第5話 都の祭り

 女帝・宝玉宮経朱帝がその身に龍を顕現させた日から数日後。

 そのニュースは宝菜国を駆け巡り、あるいは他国にも知られることとなった。

 宝菜国と友好関係や同盟関係を結んでいる国々の大使が女帝のもとを訪れ、経朱とその中の人――鈴華は慣れない接待にクタクタになっていた。


「うへぇ、疲れた〜」


「お疲れ様、陛下」


 女帝をねぎらってくれたのは唯一その正体を知る皇子――最猟陰である。


「城から外を見下ろしてみるといい、華やかな都の祭りが見えると思うよ。女帝陛下が龍を顕現したなんて大特報だからねえ」


「前から気になってたんだけど、皇族が龍を顕現できるって、そんなにすごいことなの?」


 いや、龍を呼び出せるというのは確かにすごいことではあるのだろう。少なくとも現代日本出身の鈴華ではできない芸当だ。

 この世界では、皇族だけが龍を呼び出せるという。しかし、それが何を意味するのかはゲームをプレイしただけではあまりよく分からなかった。


「もちろんだとも。龍を顕現できるのは宝菜国の皇族だけだ。他の国では麒麟きりんだったり他の神獣らしいけど」


「キリンって、首が長いやつ?」


「君、何を想像してるんだ?」


 猟陰は思わず、手に口を当ててクスリと笑った。

 彼は筆をとり、手近な紙に絵を描き始める。

 猟陰はかなり絵が上手いようで、そこに描かれた麒麟は、お酒の缶で見覚えのある、あのライオンのような鹿のような馬のような、よく分からない動物だった。


「戦においては、この神獣の力をどれだけ借りられるかが重要になる。なにせ人知を超えた力だからね。天候を変えたり炎や水を吐いたり、神獣一体で戦況をひっくり返すのも決して不可能なことじゃない」


 猟陰が墨で描いた麒麟を指でなぞると、まだ乾ききっていない麒麟はズルリと形を崩す。


「だいたいどこの国も似たようなものだと思うが、この強力な神獣を使役するがゆえに、皇族を崇める宗教のようなものがある。だからこそ、龍を顕現できなかった経朱は国の恥とされた。他の国にもずいぶん馬鹿にされたものさ」


 鈴華は猟陰の言葉にドキッとした。ああ、だから『無能女帝』などと呼ばれて蔑まれてきたのか。

 しかし、龍を顕現できなかったからといって、いったい経朱に何ができたというのだろう?

 それで逆ギレして恐怖政治を敷くというのも過激な話ではあるが、自らの無力をどうしようもない彼女がへそを曲げてしまうのも仕方ないのではないか?


『……国の恥、か』


 経朱が心の片隅でぽつりと、寂しそうに呟いた気がした。


「ねえ、猟陰さん」


 鈴華はある「お願いごと」をしてみる。


「私、都に行ってみたい」


 ――女帝は、町娘に変装して、都に降りてみることにしたのであった。


『なぜ、妾が下々の住む下界に降りねばならぬ』


 経朱は鈴華の意図が理解できないというふうにぼやく。口を尖らせているのが容易に想像できる声音だった。


(だって、こんなに貴女を祝ってくれてる人がいるんだよ? こないだ言ってたじゃない、『誰もが妾を敬う素晴らしい世界を享受したい』って)


『ああ、言った。言ったが、わざわざ妾が自ら足を運ぶことか?』


(あっ、見て! あの串焼き、美味しそう!)


『聞け! 妾の話を!』


 鈴華は大通りの両脇に立ち並ぶ屋台、そこから漂ってくる食べ物の香ばしい匂いに夢中である。経朱は鈴華にペースを乱されっぱなしだ。

 この小娘、今に見とれよ……と経朱の恨めしそうな声が聞こえた。


「おじさん、串焼き二本ちょうだい!」


「あいよっ! お嬢ちゃん、ここらじゃ見ない顔だね。都に上がってきたばかりかい?」


「うん、そんなとこ」


 代金を払いながら笑ってごまかす。

 女帝は下々の民の前には姿を現さず、また声を聞かせることもない。彼女が女帝だとバレる可能性は万に一つもないのだ。

 さらにバレる可能性を下げるために、お付きの者などもつけずに都へ降りてきた。猟陰からは心配されたが、「自分たちには龍がいるから」と固辞してきたのだ。


 鈴華と経朱は串焼きを食べながら、都の様子を見て回る。活気にあふれているように見えるが、裏路地を覗くと痩せ細った人々が屋台から捨てられた生ゴミを漁って食べているのが見えた。


『――鈴華、もう宝玉宮に帰ろうぞ』


(……経朱、目をそらさないで)


『妾はあんな汚らわしいもの、見たくない』


(貴女の政治が、あの『汚らわしい』人々を作ってるんだよ。現実から目をそらさないで)


 実のところ、鈴華が経朱に本当に見せたかったものがそれで、経朱が都に降りたがらない理由もそれだった。


『――ッ、鈴華! そなたはなぜ、妾をさいなむのじゃ!? 妾は悪くない、妾は何もしておらぬ!』


(そうだね、貴女は側近たちにすべてを任せて、何もせず遊び呆けてた。その結果生まれたのがこの人たちだよ)


『うるさいっ、うるさい! 黙れ! く妾の体からねよ!』


 それっきり、経朱の声はしなくなった。きっとまた心の片隅でうずくまっていじけているのだろう。

 経朱は臆病なんだ、と鈴華は思った。

 尊大なようでいて、実のところは周りに怯えている。

 側近に『教育』された経験もあるだろうし、四皇子のことも自分の皇位を狙っていると疑っている。

 彼女は誰も信用できないのだ。


 串焼きを食べ終わって、さて、この串はどうしようかと、ゴミ箱を探していたその時である。

 突然、腕をグイッと引かれて路地裏に引き込まれた。

 ――周りを怖い顔のお兄さんたちに取り囲まれている。


「お嬢ちゃん、都は初めてかい?」


「綺麗な服だね、さぞかしお高いんだろう」


「お兄さんたちと少しお喋りしないかい?」


 ――あっ、これヤバいやつ。

 鈴華は即座に龍を呼び出そうとした。

 龍が出てくる心臓の位置に意識を集中させる。

 ……が、何も起こらない。


(えっ、なんで!? いつもだったらすぐ出てくるのに!)


 鈴華は怖いお兄さんたちに引きずられながらも、足でなんとか踏ん張っている。が、そろそろ限界だ。

 こんな治安の終わっている国で女性が一人、路地の奥に引き込まれたら何をされるか……あまり想像はしたくない。


「……た……たすけて……」


 つぶやくような声を絞り出しただけなのに、その人は来てくれた。


「あだだだだだ!? やっ、やめろ、離せよ、いてぇな!」


「なっ、なんだテメェ! 俺らの邪魔しようってのか!?」


 怖いお兄さんのうち、一人の腕が通りすがりの男にねじ上げられて悲鳴を漏らす。他の怖いお兄さんも鈴華から手を離して、あとずさりするように距離を取った。

 そして、鈴華を助けてくれたその人は、彼女の手を引き、かばうように自分の背後に導く。


「――私の顔を知らぬと? 貴様ら、さては都の者ではないな」


 傲慢ごうまんなようにも聞こえる台詞であったが、宝菜国で一番とうたわれる彼の美貌を見れば無理もないことであった。


「百華……!」


 地獄で仏に会ったような鈴華の声に、ならず者たちの間に衝撃が走る。


「最百華だと……!?」


「こ、皇族がなんでこんなとこに……!」


「武将として都の警備を任されているだけのこと」


 凛とした声でならず者たちに向かい合う彼だけが別世界の生き物のようだった。

 百華の体に巻き付くように、女帝のものよりずいぶん大きな白い龍がとぐろを巻いて男たちを睨みつけている。


「――疾く失せよ」


「ヒッ、ヒィイ!」


 鈴華の存在など忘れたかのように、男たちは路地の奥へと消えていく。

 闇に逃げ帰る幽鬼のようだな、と思ってしまった。


「さて、ご無事ですかお嬢さ…………」


 百華が振り返り、鈴華の顔を見た瞬間、わずかに動揺したように見えた。


「…………こんなところで何をしているのです、陛下」


「えっと、都の見物……」


「ここは陛下がいらっしゃるべきところではございませぬ。宝玉宮へお戻りくださいませ」


「そ、そうじゃな、世話になった」


 なんとか口調を取り繕って、鈴華は宝玉宮へ戻ろうとした。

 その背中に、百華が疑問を投げかける。


「なぜ、龍を呼ばなかったのです?」


「呼ぼうと思っても出てこなかったのじゃ」


「ああ……なるほど」


 百華は女帝の体を抱き寄せると、へその下あたりをトン、と指差した。


「な、ななな何じゃいきなり!? セクハラか!?」


「せく……? なんですか?」


 百華は相変わらずの無表情で首を傾げていた。

 そのまま、鈴華のへその下に人差し指を当てる。


「おそらく暴漢に襲われたことで動揺して龍を上手く呼び出せなかったのでしょうな。ここは丹田たんでんと呼ばれる場所です。ここに意識を集中させて、気を練ることで龍を顕現させるのです」


「きを……ねる……?」


「今は分からなくて結構です。わたくしが修行をつけて差し上げましょう」


「お、お手柔らかに頼む……」


 百華はニコリともしなかった。

 そのまま女帝を伴って宝玉宮へ帰り、鈴華は猟陰にこってりとお説教を食らったのであった。


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