第二十九話『親なき仔-chicken or egg situation-』

 壁面にツタが這って幻想的な雰囲気のする、昔の映画かアニメで見る様な、おまじないの品々を取り扱う小さな小間物屋があった。

 店の中には、飾り気の無いシンプルな黒のイブニングドレス風の姿をしたすみを垂らした様な黒髪が印象的な店主と、どこか刃物の様な印象を覚える詰襟姿つめえりすがたの従業員の青年とが居た。

 店内は閑古鳥かんこどりが鳴いており、従業員の青年は店内の整理整頓せいりせいとんをしつつ、店主の女性と従業員の青年は他愛の無い事を話していた。

「そうそうカナエ、『卵が先か、ニワトリが先か』って思考実験はご存知かしら?」

 そう話題を振った店主の女性の言葉に、従業員の青年は言葉を返す。

「えっと、それが思考実験だって言うのは初めて聞きました。でも言葉の意味は想像がつきます。卵はニワトリが生む物だからニワトリが先に存在しないと存在できない、でもニワトリは最初は卵だったから先に卵が存在しないと存在できない……それで合ってますよね?」

 従業員の青年の言葉に、店主の女性はほおほころばせて肯定の色を示した。

「ええ、そうよ。意味が分かるなら話は早いわ。そして思考実験なんだけど、学説や伝承によってはどちらが先か変わるわ。遺伝学だと卵が先なのが有力説、化学ではニワトリが先って言う話で、聖書だとニワトリが先になるし、インド神話では卵が先だったかしら? 仏教やインド神話やエジプト神話にアステカ神話なんかだと、どっちも先ではないと言われているそうよ。いわば、定義によって正解が変わると言うのが正しいのかしらね」

 店主の女性はそう語ると、自らが座していたカウンターの席の下から決して小さくはないがコンパクトなトランクを取り出した。

「ちょっと手を止めて、これを見てくださらないかしら? 実はカナエに見せたい面白い物があるの」

 従業員の青年は言われた通りに手を止めて、カウンターの方へと近づいた。

 上司の指図だから従ったと言うよりは、彼にとっては彼女は親しみや信頼しんらいを覚える女性だったのだ。

 即ち、彼女が面白い物が有ると言ったならば、それが彼を揶揄からかおうとする意図でも無い限り、絶対に彼にとっても面白い物と言えた。

 店主の女性を露程つゆほども疑わず、カウンターのすぐ側まで移動した従業員の青年が見た物は、トランクをさもうれしそうに開ける店主の女性、そしてトランクの中で緩衝材かんしょうざいをくり抜く形で安置された卵だった。

「卵ですか、これはなんの卵ですか?」

 ソレは一見すると、既存きぞんの種の卵には到底見えなかった。

 ただ、一目で卵と理解出来る造形でもあった。

 大きさは掌大程てのひらだいほどで、色は煌々こうこうとする様な緋色ひいろだった。

 従業員の青年はいぶかしんで、その卵を見た。

 何せこの店はいわく付きの品物を取り扱う店だ、そして店主の女性は楽しそうにこれを面白い物と表現した。

 つまり、この卵はの卵ではない。

「これはね……そうね、何だか分からないわ」

 従業員の青年は聞いた言葉が信じられず、店主の女性を見た。彼女は力のこもっていないおどけ顔と言った様子で、それでいて悪い笑顔とも取れる様な表情をしている。

「えっと、それは何の動物の卵か分からない物を引き取った……と言う事ですか?」

「いいえ、それは違うわ。これはね、新種の卵なの。この地球上に現存しない、全く新しい動物の卵」

「全く新しい動物の卵……?」

 従業員の青年は店主の女性の言葉が上手く飲み込めなず、彼女の言った言葉を半ばオウム返しにした。

 新種の卵と言うなら、それを産んだ動物は何なのだ?

 何故その卵が新種の卵だと断言出来るのか?

 そもそも新種の卵だと定義している物を何処からどうやって手に入れたのだろうか?

 そして、地球上に現存しない生物と言うと、それは一種の外来生物か何かで危険ではないのだろうか?

「ほら、見て! もうすぐ生まれるわ!」

 店主の女性が灯がともった様に明るい顔と声で、そう言った。その言葉通りにトランクに安置された卵には内側からヒビが入ってきており、そして卵のからが割れて、中から……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る