第6話 三回目のループ。ユナエリの部屋と日記、そして一回目と二回目のループについて。
五階のいちばん奥がユナエリの自宅だった。
「おう、元気だったか?」
ドアを開けると、今朝知り合ったドイツ・シェパードのムサシがオレに飛びついてきたのだ。
その喜びようはまったく大げさでまるで命の恩人に再び巡り会えたかのような感じがしたくらいだ。
おお、なんてウイやつ。
「勝手にあがっていいわよ」
オレはお言葉に甘えて靴を脱いだ。まだ室内には新築の匂いが残っていた。
オレはユナエリの後につづいてやたらでかいテレビと高そうなソファセットがあるリビングを通り抜ける。
壁にはいくつかの絵画と額に入った写真がかかっていた。
「……家族か?」
写真を見るとそれはユナエリの家族だった。
そしてこの家はエリートそうな父親と、若々しくて美人の母親と、俳優みたいにきれいなお姉さんと、このユナエリとシェパード犬ムサシの四人プラス一匹家族だということがわかった。
だがテレビのスイッチは入っていなかったし、キッチンからもパタパタとしたスリッパの音もシンクの水音も聞こえてこなかった。
……誰の気配も感じられない。
「家族はみんな留守なのか?」
「うん。あたしのいとこのお兄ちゃんの結婚式があったんで、みんな新幹線に乗って出かけたから今日は誰もいないのよ」
ふーん。じゃあ余計な挨拶なんかしなくてすみそうだ。
オレはどうも挨拶というのが苦手なんだ。
……でも、待てよ。だとすると……。
この家には今はオレとこいつの二人だけ、ってことになるんだよな。
「あのさ、もしかして、あなたとあたしの二人っきりってことで、……変なこと考えているんじゃないよね?」
じとーっとした目でオレを見た。
オレはとたんにむせた。
……考えていない。考えていない。……いや、正直いえばちょっとは頭に浮かんだけどさ。
でもそれよりも、だ。
オレは身体にのしかかるムサシの頭をなでる。
……それよりも、この愛らしいわんこがオレに抱きついたままなのでそもそも身体の自由がないしな。
ユナエリの部屋は南向きで明るい部屋だった。
そして部屋の中はこざっぱりしていた。
オレが思うに年頃の女の子の部屋ってのは、ぬいぐるみだとか、ソファだとか、クッションだとか、とにかく柔らかくてふわふわしている印象を持っていたんだけど、ユナエリの部屋はがらんとしていた。
まるでモデルルームのようだった。
……いらないものはさっさと捨てるのが信条らしいな。
「その辺に適当に座っていいから」
とユナエリはいう。
だがオレはイヌのようにうろうろと歩き回って、けっきょく出入り口のすぐそばに腰かけた。
そんなオレをユナエリは不思議そうに見つめるんだが、それは仕方がないだろう。
なんせオレは女の部屋という場所に初めて入ったんだ。
きっと女の部屋ってやつはあちこちに地雷が埋まっているはずだ。
机のそばに座れば「そこにはあたしの秘密の手紙や写真が入ってるのよ。こっそり隙を見て盗み見するんでしょ?」と、いわれるかもしれないし、タンスのそばに座れば「そこにはあたしの下着が入ってるのよ。変態!」っていわれるかもしれないし、ベッドのそばに座れば「あーそう。あなたはやっぱりそんなつもりであたしの部屋に入ったのね?」といわれるかもしれないんだぜ?
……あぶなくてやたらな場所に腰かけるわけにはいかんだろうが。
「で、これなのよ」
ユナエリは机の上から一冊の日記帳を持ってきた。
それはピンク色の表紙でラブリーな模様が描かれたダイアリーだった。
この部屋はインテリアすべてが男っぽいというか、シンプルというか、質実剛健っていうか、……とにかく白黒グレーと木目ばかりなのだから、こいつはこの空間で唯一の女っぽいアイテムに見えた。
「……なんだか、夢見る少女仕様って感じだな」
「なによ。まるであたしがこういうのを持ってちゃいけない、って、いい草じゃない」
「いや、女の子っぽいって思っただけだ」
「……っぽい、って、なによ? っぽいって?」
……やっぱ、なにかにつけてからむ性格なんだな。
オレ苦笑。
まあ、そんなこんなでユナエリは日記帳を差し出して、問題のページを開いてオレに見せたわけだ。だが日記帳のページの端はしっかり指で押さえたままだ。
……あのな、わかってるよ。
他のページを見たらただじゃすまないっていう意味なんだろ?
「むう。……確かにオレの字みたいだな」
オレはうなった。
開かれたページは今日の四月六日のページだった。
そこにはユナエリが書いた文字はなくて、
《今日は入学式だから飛鳥井速人がはいているのは新品の
と、だけが間違いなくオレ自身の筆跡で大きく書かれてあったんだ。
だけど断言してもいいが、オレはこんなこと書いてねえぞ。
第一どうやってこの部屋に来て、どうやって日記帳に書き込む機会があった?
……うーん、わかんねえぞ。
「ね? だからいったでしょ? あなたの字で赤パンツって書いてあったって」
「……ああ」
オレはなにかのトリックなんじゃないかとも考えたんだ。
だがな、これは間違いなくオレの字だ。自分の筆跡を間違えることはないだろうしな。
……しかし、どういうことなんだ? いったい?
「でもね。あたしはこのおかげで助かったの」
妙なことをいう。
「んあ? どういう意味なんだ?」
「うん。……今の三回目の時間ループのことなんだけど、今朝もあたしはあなたと公園で出会ったでしょ?」
「ああ、そうだな」
……今朝も、か、どうかはわからんが、確かに出会ったさ。
「で、あたしはそのときにさ、あなたとまるで初めて出会った感じだったじゃない?」
……まるでもなにも、初めて会ったんじゃねえのか?
「そんで、そのときのことなんだけどね、あたしはホントに今朝はあなたのことを知らなかったの。……ううん。忘れてた、ってのがこの場合は正解ね」
「どういう意味なんだ?」
「うん。……あのあと、あたしが部屋に帰ってこの日記帳を見たときに、ぜんぶ思い出したのよ」
「あ? ……っていうと、なんだ? お前はこのオレの仕業としか思えないこの走り書きを読んで、そんで思い出したっていうのか?」
「そうよ。その瞬間に一回目と二回目の時間ループが実はあって、そしてあなたのことも思い出したのよ」
「な、なんてこったい」
……じゃあ、オレじゃないオレは、これを読めばユナエリが時間ループの存在を思い出すことを予期して、この文章を書いた、ってことか?
「疑わないでね。ぜんぶホントのことなんだから」
……ってことはだな、オレじゃないオレがこのわけがわからんことをしでかしたために、このオレをこのややこしい事態に巻き込んだってことじゃねえかよ。
……余計なことをするんじゃねえよ、オレじゃないオレ。
……でも、まあ、今こうしてユナエリと知り合えたんだから、ちっとは評価してやるか。
「いい? これを書いたのは飛鳥井速人。そしてあなたはなんらかの意図があって、このあたしの日記帳にこの汚い文字列を書き込んだってことなのよ」
……汚い文字列はよけいだ。……でもな。
「でもな、確かにこの筆跡はオレなんだよな。それに、……オレは入学式とか卒業式とか、なんとか式という大事なときには必ず新品のパンツを卸すようにしている。だから間違いないはずだ」
思わずそうつぶやいた。
「ほら、やっぱいったじゃない」
気がつくとユナエリは満面の笑みを浮かべていやがった。
オレは、さっきまでオレたちがいた
あのときは確か以前のループでもオレは今と同じ言葉を発したらしいんだ。
だが、オレはまるで憶えちゃいねえんだがな。
ユナエリがいうには、ユナエリはそれまでの時間ループの際に見聞きしたシーンのいくつかをしっかり憶えているらしい。
……だから、以前の時間ループとやらで、オレがそういう言葉をつぶやいたのをちゃんと憶えていやがる、ってことらしいんだ。
ちっ。……認めざるを得ないな。
「でもさ。これは、オレ自身が書いたことを前提としていうんだが、……いったいオレはいつこのことを書いたんだ?」
オレはどう考えてもわからん疑問をユナエリにぶつけてみた。
「あたしだってそれを知りたいの。でも書いた本人がわからないんじゃ仕方ないわね。……えと、でもね、ひとつだけヒントがあるの」
ユナエリはくちびるを少しとがらせて額に指をあてた。
「ヒント? なんだそれ?」
「うん。あたしはいつも夜に日記を書くんだけど、書き忘れたことを思い出すとムサシとの朝の散歩が終わってから書き加えることがあるのよ。
……でもね、昨日の夜に日記を書いたときは、あなたの書き込みはなかった」
「……待てよ。ってことは今朝オレと公園で出会ってからこの部屋に帰って来て、なんかを書こうとして、そんでそのときに気がついたってことか?」
ユナエリはこくんとうなずいた。
……オレはぞっとした。気味が悪い話じゃねえかよ。
だってそれがホントならオレは今朝の公園でユナエリと別れてからこの部屋に忍び込んで、この日記に赤パンツうんぬんを書いたことになるんだぜ。
……まさかオレの生霊でも現れたってんじゃねえだろうな?
「いちおういっておくが、オレは今朝、お前とムサシと別れてからは、まっすぐに家に帰ったぞ」
……証人なんぞいないがな。
だが、オレがオートロック機能がついたこのマンションに侵入して、そのときはまだ名前も知らなかったユナエリの家を探し当てて、鍵もないのに部屋に忍び込んで、おまけに存在も知らなかったこのラブリーな日記帳に赤パンツうんぬんを書くことは、……まずもって不可能だ。
絶対に無理だ。
あり得ん話だ。
「うん。それは平気。信じてる。だって無理だし」
納得してくれた。
……でもまあユナエリの話がホントなら前回のループでもオレはきっと同じセリフを口にしていたんだろうがな。
そこでユナエリはキッチンに一度姿を消した。
そしてしばらくするとお茶を入れてきてくれたのだ。ここはありがたく頂戴することにしよう。
で、オレは茶をすすって、いくつかの質問をしたわけだ。
「今現在は三回目の時間ループってことでいいんだよな?」
「うん。記憶の限りじゃね」
……あてにならねえな。……ま、それでもオレよりはましか。
「で、一回目とやらは、どうだったんだ?」
「一回目? うん。そうね。……えと、一回目だとあたしが思ってる時間ループのときは、飛鳥井速人もあたしもそれだとは、ぜんぜん気がつかなかったのよね」
ユナエリの説明によると、第一回目のループでは、今のオレのように市立大鷹高校の黒い学ランを着たオレと、今回の時間ループ同様に私立鷺鳥高校の白いセーラー服を着たユナエリが県立烏沼高校の校門で鉢合わせしたことから始まった、と、いう。
「と、するとだな。……お前は鷺鳥高校へ、そしてオレは大鷹高校への入学式に最初はそれぞれ向かったってことだな? で、それで入学を断られたってことだな?」
「そう、その通りなのよ。……今回の時間ループと同じで、そこでさっそく入学難民になっちゃったってわけなのよ」
「ふーん。……ん?……ちょ、ちょっといいか?」
オレはユナエリをまっすぐに見た。
「な、なに?」
「いや、その
「……ん。たぶんそうだと思う。でも、なんで?」
「いや、いい」
……なんてことだ。オレは今、目の前にいるユナエリにその言葉を直接いってないぞ。
っていうことは、やっぱオレ自身が前のループとかやらでユナエリにその言葉を使ったってこと……なのかよ。
「そして二回目のループ、つまり前回の時間ループのことなんだけどね。そんときは、あたしたちが偶然にバスで隣になったのよ」
「バス?」
「そう、通学バスで。もちろん入学式に行くためなんだけどね。あたしはつり革につかまっていたの。それで横を見たら飛鳥井速人が立っていた」
「オレが?」
「そっか、やっぱり憶えてないんだ。……あなたは烏沼高校の濃紺のブレザーを着てたんだけどな」
「お前は?」
「あたし? あたしは市立大鷹高校の地味なやつ」
……あ、あの黒くて超地味なブレザーな。
ちなみに大鷹高校の女子制服は女にぜんぜん人気がない。むしろ忌み嫌われているといっても過言じゃない。まあ、男のオレが見ても確かにかわいいとはいえんものだ。
だが……。こいつが着ればそれはそれで意外と似合うんじゃねえか?
あの真っ黒黒の黒ずくめで、葬式会場ならウェルカムとよろこばれそうな制服なら、かえってこいつの真っ白な太ももなんか、ぐぐぐっと引き立つような気がするしな。
うん。
いや、……っていうか、そもそもこいつならどんな制服でも似合っちゃうんじゃねえか?
「……なんか、今、想像しなかった?」
「いや……。別に」
「じゃあ、いいけどさ。……なんか、あなたの鼻の下が異様に長くなってた気がしたのは、あたしの気のせい?」
……するどいな。
「あーあ、でもつまんない」
「なんでだ?」
ユナエリは、ずいとオレににじり寄る。オレはといえば、その分後ろにのけぞった。
「……な、なんだよ?」
「あのね、記憶ってのはね、やっぱり誰かと共有していないとつまんないものなの。あたしひとりで憶えてたって意味ないんだからね」
「そ、そうか」
……そりゃ悪かったな。
「まあ、いいわ。……でね、あたしたちはそのバスの中でお互いに気がついたのよ」
「オレもか?」
ユナエリはうなずいた。
で、話を聞くと、ユナエリはバスに乗る前から、入学式ならすでに経験していていたようなデジャビュを感じていたらしいのだ。
「でね。……あたしは、これはおかしいって思ったのよ。なんか違う、って。
それでよくよく考えてみると、あたしは鷺鳥高校のセーラー服を着てたような記憶があったのよ。そう、今着ているこの服ね」
「なるほどな」
オレは異常なほどに似合っているユナエリのセーラー服姿を見つめた。
「でね、ふと横を向くと飛鳥井速人が立ってるじゃない」
「すると、オレがいたんだ?」
「そう。あなたが県立烏沼高校のブレザー姿で立ってたの。だから、あたし訊いちゃったのよ。
……あなたは大鷹高校の制服を着てなかった? って」
……なるほどな。
で、ユナエリがいうには、そのときのオレもなんだか妙な違和感をすでに持っていて、それで話しかけてきた少女に見覚えがあったってわけだ。
「それから、どうしたんだ? そのときのオレたちは?」
「決まってるじゃない。バスを途中下車したのよ」
「オレもか?」
「そう」
「……入学式はどうなったんだ?」
「決まってるじゃない。すっぽかしたのよ」
……なんてこったい。
ってことはオレは今だけじゃなくて、前回の時間ループとやらでも、このユナエリに振り回されていたってわけだ。
……あきれてなにもいえんな。
「それから、あたしたちはいろんなことを話し合ったってわけね」
ユナエリのいうことを要約すると、その後のオレたちは場所を替え、店を替えて、長々と話をしたらしい。
なぜ自分たちだけが着ている制服と行くべき高校が違うのか、なぜ自分たちにだけ今日とは違う四月六日の記憶があるのか、などだ。
その結果、今日という一日が延々と繰り返されているんじゃないか、との仮説が生まれた。
つまり……、時間ループのことだ。
「……でね。そのときに、もしかしたらまた新しい時間ループが起こったときに、お互いの記憶がなくなっているかもしれない可能性があるからっていって……。いって……」
「……ん? なんだよ?」
ユナエリのやつが口ごもった。
「……パ、パンツのこと。あなたが、それならいいアイディアがある、って自分の赤パンツのことをいったの。
……にゅ、入学式とかなんとか式のときは新品パンツって話。
もう信じらんない」
……ああ、そりゃ悪かったな。……今のオレが代わりにあやまっておくか。
「そ、そしたら、それだけじゃダメだってことになって、それであなたが互いの電話番号とかメールアドレスなんかの個人情報を交換しようっていいだしたのよ」
……そうだったのか? なかなかナイスだぞ、オレ。
で、それでユナエリがオレの電話番号を知っていたわけか。納得したぞ。
オレは改めてユナエリの電話番号とメールアドレスとかSNSのアカウントなんかを聞いた。
なんせ今回の時間ループではオレはすっかり忘れていたしな。そしてオレはさっそくスマホに入力しようとしたんだ。
だが、
「あ、それ無理だから。時間ループが起きたら記憶以外はぜんぶリセットされちゃうから、自分で憶えておくしかないんだから」
と、いいやがった。
ユナエリがいうには今回の時間ループが起きたとき、自分のスマホに記憶させといたオレの電話番号もメールアドレスもすっかりメモリから消去されていたらしいのだ。
……オレ記憶力に自信がないんだけどな。
……前回のループなんかもすっかり忘れていたしな。
「あのさ。それよりもね。……今回のループで今までとは違う変わったなにかを見たり聞いたりしてない?」
とユナエリは尋ねてきやがった。
……そんなこと訊かれても困るんだがな。
だが、ユナエリの顔は真剣そのものなので、オレは仕方なく朝からの出来事をぽつりぽつりと話し始める。
早朝にユナエリとムサシと出会ったこと。そして変態扱いされたこと。市立大鷹高校の入学式に行ったらオレが通うのは県立烏沼高校だといわれたこと。
そして私立鷺鳥高校の生徒会長である親切野郎がオレと同じようにこの市内の高校であと二人ほど他校の入学式に参加してしていた生徒がいるようだと、いったこと……、なんかだ。
「ねえ待って。それよそれ」
「んあ? それってなんだ?」
「もう、鈍いわね。それって新しい展開じゃない?」
「どこらへんが新しいんだ?」
「むー、もう。……いい? ……その話だと、一人目はあなた、二人目があたし、ってことになるでしょ? だとするとあたしたち以外に新入学生でもうひとり、時間ループの被害者がいるってことよね?
つまりあなたとあたし以外の三人目の入学難民がいるってことなのよ」
そこまで話したときだった。ユナエリが目が大きく開かれてらんらんと輝き始めやがったんだ。
……なんか嫌な予感がするんですけど。ねえユナエリさん?
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