第8話 四回目のループ。忘れられていたオレ。


朝。

 窓から差し込む光がまぶしい。




 それからどうやって自宅へ帰ったかをオレはまったく憶えていなかった。っていうか、今朝起きて、早朝に走って、めしを食って、制服に着替えて、バスに乗って、上履きに履き替えて、今こうして教室にいるのでかさえ、実はまったく記憶にないのだ。




 憶えているのは夜の公園でユナエリと会って別れてまた会って、指切りしたのが最後だ。

 ……そのあとオレはユナエリとどこかへ出かけたような気がするんだが、どうもはっきりしねえんだよな。




 で、気がつけばオレはこの市立大鷹高校の一年二組の窓際の席で 入学式直後のホームルームに居合わせていたってわけで、この瞬間に前回の時間ループの記憶がよみがえったってことなんだろうな。

 ……それも中途半端に、だ。




 で、今は自己紹介の真っ最中だった。そしてオレの順番が来た。

 オレは起立して当たり障りのない小中学校時代の経歴を紹介し、そして全クラス注目の的となってしまっていた今なぜオレが、県立を着てこの大鷹高校の教室にいるのかを言い訳混じりで説明したのさ。




 ……要するに慣れってやつだ。




 今までの経緯から察するに、たぶん今回の時間ループでもオレは、まず早朝の富士見丘公園で植え込みから飛び出したムサシと会って、それからユナエリと出会ったのは間違いないだろうな。




 ……なんせ、同じ一日を延々と時間ループしているんだからな。 




 で、そこからはきっと烏沼高校の入学式に出向いたんだろう。

 ……なんせオレは今、烏沼高校の制服を着ているんだしな。

 それでたぶん、そこの教師にお前が行くのは大鷹高校だといわれて、それでこの場にいるんだろうなと理解した。




 ……だってそれ以外はあり得んだろうが。




 そしてたぶん……いや絶対に間違いなく、これがユナエリがいっていた時間のループなのだ。こうしてもう何度も何度も今日と同じ四月六日が繰り返されている。




 ……オレはこの時点でユナエリの時間ループ話を完全に信用したのだった。つまり今は四回目の時間ループってわけだ。




 この市立大鷹高校は確かに進学校だった。

 県立烏沼高校が入学式直後のホームルームの後は部活動見学を行って解散だった日程とは違って、この大鷹高校は中学時代に苦手としていた教科の補習授業が早速行われることになっていたのである。




 ……なんだかもう、ね。




 だがオレはそれらをすべて無視した。

 オレには果たすべく約束があったからな。

 それはもちろんユナエリとの指切りの件だ。つまりオレたち以外の三人目の入学難民を捜すってやつだ。




 ……だが、なんか引っかかる。

 オレは前回の、ユナエリがいう三回目の時間ループってやつで、なにか重要なことを探し当てた気がするんだが。




 ……ダメだ。……ぜんぜんダメだ。……さっぱり思い出せねえ。

 ……そういえば、ユナエリも時間ループの記憶はそのすべてを思い出せるわけじゃないって、いってたよな。




 ……こういうことなのか? ユナエリさんよ。




 それからオレは校内をくまなく捜したんだがユナエリの姿は見あたらなかったんだ。

 ここまで捜していないのだからユナエリはこの高校には入学していないのはオレにもわかった。




 だが……、オレはさみしさとは違う心のすきま風を感じていた。それはきっと不安なんだと思う。

 もしかしたら時間ループはすでに終わっちまって、二度とユナエリと会えねえんじゃねえかと感じたってわけだ。




 ……嫌だけど悪い予感ってやつほど当たるしな。




 いつの間にかオレは校舎裏に来ていた。

 校内探索のためともいえたし、ユナエリを捜しのためともいえるんだけど、まあ、気まぐれってやつが正解かもしれねえな。




 そこは大きな木々が密集してはえていて、その脇には使わなくなった資材とか焼却炉なんかがごろごろ転がっているほとんど人気のない場所だったんで、長居するつもりなんて全然なかった。




「……ん?」




 突然だった。

 そのときはなやいだ会話が聞こえちまったんだ。




 それは四、五人くらいの女子たちの楽しそうな声だった。たわいもない会話できゃきゃきゃと騒ぐ女独特のあの騒ぎだ。

 ……これをかしましいっていうんだろうな?




 で、この大鷹高校は元は男子校だった経緯があるのと、女子の制服がまったくもってかわいくない理由から、今でも女子生徒は男子と比べて圧倒的に少ない。

 だからなんとなく興味がわいた。

 どんなやつがいるんだろうと思ったわけだ。




 ……いや、決してのぞき見したいと思ったわけじゃないぞ。だけど気がつくとオレはふらふらとそちらに向かっていたってわけだ。




「ユ、ユナエリじゃねえかよ」




 そこにユナエリがいやがった。




 オレの行く手には左右に長く背の高いフェンスがあった。

 そういえばなんだが、この大鷹高校は私立校と隣接しているのだから、その金網はいわば市立大鷹高校と私立鷺鳥高校の国境ってやつなのだ。




 そのフェンスの向こうは鷺鳥高校の中庭になっていて自販機とベンチがあってちょっとしたオープンカフェになっていたのだ。

 そして私立鷺鳥高校の純白セーラー服の女の子たちに囲まれた中心に、ユナエリの笑顔があったってわけだ。




 ……オレは内心ほっとしたぞ。

 ……どうやらひとりぼっちにならずにすみそうだしな。




「やっぱ目立つんだな」




 そうなのだ。ユナエリはやっぱりここでも目立っていやがった。

 その原因のひとつはヤツがひとりだけ県立烏沼高校の濃紺ブレザー姿というのも、もちろんあるんだが、それ以上にやつのその肌の白さ、ほっそりとした顔の輪郭、整った目鼻立ちが他の女の子たちと並ぶことでよけいに際だって引き立っていやがるんだろうな。




 そしてだ。

 ……やっぱり時間ループってやつは間違いなく存在していて、オレが烏沼高校の制服姿で大鷹高校に来たように、ユナエリもまた、違う高校の入学式を迎えたのは間違いないな。

 ……やっぱり時間ループってやつは存在していやがるってことの、なによりの証だ。




 気がついたらオレは駆け足になっていた。

 そして金網をつかんで気軽に声をかけたんだ。




「ユナエリ、オレだよ。飛鳥井速人だよ」




 会話が止まった。

 そして輪になっていた女の子たちが一斉にオレの方に振り向いた。その真ん中にはもちろんユナエリがいる。

 その目はまっすぐにオレを見やがった。




「オレだよオレ。なあユナエリなんだろ?」




 このとき、悪い予感ってやつはやっぱり当たるもんだなってオレは実感しちまったよ。

 その証拠にユナエリの反応がどうもおかしいんだ。




 ……怪訝そうにオレを見ていやがるばかりで、まるで見知らぬ他人から突然名前を呼ばれたような感じなのだ。




「……誰あの人、エリちゃんの知り合い?」




 取り巻きの女生徒その一が、オレを汚い物でも見るような目でそう尋ねやがった。

 するとだな、あろうことか……、ユナエリは左右に首を振りやがったんだ。




「……ぜんぜん知らない人」




 オレは自分の目を耳を思わず疑ったね。




「……うそだろ。おい、うそなんだろ?」




「……」




「おい、聞いてくれ。

 ……お前は烏沼高校の教室に乗り込んでオレに会い来ただろ? 

 ……そのときはオレは大鷹高校の制服、そしてお前は鷺鳥高校の制服を着てただろ? 

 ……お前のマンションにいっしょに行っただろ? 

 ……オレたち以外の三人目を捜して街でいろんな人に尋ねただろ? 

 ……そしたらパトカーがやって来て公園まで逃げただろ?

 ……ま、まさかお前はぜんぶ忘れちまったてんじゃないだろうな?」




「……」




 だがユナエリの反応はオレに取ってぜんぜん好ましいものじゃなかったんだ。

 話こそ聞いていてくれたけど明らかにオレを見る目は怪電波に犯されたストーカーを見ているように冷ややかだったわけだ。




 ……まだ、なにかあったはずだ。オレとユナエリの思い出が……。

 ……あ! ……思い出したぞ。




「今朝早く公園で会っただろ? お前のムサシと抱き合っていたのがオレだよ」




 ……手応えがあった。

 ユナエリはゆっくりと近づいて来てオレとフェンス越しに向き合ったのだ。

 その距離約一メートル。




「思い出した。今朝の変態少年ね?」




「そうそうそう。そのオレだよ」




 オレは即座にうなずいた。

 だけど金網越しのユナエリの目は冷たいままだったんだ。




「なんか勘違いしてない? あたしはあなたのことなんかよく知らないし、あなたといっしょにあちこち行ったことなんてない」




「……うそだろ」




 まさか、そうなのか? 

 ……オレは確信した。ユナエリは前回のループをまったく覚えていないんだ。

 おそらくたぶん、今朝も繰り返されたであろう早朝の公園のシーンでのオレしか知らないってわけだ。




 ……ってことはだな、要するにユナエリは、やつの日記帳にあるはずのオレじゃないオレが書いた走り書きは読んでない、ってことになるんじゃねえか? 

 ……もしくは今回に限ってだけ、まだ読んでいない、とか。




 ……いや、そうじゃないな。




 もしかしたらだ。時間ループが繰り返される際に、すべてがリセットされるわけなんだから、オレじゃないオレが書いたあの文章もきれいさっぱり消えているってことじゃねえのか?



 

 ……そ、そういうことなのかよ?




 オレはあせった。

 今このときを逃したら、きっときずなは途切れちまうんだ。

 オレはがっしとフェンスをつかんだ。頬に金網が食い込む。




 な、なんかねえか?

 ……もしかしたら強烈なインパクトを与えればショック療法で思い出すんじゃねえか? 

 ……それも視覚的にストレートなやつだ。

 ……そ、そうだ! 




「見ろっ! パンツを見るんだっ!」




 オレは……オレはズボンに手をかけた。

 太陽の下でオープン・ザ・赤パンツだ。




「どうだ思い出しただろ! オレだよ。飛鳥井速人だよ!」




「きゃー、うそ、信じられない。この変態少年!」




 ユナエリが叫んだ。

 だがオレは止まらない。とにかく必死だ。死にもの狂いだ。命かけてんだ。

 だから更に追い打ちをかけてやる。




「それだけじゃないぞ。お前の今日のパンツは……水色だ!」




 ……ものすごい反応だった。




 ユナエリはその瞬間、制服のプリーツスカートを両手で押さえたんだ。

 そして顔がみるみる赤くなっちまった。




「……いつ見たっ? どこで見たっ? だれと見たっ? 

 ……もうバカ、すごいバカ、許せないほどバカ。……あっち行け変態!」




「ぐおっ……」




 ……あ、と気がついたときは遅かった。

 バシッと音がしてオレは後ろにひっくり返ったんだ。

 ユナエリの張り手が金網越しにオレの頬を叩いたんだ。




 ……ズボンを降ろしっぱなしのオレは立ち上がれずにもがいていると憤怒の表情で駆け去るユナエリの後ろ姿が見える。




「……ももも、もしかして、オレのこと完全に忘れているのか? ユナエリっ!」




 顔がじんじんしていた。

 そして……オレは絶望ってやつを初めて体験したんだ。




 打ちひしがれた心のままオレはクラスに戻った。

 教室ではもう生徒たちのほとんどが帰り支度をしていた。机の上には明日からの連絡事項が書き連ねてある冊子があり、黒板にはそれの補足事項がチョークで大きく描かれてあった。




 だが……オレにはもうどうでもよかったんだ。




 ユナエリから受けた心理的ダメージが心にずしりとのしかかっていたからしな。

 それにどうせまた時間ループしてしまうのだし……。




 だが、ループしても今よりもよくなるのか?




 さっきのユナエリは少なくとも早朝の公園のシーンは覚えていてくれた。でも次回のループではそれさえも覚えていてくれないかもしれないんだ。




 四月六日は確かに繰り返されている。

 だがな、もしもだ、オレがジョギング途中に早朝の公園に立ち寄ってもだ、ユナエリがその公園のその時間に現れなかったらどうなる? 




 寝坊したりとか、体調が悪かったりとか、公園に行かなくなる可能性ってのはごろごろしてるんだぜ?




 そしたら、オレとユナエリは出会わなくなる。

 つまりオレとユナエリの関係はゼロになっちまうってことなんだ。

 ……オレはこのとき、明日なんてものはいっそ来なけりゃいいと、生まれて初めて思ったんだ。




 下駄箱で靴に履き替えてオレは昇降口を出た。

 そこから緩やかにカーブしながら傾斜を下ると通用門だ。

 オレは明日という日がない敗者の気持ちで足下ばかりを見ながらとぼとぼと道を降りた。




「……ん?」




 いつのまにか喧噪のまっただ中だった。



……いったいなんの騒ぎだ? 




 驚いたことに校門の柱を中心にして人垣ができているのだ。

 なんだかよくわからんが、一年、二年、三年と学年を問わず男子生徒たちが大勢で輪を作っていやがったんだ。




 ぼーっとしていたオレは後ろから来た生徒に肩を押されちまった。

 ……おい、痛えな。




 そして流れに逆らうこともできないままに、どんどん押されて気がついたら、騒ぎの原因の中心へと身体を運ばれていたってわけだ。




「……あ!」




 オレは瞬間固まっちまった。

 だってそりゃそうだろ? そこには県立烏沼高校の濃紺ブレザーを着たメガネ少女が見えたんだ。

 すげーかわいい子、と誰かがつぶやく。




 ……ユナエリだった。

 校門の柱に背をつけて立っていたんだ。

 思うにどうやら騒ぎの中心はこのユナエリで、下校途中の大鷹高校男子生徒から口々に誘いを受けていたようだ。




 つまり……ナンパされている現場だったってわけだ。




 だがユナエリは群がった男どもなぞまったく眼中にないようで、そろえた膝の前に通学鞄を提げて顔は両頬をふくらませて、ひじょうに剣呑な仏頂面を見せていやがったんだ。




「……ユナエリ」




 オレは名前を呼んでみた。

 正直いうと届くかどうかわからないような小声だったんだが、うつむいていたユナエリがぱっと顔をあげやがった。




 そして、ふと笑顔になったような気がしたんだが、次の瞬間にはまた不機嫌な表情に戻っちまったんだ。

 ……やっぱ思い出せないのかよ、お前?




 ……だが視線だけはオレを見ていて、あごをついと振る。

 どうやらついて来いって意味らしい。

 すると、おおっ、と、どよめきが起こった。

 オレはなにがなんだかわからないまま、去りゆくユナエリの後を追う。




 そのとき、

「どうしてこいつなんだ?」

 とか、

「ムカつく」

 とか、

「腹立つ」




 とかの大勢の憎しみがこもった言葉を受けたオレは、頭だか、胸だか、背中だかに、いくつか、きつめのパンチや蹴りをもらったんだが、気持ちは県立高制服のプリーツスカートからすらっと伸びたふくらはぎを追っていたから、そんなのはどうでもよかった。




 で、先行くユナエリに追いついたときだった。



「……いつまで待たせるのよ」




 オレの顔を見ずにユナエリは話しかけてきやがった。




「……さっきといい、今といい、あなたはどうして公衆の面前であたしに恥をかかせるの? 

 他の方法だってあったでしょ? ちっとは頭使ってよ。

 ……もう信じらんない」




 ……なんだって? 

 ……もしかして?




「も、もしかして記憶が戻ったのか? オレを思い出したのか?」




「あんたにあんなもの見せられて、はいてる下着の色までいい当てられたら百年の眠りだって覚めるわよ。

 ……もうホントにバカ」




 ユナエリはキッとしたキツイ顔で立ち止まりやがったんだ。




「責任取ってよね。……今から喫茶店で三人目を待ち伏せするから、あなたがおごってね」




 といいやがったのだ。

 正直いえば出費は手痛いが、オレはなんだかうれしくなっちまって、うー、だか、おー、だか叫んでいた。




「……やっぱあなたとは他人の振りするから」




 といい残すとさっさと歩き出してしまう。

 ……おいおい。




 ……ま、いいか。とにかく振り出しに戻ったのだ。

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