第25話 最百華と魅音

 ――乙女ゲーの本来の主人公、魅音みおんは優しく穏やかで、常に花を舞わせているような可憐な女性である。

 最百華を始めとした四皇子たちと交流を深め、やがて恋に落ちる運命の女性。

 そして、最大のライバルであり悪役である女帝――宝玉宮経朱帝と闘う娘。


 とはいえ、女帝は既に悪ではなく、国も平和を取り戻したこのタイミングで現れた魅音は、実に幸福であろう。

 なにせ、国が滅びる要因も四皇子が死ぬ要因もすべて取り払われた状態で、攻略対象たちと存分にイチャイチャできるわけだ。羨ましいことこの上ない。


(私、めちゃくちゃ苦労したのになあ……)


 女帝――の中の人、鈴華は自室の窓から外を見下ろす。

 ちょうど、魅音と百華が会話をしているところだった。


 百華は、夜伽の記憶を失ってから、表情がわかりやすくなったと思う。

 以前に比べてよく笑い、よく泣き、よく怒りと感情をあらわにする彼を見て驚いた。

 それだけ桃燕のしたことの酷さがまざまざと感じられる。


 そして、魅音と並んでいる百華は、それはそれはお似合いなのだ。

 その光景を見ていると、鈴華の心の奥にズキズキとした鈍痛が感じられた。


(――うん、でも、魅音が来た以上、ストーリー通りに話を進めたほうが、きっといいんだよね……)


 彼女が来る前は女帝となって攻略対象をなんとかしようという気持ちだったが、真の主人公が現れてしまっては、もはや女帝の割り込む余地はないだろう。

 多少本来の乙女ゲーと筋書きは変わってしまうが、百華と魅音に縁談を用意して、彼らが結ばれるのを遠くから眺めるしかないのかもしれない。

 鈴華は早速、魅音を呼び出して話を持ちかける。


「魅音よ、百華のことをどう思う?」


「素敵な方だと思っております。私のような田舎娘にも優しく接してくださって……」


「妾が百華お付きの侍女として任命してもよいぞ?」


「いえ、それは……」


魅音はそっと目を伏せる。


「わたくしのような女に、殿下は心を開いてはくださらないでしょう」


「ん? どういう意味じゃ?」


「百華殿下は……わたくしと心の距離をあえて開けていらっしゃるように感じられます」


 そして、魅音は女帝の前にひざまずく。


「それよりも、わたくしは経朱陛下のおそばに侍りたく存じます。お許しをいただけますか……?」


「え? いや、まあ……そなたが望むなら構わぬが……」


「ありがたき幸せにございます、陛下……」


 魅音は女帝の手を握って、ふわっと微笑む。花が咲き誇るような幻覚が見えた気がした。


(……んん~?)


 鈴華は何か妙な感じがした。

 魅音はあの乙女ゲーと同じく、心の底に腹黒いものは感じられない。

 しかし、わざわざ女帝のもとに留まる意味がわからない。

 鈴華が魅音の立場なら、迷わず百華に仕えることを選ぶだろう。


 それに、百華が魅音に対して距離を置いているというのが意外だった。

 鈴華のやっていた乙女ゲーでは、四皇子は魅音に対して最初から好意的で、心の壁なんてなかった気がするのだが……。


 うーん? と首を傾げる女帝であったが、それでも魅音と百華をくっつけることで、なんとかストーリーを軌道修正し、元の世界に帰りたいとも思う。

 ……別に心が痛まないわけではない。鈴華が百華を好きな事実は変わらない。

 でも、これは夢の世界で、夢の話だ。現実世界に戻れば二度と見ることのない夢。現実世界と乙女ゲーの世界は決して交わらない。

 それを覚悟の上で、鈴華は大好きな推しと真の主人公を幸せにしようと心に決めたのだ。


「では、百華府の訓練場を視察にでも行くかの。魅音、ついてまいれ」


「かしこまりました」


 百華府は軍事を担当する役所である。

 敵国であった春雨国が滅びたとしても、第二第三の春雨国が出現するとも限らない。

 今日の友好国が明日の敵国になる場合もあるのだ。


 訓練場では、百華が兵たちをしごいていた。


「隊列を乱すな! そこ、槍の突きが遅い! 私が相手してやるからかかってこい!」


 百華は体の時間を巻き戻され、わずか十五歳の体になってしまっていたが、それでも訓練の指揮には鬼気迫るものがある。

 それはそれとして、少年の姿になった百華は愛らしい。兵士たちも以前の百華を知っているので大人しく指示に従っているが、その顔は少しばかり和んでいるように見える。


「百華、励んでおるようじゃの」


「ああ、陛下。ご足労いただきありがとうございます」


 百華は女帝の姿を目視して笑顔を向けるが、ふとその後ろに控えている魅音を見て淡々とした口調になった。


「魅音、席を外してもらえるか」


「……はい」


 魅音は一礼してその場を去った。


「陛下……いや、スズカ、でしたか。わたくしを救ってくださったそうで、ありがとうございます」


「いや……あなたを救ったのは経朱だけど、ずいぶん不便な体にされてしまったみたいだね」


「なに、兵士に侮られても実力の差を見せつけてやれば大人しくなりますから」


 女帝は、早速本題に入った。


「百華、魅音を与えると言ったら、あなたはどうする?」


「なぜ、彼女をわたくしに与えるのですか? 私は戦で功績も挙げられなかったのに、いただく理由がありませぬ」


 そう言われると困ってしまう。


「でも、あの子はいい子だから、あなたも接しているうちに気に入るかもしれないよ?」


「なぜ、そこまでわたくしとあの娘を近づけようとするのです?」


 百華は怪訝な顔をしていた。


「元の世界に早く帰りたいから」とは、言えないよなあ。


 鈴華は魅音が出てきた時点で、もうさっさと夢から醒めたいのである。

 百華と魅音が結ばれてハッピーエンド。そこには経朱も鈴華も入り込む余地なんてない。


「あなたには魅音がお似合いだと思ったんだよ」


 鈴華のぽつりとつぶやくような言葉に、百華はそっと目をそらす。


「たしかに魅音は魅力的な女性だと思います。ですが、わたくしには侍女は必要ありません」


 百華は、皇族でありながら侍女やお付きの者はほとんど連れていない。

 彼ひとりで何でもできてしまうので、たしかに必要がないのだろう。


「じゃあ、恋愛的な意味で、魅音とお付き合いする気はない?」


「……付き合ったら、貴女は喜ぶのですか?」


 また、胸がズキリと痛む。

 その痛みを飲み込んで、女帝は嘘をついた。


「うん、百華と魅音が仲良くなったら、私は嬉しい」


「…………そうですか」


 心なしか、百華の目が冷たく、寂しい色になった気がした。

 鈴華は思わずその視線にたじろいでしまい、逃げるように百華に背を向けて駆け出した。

「お待ち下さい、陛下!」という彼の声さえ、聞こえないまま……。


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