第一章 夏休みの怖い話

◆鬼火岩礁

 フォロワーの「からくり人魚」さんが社会科の調べ学習のとき、地元の漁師さんに聞かせてもらったお話です。

 今から二十年ほど前……関東のとある海沿いの地域で、実際にあったできごとだといいます。


 漁師さんの名前を、仮にRさんとしておきましょう。

 ある日のこと。Rさんは漁師仲間といっしょに船に乗り、いつものように海へ漕ぎだしました。

 このときRさんたちが行っていたのは、「なわ」という道具を用いたキンメダイ漁でした。夜明け前の暗いうちに出発して魚群を探し、日の出と同時に立て縄の「しかけ」を投入するというものです。


 その日、魚群探知機が捉えたのは、数年に一度レベルの巨大な群れでした。

 Rさんは大漁の予感に胸を高鳴らせながら、「しかけ」投入の準備をします。

 そのときでした。どこからともなく発生した濃い霧が、Rさんたちの船を包みこんでしまったのは。

 煮詰めたミルクのような、どろりとねばっこい霧でした。胸が悪くなるような磯くささが甲板に満ち、思わず口元を覆いたくなります。

 それでも我慢して作業していると、すぐとなりにいた若い漁師──ここではWさんとしておきましょうか──彼の手が止まっていることに気がつきました。「しかけ」を片手にぶら下げたまま、ぽかんと霧のほうに目を向けているのです。

 何を見てるんだ、とその視線を追ったRさんは、ギョッとしました。

 霧の中に、なにか巨大なもののシルエットが浮かびあがっていたからです。


 はじめそれは、奇妙な角度に傾いた建物のように見えました。

 厳島いつくしま神社をご存じでしょうか。そう、広島にある、海上に突きだすようにして建てられた神社です。Rさんは問題のシルエットを目にしたとき、その厳島神社を連想したそうです。まるで大きなお屋敷が、海の上にそびえているようだと。

 けれどRさんはすぐに、自分のそんな考えを打ち消しました。自分たちの漁場に、そんな建物などあるはずがないからです。そして、こう考えました。

 ──こいつはきっと、巨大な岩礁だ。霧で方向感覚を失って、どこかの岩礁に近づきすぎてしまったに違いない。うっかり乗りあげたりしたら大変なことになる。

 Rさんが、船の操舵室に呼びかけようと息を吸った、そのとき。


「あ……あ、あぁ、あぁ……」


 となりにいたWさんが、苦しげな声をあげました。

 振りむいたRさんは、Wさんの全身があざやかな緑色に染まっていたのを見て、二度驚きます。彼だけではありません。船縁ふなべりも、甲板も、Rさん自身ですらも、緑色の強い光に照らされ、染めあげられていたのです。

 光源は、あの奇妙な岩礁でした。

 燃えるように揺らめく緑の光が、霧の向こうの岩礁から浴びせられているのです。

 ──いったい何が光ってるんだ。

 そう思ったRさんが、霧の向こうに目を凝らしたそのとき、後ろから肩を強くつかまれました。


「見るな」

 それはベテランの先輩漁師でした。彼は続けます。

「見ちゃいかん。ありゃあ、きっと鬼火だ。魅入られるぞ」

「鬼火?」

「俺のじいさんから聞いたんだ。海で死ぬと、人は鬼火になる。そしてときどき、生きてる人間を招くんだってな……」


 ぎくりとしてWさんに目を戻すと、彼は今まさに船縁を乗りこえ、海に飛びこもうとしているところでした。あわててRさんはじめ、その場にいた数人で甲板に押さえこみましたが、彼は夢遊病者のように、何度も何度も海へ向かおうとします。

 とても漁どころではなく、その日はすぐに港へ戻ることになりました。

 緑の鬼火が燃える岩礁は、Wさんを押さえこもうとばたばたしているうちに姿を消しており、船を動かすと同時に白い霧もウソのように引いていったそうです。


 Wさんは間もなく正気に戻りましたが、それ以来、だんだんと人づきあいが悪くなり、ある日突然「遠くに行く」と言って行方をくらませてしまったそうです。


 それから少しして、ある新興宗教の信者たちが、福岡の山の中で集団自殺をするという事件がありました。

 Rさんは発表されたその死者の中に、Wさんと同姓同名の人物がいたことに気がつきましたが、詳しく追及することはありませんでした。だから今でも、それがあのWさんだったのかは、わからないままなのです……。


 * * *


 わたしが怪談を語り終えると同時に、配信コメント欄の流れが一気に加速した。常連たちのコメントが滝のように流れ落ちてゆく。


 ――1200おめ!

 ――フォロワー1200! めでたい!

 ――ヤミひかちゃんおめでとう~!


 本日1196人でスタートし、配信中にじりじり増加していたチャンネルフォロワーが、まさにその瞬間、1200人を突破したのだ。


「うわあ、1200人やって。ヤミちゃん、すごかねえ」

 フォロワーからの祝福に、相方の朝日奈あさひなひかりが目を輝かせている。

 しかしわたしはクール&ミステリアス。あくまで落ちついた物腰をくずさない。

「ええ。『ディバイン・ベルズ』とのコラボ動画を上げてから、来てくれる人が一気に増えたわね。もちろん、『ヤミひかチャンネル』をここまで盛りあげることができたのは、初期からずっと応援してくれている人たちのおかげ。だからこそ、フォロワーのみなさんへの感謝の心は、いつも忘れずにいたいわね」

 おごれるものは久しからず。一流の配信者というのは、どんなときでも謙虚さを忘れないものだ。たまたま何かの拍子にバズったからといって、それを自分の実力だ、なんて勘違いしてはいけない。けど……まあ……それを差し引いたとしても……。


 わたし、すごくね?


 1200だぜ、1200。わたしの通う中学校が全校生徒合わせて600人いかないくらいだから、優に学校ふたつぶんもの人間が、このわたし、闇の語り部にしてミステリアス霊感美少女・夜神やがみヤミのフォロワーだということになる。

 ああ、この事実をクラスメイトどもに教えてやりたい。

 あいつらはどーせ、わたしのことをコミュ弱陰キャメガネ地味女子とバカにしているに決まってる。だけど見るがいい、わたしには、おまえらクラスメイトどもの、ざっと四十倍ものフォロワーがついてるのだっ。どーだ参ったか。けーっけっけっけっけ。


 ……まあ……実際フォロワーが増えはじめたのはひかりとコンビを組んでからだし、ここ一、二週間のフォロワー数のハネ上がりっぷりは間違いなく『ディバベル』の人気と知名度のおかげなんだけど……。

 それでも全体の五割……いや、四割……いやいや、三.五割くらいは、わたしの実力なのだ。……だと思う。思いたい。


 * * *


 毎週定例の怪談配信を終えると、わたしとひかりはキッチンへと立った。

 クーラーの効いた部屋を一歩出たとたん、サウナのような熱気が押しよせてくる。開け放ったリビングの窓からは、まばゆい八月の日差しと、セミの大合唱が降りそそいでいた。


 夏である。

 夏休みである。


 わたしとひかりは冷蔵庫からコーラのペットボトルとアイスキャンデーを取り出すと、もといた部屋へ小走りに駆けもどった。

 たったそれだけの往復で、もう背中がべっとり汗で濡れている。

 よく冷えた部屋の、かすかにオゾンしゅうのする空気の中へ逃げこむと、なんだかほっとした。


 さっそくアイスキャンデーの包装を破り、かぶりつく。

ふぁふぉうふぉうそうそうファミひゃんヤミちゃん

ふぁひなに?」

 ひかりはしゃくしゃくとソーダアイスを咀嚼そしゃくし、ゴクリとのみこんでから先を続けた。

「叔父さんが、行きにワッフル持たしてもたせてくれたとば忘れとった。ちょっと待って」

 そう言って、自分のリュックをごそごそとあさりだす。やがて出てきたのは、銀色に光るアルミのクーラーバッグだった。

「はい、これ。ヤミちゃんちの家族で食べてねって言いよったけんいってたから

「……はあ。それはどうも。……叔父さんと叔母さん、元気?」

「うん」

 へにゃっと笑うひかりの顔は、はじめて会ったときと比べてずいぶん明るくなったような気がする。


 朝日奈ひかり。本名、神代くましろひかり。

 動画投稿サイトUMOVEユームーブで一緒に怪談配信者として活動している、わたしの相方。そして、たったひとりの友達だ。

 生まれつき真っ白な髪に、透明なひとみ。そして強い霊感と、異界のモノを呼び寄せてしまうほどの霊媒体質を持つ。

 ひかりはわたしのことを、自分と同じ霊感少女だと思っているけれど……それが単なるキャラ作りのウソであることには、今のところ、まったく気づいていない。


 そんなひかりとわたしは、先月、そして先々月と、二ヶ月にわたっておかしな事件に巻きこまれ続けてきた。

 とてつもなく恐ろしい怪異に追いかけ回され、何度も死にかけるロクでもない体験だったけれど……多少はいいこともあった。

 そのうちのひとつが、両親を亡くして叔母さん夫婦の家に身を寄せているひかりが、叔母さんたちと打ちとけるきっかけになったことだ。

『カンカンカンの事件』と名づけたあの一件以来、ひかりはよく家でのことを話すようになった。ついでにこうして、ちょくちょく叔父さんからの差し入れを持ってきてくれる。

 今じゃフツーに、実の親子よりも仲いいんじゃ? と思うことすらあるくらいだ。

 少なくとも、わたしんの家族に比べれば……。


「ヤミちゃん? ……ワッフル、嫌いやった?」

「ん。い……いえ、そんなことないわ。ちょっと、霊界からの声に耳を傾けていたものだから。……ありがたく、いただいておくわね」

 銀色のクーラーバッグを受けとる。中身がしっかり詰まっているのか、見た目よりもずしりと重い。

 このワッフルがわたしたちを三度目の事件へ導くことになるなんて、このときはまだ、夢にも思わなかった。

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