕をつかんで立ち上がった。

「ちょっと廊下で話しましょう」


 わたしは腕をつかんだまま、ひかりをトイレの前まで引っぱっていった。

「ひかり。今のはよくないわ。そりゃ、誰だって気分がノらないときくらいあるけど、配信中に表に出しちゃうのはUMOVERユームーバーとしてダメ。せっかく来てくれてるんだから、フォロワーを楽しませないと」

「それは……わかるけど」

「わかるけど、何よ」

「なんかきつくてつらくて、よう考えきらんっちゃん」

「そんなこと……急に言われても、こっちだって困るわ」

 わたしが言うと、ひかりはきゅっと口を結んで黙りこんだ。


 網戸にした廊下の窓から、虫の声がシャワーみたいに降りこんでくる。ヤブがぷん、と耳障りな音をたてて、わたしの顔の横をかすめていった。


「ぼく……今日ヤミちゃんとおでかけするの、楽しみにしとったとよ」

「……わたしもよ」

「なのに、なんか朝からイヤなことばっかりあって……疲れたと。こげん頭がクシャクシャってなっとーのに、おばけのことげな、考えたくないよ」

「だからって……」


 だからって、それが配信でベストを尽くさない理由になるか?

 第一、不愉快な旅路になったのは、半分くらいはひかりのせいじゃないか。怪談聞きたくないとか言ってきたり、わたしとママへの態度にケチつけてきたり……ひかりがもっと協力的だったら、今だって、気持ちよく配信できたと思うんだけど。


 わたしは強くかぶりを振って、思考を中断させた。

 それ以上考えたくなかった。ひかりを責めたくなる気持ちを、大きくしたくなかった。

 自分がひかりを嫌いになってしまうかもしれない――それはわたしにとって、ひかりに嫌われることと同じくらいホラーなことだった。


「……もういいわ。今日の配信はわたしひとりでやるから、ひかりはちょっと休んでて」

「う……うん」


 ひかりはうなずくと、とぼとぼ階段をくだっていった。

 その背中を見送っていると、水にインクを垂らすように暗い気持ちが広がってゆく。

 さっきひかりが言っていたことのうち、ひとつだけ同意できることがあった。気分が沈んでいるときに、おばけの話のことなんて考えたくない。人が死んだり不幸になったりする話だったら、なおさらだ。

 でもやらなくちゃ。わたしはUMOVERで、それ以外には何のとりえもないんだから。


 * * *


 時間を延長してもいいや、くらいのつもりでたくさんネタを用意していたのだけれど、どうにもギアが上がりきらなくて、わたしはきっちり一時間でその日の配信を切り上げてしまった。


 あっという間に就寝時間がやってくる。

 わたしとひかりはろくに言葉も交わさないまま、それぞれの寝床に入って眠りについた。

 そしてわたしは、夢を見た。


 * * *


 ねばりつくような不快感に目を覚ますと、布団がやけに湿しめっていた。

 たっぷり湿気を吸ったかけ布団が重い。たまらずはねのけてから、はて、そもそも布団なんてかけて寝たかなと疑問が浮かぶ。クーラーを弱めにつけ、夏用のタオルケットだけをかぶって寝たはずだけど。


 空気は生ぬるく、サウナかよと思うほど湿気が充満していた。スーパーの鮮魚コーナーのにおいを煮詰めたような、磯のにおいがする。

 身を起こすと、指先に畳の目を感じた。

 おかしいな。わたしが寝たのは、洋間のベッドだったはずだ。


 だんだん、暗闇に目が慣れてきた。

 周囲のようすには、まったく見覚えがない。

 修学旅行で泊まったような、十二畳くらいのだだっ広い和室だ。板張りの天井、障子しょうじふすま、周囲は土壁。障子の一角だけがちょろりと開いて、隙間から、ほのかな光が差しこんできている。


 なんだこれ。

 どうなってんの?


 わたしは就寝したときと同じパジャマ姿だった。手探りすると枕元の横にメガネが落ちていたので、それをかけながら、そろそろと立ちあがる。

 立ち上がった途端、強烈な立ちくらみを感じて、ぐらっとよろけた。

 わたしは空気をの中を泳ぐようにして前に進み、なんとか壁にしがみついた。ざらついた土壁は汗をかいたように濡れている。畳もたっぷり湿気を吸って、踏むはしから水が染み出てくるようだ。

 わたしは壁伝いにカニ歩きをし、障子を開けて外をのぞいた。

 板張りの廊下。両側には、今開けたのと同じような障子と土壁がランダムに並んでいる。曲がり角の奥に、緑色がかった明かりが見えた。


 そろそろと廊下に出ると、またグラリと目眩めまいがした。

 よく見ると、床も天井も壁の柱も、どれもうねるように歪んで、斜めにかたむいている。まるで、テーマパークの忍者屋敷だ。ただ廊下に立っているだけで、平衡感覚がどうにかなってしまいそうになる。

 そして思った。


 こんなの現実じゃない。夢だ。夢に決まってる。


 自分が夢を見ていることに自覚的な夢――いわゆる明晰夢めいせきむというやつだろう。

 夢だとわかれば不安もふっとぶ。おまけに明晰夢めいせきむを見るのははじめての体験だ。わたしは冒険心を起こして、廊下の先を目指して進んでいった。

 足を踏み出すたび、ぎしりぎしりと床板がきしむ。波の音がひどく近い。


 進めば進むほど廊下のねじれはひどくなり、突きあたりの曲がり角にたどり着くころには、果たして床を歩いてるんだか壁を歩いてるんだかわからないようなありさまだった。

 やはり斜めになった柱には、ぽつりぽつりとフックが埋めこんであり、緑色の紙を貼った掛行燈かけあんどんが、そこだけ垂直にぶらさがっていた。屋敷の中で、光源と呼べそうなものはこれだけだ。

 明かりの下で見ると、床板も柱の木材もすっかり黒っぽいカビに侵食され、あちこちが割れたりひずんだりしている。普通に廃屋だ。

 夢である以上、この廃墟も、わたしがこれまで記憶した光景をベースに作りだされたもののはずだ。はて、何がモデルなんだろうと頭をひねってみたが、さっぱりわからない。候補がないんじゃなくて、多すぎるのだ。POVのホラー映画? それともホラーゲーだろうか?


 廊下はぐねんぐねんとねじれて蛇行しながら、どこまでも続いている。

 障子を開けて中を覗いてみても、わたしが目覚めた場所と同じような、だだっ広い和室があるだけだった。

 なんかそろそろ飽きてきたな、と思ったところで、


 ぎ。

 ぎぎぎぎぎぎっ……みしみしみしみしぃ。


 そう遠くないところから、強烈なきしみ音が聞こえてきた。

(なんだ?)


 ぎぎ。

 ぎぎぎぎぎぃ……ぎぎぎぎぎっ。


 きしみが移動をはじめる。足裏に不快な振動を感じた。

 近づいてくる。なにか、とても重くて巨大なものが。


 それは今、目の前にある障子のむこうの部屋にいるようだった。

 わたしは本能的な忌避感をおぼえて、障子からゆっくりあとずさる。

 音はもう、障子のすぐそばにまで迫っていた。


 ず。

 ず、ず、ずず。


 建てつけの悪い障子が、がたがた震えながら、細く開いた。そのわずかな隙間から、生っちろくてひょろ長い指が、ぬ、と現れる。

 反射的に飛びのこうとしたわたしは、廊下の傾きに足をとられて、派手に転んだ。


 ず、ずずず、ず。


 障子にかかった指が、隙間を押し広げてゆく。

 部屋の中は暗く、指の主の姿はよく見えない。廊下の掛行燈の明かりを反射した白い顔だけが、闇の中にぼんやりと浮かびあがっている。


 嫌だ。見たくない。

 そう思いながらも、目が離せない。


 細長くひよわな腕とは裏腹に、そいつの体は小山のように大きかった。縦も横も、部屋の出入口の大きさいっぱい、みちみちに詰まっている。その巨体が、チューブに詰まった寒天をひり出すみたいに廊下へ進みでてくると、ついに顔がはっきり見えた。


 能面だ。

 そいつは顔に女の面をかぶっていた。

 金色に塗られた両目と歯が、薄暗がりの中でぎらりと光った。

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