第7話 爆走! 経朱帝

「――あの女帝陛下にはほとほと困ったものだ」


「余計なことをしなければ、我々が甘い汁を吸えたものを」


「最近の陛下は何か様子がおかしいと思わぬか?」


 女帝・経朱の側近たちはヒソヒソと密談をしていた。

 この頃には女帝は側近たちの言うことにはほとんど耳を貸さなくなってきていたのである。

 その代わり、四皇子とつるむことが多くなり、それがますます側近たちの立場を追い詰めていた。自分たちがいつ側近の座を追われるか分からない。そうなれば、彼らはもう女帝を利用して好き放題できなくなる。側近たちは自らの過ちを認めず、あくまでも自分たちが遊び暮らすことしか考えていないのであった。同情の余地がない。


 側近たちの話を腕を組んだまま黙って聞いていた桃燕は、重々しく口を開く。


「もはやかくなる上は、俺たちが見捨てられる前に、陛下を見限ったほうがいい」


 桃燕の発言に、側近たちは目をパチクリとさせている。


「桃燕殿、それはどういう意味ですかな? 陛下のもとを離れては、我らの権威は失われることになりますぞ」


「陛下を亡き者にするのだ」


 桃燕の、海の中におもりを巻き付けた人間を沈めるような低く響く残酷な言葉に、側近たちは怖気づいたように怯えた目を向ける。


「し、しかし――陛下を暗殺するということですか? あの二体の恐ろしい龍を見たでしょう。我らが立ち向かって勝てる相手ではございませぬぞ」


「なに、我らが直接手を下さなくても、いくらでもやりようはある」


 桃燕はニヤリと邪悪な笑みを浮かべて、側近たちとともに女帝を殺すための計画を立て始めたのである……。


 それから数日が経った。

 女帝・経朱――中の人は鈴華である――は、戦場にいた。

 とはいえ、もちろん最前線ではない。最丁狭や最百華が率いている軍隊が、敵国である春雨国しゅんうこくとの国境に向かって進軍しているのを、最後列から見守っているのだ。


 最丁狭と最百華は自らの軍隊を持っていた。彼らも猟陰と同じく、自ら兵を募集し、鍛えて練度の高い戦士に仕上げている。

 春雨国は宝菜国と国としての規模は同じくらいであったが、好戦的な国で宝菜国は何度も侵攻の憂き目にあい、その度に最丁狭と最百華の活躍によって敵を退けていた。


 鈴華は春雨国との戦争で、今回の見学を自ら志願したのである。

 内憂外患のうち、「外患」をこの目で見たかったのだ。

 宝菜国には友好国もあるが、敵国もまた存在する。

 春雨国は宝菜国と隣り合っているがゆえに、戦が絶えない関係だ。そのうち宝菜国を滅ぼし、領地を奪って大国としてのし上がりたいのだろう。

 ――そして、あの乙女ゲーで、傾いていた宝菜国が滅ぶ原因になった要素のひとつが、この春雨国の侵攻によるものなのだ。

 このゲームの世界で推しである百華を始めとした攻略対象――四皇子を救うためには、春雨国の脅威を取り除くことが必須である。


 女帝の乗っている輿には馬が繋がれている。見ようによっては馬に引かせて進軍する古代の戦車のような外観だ。輿には垂れ幕がかかっており、女帝の姿が隠されている。

 輿の外の様子を見るには垂れ幕のわずかな隙間を少し覗くことになる。

 女帝の輿の後ろに立っていたので彼女には見えなかったが、後ろの方で四皇子の最猟陰と最心用が会話しているのが聞き取れた。


「なんだよ、猟陰兄ィも来たのか? 学者様には戦争なんて見ても楽しくないだろ」


「なに、そんなことはないさ。戦術を練るのも兵法学者の仕事だからね。それに、たまには戦場の空気を吸うのも悪くはない」


「ハハッ、そりゃ同意だぜ。俺も早く自分の軍を持ちたいもんだ」


 猟陰は学者をまとめる特殊な立ち位置なので軍隊は持っていない。心用はまだ年若いので戦場に立つことは叶わなかった。彼らの声は遠く、輿から離れた場所にいるというのはなんとなくわかった。

 やがて戦争が始まり、丁狭と百華の軍が前進し、敵の軍隊とぶつかる。

 キンキンと金属の武器が切り結ぶ高音と、兵士たちの雄叫び、悲鳴などが聞こえてきた。

 その様子を御簾の隙間ではなく、もっとよく見たいと鈴華が御簾を持ち上げたところ。

 何かを蹴るような鈍い音がしたと思ったら突然馬がいなないて駆け出したのである。


「えっ!? なにっ!?」


 女帝のいる輿を引いている馬が、突然暴走を始めたと理解するのに時間がかかった。というか、混乱していて冷静な分析ができなかった。


「ギャーッ!? だ、誰か止めてーッ!」


 鈴華の乗った馬はまっすぐに戦場に向かって突っ込んでいく。

 宝菜国の軍も春雨国の軍も女帝の意味不明な行動に、思わず戦いの手を止めてしまった。

 そして、女帝の馬は暴走した車のように、春雨国の兵士たちを次々とはね飛ばしていくのである。


「陛下!?」


 両国の混乱の中、ひとり事態を把握したのか、最丁狭がひらりと馬に飛び乗り、女帝を追いかける。太陽の光を反射して、風に翻った彼の黒髪が青色に輝いた。


「オラッ! 邪魔だ、どけ雑魚ども!」


 丁狭は馬に乗ると、いつもの穏やかな口調は鳴りを潜め、よく言えば勇ましく、悪く言えば粗暴な言葉遣いになってしまうのであった。このあたりは心用の兄弟らしいと言えばらしいかもしれない。

 バイクや車に乗ると性格が変わってしまう人間がいるが、彼はまさしくそのタイプである。


「陛下! 俺に掴まれ!」


 女帝の乗った馬と並走しながら、丁狭が手を差し伸べる。

 その手をしっかり握ると、丁狭は力強く引っ張り、女帝を自分の馬に乗せた。

 こんな状況でなければ、皇子様と馬で二人乗りというロマンスの香りがするシチュエーションだったのだが……。

 無人となった輿は馬の暴走で春雨国の軍隊を蹴散らし、やがて戦場に生えていた木にぶつかって大破した。もしも、あれに乗ったままだったら……と鈴華は背すじが凍りついたものである。


 丁狭は戦場から離れたところで、女帝をうやうやしく丁寧に馬から降ろす。


「ご無事ですか、陛下? お怪我は?」


 しかし、鈴華は丁狭の言葉に返事ができなかった。

 ボロボロと涙が止まらず、しゃくり上げて、「怖かった……」と涙声でヘナヘナと地面に座り込んでしまったのである。


「よしよし、恐ろしい思いをしましたね」


 丁狭は女帝の背中をさすって、泣き止むまでいつまでもそばにいてくれた。


 さて、宝玉宮に戻って、百華による今回の戦績を報告してもらったのだが、あながち悪い結果ではなかったようだ。


「春雨国は陛下の暴走により、混乱に陥って今回は引き上げていきました。こちらの兵士の損失は少ないですね。陛下のおかげと言っても過言ではないかと」


「いや、過言じゃろ……」


 女帝は玉座に座って、「あんなのはもうこりごりだ」と肘掛けに肘をつき、手に頬を乗せる。

 ――それにしても、と思う。

 冷静に当時の状況を考えると、誰かが馬の腹を蹴って暴走させたのが今回の原因であろう。

 犯人は側近たちだろうとなんとなく目星はついているのだが、肝心の証拠がない。

 猟陰にも聞いてみたが、「心用とのおしゃべりに夢中で気付かなかった」ときたものだ。

 今後は側近たちの動きを警戒しつつ、悪事の証拠を集めなければならないだろう。

 気が重い話だ。


「ハハッ、女帝サマの鬨の声はなかなか良かったぜ。『誰か止めてーッ』なんて戦場で悲鳴を上げるなんざ、春雨国でも今頃笑い話だろうさ」


「心用」


 咎めるような丁狭の口調に、心用は不服そうにしながらも黙り込んだ。


「ふふ、たしかに情けないところを見せてしもうたな。しかし、丁狭には助けられた。のちほど恩賞を与えよう」


「ありがたき幸せ」


 鈴華は自分の女帝の演技もだいぶ板についてきたな、と思いながら、最近あまり声をかけてこない自分の中の本来の女帝――経朱が気になっていた。


(ねえ、経朱、いる? まさか消滅しちゃったとかじゃないよね)


『フン、そなたは消滅してほしいと思っておるのじゃろ』


(なに、まだスネてるの?)


『妾さえいなければ、この国は善政を敷いて良き国になる。それには妾は邪魔なのじゃろう?』


 鈴華は経朱の言葉に困ってしまった。たしかに、経朱がいたことで国は傾きかけたわけなのだが……。


(私には貴女が必要だよ。私がもし元の世界に戻ったら、貴女にあとを任せたいもの)


『勝手に妾に押し付けるな。そんな重い責任、妾には支えられぬ……』


 ――ああ、と鈴華は悟った。経朱は女帝としてひとりで責任を負いたくないから今まで政治を投げ出して、側近たちの甘言に乗ってしまっていたんだ。

 彼女の心を立て直すのも、鈴華に与えられた課題なのだろう。


 宝玉宮の自室に戻り、一人になった鈴華は、窓から外を眺め、思案に耽ることになったのであった。


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