第十九話『一生食いっぱぐれない種-pain de singe-』

 壁面にツタの這って幻想的な雰囲気のする、昔の映画かアニメで見る様なおなじないの品々を取り扱う小さな小物屋の中、どことなく刃物の様な印象を覚える詰襟姿つめえりすがたの従業員の青年と、飾り気の無いシンプルな黒のイブニングドレス風の姿ですみを垂らした様な黒い長髪が目に映える女主人とが居た。

「売れないわね……」

 女主人が真空パックに入った、ある方向から見ると黄色い十字架の様に見えるが、別の方向から見るとボール状に見える種を眺めながらボヤいた。

「売れませんね」

 従業員の青年も、相槌あいづちを打つ様にそう言った。

「ねえカナエ、この商品は何で売れないと思う?」

「ええと……その種に関しては、愛音アイネさんのセールストークと値段設定が悪いと思います」

「あら、それはどう言う事かしら?」

 従業員の青年の言葉に、女主人は不服そうに表情を浮かべた。

 自らの手腕に問題が有る事を内心では認識こそしているが、それを認めたくはないと言った様子か。

「植えて、実が生ったら一生食いっぱぐれない種でしたよね? そのセールストークはそこまで悪くないかも知れません。しかし、普通の人は種一つにそんな目が飛び出る様な大金は出せませんよ……」

「ううう……カナエが正論で私を責めたてる……」

 女主人はその場にくずれ込み、手で顔をおおい、顔を伏せて、さめざめと口に出して言い始めた。

「愛音さん、嘘泣きが下手ですね」

「ええ、私は生まれてこの方泣いた事がありませんからね。嘘泣きも下手なのよ」

「その理屈もどうかと思います」

 女主人はすくと立ち上り、商品の種の方へ再び視線を向けた。

「でもね、カナエ、この種に関するセールストークは全て嘘じゃないわ」

 女主人の眼には一種の灯がともっていた。

 これは立派な商品なのだから、本当に欲している人のところへ早く売れて欲しい。そう力強く語っている様な目だった。

 そして従業員の青年は、彼の上司がインチキ商品を売りつける人間で無い事、彼女の値段設定はいい加減だが、決して商品の価値に見合っていない事は無い事を知っていた。

「しかし、一生食いっぱぐれない種ですか……それってアレですか? 悪魔に一生食うのに困らない金を要求したら一食分の現金しか貰えなくて、その日のうちに亡くなったとか言う話みたいな物ではないのですよね?」

「ええ、勿論違うわ。この種は実が生れば、理論上地球上の食糧事情を全て解決出来ると言っても良い位の実をつける筈!」

 青年の言葉に、女主人は嬉しそうに眼を輝かせて言った。

 彼女は元よりこの商売を半ば道楽でやっている。

 商品のセールストークは彼女が好んでやっている物であり、彼女が心から商品を心から欲している人に商品を売ろうと言う姿勢もそれに因るところである。

「地球の食糧事情全てですか! それって俺にも育てられる……なんて事は無いんでしょうね。そうでなくとも、アフリカのどこか食糧難の国に売りつけたらどうなんでしょうか?」

「うーん、難しいんじゃないかしら? この種は既存きぞんの植物で例えるとアボカドに似た様な樹で、ものすごく大きく育つの。だから個人で育てるのは難しいし、食糧難の国だと土地もせている事が多いから、そう言った国もこの種を育てられないと思うわ」

「そうですか、それじゃあ確かに俺には育てられなさそうですね」

 青年は納得したような、落胆した様な態度で女主人に返した。

「ところで俺はアボカドって言われても、その生態とか知らないのですが、アボカドって育てるの大変なんですか?」

「ええ! アボカドを立派に育てるのは、それはもう本当に大変なの。アボカドはたくさん肥料を与えないと育たないし、普通に植えたら周囲の草花の分の栄養価を奪いつくしてしまうわ。ねえ、カナエは太陽光発電にも問題があるって知ってるかしら? あれは本来土が貰う筈だったエネルギーを貰ってエネルギーにしているの、だから太陽光発電に興味を示している様な土地でも育たないわ」

「俺は農業には詳しくないですが、アボカドの樹がそんな生き物だなんて事は知りませんでした。その話をまとめると、その種は本当に農業に適した国じゃないと育たないと言う事ですか……」

 青年の言葉に、女主人は言いたい事を一通り言い終わって高揚感こうようかんを失った様な、もしくは落ち着き払った様な、或いは冷めた様な様子で続きを話し始めた。

「いいえ、それでも難しいと思うわ。あの種は実験的に他の星に植えられたのだけど、星中の土の栄養を吸いつくすまで成長を止めず、星中の土の栄養を吸って育った根っこで星を砕いちゃったの。今ではその星は宇宙で粉々の散り散りになってしまい、樹の方は今も宇宙のどこかで種をバラ撒きながら宇宙空間をただよっているわ」

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