第四十一話『絶滅しても困らない生き物-bloodsucker-』

 春には入学式があり、終業式が訪れれば夏休みになる。

 今は丁度多くの学校で夏休みが始まった頃であり、言い換えると夏真っ盛りである。

 そして今、俺は蚊に安眠を妨害されている。

「ええい、鬱陶うっとうしい!」

 手と手で思いっきり勢いよく合わせ、蚊を捉えたと思ったが、手を開くと無しのつぶて

 そして耳元には蚊の飛ぶ音が聞こえる。

「ええい、この吸血鬼共め! お前らなんて絶滅ぜつめつしてしまえ!」

 俺の健闘も虚しく、結局俺は部屋から蚊を追い出す事も根絶する事も出来ず、夜は更けていった。


「くそ、体のあちこちがかゆくて仕方が無い」

 翌日、俺は蚊に喰われて痒い体にさいなまれながら会社からの帰路を歩いていた。

 そんな中、ある小物屋が目に入った。

 壁面にツタが這って幻想的な雰囲気のする、昔の映画かアニメで見る様な、可愛らしくて整った外観の小さな店で、店の外には奇妙な飾りの数々が垂らされていた。

 俺はこれらの飾りを知っている。あそこにあるのはカラス除けの目玉、そっちには魔除まよけか小さなガーゴイル像が設置しているし、そうと来たらこっちにある香の様な匂いがするドライフラワーの詰まった壺はきっと虫除けのポプリか。

 店先にある商品の数々に興味を抱き、他にはどんな商品があるのかキョロキョロとせわしなく目を動かしていると、中に居る店員らしいイブニングドレス風ですみを垂らしたような黒い長髪の女性と目が合った。

(外で見てなんかいないで、中へどうぞ)

 女性はそう目で語っている様で、事実俺は陽が沈んだものの湿気が重苦しい空気から逃れるためにも店に入らせてもらった。

「どうぞいらっしゃい、今日は何をお求めに?」

「ええと、表にあったのは虫除けの花ですか? 俺、よく蚊に食われやすい体質なんスよ」

 俺は自分で自分におどろいた。俺は本来鬱陶しい店員が苦手で、店員に何かを尋ねられたら口下手に退散してしまう人間の筈だ。

 しかしこの店への興味心か、或いはこの店員さんの人当たりの良い雰囲気だろうか?

 とにかく俺は店員を相手に真っ当なコミュニケーションを取ったのは久方ぶりな気がした。

「ええ、あのポプリは蚊を遠ざける物です。あのポプリをおうちの入り口にかけておくなり置いておくなりすれば、まるでその一帯から蚊が絶滅した様になります。このお店の中にも外にも蚊は居ないでしょう?」

 くだんの人当たりの良い店員さんだが、俺の質問に対して微笑んで答えた。

 そして彼女の言う通り、俺の耳にはあの鬱陶しい羽音は全く聞こえなかった。

「それはすごい! しかし値札が貼ってありませんでしたが、幾らなんですか?」

「それはね、あのポプリはサンプルで非売品ですからです。でも安心してくださいな、同じ商品もあって、こちらは時価」

 店員さんが示したのは未開封のポプリで、口頭で聞いた値段は驚くほど安かった。

 パッと見たところ、殆ど原価と言う印象だ。俺は飛びつく様に一つ購入こうにゅうした。

「はい、どうぞ。効果は季節の変わり目から変わり目までです」

 それはいい! 俺は大喜びでポプリを持って小物屋を後にした。

「お買い上げありがとうございます。それでは、また明日」

 俺の背後、扉の向こうから店員さんが何かを言ったが、俺の耳にはくぐもってよく聞こえなかった。


「これでよし!」

 俺は自宅玄関にポプリを置いた。包みから出したポプリからはミントに近い清涼感のある爽やかな香りがして、これで蚊が近寄らないと言うのは半信半疑だった。

 しかしこのポプリの効果はすぐに現われた。

「これはすごい! 普段なら蚊の羽音が聞こえる筈なのに、全然聞こえないぞ!」

 これで俺は俺は安眠が出来ると思った。

「痛っ!」

 俺は手の甲に痛みを覚え、反射的に手の甲を打った。

 蚊の飛ぶ音は聞こえなかったし、そもそも蚊に刺されたのだったら痛みは無い筈だ。

 何事かと思って手を除けると、そこには何やらハエの様な生き物がつぶれていた。アブだ。

 何と言う事か、これまで蚊が居たうちだが、蚊が居なくなった途端とたん生態系せいたいけいに変化が生じたと言うのか、これまで見かけなかった虫が来た。

 しかも蚊と同じで吸血動物と言うオマケ付きで、蚊よりもデカいし性質たちが悪いと来たものだ!

 俺はポプリを売りつけた店員に対して悪態あくたいを吐きそうになったが、それと同時にあの店先にはポプリの他にも色々垂らされていたのを思い出した。

「きっとあの中に蚊避けのポプリの他に、アブ除けの代物が有る筈だ! そうでないなら、あの店の中にアブが居なかったのはおかしい!」

 俺はアブ退治にいそしみながら、そう考えに至った。


「すみません、この店にある虫除けを全部一つずつください!」

 俺は件の小物屋の扉をいきおいよく開けながら、そう言った。

「あら、いらっしゃいませ。きっと来ると思っていました」

 きっと来ると思っていたとは、随分ずいぶんと太い店員だ。

 いや、だが、しかし、あのポプリの効能は本物だったのだ、ここは悪態を吐いても仕方が無い。

 いや、この店員のせいで俺は今こうなっているとも言えるのだが。

「いいから全種類包んでくれ、虫除けを全種類だ!」

「虫除けを全種類ですね? 承りました」

 これで一安心だ。

 俺はそう思いながら店員から商品の数々を受け取りながら、代金を払った。

 鼻をくすぐるパクチーの様な刺激的な匂いのするポプリ、柑橘類の様な目の覚めるどことなくリゾートの様な香りのするポプリ、桃の様に甘い香りを胸を一杯に満たしてくれるポプリに、アロエの様な気分がシャッキリと鼻を洗い清めてくれるようなポプリ……どれも驚くほど安く、全部買っても大した値段ではなかった。

(そんなに安いなら、最初から全部売ってくれてもいいだろうに……全く気の効かない店員だな)

 俺はそう、口に出さずに毒づきながら店を後にした。


 * * * 


 壁面にツタが這って幻想的な雰囲気のする、昔の映画かアニメで見る様な、おまじないの品々を取り扱う小さな小間物屋があった。

 店の中には、飾り気の無いシンプルな黒のイブニングドレス風の姿をした墨を垂らした様な黒髪が印象的な店主と、どこかナイフの様な印象を覚える詰襟姿つめえりすがたの従業員の青年とが居た。

 店主の女性はラジオをつけながら携帯端末けいたいたんまつをいじり、報道番組やネットニュースを楽しんでいた。

「そう言えばカナエは虫に刺される方かしら?」

「どうしたんですか? そんなやぶから棒に」

 店主の女性の言葉に、従業員の青年は少々驚いた様に反応した。

「この間ね、虫に刺されるから虫除けをたくさん買って行って下さったお客さんが居たのよ、虫に刺されやすい体質だとも言っていたわ。それでカナエもそうなのかな? と、尋ねて見たくなったの」

「うーん、考えた事も無かったです……人並みに虫刺されはするって事にしておいてください」

 従業員の青年は、特に偽証をするでもはぐらかすでもなく、本心からそう答えた。

「しかし虫除けをたくさんですか? 普通虫除けって一つあったら大丈夫そうなものですが、その人の家の周りってどうなっているんでしょうね?」

「ええ、でもうちの商品はどれも本物ですもの。 蚊でも、アブでも、ブヨでも、ヒルでも、それこそ何でも退けるわ!」

 携帯端末のニュース記事を見たまま、店主の女性は自信満々にそう断言した。

「ブヨでもヒルでもって……そんなの街中で見た事無いですよ」

「でも、そう言う商品なのは本当よ。何だったら、もっとすごい吸血生物が来ても平気な商品もあるわ」

 まるで勝ち誇った様に自信満々で言う店主の女性に、従業員の青年は少々呆れた様な態度を示した。

「もっとすごい吸血生物って……ドラキュラ伯爵はくしゃくでもやっつける気ですか?」

 丁度その時、ラジオの報道番組が殺人事件を告げた。何でもアパートの一室で猟奇殺人があったらしく、被害者は血液を全て抜かれていたとの事だ。


 * * * 


 壁面にツタが這って幻想的な雰囲気のする、昔の映画かアニメで見る様な、おまじないの品々を取り扱う小さな小間物屋があった。

 店の外には様々な飾りが垂らされており、中でも目をくのは紫外線を吸収して夜間に発光する蓄光ちっこう塗料とりょうを施された、銀製の太陽の飾りだった。

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