●夜鷹トンネル

 帰りの車中では誰も口をきかなかった。

 南録城みなみろくじょうのバス停近くで降ろされる。時刻は、本来の解散予定よりも早い午後七時。

 冷房の効いた車内を出ると、生ぬるい夜の空気に肌を撫でられた。

 ぼんやり突っ立ったわたしたちに、助手席の窓から身を乗り出したチサティーさんが言う。


「じゃあね、おふたりさん。今日は体調不良・・・・で撮影中止なんて残念なことになったけど……」


 なんか、いつの間にかそういうことになったらしい。


「一応、ギリギリ動画一本くらいのだかはあったと思うよ。編集終わったら送るんで、チェックよろしく」

「はぁ……」


 さっきの物騒な態度はどこへやら。チサティーさんはさくさく事務連絡を済ませると、ミニバンに乗って颯爽さっそうと去っていった。

 小さくなるミニバンのテールランプを見送りながら、わたしは言った。


「……とりあえず、家まで送るわ」

「うん……」


 ひかりは、暗い顔でうなずいた。


 * * *


「……ひかり、さっきのこと、どこまでおぼえてる?」

「チサティーさんが、落ちてきたとこまで……あの人、なんか言っとった?」

「え、ええ……まあ……。ひ、ひかりの霊媒としての力が強いから、ああいうものを呼び寄せてしまったのかも……みたいな感じかしら?」


 それ以上は、とてもじゃないけど言えなかった。

 異界の神だの世界滅亡だの、面と向かって本人に伝えられるわけがない。そもそもわたし自身、さっきの話を全然咀嚼そしゃくしきれていないのに。


「……やっぱり、ぼくのせいっちゃんね……」

「きっ、気にしちゃだめよそんなこと! そもそも、カンカンカンなんてオバケが襲ってこなければ、あんなことは起こらなかったんだし」

「でも……」

「デモもスモモもない! 悪いと言えば、あんなDMを送ってきくさったアンチ野郎が全部悪いッ! ふんすふんす!」

「ア、アンチ……ってなん?」

「掲示板やらSNSやらで特定個人の悪口ばっかり書きこんでいる、性根の腐ったやつらのことよ」

「……ぼくのこと、嫌いな人ってこと? それってやっぱり……ぼくに悪いとこがあるけん嫌われたってことっちゃないとなんじゃないの?」


 はあ~~~~~???


「そんなわけないじゃないの。ネットの誹謗中傷なんてね、蛍光灯にワーッと集まるだけの虫みたいなものなんだから。イナゴよ、イナゴ。頭で考えて行動してないんだから、真に受けて傷つくだけこっちが損でしょう」


 そりゃ、わたしだって、感動ゴリ押し系のスポーツ特集とか、美男美女芸能人カップルの結婚報告とか、ぜんぜん好きじゃないマンガの○百万部突破CMとか見て、イライライラッとすることあるけどさ。

 それってむしろ、みんなに愛されてるものを普通に楽しめないわたしの感性のほうに問題があるわけで。


 ……だけど、ひかりが気にしているのは、そういうレベルの話ではないようだった。


「ぼく、思うっちゃん。お母さんがおらんくなったのは、ぼくが普通の子供じゃなかったからやないかなって。お父さんが、死んだとやってのだって……」

「まさか。考えすぎよそんなの。お母さんが失踪したのは、ひかりがまだ赤ちゃんの頃でしょう? お父さんが亡くなったのだって……」


 ……アレ? そういえば、ひかりのお父さんってなんで亡くなったんだっけ?

 勝手に交通事故かなにかだと思いこんでたけど……そういえば、ちゃんと聞いてなかったような。


 そんなわたしの困惑がわかったのだろう。ひかりはマネキンみたいに表情の抜け落ちた顔で、


「ヤミちゃん。……福岡の、夜鷹峠よたかとうげって知っとー?」

「え? ……ええ。九州、いや、西日本でも有数の心霊スポットよね」


 怪談好きで夜鷹峠の名前を聞いたことがない人間はいない。それくらいの有名スポットだ。映画やゲームのネタにされたりもしている。


「そこに、夜鷹よたかトンネルっていう、今は使われとらんトンネルがあるっちゃけど……お父さん、そこで見つかったと。……ひじから先だけ」


 一瞬、意味がわからなかった。


「肘から先……? えっ? そ、それって、した」


 死体の、と言いかけ、あわてて言い直す。


「……ご遺体の、腕だけが見つかったってこと?」

「うん。警察のお姉さんは、なんか……動物に襲われたごたみたいって言っとった。ばってんでも、九州にはクマげななんかおらんとよ? やけん、ぼく……ぼく……」


 ひかりの声が震える。

 そこから先は言わせたくない。だけどわたしはすっかり動転してしまっていて、制止することもできなかった。

「お父さん、オバケに食べられたっちゃないかなって……。ぼ、ぼくのせいで……ぼくがオバケげな呼んでしまったせいで……お父さん、死んでしまったっちゃないかなって……」


 そこから先は、水っぽい吐息が漏れるばかりだった。


 はじめて会ったときから、不思議に思っていた。

 こんなにも容姿に恵まれたひかりが、やたらと自虐的なのはなぜだろうと。わたしだったら、美貌を鼻にかけてかけてかけまくっているだろうに、と。

 ……納得した。こんな疑念を……罪悪感・・・を抱えていたんじゃ、ポジティブになんてなれるわけがない。


 わたしは何も言えない。言えるはずがない。

 やがて、最悪のタイミングでひかりの家が見えてきた。

 父を亡くしたひかりを引き取った叔母さん夫婦の家。『自然派カフェ よびごえ』だ。


「……じ、じゃあ、わたしはこれで。何かあったら、すぐに連絡してね」


 そう言って、きびすを返しかけたわたしの腕に、いきなりひかりがしがみついてきた。


「ヤミちゃん……」

「な、何?」

「ヤミちゃんは……ぼくのこと、嫌いになった……?」

「はあっ!? なっ……なんで、そんなこと」

「だって……最近、ぼくとおっても、楽しそうじゃなくない? はじめて会った頃と、違うくないちがわない?」

「……っ!?」


 気づかれてた。

 でも、それはひかりのせいじゃない。わたしのせいだ。

 わたしが苦しいのは、ウソをついている罪悪感のせいだ。悪いのはわたし自身であって、ひかりは何も悪くない。


 言わなきゃいけない。でも何も言えない。本当のことを言っても、言わなくても、わたしはひかりを傷つけてしまう――……。


 わたしの沈黙を、ひかりはどのように解釈したんだろう。彼女はわたしをつかむ力を緩めるどころか、いっそう必死に握りしめてきた。

 まるで海に投げ出された人間が、指先に触れたものへ遮二無二しゃにむにすがりつくように。


「ヤミちゃん。ぼくを嫌いにならんで……どこにも行かんで……! ぼく……もう、ひとりになりたくない……」


 わたしに、その手を握りかえす資格はない。

 それがわかっているのに――わたしにはどうしても、ひかりの手を振り払うことはできなかった。

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