第13話 過去を書き換えるには……。心残りを終わらせるには……。
植え込みの外ではムサシがふんふん鼻を動かす音が聞こえる。
『――オレは飛鳥井速人、お前はムサシっていうのか?――』
と過去のオレの声がする。
それはオレの計画がご破算になった証だ。
……そう、オレはムサシと過去のオレが出会わないように仕組もうとしたのだ。
そうすればオレはユナエリと会うことはない。
オレの心残りはお前と出会っちまったからなんだぞ。
『――ん? お前は男だな。相手が欲しければ紹介してもいいぞ――』
と、過去のオレ。
『――変態。……オス同士でなにやってるの?――』
とは過去のユナエリ。
……ああ、もう駄目だ。
いいのかよ。オレたちは出会っちまったんだぞ。
……お前はエロ女でも、ターバン女でも、かみつき女でも、そしてノーブラ女でもない。
「いいか? お前は一時の情に流された、バカだ。アホだ、大マヌケだ」
オレはちょっと、いや、かなり頭に来ていた。
オレがどんな思いで過去を変えようとしたのかを、この、……超絶バカ女はすべて無駄にしやがったんだ。
「……ど、どうしてそんなこというの? ねえ、なんでよ?」
……ああ、答えてやるよ。
この際だからはっきりいうぞ、失うものはないからはっきりいうぞ、四月六日がどうなっても、もうオレには関係ないからはっきりいうぞ。
「……オレはな、この公園でお前と出会っちまったんだ。
……そしたらな、お前と同じ高校の同じクラスになりたい、って思っちまったんだ。
……これがオレの心残りでタイムパラドックスになっちまった原因なんだよっ!」
時間が止まったかと思ったぞ。
その場の勢いってやつはとんでもねえぞ。
顔が火を噴いたみたいに熱いぞ。
「あ、あなたって」
ユナエリが肩を振るわせた。
「救いがたいほどバカ、あきれ果てて日が暮れちゃうくらいバカ、鈍感なんて言葉じゃまったく物足りないくらいの大バカ。
……バカバカバカ」
……殴られた。
しかもグーで。
「ど、どうして、あ、あたしもそれを望まなかったって思うの? ホントにバカ」
……うそだろ?
「うそじゃない。……あなたは私が引っ越して来て、最初に知り合った人なの。
……ムサシもあなたになついているの。なんでそんなことも気がつかないの? やっぱりバカ」
……また泣き出した。
……あのさ、怒るのか泣くのかどっちかにしろよ。
オレはどうにも動揺しちまって、嫌だ嫌だとむずがるユナエリを押さえつけようとするんだが、……この女はますます暴れやがる。
やばいぞ、植え込みが揺れてるぞ。 ……おい、見つかるぞ。
そのときだった。
『――誰かいるの?――』
と声がしやがった。
……まずい。その声はジョギングウェア姿の今朝のユナエリだ。
オレたちは固まって息をひそめたんだが、これは見つかるぞ。絶対に見つかるぞ。間違いなく見つかっちまうぞ。
……どうしたらいいんだよ。
「……仕方ないですね。ここは僕にまかせてください」
と後ろから声がした。
……忘れてた。完全に忘れてた。すっかり忘却の彼方だった。
そこには真顔でオレを見つめる風祭さんがいたのだ。
……やば。
ということは今の修羅場はすっかりこの人に、しっかり、くっきり、ばっちり、と見られていたわけでして。
そしてその風祭さん。
固い決意を浮かべた表情になると、ハンカチを手にして植木をがさがさと揺らしながらいきなりぬっと立ち上がったのだ。
『――きゃっ――』
と驚く過去のユナエリの声がした。
だが問題は風祭さんだ。すくっと勢いよく立ち上がったのはいいんだが、長い間しゃがんでいたから立ちくらんだのか、それとも足がしびれちまったのか、はうっ、と、うめいて二、三歩よろめいちまったんだ。
だがすぐさま立ち直った。
「いやー、いい朝だね」
と風祭さんは、まるで春の変質者のような場違いな雰囲気を振りまき散らしながら、去って行ったのだ。
……どうやらなんとか危機は去ったようだった。
ま、結果オーライってやつだろう。
……ちょっと待て?
そういえば今朝の公園で植え込みの中から、深緑色のダブルブレザーを着た鷺鳥高校の男が現れたよな?
……ってことは?
……あのときハンカチで顔を隠して姿を現したのが風祭さんってことだよな?
そういえば、それだけじゃないぞ。
オレが三回目の時間ループの大鷹高校の入学式で途方に暮れていると、オレにぶつかって植え込みに突っ込んだのも風祭さんだった。
……うーん、と、いうことはオレたちの行動はやっぱり風祭さんには筒抜けってことになるよな?
『――まあ、なんだ。……気をつけろよ。引っ越してきたばかりみたいだから知らないだろうけど、この辺じゃ放し飼いとかイヌのふんとかには異常なくらいうるさいから――』
と過去のオレの声がした。すると、
『――変態少年のくせにあたしに説教する気?――』
とやはり予想通りにユナエリが答えるのが聞こえる。
……そこにはすでに今朝と同じ時間が流れていた。
「……次、やっぱり行くんだよね?」
と、かみつき女のユナエリが話しかけてきた。
そこでオレは、ああ、と我に返る。
……そうだった。オレたちは今度はムサシを追わなくちゃならないんだ。
オレは立ち上がる。
……だが待てよ?
オレの心残りはユナエリと同じ高校の同じクラスになりたかったことだ。
だがユナエリはそれを拒否していたんだとオレは思っていた。
だから四月六日が時間ループするんだ。
……でもユナエリはそうじゃないといった。
ユナエリもオレと同じクラスになりたいっていったんだ。
……だったらなぜタイムパラドックスを起こすんだ?
……まあ、いい。それはあとから考えればいいことだ。
オレとユナエリは表通りへと足を急がせた。
それからオレたちはかなり足早に大通りへと向かった。
かなり時間が切迫していたからな。
で、さっきまでいつもの表情を見せていたはずのユナエリなんだが、目的地に進むにつれてだんだんと表情がきびしくなっていた。
くちびるを固く結んで顔色も真っ白になっていた。
……まあ、もともと肌は白いんだがな。
どうやら間に合ったようだった。
ムサシがすぐに見つかったからだ。ムサシは道路を挟んだ向こう側を歩いていた。
そしてその後ろにはジョギングウェア姿の過去のユナエリがいた。
時計を見ると午前七時過ぎ。
過去のオレが自宅へと戻り始めた時間だった。
通勤ラッシュは徐々に始まっていて、国道へとつながるこの通りにも、行き交う車の数が増え始めている。
それでもまだ本格的な渋滞は始まっていないので、車はかなりのスピードを出していた。
……確かにこの道路に飛び出したら、かなりやばいだろ。
「どの辺だった?」
とオレが尋ねると、
「あっち」
とユナエリは答えて歩き出す。
だがその顔色はどんどんすぐれなくなっていた。
……まあ、当たり前だろうな。自分のわんこが轢かれるかもしれないシーンをもう一度見なきゃならないんだ。……オレでもその立場なら、やっぱり怖いだろうな。
「ちなみに、どんなやつだったんだ?」
「なにが?」
「ムサシを助けてくれた人?」
するとユナエリは少し考え顔になった。
「高校生の男の人だったと思う。よく見えなかったけど」
……ああ、そいういえば朝の公園では、コンタクトレンズをなくしたっていってたな。
メガネしてなかったし。
……でも高校生?
ちょっと通学時間にしては早くないか?
……ああ、部活の朝練とか早朝補習だったら不思議じゃないな。
「あたし、できればその人と同じ学校に行きたいと思ったの。
たぶんそれがあたしの心残りになっていたんだと思う」
突然にユナエリはいった。
……やっぱりそういうことなのか。
やがてユナエリは立ち止まった。
どうやらこの場所らしい。
……するとちょうど片側二車線の道路を挟んだ向こうにムサシがいた。
「こりゃ、まずいな」
「どうしたの?」
オレはムサシを指さした。
「見てみろ。あいつオレたちに気がついて尻尾振っていやがるぞ」
オレは叫んだ。
「バカ!」
あのバカムサシのやつは、どうやら道の反対側にいるくせに、このオレとユナエリを見つけちまったのだ。
……さすがイヌだ、と、この場面ではほめるべきじゃねえんだぞ。
そしてうれしそうに道路へと足を踏み入れやがったのだ。
……まずいぞ、これはまずいぞ。
予想外の展開だ。
オレはあわてて周囲を見回した。
すると……いた。高校生だ。
朝陽を背に歩道橋の上にひとりの男が立っていた。
……あいつがそうなのか? あいつがムサシを助けるのか?
見ると男はオレたちに気がついているようだ。
駆けだして欄干にガシッとしがみつく。……まさか飛び降りる気か?
……すげーやつだ。
だが、……ああ、オレは見た。見ちまった。その男は確かに高校生だ。
だが、……あれは風祭さんだ。
金糸の校章が入った深緑色のダブルブレザーだった。
ま、まさか風祭さんがユナエリが会いたい人だったのか?
オレは腰が砕けそうだった。
……まさか、そんな。
「ど、どうしよ。ムサシ轢かれちゃう……」
オレの横でユナエリが崩れた。
足がすくんでその場に座り込んじまったんだ。
見ると……、道路の向こうでもジョギングウェア姿のユナエリが、こっちのユナエリと同じように道路に正座している。
お前たち鏡じゃねえんだぞ。
……な、なんてこった。
……ああ、バカ。こっち来るな。
ムサシはもう疾走していやがった。あのバカイヌが。あっちから暴走ダンプが来てるじゃねえか。
すると声がした。見上げると風祭さんが、
「行けー! 行けー!」
と腕をぐるぐる回していた。
……まるでライト前へのポテンヒットなのに、強引にホームへと走者をうながす三塁コーチのように。
見下ろすとユナエリがオレを泣きそうな目で見てる。
……そんな目で見るな、冗談じゃねえぞ。
「冗談じゃねえぞ。……ユナエリのバカ女め。足がすくんじゃっただと……。
オレだってな、すげー怖いんだぜーーーーーーっ!」
オレはまっすぐにダッシュした。
真横にはダンプの黒い影が迫っていた。
そしてムサシを抱きかかえて……。その瞬間オレの視界はパーッと明るくなっちまった。
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