第四章 ひかりの怖い話
◆夜鷹トンネル:B面
さて、今夜はどうしよう。カンカンカンがいつ襲ってくるかわからない以上、ひかりをひとりにしたくはない……けど、二日も続けて
なんて考えていると、ひかりのLIMEにメッセージが届き、
「なんか……叔母さんが、車で迎えに来てくれるって」
「えっ。なんで!?」
「さあ……。帰りが何時か叔父さんに訊かれたけん、答え
あの塩対応の擬人化みたいな叔母さんが、いったいどういう風の吹き回しだろうか。ありがたいと思う前に、なんだか不安になる。
それは姪のひかりも同じようで、指定されたロータリーで叔母さんの車を待つ間、ずっと釈然としない顔で首を
コンビニで買ったジュースをちびちびやりながら待つこと十数分。グロスホワイトの軽自動車がするすると現れ、わたしたちの前に停まった。
運転席には、確かにあの鉛筆みたいな細身が収まっている。
「乗って」
「あ、はい。どうも、お世話になります」
わたしたちがシートベルトをかけたのを確認すると、叔母さんは車を発進させた。
「ふたりで出かけていたのね」
「え、ええ。ちょっと東京方面へ」
「そう」
会話のキャッチボールはそこで早々に途切れ、あとはひたすら無言の時間が続く。
……気まずっ!
針のむしろに座っているような時間を耐えるうちに、どうにか『自然派カフェ よびごえ』へと帰ってきた。
ひかりの叔母さんは座席ごしに振り向くと、ひかりに向けて言った。
「先に降りて。友達を送ってくるから」
「あ、いえ。そこまでお世話にならなくても」
「いいから」
有無を言わせぬ調子で、叔母さんが言う。
ひかりは戸惑いがちに車を降りると、心細そうにわたしを見た。
「じゃあ、ヤミちゃん……」
「くれぐれも気をつけてね。何かあったら、すぐ電話して。夜中でもいいから」
「うん。ヤミちゃんも」
何度も振り返りながら遠ざかっていくひかりの姿が勝手口に消えたのを見届けると、ひかりの叔母さんはサイドブレーキを解除した。
「
「え、ええ。まあ」
細かく切り返しながら、狭い道路に面したガレージを発進する。
ふたりっきりだと、ますます気まずい。わたしがつとめて車窓の景色に集中していると、二度目の信号待ちで、ふいに叔母さんが言った。
「ヤミちゃん、だったかしら」
「ふぇっ!? は、はい」
「幽霊が見えると聞いたけれど」
ギクッ。
「は、はあ。まあ、ある意味そうといいますか、そういう見方もできるといいますか」
「そう」
叔母さんが大きく溜息をつく。
どうしよう。これ怒られる流れかなやっぱ。
しかし、心臓バックバクで待っているわたしに叔母さんが発したのは、実に思いがけない言葉だった。
「私もね。一度だけ見たことがあるの。幽霊」
「……え」
どういうこと?
わたしの困惑をよそに、ひかりの叔母さんは話しはじめる。
それは怪談というよりは、彼女自身の身の上話のようだった。
* * *
私の兄……
彼は小さい頃から、ときおり幽霊が見えると言っていたわ。
街を歩いていると、ときどき、生者とは違うものが混じっているのが見えるらしいの。私にはそんなもの一切見えなかったから、正直、兄の話については半信半疑だった。
でも、いい兄ではあったわ。ちょっと抜けているけれど、人が善くてね。何かと両親と反発ばかりしていた私を、兄はよくかばってくれた。
私は大学進学を期に上京したけれど、兄はそのまま地元の福岡に残って、私立探偵みたいなことをやっていた。
私はひとりで生きていくんだと決めていて、両親が死んだときも福岡には帰らなかった。でも兄とだけは連絡を取りあっていたわ。
だから、突然「結婚した」と言われたときは本当に驚いた。
式は挙げずに籍だけ入れて、彼女のお腹にはもう子供もいる。そんなふうに言われて、こっちは全然気持ちがついていかなかった。何か、悪い女にだまされてるんじゃないかと思った。
相手の写真も見せてもらったわ。
名前はアサヒさん。旧姓はウィル……とか、ウェイ……とか言ったかしら。外国の血が入っていて、目と髪の色がひかりちゃんにそっくりだった。
とにかくきれいな人でね。……それが、逆に嫌だった。
今ならわかる。あれは、兄を
でも当時の私は、当てつけみたいに兄との連絡を絶つことしかできなかった。
アサヒさんが姿を消し、兄がひとりでひかりちゃんを育てている間に、私は大学を出て、就職して……最初の会社で、心身を壊した。
よくある話よ。人間関係と、長時間労働。
半ひきこもりの無職だったときに今の夫と出会って、こっちに越してきて……なんとか仕事ができるようになるまで、だいたい十年。
恥ずかしい話だけれど、その間、私は自分のことだけで精いっぱいで……兄のことを考える余裕もなかった。
でもあるとき、夢に兄が出てきたの。
忘れもしない、クリスマスイブの夜だった。
気がついたら私は自宅のダイニングキッチンに立っていて、テーブル前のイスに兄が座っていた。
なぜかジャケットの左
でも、不思議と私は何の疑問も感じなかった。「ああ、お兄ちゃんだ」と思っただけ。夢って、そういうところがあるでしょう? おかしな部分があっても、夢を見ている間はなんとなく受け容れてしまうというか……。
私はシンクに寄りかかって、立ったまま兄と話したわ。今年は暖冬でキャベツが安いとか、夫のコーヒーの好みとか……本当、どうでもいい話ばかり。
そのうち、兄がスッと立ち上がって、「じゃあな。すまんけど
そう言って、スタスタ出て行ってしまったの。
その後ろ姿を見て、何故だかわからないけれど、急に悲しくなった。「待って」と呼び止めようとして……気がついたら、たったひとりで、暗いダイニングに立っていたの。
ベッドに入って眠りについた記憶は確かにあったから、眠りながらここまで来たとしか思えなかったわ。
それで急に胸騒ぎがして、兄に連絡を取ろうとしたの。以前の携帯はつながらなくて……結局、福岡の警察に動いてもらうことになった。
結果から言うと、数日前から兄は行方不明になっていたわ。警察官の方が自宅を訪ねると、ひかりちゃんがひとりで兄の帰りを待っていた。
私はすぐ、福岡行きの飛行機を手配して……博多空港で、兄の遺体の一部らしきものが見つかったと連絡を受けた。
心霊スポットで有名な夜鷹トンネルの前に、左腕だけが落ちていたというの。
事件性が疑われてDNA鑑定が行われた結果、腕は兄のものと確認された。周囲に残った大量の血痕から、生存は絶望的だということも。
警察の結論は「大型の肉食動物による食害」とのことだったけれど、その後の山狩りでも、何も見つからなかったそうよ。
* * *
気づけば、車は
適当な場所に路上駐車したひかりの叔母さん――由輝さんは、スーツのポケットから何かを取り出すと、こちらに手渡してくる。
受け取ってみると、大きさの割にずしりとした重量があった。チェーンのついた金属メダルだ。
車内灯をつけてよく見てみると、五芒星と目玉のマークが彫りこまれている。
「これは……」
「何かのお守りだと思うわ。兄の左手が握っていたの」
「ぎょわぁ!!」
死体といっしょにあったもんじゃねーか! うわぁ触っちゃった、えーんがちょ!!
「それ、あなたからひかりちゃんに渡してもらえないかしら」
「……ええ? ひかりのお父さんの、形見……ってことですよね」
「そう」
だったらなおさらあんたが渡すべきでは。
声に出さなくても、私がそう思ったのが伝わったのだろう。由輝さんはゆるゆると
「私がやるべきなのはわかってる……。でも、わたしにはまだ、あの子と向き合う勇気がないの。私にとっても、ひかりちゃんは唯一の肉親よ。だけど……こうも考えてしまう。アサヒさんとあの子がいなければ、兄さんはきっと生きていた」
「……ああ」
そう――なるのか。
「これを渡すとき、あの子にそうした気持ちを向けないでいられる自信がないの。どんなに隠そうとしても、敏感なあの子はきっと気づく。ガラス細工のように
由輝さんはふうう、と大きな息のかたまりを吐ききると、顔を
「みっともない大人で軽蔑したでしょう。中学生の女の子に、こんな話までして」
「いえ……」
まあ、今日は中年女性の半生をふたり連続でたっぷり聞かされて、お腹いっぱい気味ではあるけれど。
それ以上に強く思ったのは――大人って、わたしが思ってるより「うまくやってない」なということだった。
小学生のときに救えなかったクラスメイトのことを、ずっと引きずっていたり。
疎遠になってしまった兄との関係を悔いていたかと思えば、今度はその娘との接し方がわからずウジウジ悩んでいたり。
学校で出会う大人たちはみんな、「友達と助け合いましょう」「家族と仲良くしましょう」「自分の意見ははっきり言いましょう」としか言わない。それも、「できて当然、できないやつはみんな欠陥品」というニュアンスだ。
もちろん、わたしの人間としてのデキがよくないのは認めるけど。だとしても――意外といるんじゃん。できてない大人も。
取り落としてしまったメダルを、そっと拾いあげる。
ひかりのお父さん、か。
この人も、全然うまくはやれてない。よくわからん女と結婚して、娘を周囲から孤立しがちな子に育て、いきなり死んで、いろんな遺恨を残しまくった。
……でも、愛されてはいたんだろう。
ひかりの話からも、叔母さんの話からもそれがわかった。この人ととひかりたちは、今もちゃんとつながっているんだなと思う。
「……ん?」
そういえば、ひかりがお父さんのことを語った、あの話……「びしょびしょ女がついてくる」。
あの話の中で、ひかりがやったことを考えてみると……もしかして。
「あの。すみませんけど、車、戻してもらえますか」
「いいけれど……どうしたの」
「ひかりと相談したいことができたので。あと、今夜も泊めてください!」
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