第9話 女帝の夜伽相手
前回のあらすじ。
都の様子を視察するために、町人スタイルでやってきた女帝・経朱――の中の人、鈴華と、四皇子のひとり、最百華。
女帝の中身が違うことを百華に気付かれそうになったり、百華に突然抱き寄せられたりして、鈴華はドキドキで思考回路はショート寸前。
果たして鈴華は百華に正体を悟られることなく、彼とのデート……もとい、都の視察を完遂することはできるのだろうか……?
「おっ、そこのお兄さんカッコいいね! おひとつどうだい?」
「お姉さんも美人だね~! 美男美女の夫婦なんて素敵だね、これも持っていきなよ!」
鈴華と百華の腕の中には、次々と野菜や果物が積み上げられていく。
普段から無表情の百華も、さすがにこれには目を丸くしているようだ。
「いや、あの……こんなにもらっても困るんですけど……」
鈴華は腕の中の商品を返そうとするが、「気にしなくていいよ! 家で子供も待ってるだろうし、食べるものが多いに越したことはないだろう?」と善意百パーセントの笑顔で言われて、かぁっと顔を赤くする。
夫婦だと思われている……しかも子供がいると思われている……。
推しの子供がほしいとまでは思ったことがなかったが、そうか、この世界だとそういうことも叶うのか……。
一生夢から醒めたくないな、と思ってしまった。
「仕方ありませんな……。とりあえず、これらは持ち帰ることにいたしましょう。もう少し都の様子を見ていきますか?」
「そうじゃな……。もらった果物をつまみながら、裏路地なども確認したい」
「御意に」
もともと、女性がひとりで入り込むには少々危険なところに行くときの護衛のために百華に頼んだのである。
大通りから一本、道を外れただけで都はその姿を変えた。
店の裏口にあたる場所には蝿のたかる生ゴミが積まれ、それを上半身に服を着ていない痩せこけた大人の男性や身寄りのないだろう子供が漁って食べている。要するにちょっとしたスラム街であった。
ここは、祭りのときとあまり変わっていないようだ。思わず眉根を寄せてしまう。
百華は「ちょうどよいのでここでいただいたものを譲り渡してしまいましょう」と、腕いっぱいの野菜や果物を抱えたまま、声を張り上げた。
「お前たち、聞くが良い。女帝陛下からの温情にて、ここに食料を持って見参した。女子供優先で、並んで受け取るがいい」
声を聞いた裏路地の住人たちは、「おお、最百華殿下!」と親しみのこもった声で集まってくる。どうやら、百華と裏路地の人々は声だけで相手がわかるほど親密な仲らしい。
「いつもありがとうございます」と食べ物を受け取る笑顔の人々に、鈴華が横顔を覗き見ると、百華は無表情を崩さないがほんのわずか、人々に向ける視線が柔らかいような気がした。
「いつも、こうして食べ物を分け与えておるのか?」
「陛下のお名前を勝手に引き合いに出して、申し訳ないと思っております」
「いや、それは良いのじゃ。妾の評判が上がるに越したことはないからの」
人々から離れた場所で、百華と一緒に果物をかじる。
「百華は優しいのじゃな」
鈴華が褒めると、百華はわずかに困ったような顔をする。この男の表情の変化は大きくない。よほど注意して観察していないと見逃してしまうだろう。
「……優しくなど、ありません。わたくしは、こんな慈善事業よりも戦の中に身を置いていたほうが落ち着きます」
「まあ、将軍じゃものな。たしか、自軍の兵士に『軍神』と崇められているのだったか」
鈴華はオフィシャルファンブックに書かれていた乙女ゲーのキャラクター説明を思い出しながら話す。
百華はますます困った顔をしているように見えた。顔をうつむけ、伏せた目からはまつ毛が影を作っている。鈴華は女でもこんなに長いまつ毛をした人間はそうそういないだろうなと思った。
「わたくしのような人間を神仏のように崇められても困るのです。わたくしは戦を『楽しい』と思ってしまっている。戦術や戦略を練っている間も、それが戦の中で上手く作用して勝利を得たときも、『楽しい』と思ってしまう。わたくしは優しくなどありません。敵から見れば悪鬼羅刹のように見えることでしょう」
「それに罪悪感を抱いているかのような物言いじゃな」
百華は鈴華の言葉に、わずかに身を固くした。図星を指された、といったところか。
「やはりそなたは優しいよ」
鈴華がニッコリと微笑むと、百華はそっと視線をそらした。
「――さて、裏路地も見て回りましたし、そろそろ日が暮れます。戻りましょう」
「そうじゃな」
目的通り、一日都を視察して、だいたいの民草の暮らしは把握できたと思う。
宝玉宮に戻ると、百華とはそこで別れることになったが、百華はなかなか絡めた指を離してくれない。
まだ私のことを疑っているのか、と鈴華は内心冷や汗をかいたが、どうもそういうわけでもないらしい。
「陛下。今夜、お部屋に伺います」
「ああ、今日のことをもう少しそなたと話し合いたいと思っておったところよ」
「……?」
「?」
百華の反応に若干の違和感を覚えないでもなかったが、彼がそっと手を離してくれたので、あまり気にせずそのまま部屋に戻った。
猟陰には明日、彼の執務室に行って都を見てきた感想を伝えよう。
「陛下、どちらにいらしていたのですか?」と心配そうに駆け寄ってきた侍女に、「なに、ちと一人で散歩したくなってな」などと、適当に理由をつけ、あくびを噛み殺しながら夕食の献立を聞く。
今日は久々に外出をして歩き詰めだったから、百華が部屋に来るまでに起きていられるだろうか、と少し心配していたが、冷静に考えると眠れなくなった。
――私の推しが夜に部屋に来る……!? よく考えたら大事件では!?
都を視察したことについて話し合いをするだけだ、と思っても、かなり興奮する案件である。
やがて、百華が部屋にやってきた。
椅子を用意したので、そこに座るように促そうとベッドの端から立ち上がった途端、百華がズイッと鈴華の目前に迫る。
ウワーッ! 突然の美顔! と思ったそばから、百華に顎をそっと持ち上げられて……。
鈴華は驚きで目を開けっ放しだったので、自分が口づけされたことは見えていたのだが、頭が理解を拒んでいた。
「!? ――……!?」
「陛下……」
口を離して、「は……」と息を漏らす百華の色気がとんでもない。
混乱の渦に叩き落された鈴華に、さらに口づけの追撃を加え、腰が抜けたところを素早く寝台に横たえる体捌きは明らかに女慣れしていた。
「あ、あの……百華……?」
もう何も考えられないほど脳がオーバーヒートしている鈴華に、百華はトドメとばかりに服を脱ぎ始める。
「ウワァァァァ!? ななななな何やってるんですか殿下ァ!?」
鈴華は思わず素が出てしまった。彼女は推しの百華を呼ぶ時、「殿下」と呼ぶ癖があったのだ。
それは鈴華にとってはもっともな呼び名なのだが、それを聞いた途端、百華はチリッと目から火花が出たかと思うほど鋭く睨みつけた。
「『殿下』……? 陛下が私を『殿下』などと呼ぶはずがない。お前は何者だ?」
百華は一人称を使い分けている。目上の者には「わたくし」、目下の者や同等の者には「私」を使う。
――ヤバい、バレた!
鈴華は急に体感温度が絶対零度にまで下がったような焦りを感じた。
というか、百華の視線がとてつもなく冷たくて、震え上がりそうになる。
さらに、最悪のタイミングというのは往々にして重なるものである。
突然、バンッという音とともに、女帝の部屋の扉が蹴破られた。
「テメェ、クソ女帝! 百華兄ィを夜伽相手にしてるってのはマジだったらしいな!」
最心用が部屋に乱入してきたのである。
心用は上半身を脱いだ自身の兄を見て、カッと目を見開き、わなわなと震え始めた。
「――こ、こンのクソ女ァァァ!! よくも俺の兄貴を汚したなァ!! ブッ殺してやるァ!!」
鈴華からしたら、わけのわからないことが次々と起きている。
――夜伽って何!? 経朱は百華と何をしていたの……!?
鈴華は乙女ゲーの主人公視点の出来事しか知らない。
女帝と百華が夜伽をするような仲だったことなど寝耳に水なのだ。
そして、わけがわからないまま、女帝と百華、心用の三人で修羅場に突入していたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます