第124話 黒の眷属

「きゃっきゃっ!おねーさんこっちこっちー!早く早くー!早くこっちだよー!」


ウーは楽しそうに笑いながら跳び跳ねるようにして草むらを駆け回っていた。

子供特有の遊びに対する底抜けな体力故なのか走りながら跳ぶという無駄に疲れるであろう動きをしているのにもかかわらず、息を切らすどころか汗の一つすらかいていない。


「ま…まってぇぇぇ…はひぃ…」


そんなウーを背後から追いかけているリンカは今にも死にそうな表情だった。

息も切れ、汗を流しながら「はひぃ」と繰り返しながら逃げるウーをなんとか追っていく。


二人がしていることは何という事もないただの追いかけっこだ。

しかし両者の間に埋めようのない体力の差が生じてしまっているために、それはすでに追いかけっことして成立していない。


ウーから追いかけっこがしたいと持ち掛けられ始まった遊びではあるが、これでは遊んでいることにならないのではないかとリンカは少しだけ心配になったが、少なくとも退屈してははなさそうだということはウーの無邪気な笑い声が物語っている。


問題を一つ上げるとすれば…追いかけっこが始まって約20分。

すでにリンカの体力が限界に近い事だ。


「はひぃ…ウーちゃん…おねがい…すこし…はひぃ…きゅ…きゅうけい…」

「えー?おねーさんもうギブなのぉ?仕方ないなぁ。いいよじゃあ少し休憩ね!」


休憩が受け入れられたことにホッとしてしまったせいかリンカの脚から力が抜け、ガクッと身体が傾く。

そのまま踏ん張ることもできずに地面に向かって倒れて――


「あぶないよおねーさん」


硬い地面に身体を打ち付ける覚悟をしたリンカの身体をウーの小さな手が支えていた。

二人の距離は軽く十メートルほど離れていたはずなのに一瞬でその距離を詰めてきたという事実に驚生きながらもリンカはなんとか立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。


「ありがとうウーちゃん…助かったよ」

「にっひっひっ!何もないところで転んじゃうなんておねーさんドジっ子だねぇ~」


「うっ…で、でも今のは転んだというか…疲れちゃって力が抜けちゃって…」

「あー!言い訳してる~いーけーないんだー!」


「うぅ…」

「にっひっひっ!なぁんてうそうそ。いじわるしてごめんね?」


そう言ってぺろりとウーはまたもやリンカの頬を舐めた。


「ちょっ…ちょっと…人の顔をそんな簡単に舐めちゃダメだよ…!」

「なんでー?」


「なんでって…その…いろいろあるから…衛生面とか…あと恥ずかしいとか…」

「ウーちゃん恥ずかしくないよ?それに反芻もしないからお口も汚くないよ?」


「…はんすう…?」

「そう。あのね?たまにウーちゃんみたいなのは反芻するって思われてるけど実はしないんだよ?まぁ栄養を取り込むあれやこれの問題で下から出したものをもう一回食べたりはするけどあたしはしないんだよ?」


「え…?あ、うん…?」

「だからウーちゃんは舐めてもいいの。そうでしょ?おねーさん」


悪戯な表情で笑うウーの口元にチロリと覗く真っ赤な舌先を見てリンカはビクッと肩を震えさせた。


「い、いや!ダメだよ!人の顔なんて気軽に舐めちゃ…」

「じゃあ顔じゃなければいいのぉ?」


視界からウーが消え、その姿を探そうとするよりも早く首筋をなぞるようにぬるりとした感触がリンカを襲う。


「ひやぁあああああ!?」


そのあまりに甲高く、大きな叫び声が自分の口から出た声とは思えずリンカは反射的に顔を真っ赤にさせながら自らの口を両手で塞ぐ。

しかしそんなことをしたところですでに放たれた声がなかったことになるはずもなく…口をふさいだままでばっと振り向くとウーがニマニマとそれはもう面白そうに笑っていた。


「にっひっひっ!おねーさんおもしろーい!首…弱いね?」

「こんなところ強いわけ…!」


「そうなんだ?じゃあ試してみようか?」


耳元で囁かれ、声の振動と息使いが耳から頭にじんわりと伝わっていき、ゾクゾクとした震えにも似たものが全身に広がっていく。

まるで溶けてしまうような…そんな感覚だ。


「た、ためすって…何を…」

「もぉ~っといろんなところを舐めて…ほかに「びくっ」ってするところがないか探すの。そうすれば弱いかどうか…わかるでしょぉ?はぁむ」


次の瞬間、囁かれるままに耳たぶのあたりを甘く噛まれ…先ほどのよりもさらに強い電流が耳を中心に奔りそうになり…。


「だ、だめええええええええ!!!!」


それはおそらくリンカの人生の中でもっとも大きな声だった。


────────────


「いやぁでもおねーさんとのかけっこ楽しかったなぁ~。またあとでやろうねっ!」


気を取り直しリンカとウーは大きな岩の上に腰かけておやつタイムを楽しんでいた。

先ほどまでは幼い見た目に似合わない妖しい雰囲気を身に纏っていたが、甘い菓子を頬張っている姿は年相応の幼い少女に見えた。


「やってあげたいけど…ちょっと体力的に難しいかな…それにウーちゃんすっごく足が速いから私とじゃあ遊びにならなくてつまらないでしょ…?」

「そんなことないよ~。ママとするより面白かったよ?」


「そ、そうなの…?お母さんとも追いかけっこしてるんだ?」

「うん~たまに遊んでもらってるんだ。でもねでもねママはさぁめちゃくちゃなんだ~。どれだけ頑張って走って逃げてもね?5秒以上逃げられたことないの!」


「そ、そんなに早いの…?」


正直な話ウーの足の速さは異常だった。

リンカが運動を苦手としているというのを加味しても全く追いつけず、おかしいと言えるほどの速さだったのだ。

なのに彼女の母はそれよりも早いという。


「すごいんだね…」

「そうなんだよぉー。だからハンデちょうだい!って言ってさぁ~2分くらい待ってもらってもすぐに捕まっちゃうの!おかしいよね~」


「それはおかしいね…」


先ほどまではやや現実味があったが、急におかしな話になり子供特有の事実を大きく捉えて膨らませてから言葉として出力させるあれかとむしろ納得できた。

いろいろと不思議な子だがこういう面では確かに子供なんだと感じられ、むしろ安心さえしてしまう。


「ほんとだよー!あまりにおかしいから手加減してよー!って言っても「してるけど」としか言わなんだよ!もうぷんぷんだよぷんぷん」

「あはは…」


「だからねだからねウーちゃんね対等に遊んでくれる人が欲しいんだぁ。お友達」

「お友達いないの…?あぁでもそうか…ここじゃあ…」


黒神領には子供はほとんどいない。

おそらく元からこの地にいた者と言うくくりだけで言うのなら現在ギリギリ成人しているカナリが一位二位を争うレベルで若く、それほど深刻なレベルで高齢化が進んでいた。


黒髪の…いや、それに近い色をもった人間はそれだけで生まれたその瞬間から迫害される。

酷いときは生を受けてすぐに捨てられたり…最悪殺されたりするほどに。

運よく黒神領まで逃げ延びれば少なくとも生きることはできる…しかしメアのもとで黒神領がまとめられるまでは本当にただ生きていられるだけだった。


尊厳も何もなく、人としてのすべてをかなぐり捨ててただ命をつなぐことだけに一日を使う。

そんな場所で新たに子供が生まれるはずも、育てられるはずもなく結果としてこの国は子供がいないのだ。

最もそれもメア様教の設立や白神領との秘かな交流が始まったことによりこれからは改善されていくことにはなるだろう。

しかし今日明日ですぐに変わることでもない。


なのでウーが友達になれる子供となると…確かにこの国にはいないだろうなとリンカはそう思った。

だがしかしウーの言うそれはリンカの考えとは異なっていた。


「別にこの国だからってわけじゃないよ。あたしはね「対等」なお友達が欲しいんだぁ。人間さんたちはみんな脆いでしょ?だから怖くなっちゃう。とくにタンなんて触ったら壊しちゃいそうだからなるべく関わりたくないって言ってたもん。でもだからって上を見上げるとこんどはおかしなひとたちばっかり。ママとなんて強すぎて勝負にもならないし…ちょうどいいレベルの人がいなんだよね。でもおねーさんは違う」


ウーが唇が触れてしまいどうなほど顔を近づけてきて、その小さな手でリンカの黒髪を一束持ち上げる。


「ウーちゃん…?」

「おねーさんはねあたしにとっても近い。ママから力を貰ってその流れがいい感じに「ちょうどよさそう」。だからねウーちゃんたちのお友達になってほしいの。おねーさん本当は強いでしょ?ほんとうならあの程度の追いかけてで疲れたりしないでしょ?だっておねーさんはつよいもん」


「何を言って…私は強くなんて…」

「そんなはずないよ。こんなにいっぱいママの力が身体の中を駆け回ってるもん。でもなんでかその使い方を忘れちゃってるみたい。ねぇ思い出してよ。そしてウーちゃんと遊んでよ。おーねーえーさーん」


ガチャリとリンカの頭の中で何かの鍵が開いたような音が聞こえた。

何か…忘れていた何かがゆっくりと浮かんで来ようとしている。


リンカはずっと曖昧な記憶の中で過ごしていた。

ある時期の記憶が塗りつぶされていてどうしても思い出すことができない。

それが今…リンカの頭の中で形になろうとしていた。


「う…っ…あ…」

「おねーさん?どうしたの?あれぇ?」


頭を押さえて苦しみだしたリンカの様子を首を捻りながら見つめていたウーだったが、背後に何者かの気配を感じてリンカを庇うように振り向く。


「あーあー絶対にそのうちこーなるって思ってたっすけど想像よりも早かったすね。後輩にはもうしけねぇことしたっす」

「おまえ…クモの…」


ウーの背後から現れ声をかけてきたのはフリフリとした服を着た褐色の少女…のような少年くもたろうだった。

くもたろうは呆れたような顔をしてリンカとウーを見ていた。


「なんのようかなぁ今クモちゃんにかまってあげてる暇なんてないんだけど」

「こっちだってアンタさんが何もしなければ大人しくしてるつもりだったすよ。でもこうなっちまったからには先輩として声ださにゃあならんのっす。力の使い方も知らない子供がふざけすぎると取り返しのつかないことになる…それを教えてやるっす」


「子供ってウーちゃんの事かなぁ。力の使い方なんてよく知ってるよ?試してみる?クモちゃんなんて1分もかからずに倒せちゃうよ?」

「お―やってみろっす。お嬢様は何でも受け入れる懐の深いお方っす。でもそれゆえに失敗する前に諫める…という事に気が回らないところがありまっすからね。それをカバーするのが眷属というもんす」


「ふーん…ただの眷属がウチの「ママ」を馬鹿にするんだ?」

「馬鹿になんて出来ねぇっす。ウチが言ってるのは諫められねぇと何がいけないのかわかってないガキの事っすよ。ねぇ?うさタンクさん?」


くもたろうは右の人差し指でウーの顔を指差した。


「力をもって生まれたのなら力の使い方を知っておかなければならない。それが力を持った者の一番大事にしなくちゃならない義務っす」

「…さっきから何が言いたいの?」


「それが分かってねぇからガキだつってんすよ」

「あっそ、じゃあもういいよ。なんだかおねーさんの具合も悪そうだし、本当に遊んであげる暇なんてないの。これ以上付きまとわれるのも嫌だし少しだけ痛くするからね。いいよね「タン」」


ウーがくもたろうに向かって一歩足を踏み込んだ。

ズシン…と子供の脚とは思えないほどの重さで地面がへこむ。


くもたろうはそれを冷めたような目で静かに見つめていた。

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