ハングリーロック

葱と落花生

ハングリーロック

 お稲荷さんで結婚式


 幽霊の様でした。            

 連日の熱帯夜に溶け出しそうな頭がそうさせたのか。

 見える筈の無い未来が、一瞬この目に映り込んだのか。

 鏡の中の君を確めようと振り返っても、その姿は既に無かった。

 台所から、包丁とまな板のゆっくりとしたリズムが聞こえて来る。

 ぎこちない三拍子がトンタンタン、何時になっても料理の腕前は上達しないようだ。

 いったい何時寝ているのだろう、不慣れな姉さん被りに襷掛けの君。

 俺の願いは、何時までも一緒に居られますようにだけだった。             


 患者を助けたいばかりに、禁止されている移植手術をしたのが発覚して無職になった。 

 医師免許剥奪にはならなかったものの、無期限の医療行為禁止処分を受け、完全に医療現場から干された。

 どうにもやりきれない気持ちを吐き出したくて、逃げ場所にロックを選んだ。

 ロックの神様に対して、失礼この上ない話だ。


 どん底で、売れないミュージシャンを気取ったプー太郎。

 この下ない干されクズ医者の何処が気に入ったのか、何時の間にか君は此のアパートに住み着いていた。

 何故一緒に居るのか。

 気にも留めなかったし、分からないままで良いと半年が過ぎた。


 障子越しに差し込む和らいだ夏の朝日が、何時もの決まりきった朝食を照らす。

 具の無い味噌汁に、漬物と飯だけ。

 自分に稼ぎの無いのは良いとしても、君までこんな暮らしに付き合っているのが不思議でならなかった。

 ミュージシャンなんて見果てぬ夢の鬼ごっこは辞めて、堅気の仕事に付こうと思った時が何度もあった。


 君が給料日に買ってくる格安ウイスキーをちびりゝやり乍ら、明け方まで二人で話す事もよくあった。

 話すのは何時もライブや新曲の事ばかり。 

 君は、この貧乏暮らしを楽しんでいるようだ。

 俺がプロのロックミュージシャンになるのを夢見ているのだと、時折見せる片えくぼの笑顔で気付かされた。


 何時からか、君はライブハウスのアルバイトまで始めていた。

 俺のバイトだけでは、厳しい日々の連続だから仕方ない。

 そんな極貧世帯の事情など知っていても知らん顔して、バンドのメンバーが朝飯をタカリに来る。

 赤字続きの家計をやりくりし、君は何時も人様の飯まで用意している。


 何時かこんな事が有ったと笑える時が来るからと、何かの記念日には奮発して味噌汁に具を入れる。

 たまに入る具に、今世紀最大の異変が起きた。

 プラモデルや食品サンプルではない、味もあるし臭いもある。

 お世辞にも大きいとは言えない、ザリガニと見紛うばかりに細やかだが、伊勢海老様が入っている。


 ギタリストの二人が同時に「これから結婚式やろう」誰のだ?

 俺のか?

 勝手に決めるんじゃない。

 総ては打ち合わせ済みの朝飯か。

 誕生日のびっくりパーティーでもあるまい、何の仕度も無くこれから結婚式とはよく言ってくれたものだ。


 ヒョイと横を見れば、君が三つ指ついている。

 時代錯誤甚だしく、意味不明の言葉を吐き出した。

「ふつつかな」くらいまでは分かったが、あとは白紙と一緒だ。

 頭の中で、君が来てから今日までのフラッシュバックがスライドショーになっている。

 有無を言わせてもらえず、近くのお稲荷さんに引き回されて行く。

 神社には更なる驚嘆が待ち構えていた。


 蝉時雨の中、小さなお稲荷さんの社には油揚げが供えられている。

 神主姿のベースと、巫女さんのつもりだろう、いかにも汚いコスプレオカマのドラマーとキーボーダーが立っている。

 ライブでの恥知らずは許すとしても、こいつらの見事な変態ぶり。

 何で、今まで気付かなかったのだろう。


 二人して神主擬きの前に立ち、君をチラリと見る。

 打ち掛けに似せた掻い巻き姿で、顔から汗が噴出している。

 結婚式だか我慢大会だか分からなくなってきた。

 暑さのせいだけではない、俺の脳はフルスロットルで空回りだ。

 気付いた時には、アパートで他の住人まで巻き込む大宴会になっていた。


 頑固そうな二日酔いの朝、カラカラの喉と理不尽な頭痛に、酷く不快な目覚めだ。

 流石にアパートの住人は自室に帰って、バンドのメンバーだけがボーっとしている。

 宴の後、寂しげに散らかった部屋。    


 息切らし買い物から走り帰った君の手に、握りしめられた紙切れ一枚。

 近くに住む不動産屋のオヤジに、俺達向きの家だからと勧められた物件までの地図だそうな。

 見ればこのアパート以下の極限的低家賃に加え、6LDK地下室付き隣家なし。

 現在【占有者幽霊のみ】………なんだ?

 毎月のスタジオ代以下で借りられる点で俺達向きなのだが、占有者幽霊と明記されている。


 考えあぐねいていると、台所から何時ものワルツが流れてきた。

 前夜の宴の匂いに勝り、味噌汁の香りが部屋中を我が物顔で飛び回る。

 滅多な事で昼間の酒を飲まない君が、この日ばかりは朝酒を飲んだ。

 6LDK幽霊付きを借りて合宿、メジャーデビューと良くしゃべる。

 だがしかしBUT、俺は目の前の変態的コスプレイヤー達との共同生活に、前向きな姿勢で望む勇気が湧いて来ない。


 俺はメンバーに説き伏せられ、スタジオ兼合宿所謙幽霊屋敷に引っ越す羽目となった。

 とはいえ、とりあえず下見ぐらいはする。

 地図によれば、此処から歩いて片道二時間といった辺りに借家がある。

 酔い覚ましに、不動産屋の案内付で見学会へと向かった。


 鍵のかかるような家ではない。

 数百年前から建っていたであろう古民家は、近所に聳え立つコンクリート造りの寺より重厚な外観だ。

 家の中は掃除が行き届き、つい今し方までの生活感さえある。

 とても数世紀前の建造物とは思えない。


 母屋のすぐ脇に、どっかり構えたコンクリート造りのドームが場違いだ。

 分厚い鉄扉の入り口がある。

 スタジオにするのは、やはりコンクリートドームの地下室がいいか。

 不動産屋によれば、十分な広さがあるらしい。


 コンクリートドームは戦中に作られた防空壕だが、今でもしっかり防災シェルターになりそうだ。

 大戦中に空襲を受けた地域ではない。

 遠くの飛行場を爆撃した後、燃料節約の為、少しでも機体を軽くしようとした爆撃機から空薬莢が撒かれた程度だ。

 一度だけ、何かの間違いで爆弾が落とされ、小学校が吹き飛んで多くの子供が犠牲になったと聞かされた。


 地下室を見せてもらう段になって、不動産屋が妙な動きをし始めた。

 軽トラックから持ち出した紙袋の中には、菊の花束とローソク、それから線香に提灯。

 地下への入り口で不動産屋が合掌、なにやらブツゞ唱えている。


 地下室に降りると、換気口でもあるのか室内はよく乾燥していて、地下特有のかび臭さもない。

 音の響き過ぎは気になるが、そうそう贅沢も言っていられない。

 不動産屋の点けた提灯の灯が夏っぽく、涼しい地下室は遊園地のお化け屋敷の様だ。

 背筋に悪寒が走る。




 凱旋コンサート・打ち上げの夜


 薄明かりでよく見えないが、部屋の奥に妙な影がある。

 よーく目を凝らして見れば、少しばかり暗さに慣れて来た。

 なんとも御立派な………墓石か?

 こんな所にお墓が、何でだよー。


 不動産屋が墓に献花する。

 胸ぐら掴んで問質せば、この物件は競売の特売を、安いからとろくに調べもしないで買ってびっくり仰天した物だった。

 かみさんにどやされ、親からは頼むから仕事をしないでくれと言われ、せめて元金だけでも取り戻そうと俺達に勧めているらしい。


「墓石なんて、そのうち慣れるさ」

「遺骨は?」

「十何代分だかがー、みっちり詰まってる」


 幽霊付きの意味が分かってみれば「恐れ戦く程の問題ではないよね」「気の持ち様だよね」と皆の衆が言う。

 俺以外は、此処を拠点として活動する気満々だ。



 幽霊の祟りもなく、嬉し忙し恐ろし引越しを無事終えて、一週間程はチャカポコ騒ぎの日が続た。

 修学旅行と同じだ。

 それから数日は将来を見据え、食糧危機に備えた野菜の種蒔き。

 それに飽きると、漸くやっていなかった曲作りやレコーディング。 バンドマンらしい活動を始めた。


 冬眠から覚めたばかりの熊がふらつく様に、初めは覚束無かったものの、長年やって来た事。

 直ぐに勘を取り戻すと、デモテープ作りでの苦労はない。

 潜伏期間が長いと、地味な作業は手慣れたものだ。


 出版社勤めの君は編集長に無理言って、雑誌に俺達の記事を載せてくれた。

 ライブハウスを何件も周り、デモテープを配り周った。

 自分で言うのも気が引けるが、実力のないバンドではない。

 ひたすらライブハウスで演奏していれば、何時か誰かが拾ってくれて、スッキリとメジャーデビュー出来ると思い込んでいた。

 こんな俺達に「そんなに世の中は甘くないよ」と教えてくれたのが君だった。


 音楽雑誌の出版社に行って、編集者をライブに招待する。

 何十社でも、軽く門前払いであしらわれてもめげないで、ただひたすらしつこく食い下がる。

 嫌がろうが迷惑だろうが、関係者をライブに呼び込む。

 百人に来てもらえれば、中には物好きが一人くらいはいるものだ。


 合宿生活に入ってからは、練習と宣伝漬けの毎日だった。

 そんな努力が報われたか、何件かの雑誌に取り上げてもらってからは、スカゝだったライブスケジュールがギッシリ詰まった。

 それは良い事なのだが、ライブを熟せば熟す程、俺達は貧しくなっていった。


 ギャラは総て交通費で消える。

 宿舎に帰ると、食い物を買う金さえ残っていない。

 食糧は自分達と他人様の畑で、自給自足するしかなかった。

 スケジュールが一杯で、アルバイトも出来ないのだ。


 貯えが全員合わせて五百円に成ってしまい、暫く活動休止かと困っていたら、救いの神が俺達の宿舎を訪ねて来た。

 プロ契約の誘いだ。

 俺達が、細々食っていけるだけの収入を保証してくれた。

 それから生活は急変し、俺達は休みなしの忙しさに振り回された。

 時間に余裕のない強行軍で、全国ライブハウスのローラー制覇。

 俗に言うところのドサキャンペーンで、一日に二件四公演を毎日熟す。

 何も考えず、ライブステージに没頭した。


 久しぶりに地元での凱旋コンサートを派手に終え、合宿所に帰るのは何ヶ月かぶりだ。 

「あー、帰ってきたぞー!」

 長い間留守にしていた宿舎、ほこり汚れを覚悟していたが、着いてみれば綺麗に打ち上げの準備が整っていた。

 不動産屋のオヤジが、今夜の段取りをしてくれていたのだ。


 久しぶりの我が家でニコヤカに過ごす。

 ギャラが安い分、生活して行くにはライブの数を熟さなければならない。

 これから暫くは忙しい日が続くだろう。

 今度帰って来られるのは、何時になるかも分からない。


 久しぶりの我が家も束の間だが、何の気兼ねもなく、明日の事など考えない。

 心底はしゃいでツアーの成功を祝う。

 しこたま騒いでも御祝い気分は増すばかり、宴がこのまま何時までも続くと思っていた。


 そんな席。

「楽しくしている所、暗~くなる話で悪いけど」と君が話し始めた。

「わたくし、縁あってこの人と一緒になりましたが、出会った時には、あと数年の命と宣告されていました」

 自分の余命についての話。

 医者の俺が見ても、いたって頑丈な健康体に見えるように、随分と君は気遣っていた。

 余命の事を知られると、俺達と気兼ね無く過ごせないと思い、今まで打ち明けずにいたのだと言う。

 でも、そんなの、いつ聞いても納得できる話じゃない。


 俺達が宿舎兼練習所にしている土地建物は、君が親から受け継いだ物で、誰にもこの家屋敷を残せるあてがない。

 今となっては家系が絶えるのは確実だから、不動産屋に無理を言って、俺達がこの家に住むよう狂言まで仕組んでいた。

「よかったら私が死んだ後も、この家を使い続けて。皆で住み続けてください」


 いつも静かに俺の横に並んでいた君が、中央の席に座り宴が続く。

 君が元気に動き回っている。

 今直ぐ緊迫した状況でないのは見ていれば分かる。

 それでも近い将来、君が目の前から消えてしまうのかと思うと、宴会気分ではいられない。

 そんな場の雰囲気を察したのか、君が湿っぽい話はやめようと言ってくれた。


 他人事のように淡々と、思い出話を語り続ける君は泣かない。

 だけど、俺には本人出席の通夜にしか思えない。

 君は楽しかった出来事を、話したくて夢中になっている子供のようだ。

 今までの暮らしが貧しくて、一緒にいないと冬の夜はとても寒いのに、それが嬉しくて「皆に御飯を作っている時が、とっても楽しいの」と、笑顔を絶やさない。


「小さい時から病弱で、いつも家の中か病室にしか居場所がなかったけど、皆と出会ってからは、自分の思いのままに過ごせた」って………。

 これ以上ない破天荒な生活に、君は寿命を縮めてまで付き合ってくれていた。

「どうせ人はいつか老いさらばえて朽ち果てる者。早くに逝く私は、今のこの姿のままで、ずーっと皆と一緒に暮らし続けられるんだから、幸せ者なんだよ」と………。

「皆と何時も一緒にいたいから、私はスタジオドームの御墓に入るの」って………。

「夢だった、貴方と一緒のライブツアーは叶ったから、貴方と私の時間はこれで十分。これからは貴方の時間を、病気で苦しむ人の為に使ってあげて」


 医師でありながら、たった一人の患者も治せない。

 最愛の人なのに、治せない。

 大馬鹿野郎のヤブ医者が………ここにいる。

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ハングリーロック 葱と落花生 @azenokouji-dengaku

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